米津玄師の家族構成と断絶の過去|高機能自閉症が与えた影響とは

ミュージシャン

米津玄師さんといえば、数々のヒット曲で日本の音楽シーンを牽引する存在ですよね。でも実は、その華やかな活躍の裏に壮絶な家族との断絶や、高機能自閉症という障害との葛藤があったことをご存じでしょうか。

幼少期から家族とのコミュニケーションに苦しみ、20歳を過ぎてようやく自分の「生きづらさ」の原因を知ったという米津さん。気になりますよね。

米津玄師さんの家族構成や幼少期の壮絶なエピソード、高機能自閉症が家族関係にどう影響したのか。その真相に迫ります。

米津玄師の家族構成と断絶の過去に迫る

  • 米津玄師の家族構成は父・母・姉・本人の4人家族
  • 父親とはほとんど会話がなく「親戚のおじさん」のような距離感だった
  • 母親は美術教員免許の持ち主で、米津の芸術的才能に影響を与えた
  • 家族間の些細な喧嘩がきっかけで会話が途絶え「家族の断絶」状態に
  • 現在は関係が改善し、帰省して家族と過ごすこともある

米津玄師さんの実家は徳島県にあり、家族との関係は決して平坦なものではありませんでした。幼少期から「普通になりたい」と感じていた米津さんにとって、家族との距離感は大きなテーマだったようです。

名前 米津玄師(よねづ けんし)
生年月日 1991年3月10日
出身地 徳島県
職業 シンガーソングライター・音楽プロデューサー
家族構成 父・母・姉・本人の4人家族
代表作 Lemon、KICK BACK、アイネクライネ

父親との関係|ほぼ会話がなかった幼少期

米津玄師さんの父親は、コンピュータ関連企業に勤めるサラリーマンだったとされています。ネット上では「富士通ではないか」という推測もありますが、本人や家族から正式な公表はされていません

父親は非常に寡黙な性格だったようで、米津さん自身もインタビューで当時の関係を振り返っています。父親の基本的な情報——勤務先や年齢程度——は知っていたものの、日常的な会話はほとんどなかったそうです。

話しかけることも、話しかけられることもない。その感覚を米津さんは「親戚のおじさんが家にいるような距離感」と表現しています。

父と子、どちらも口数が少ないタイプだったことが、この関係性を加速させたのかもしれませんね。

母親は美術教員免許の持ち主

一方、母親との関係は父親とは異なるものでした。米津さんの母親は美術の教員免許を持っていたという経歴の持ち主です。

ただ、米津さんが物心ついた頃には教壇には立っておらず、チラシを作る内職をしていたとのこと。それでも、幼少期から絵を描くことが好きだった米津さんの芸術的な感性は、母親から受け継いだ部分が大きいのではないでしょうか。

米津さんは母親やお姉さんとは比較的仲が良く、たまに小さな口論がある程度の普通の家族関係だったようです。

しかし、あるときから母親と姉の間で些細な喧嘩が絶えなくなり、その影響は家族全体に波及していきます。

姉との関係と家族の断絶

米津玄師さんには姉が1人いますが、一般人のため詳しいプロフィールは公表されていません。姉はピアノを習っていたことが知られていますが、米津さん本人が「あまり上手ではなかった」とラジオ番組で語っていたこともあります。

家族の転機となったのは、母親と姉の間の喧嘩がエスカレートしたことでした。それをきっかけに家族の間に違和感が広がり、次第に会話が減っていったといいます。

やがて、同じ場にいても米津さんを除いて会話が進むようになり、家族でありながら孤立するような状況が生まれてしまったそうです。

もともとコミュニケーションに苦手意識を持っていた米津さんにとって、この「家族の断絶」は相当つらい経験だったのではないでしょうか。

祖父の死が生んだ名曲「Lemon」

米津さんの家族のエピソードとして欠かせないのが、母方の祖父との関係です。幼少期にはよく祖父のもとへ遊びに行っていたそうですが、大人になるにつれて会う機会は減っていきました。

米津さんが20歳になる前に祖父は認知症を発症し、2017年末に亡くなっています。ちょうどその時期に制作していたのが、あの大ヒット曲「Lemon」でした。

大切な人を失った悲しみと向き合いながら生まれた楽曲だからこそ、多くの人の心に深く響く作品になったのかもしれません。

米津玄師の高機能自閉症が家族関係に与えた影響

米津玄師さんの家族との断絶には、幼少期からの生きづらさが深く関わっています。その背景にあったのが、のちに判明する高機能自閉症という障害でした。

20歳で高機能自閉症と診断された経緯

2015年のロッキンオンジャパン誌のインタビューで、米津玄師さんは自身が高機能自閉症であることを公表しました。診断を受けたのは20歳を過ぎた頃だったそうです。

高機能自閉症は、現在では「自閉スペクトラム症(ASD)」という名称に統一されています。人とのコミュニケーションや社会的なやりとりに困難を感じる一方で、知的発達の遅れがないという特徴があります。

特定の分野への強いこだわりや集中力を持つことも多く、米津さんの場合は音楽制作においてその特性が発揮されていると考えられます。

診断を受けたことで、幼少期から感じていた「自分は普通ではない」という違和感の正体がようやくわかったと、米津さん自身が語っています。

幼少期から感じていた「生きづらさ」と家族

米津さんは子どもの頃から外遊びが苦手で、友達との付き合いもうまくいかなかったそうです。両親とも上手く交流できないと感じていたと、後年のインタビューで明かしています。

学校でもコミュニケーションに苦労し、バンドを組んでも自分のやりたいことをメンバーに伝えられず、すぐに解散してしまうことの繰り返しだったとか。

こうした経験が重なり、「ずっと普通の人になりたかった」という切実な思いを長年抱え続けていたそうです。

家族の中でも自分だけが浮いているような感覚は、高機能自閉症の特性と無関係ではなかったのでしょう。

鬱病との闘いと音楽への昇華

米津さんは高機能自閉症に加えて、鬱病を患っていた時期があることも公表しています。自身のブログで当時の状況を率直に綴っており、時間の感覚が狂ったり、1日に20時間近く眠ってしまったりと、かなり深刻な状態だったようです。

近所のスーパーに行くだけでも1時間かかるほど気力を失っていた時期もあったといいます。

しかし、そうした苦しみを音楽に昇華させてきたのが米津玄師さんの強さです。楽曲「リビングデッド・ユース」は、鬱屈とした小中学生時代を思い返しながら作ったと本人が語っています。

現在は家族との関係が改善

かつては断絶状態にあった家族関係ですが、現在は改善されていることが複数のインタビューからうかがえます。

年末に実家へ帰省して家族と過ごしたり、幼少期に父親の車で母や姉とジブリ映画を見に行った思い出を語ったりと、以前よりも穏やかに家族との時間を振り返れるようになっているようです。

音楽を通じて世界的な成功を収める一方で、家族との絆も少しずつ取り戻している姿は、多くのファンにとっても嬉しいニュースではないでしょうか。

「ハチ」から米津玄師へ|音楽活動の原点

米津さんの音楽キャリアは、中学2年生でバンドを結成したことから始まりました。しかし、人間関係がうまくいかずバンドは自然消滅。高校時代にニコニコ動画と出会ったことが大きな転機となります。

2009年、「ハチ」という名義でボーカロイド楽曲の投稿を開始。1人で完結する創作スタイルは、コミュニケーションに困難を抱えていた米津さんにとって理想的な環境だったのかもしれません。

その後、大阪の美術系専門学校に進学しますが、ここでもバンド活動は長続きせず、2010年3月に専門学校を中退。しかし学生時代から音楽で食べていく覚悟を決めていたと語っており、その決意が今の米津玄師さんを作り上げたといえます。

2025年にはワールドツアーで44万人を動員し、「KICK BACK」がアメリカレコード協会のプラチナ認定を獲得するなど、国際的な評価も年々高まっています。家族との断絶や障害との葛藤を乗り越えた先に、これほどの成功が待っていたと思うと、胸が熱くなりますね。

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