コンクリート事件の加害者家族の現在|小倉悦子と犯人の生い立ちや子供のその後

事件

1988年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、日本の犯罪史に残る凶悪事件として多くの人の記憶に刻まれています。未成年の少年グループが女子高校生を約40日間にわたり監禁・暴行し殺害した、あまりにも残忍な事件でした。

犯人たちは少年法の適用により量刑が軽く、世間から強い批判を浴びました。そんな加害者たちの家庭環境を調べてみると、虐待・ネグレクト・家庭崩壊といった共通点が浮かび上がってきます。

加害者の母親である小倉悦子をはじめ、それぞれの家族がどのような環境だったのか。そして事件後、家族たちはどうなったのか。ここでは加害者4人のうち3人の家庭環境と、その家族の現在を詳しく見ていきます。

コンクリート事件の概要と加害者家族の背景

コンクリート事件の小倉悦子についての結論

  • 1988年11月、女子高校生の古田順子さんがアルバイト帰りに拉致され約40日間監禁された
  • 主犯格の少年Aは懲役20年、他3人は不定期刑という軽い判決だった
  • 加害者の家庭には虐待・ネグレクト・家庭崩壊など共通の問題があった
  • 事件後も複数の加害者が再犯しており、更生の兆しは見られない
  • 神作譲(小倉譲)は2022年に51歳で孤独死したことが2025年に報道された

1988年11月25日の夕方、当時女子高校生だった古田順子さんは、アルバイトから自転車で帰宅する途中に少年らに拉致されました。ホテルに連れ込まれた後、加害者少年の自宅に監禁され、約40日間にわたってリンチを受け続けたのです。

順子さんは何度も逃げようとしましたが、その度に犯人に見つかり、逃げることができませんでした。1989年1月4日、順子さんは暴行により命を落とし、犯行グループは遺体をドラム缶にコンクリート詰めにして江東区の埋め立て地に遺棄しました。

別の事件で逮捕されていた犯人の自供により、この恐ろしい事件が発覚します。通常であれば極刑になってもおかしくない事件ですが、犯人らは犯行当時未成年だったため少年法が適用されました。

判決は以下の通りです。

  • 主犯格の少年A(宮野裕史):懲役20年
  • 少年B(小倉譲/神作譲):懲役5年以上10年以下の不定期刑
  • 少年C(湊伸治):懲役5年以上9年以下の不定期刑
  • 少年D(渡邊恭史):懲役5年以上7年以下の不定期刑

あまりにも軽い刑に、遺族が納得できるはずもありません。事件の残虐さから、週刊文春が少年法への抗議として加害者の顔写真と実名を公開する異例の措置をとっています。

では、こうした凶悪事件を起こした加害者たちはどんな家庭で育ったのか。それぞれの生い立ちと家族の現在を見ていきましょう。

宮野裕史の生い立ちと家族|コンクリート事件主犯の家庭環境

コンクリート事件の主犯格・宮野裕史はどのような家庭で育ったのでしょうか。調べてみると、裕福な家庭でありながら愛情が欠落した環境が浮かび上がってきます。

名前 宮野裕史(みやの ひろし)※現在は横山裕史に改名
生年月日 1970年4月30日
家族構成 父・母・7歳年下の妹の4人家族
父親の職業 証券会社勤務
母親の職業 ピアノ講師
事件時の年齢 18歳
判決 懲役20年

宮野が生まれた頃、父親は証券会社で好成績を収めており収入も安定していました。しかし父親と母親の喧嘩が絶えず、父親は外に愛人をつくってほとんど家に帰らなかったそうです。

母親はひとりで育児をしながら仕事もこなさなければならず、宮野は幼い頃から母親の仕事中に近所へ預けられていました。夜遅くに母親が迎えに来る生活で、家族で食事をとった記憶がないと宮野自身が語っています。

宮野が小学1年生の頃に妹が生まれると、両親は妹ばかりを可愛がるようになりました。母親は教育熱心で、幼い頃から英語教室や公文式に通わせ夜遅くまで勉強を見ていたそうです。

しかし熱心さが行き過ぎてしつけと称して靴ベラで殴ることもありました。宮野にとって母親の期待は相当なストレスだったに違いありません。

こうした環境から、宮野は幼い頃から親の金を盗んで駄菓子屋に行くなどの問題行動が始まります。小学5年生の頃にはパンチパーマにして集団万引き・校内暴力・器物損壊などの非行が目立ち始めました。

教員から「学校に来るな」と言われるほどで、ヌンチャクや木刀を持って学校に殴り込みをかけたこともあったそうです。この頃から家庭内暴力も起こすようになりました。

中学時代の更生と高校での挫折

しかし小学6年生のとき、真面目な友達の影響で一時的に更生します。卒業文集では将来の夢を「少年院の院長」と綴りました。

その理由として「悪いことをいっぱいしたから非行少年の気持ちがわかる。自分なら立ち直らせてやれる」と具体的に書かれており、友達の影響の大きさがうかがえます。

中学では柔道部に入り、大会で優勝や都内2位という好成績を収めます。身長160cmと小柄ながら、3年間問題行動なく卒業し、柔道推薦で東海大学付属高輪台高等学校へ進学しました。

ところが高校では成績の良さが先輩の反感を買い、投げ飛ばされたり締め技で失神させられるなどのいじめに遭います。ライターの炎を吹き付けられるまでエスカレートし、わざと先輩に負けるようにすると今度は顧問から殴られるという理不尽な環境に挫折。1986年9月に柔道部を退部し、1987年3月に自主退学しました。

退学後はタイル工場に就職し、共犯者の渡邊恭史の姉と交際して18歳での結婚を目標に200万円を貯金するなど真面目に生きようとした時期もありました。しかし給料の安さに不満を感じて退職し、暴力団関係者の仕事に誘われたことで転落していきます。

シンナーやひったくり、犯罪行為を繰り返すようになり、あの凶悪事件を引き起こしてしまったのです。宮野の場合、親との触れ合いの少なさ母親の過剰な教育圧力がストレスとなり、非行の入口になったと考えられます。

事件後の再犯と家族の現在

宮野はコンクリート事件後もまったく反省している様子がうかがえません。2009年に出所した後、2013年に振り込め詐欺の受け子をしていたことが発覚し再逮捕されています。

ただし黙秘を貫いたため不起訴処分となり釈放されました。逮捕時の対応から、罪が軽くなる方法を熟知した上で犯罪行為をしていたと見られています。

2017年には実話誌「実話ナックルズ」にスクープされ、高級腕時計やブランド品を身につけ高級車を乗り回す生活が報じられました。それらの資金はマルチ商法などの詐欺行為で稼いだものだったそうです。2017年以降は身元を隠すように生活しており、現在の消息は不明です。

家族についてですが、両親は事件後に2人とも仕事を辞め、自宅を売却して被害者遺族に5000万円を支払ったと伝えられています。

母親は事件後に宗教に没頭するようになったという噂があります。父親は証券会社を辞めた後、トラック運転手として働いていたそうですが、現在の詳細は不明です。妹については愛情を注がれて育っているため、問題なく暮らしている可能性が高いでしょう。

小倉悦子と神作譲(小倉譲)の家族|コンクリート事件犯人の母親の現在

コンクリート事件の加害者の中でも、その後の家族の行動が最も物議を醸したのが少年B・神作譲(旧姓:小倉譲)とその母親・小倉悦子です。

名前 神作譲(かみさく じょう)※旧姓:小倉譲
生年月日 1971年5月11日
死亡 2022年(51歳)孤独死
家族構成 父(小倉彰)・母(小倉悦子)・3歳年上の姉の4人家族
判決 懲役5年以上10年以下の不定期刑

小倉譲は1971年に東京都足立区で生まれました。両親は仲が悪く、小学3年生の頃に別居。父親は愛人をつくり、愛人との間に2人の子どもが生まれています。

父親が愛人との生活を選んだため、小倉譲は姉とともに母親に引き取られました。母親は子どもを養うために夜の仕事をしており、家にはほとんどいなかったそうです。子どもが夜に何をしていても注意する人が誰もいない環境が続きました。

それでも小倉譲は小学校には真面目に通っていましたが、部活の試合で怪我をしたことをきっかけに退部し、徐々に生活が荒れ始めます。高校進学後は校内で暴力事件を起こし退学。アルバイトをしながらコンクリート事件の共犯者たちと関わるようになりました。

再犯と改名の経緯

出所後の2002年頃、「神作」姓の女性と結婚して養子縁組し、神作譲に改名しました。この女性は中国国籍だったとも噂されていますが、公式な発表はありません。

刑務所内でパソコンについて学んでいたため、派遣社員としてIT関係の仕事をしていましたが、暴力的な性格のため職場でうまくいかず退職。その後暴力団に入ったとされています。

2004年6月には埼玉県三郷市で知人男性に対する監禁致傷事件を起こしました。好意を抱いた女性に交際相手がいると知り、その男性を金属バットで脅して車のトランクに押し込み、母親・小倉悦子が経営する店舗で暴行を加えて全治10日の怪我を負わせたのです。

この事件で神作譲は被害者に対し「俺は少年の時に刑務所に10年入っている」「遊びに行って帰ってきたら、監禁していた女が死んでたんだよ」とコンクリート事件への関与をほのめかして脅迫していました。

コンクリート事件の裁判で涙ながらに「一生かけて償う」と述べた言葉は完全な嘘だったことが明らかになりました。さらに「俺は警察を騙すノウハウも知っている。また入ってもすぐ出てこられる」という発言もしていたそうです。

裁判の結果、懲役4年の実刑判決が下されましたが、被害者感情からすればあまりにも短いと言わざるを得ません。

小倉悦子のスナック経営と被害者遺族への態度

神作譲の母親・小倉悦子の事件後の行動は、多くの人の怒りを買いました。

被害者遺族への慰謝料はわずか50万円という少額にとどまる一方で、事件後すぐにマンションを購入していたことが判明しています。息子には高級車を買い与え、遺族に支払うべきお金を私利私欲のために使っていたのです。

小倉悦子は事件後、スナック「ACB(アシベ)」を経営し、息子がコンクリート事件の犯人であることを隠して生活していました。しかし2004年に神作が監禁致傷事件で2度目の逮捕をされたことで、周囲にその事実が知れ渡ってしまいます。

バレてからはマスコミや近所の目を気にして車の中で生活するほど追い詰められていたそうです。店のホステスへのメールには「ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない」と書かれていました。

このホステスによると、小倉悦子は「息子が昼間でも突然叫び出すことがある」と話していたそうです。また神作は「おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう」と言っていたとも伝えられています。

しかし、最も衝撃的なのは小倉悦子のその後の行動です。自分や息子の人生が台無しになったことを被害者女性のせいだと逆恨みし、「息子は被害者のために運命を狂わされた」と主張して被害者のお墓を壊すという信じられない暴挙に出ました。

加害者の母親が被害者のお墓を荒らすという行為は、あまりにも常軌を逸しています。どんな精神状態であったとしても、到底同情できるものではありません。

神作譲の孤独死

2022年、神作譲は自宅トイレで孤独死していたことが2025年1月の報道で明らかになりました。享年51歳でした。

報道によると、母親が物資を届けに訪れた際にトイレで倒れている神作を発見。便器とタンクの間に頭が挟まった状態で、嘔吐による窒息が死因とされています。生前は被害妄想の症状があり、薬を服用していたそうです。

かつて「一生かけて償う」と述べた言葉とは裏腹に、再犯を繰り返した末の孤独な最期でした。

なお、父親の小倉彰は事件当時42歳で、運送会社の配送員として働いていたとされています。神作の再逮捕時にメディアの取材を受けた際は「関係ないの帰ってくれ」と繰り返すのみだったそうです。姉は事件当時20歳で都内の会社員でしたが、現在の消息は不明です。

湊伸治の生い立ちと家族|スパルタ教育が生んだコンクリート事件の監禁現場

湊伸治の家庭環境は、他の加害者とは少し異なる特徴がありました。被害者が約40日間監禁されたのは、まさにこの湊家だったのです。

名前 湊伸治(みなと しんじ)
生年月日 1972年12月16日
家族構成 父・母・兄の4人家族
両親の特徴 ともに共産党員。父は共産党系診療所の事務局長、母は主任看護師
判決 懲役5年以上9年以下の不定期刑

両親はともに共産党員で、父親は共産党系診療所の事務局長、母親は主任看護師をしていました。一見すると社会的地位のある家庭に見えますが、内実は厳しいものでした。

父親はスパルタ教育を行い、家の決められたルールを破ると母親が父親に報告。寝ていてもたたき起こされてしつけと称した虐待を受けていたそうです。父親は毎晩のようにお酒を飲んで帰宅していました。

湊伸治と兄は弁護士への証言で「週1回は必ず殴られていた。ゾッとするほど怖かった」と語っています。

中学は「足立の学習院」と呼ばれる名門校に通い、その後は都内唯一の化学専門工業学校に進学。中学時代は真面目に過ごしていましたが、工業高校入学後の1年2学期頃から不良仲間と付き合うようになります。

高校生になり体が大きくなると立場が逆転し、両親が手をつけられないほど凶暴化しました。それまで抑えつけられていた反動が一気に爆発したのでしょう。そしてこの頃から湊家が不良仲間のたまり場となり、被害者の少女が監禁される悲劇の舞台になってしまったのです。

母親の葛藤と兄の沈黙

普通の家庭であれば40日間も少女を監禁することは不可能なはずです。しかし湊家では、父親は仕事に忙しく家庭を顧みなかったことに加え、母親は監禁された少女の存在に気づいていながら見て見ぬふりをしていました。

母親が一度少女を逃がそうとしたことがありましたが、湊伸治から1時間にわたって暴力を振るわれたため、それ以上の行動を起こせなくなったと言われています。兄も少女に食事を運んでおり犯行の一部始終を知っていたはずですが、やはり見て見ぬふりを続けました。

たしかに湊伸治に立ち向かうことは命の危険を感じるほど恐ろしかったのかもしれません。しかし、警察への通報など他に取れる手段はあったはずです。助けることのできるあらゆる手段を試してほしかった、と思わずにはいられません。

湊伸治の再犯と家族のその後

出所後、湊伸治は2008年頃から東京都内のアパートで生活を始めました。彼女との同棲生活で夜間の騒音トラブルを繰り返し、窓ガラスが割られる騒ぎもあったため、2018年5月には防犯カメラが設置されるほどでした。

その後埼玉県川口市に引っ越し、同年代の女性と同棲・結婚したとも言われていますが、過去の犯行を隠していた可能性があります。

そして2018年8月19日、川口市の路上で32歳男性を警棒で殴りナイフで後頸部を刺す殺人未遂事件を起こしました。駐車トラブルがきっかけだったとされています。

裁判で湊は「殺すつもりはなかった」と主張しましたが、首をナイフで刺しておいて信じられる話ではありません。さらに「医師の診断は捏造だ」「警察の陰謀だ」といった支離滅裂な主張を繰り返しました。

判決は懲役1年6か月・保護観察付き執行猶予3年。その後は外国人女性と結婚して娘が1人いるという噂もありますが、公式に確認された情報ではありません。

家族は共産党から除名|父親は病死

事件後、湊伸治の父親と母親は共産党から除名されました。両親と兄は姿を消し、自宅も取り壊されたそうです。

1999年頃からはさいたま市内の一軒家で暮らしていましたが、父親については湊の叔母が「2年前の12月に病死しました。息子の事件については、そりゃあ、苦しんだはずです」とインタビューで語っています。このことから父親は2016年12月に病気で亡くなったことが分かっています。

母親と兄の現在の様子は明らかになっていません。

コンクリート事件の加害者家族に共通する闇

3人の加害者の家庭環境を振り返ると、いくつかの共通点が浮かび上がります。

  • 父親の不在や愛人問題:宮野家も小倉家も、父親が愛人をつくり家庭を顧みなかった
  • 母親のワンオペ育児:母親ひとりで子育てを抱え込み、余裕を失っていた
  • 虐待やスパルタ教育:宮野家は靴ベラでの体罰、湊家は週1回の暴力が日常だった
  • ネグレクト:小倉家では夜間に子どもを放置する状態が続いていた

幼少期の家庭環境が人格形成に大きく影響することは間違いありません。良い環境で育っていれば、この事件が起きなかった可能性はあるでしょう。

しかし、事件後の加害者たちにはまったく反省の色がうかがえません。宮野裕史は詐欺行為で再逮捕され、神作譲は監禁致傷事件を起こし、湊伸治は殺人未遂を犯しています。家庭環境を考慮しても、彼らの行為を擁護する理由にはなりません。

被害者の古田順子さんの命は二度と戻りません。どんなに時間が経っても、この事件を風化させてはいけないと改めて感じます。

あなたの周りにも家庭環境に苦しむ子どもがいるかもしれません。周囲の大人が気づき、手を差し伸べることの大切さを、この事件は痛烈に教えてくれています。

コメント

  1. ren より:

    右側の宮野の現在の写真は宮野ではありません。
    ジョー・サンというプロの格闘家です。
    この写真は広く出回っている偽画像です。
    ジョー・サンが強姦で捕まった時の写真です。
    なぜ宮野の現在写真として出回っているのか呆れています。
    本物の宮野がこの写真を見たら、自分とは違うから有り難くて笑ってますよ。

  2. ren より:

    ジョーサンのウィキです。韓国系アメリカ人であり、宮野の現在写真ではありません。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3

  3. K より:

    なんでも家庭環境とか愛情のせいにするな 遺伝子から鬼畜

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