コンクリート事件の加害者達は家族にどの様に育てられたのか?生い立ちや家庭環境がヤバい!

何年経っても忘れてはいけない凶悪殺人事件である「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

この事件は、未成年の少年たちに監禁された女子高校生が繰り返し暴行を受け殺害され、遺体をドラム缶にコンクリート詰めされた信じられないほど恐ろしい事件です。

これほどの事件を起こした犯人達ですが、少年法に守られたために刑が軽すぎると世間から反感を買いました。

さて、このような痛ましい事件を起こした犯人達ですが、

どうやら共通して家庭環境に恵まれなかったことが明らかになっています。

ネグレクトは当たり前。親から暴力を振るわれることも日常茶飯事だったとか…

決して犯人達を擁護する訳ではありませんが、彼らがあの事件を起こすキッカケの一つに、間違いなくその家庭環境がありました。

今回は、そんなコンクリート事件の加害者家族や家庭環境についてまとめてみたので、ぜひ最後までご覧ください。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要について簡潔に紹介

1988年11月25日夕方、当時女子高校生だった古田順子さんは、アルバイトから自転車で帰宅していました。

ところが、帰宅途中に少年らに拉致されホテルへ連れ込まれ強〇。その後も家に帰ることができずに、加害者少年の自宅に監禁されました。

その監禁期間ですがなんと約40日間。ひたすらリンチに合ってしまいます…

順子さんは、監禁されている間、何度も逃げようとしましたが、その度に犯人に見つかってしまい、逃げることができませんでした。

その後、1989年1月4日に古田順子さんは暴行により死亡。犯行グループは、事件発覚を恐れドラム缶に遺体とコンクリートを詰め、江東区若洲の埋め立て地に遺棄

別の事件で逮捕されていた犯人の自供により事件が発覚します。

通常であれば死刑になってもおかしくないほど酷い事件ですが、犯人らは犯行当時未成年だったため、少年法が適応。

以下のような判決となりました。

  • 主犯格の少年Aは懲役20年の判決。
  • 少年Bは懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決。
  • 少年Cに対しては懲役5年以上9年以下の不定期刑の判決。
  • 少年Dに対しては懲役5年以上7年以下の不定期刑の判決。

あれだけのことをしておきながら、あまりにも刑が軽すぎますし、彼らは少年法に守られていたため、実名も顔写真も公開されませんでした。

しかし、これでは遺族も納得できる訳がありませんよね。

その後この事件の残虐さから、少年法への抗議の意味を込めて週刊文集が彼らの顔写真や実名を公開しています。

さて、こうした恐ろしい事件を起こした加害者達ですが、どのような家庭環境で育ち、またその家族たちは現在どこで何をしているのでしょうか?

ここから先は、犯人らの両親や兄弟姉妹の情報から考察していきます。

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宮野裕史の生い立ち!家族は虐待や愛人を作るなどやりたい放題

宮野裕史は1970年4月30日に長男として生まれました。

家族は父・母・7歳年下の妹・宮野裕史の4人家族。母親はピアノ講師、父親は証券会社で働いていました。

宮野裕史がうまれたころ、父親は証券会社で好成績を収めており、収入も良かったため裕福な家庭だったようです。

しかし、父親と母親の喧嘩が絶えず、父親は外で愛人をつくりほとんど家には帰らなかったようです。

そのため、母親がひとりで育児をしなければなりませんが、母親も仕事をしなければならないので、宮野は幼い頃母親の仕事中に近所に預けられていたようです。

夜遅くに母親が宮野を迎えにきていたため、宮野は家族で食事をとった記憶がないとか。

家に父親もおらず、母親と逢えるのも夜遅くだったので寂しい幼少期だったのかもしれませんね。

また、宮野が小学1年生の頃に妹が生まれますが両親は妹ばかりを可愛がっていたようです。

母親は宮野の教育に熱心で、幼いころから英語教室に通わせ、公文式も勉強させ、さらには勉強も夜遅くまで見ていたことから、宮野の将来にはかなり期待していたと思われます。

ですが、熱心すぎるがあまりしつけと称して靴ベラで殴るなどしており、宮野にとっては母親の期待は相当ストレスだったに違いありません。

男の子ということもあって、将来独り立ちできるよう教育したのかもしれませんが、このような厳しすぎるしつけは、勉強よりも大切な人格形成を疎かにしたと言えます。

こういう状況からか、宮野は幼いころから親の金を盗み駄菓子屋にいくというような悪さをしていたようです。

しかし、それが母親へバレてしまうと靴ベラでたたかれる等の厳しすぎるしつけが行われれるのでした…。

その後宮野は足立区立綾瀬小学校に入学します。

小学校5年生の頃に、髪型をパンチパーマにし、集団万引き、校内暴力や器物損壊、喧嘩などの非行が目立ち始めます。

また、ヌンチャクや木刀などの武器を持って学校に殴り込みをかけた事もあったようで、教員から「学校に来るな」と言わるほど、学校も困り果てていたようです。

この頃、宮野は家庭内暴力も起こすようになりました。

今までは母親に殴られていた宮野でしたが、成長と共に立場が逆転したのではないかと推測できます。

小学5年生までは問題を起こし続けていましたが、小学6年生の時に真面目な友達ができ、悪さをするのが馬鹿らしくなったと言い更生しはじめます。

小学校の卒業文集では将来の夢を「少年院の院長」と綴りました。

その理由として「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。だから、悪いことをやった奴の気持ちがわかる。オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う。」

と書いてあり、将来の夢について具体的に考えていることが分かり、小学6年生のときの友達の影響はかなり大きかったのではないかと思われます。

1983年4月に足立区立東綾瀬中学校へ進学した後も、宮野は真面目に頑張ります。

中学校では柔道部に入り、大会で優勝や準優勝、都内2位という成績も収めており身長は160cmと低身長でしたが、かなり優秀な選手だったと言えるでしょう。

今までの自分を変えようと、この頃はかなり努力していたのではないでしょうか。

なんと中学校の3年間は問題行動を起こすことなく卒業しています。

中学時代に部活を頑張っていた甲斐あり、1986年4月に柔道の推薦で東海大学付属高輪台高等学校へ入学しました。

高校進学後も部活でかなり好成績を収めますが、頑張ったことが裏目に出てしまい先輩からの反感を買います。

部活の成績が、先輩より良かったのでしょうか。

先輩から投げ飛ばされたり、締め技で失神させられるなどの酷いいじめに合いますが、宮野はそのようないじめに耐え、柔道を続けます。

しかし、先輩からとライターを使って炎を吹き付けられる等、いじめはエスカレートしたため、わざと試合で先輩に負けるようにしていました。

すると、今度は顧問から殴られるようになり、理不尽な環境に挫折し1986年9月に柔道部を退部、1987年3月に自主退学。

2年生になる直前に高校を辞めました。

高校をやめたあとは実家近くのタイル工場(有限会社中村タイル)に就職。

高校時代の経験から真面目に頑張ることに疲れたのでしょうか、丁度就職した頃、暴力団との関わりが深くなります。

小倉譲や湊伸治ともこの頃知り合い、渡邊泰史を含めた4人は宮野を中心として傷害や建造物侵入、学校への殴り込み、窃盗などの犯罪行為を繰り返します。

宮野の先輩に足立区を縄張りとする「極青会」という暴力団組織が存在し宮野らも「極青会」を名乗っていました。

ところが、途中で心を入れ替えたのかタイル工場で真面目に働きはじめます。

宮野はコンクリート事件共犯者の渡邊恭史の姉と高校時代から交際しており、18歳で結婚する事を目標に、200万円貯金しており、彼女とは同棲していたそうです。

目標があり、心を真面目に生きようとしたのでしょう。

しかし、給料の安さなどに愚痴をこぼすようになり1988年8月頃、タイル工を辞め暴力関係者の仕事に誘われ、そこで働くように。

的屋、ブランド品の偽物の販売、暴力団事務所の当番などをするようになり、恋人も離れていったようです。

そのころから、シンナーやひったくり、強〇を行っており、このコンクリート事件も起こってしまったのです。

宮野の場合は、父親や母親と触れ合う時間が短かったこと、母親の厳しすぎるしつけによりストレスがたまり、非行に走るようになったと考えられます。

暴力団と関わるようになると、宮野の周囲ではもはや犯罪が日常になり価値観がおかしくなっていたのでしょう。

家庭や周囲の環境に恵まれてさえいれば、この事件は起きなかった可能性はあります。

しかし、宮野はコンクリート事件後も全く反省している様子がうかがえません。

2013年に振り込め詐欺の受け子をしていたことが分かり再逮捕されており、相変わらず犯罪行為に手を染めていることが分かります。

さらに、横山裕史は犯罪の内容に黙秘を続けたため、事件の解明に至ることができず2013年1月31日付けで不起訴処分となり釈放されています。

このことから、逮捕時はどのようにすれば罪が軽くなるのか考えた上で犯罪行為をしていると考えられます。

また、2017年に実話誌で有名な「実話ナックルズ」にスクープされています。

上記の写真の提供者が語るには、高級腕時計、ブランド品を身に着け、高級車を乗り回すなど羽振りのよい生活をしていたようですが、それらのお金は真面目に働いたものではなくマルチ商法等の詐欺行為で稼いだお金だったそうです。

コンクリート事件を起こしたことも決して許されることではありません。

さらに、出所後も全く反省した様子がみられません。

このことから、どんなに家庭環境が悪かったといって宮野に同情する必要はないでしょう。

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家族は転職したり宗教に傾倒したりとバラバラに

宮野が出所後結婚したという情報はありません。

コンクリート事件を起こし、その後も詐欺行為で報道されていますので、結婚するのが難しいのでしょう。

両親は事件後、2人とも仕事を辞めています。

自宅を売却し被害者遺族に5000万円を支払っているそうです。

また、母親は宗教に没頭しているという噂があります。

父親は事件後、証券会社を辞めてその後トラック運転手をしていたそうです。

宮野が幼少期の頃から愛人がいたため、その愛人と住んでいるのではないかと噂されていますが、あくまで憶測なので信じがたいです。

妹に関しては愛情を注がれ育っているようなので、犯罪行為などせず静かに暮らしているのかもしれません。

神作譲の生い立ち!家族は愛人やネグレクトなど育児放棄多数

1971年5月11日に東京都足立区で生まれました。

父親・母親・3歳年上の姉・神作譲の4人家族です。

両親は仲が悪く小倉譲が小学3年生のころに別居。別居中の父親は愛人を作り、愛人との間には2人の子どもが生まれています。

父親は愛人との生活を選び神作の家には帰ってこなかったそうです。

こういう状況から、小倉譲は姉と共に母親に引き取られます。

母親はひとりで子供を養う為、夜の仕事をしており家にはほとんどいなかったそうです。

子供が夜に何をしようと、注意する人は誰もいない環境が続きました。

そんな環境だったにも関わらず、意外にも小倉譲は毎日真面目に小学校へ通っていたそうですが、部活の試合で怪我をしたことがきっかけに退部。

その後、徐々に生活が荒れ始めます。

高校へ進学後、学校内で暴力事件を起こすようになり退学しました。

退学後は、アルバイトをしながらコンクリート事件の犯人らと関わるようになります。

神作の家庭環境を見ると、確かに恵まれてはいませんが、あれほどの事件を起こすほどの人格を作り上げるほどかと疑問に思います。

神作譲(小倉譲)は元々、小倉譲という名前でしたが、出所後の2002年頃「神作」姓の女性と結婚し、養子になり神作譲と改名しました。

この女性は中国国籍だと噂されており、日本で生きていくのは厳しいと考えた神作譲が中国に行くことを企んでいたと考えられます。

神作譲は刑務所内でパソコンについて学んでいたため、派遣社員としてパソコン関係の仕事をしていましたが、暴力的な性格のため職場でうまくいかず、退職し暴力団に入ったようです。

その後2004年6月4日に埼玉県三郷市で監禁致傷事件を起こしこの頃、前述した中国国籍の女性とも離婚しました。

監禁致傷事件は神作譲が知人男性に対して暴行・監禁するなどして負傷させた事件です。

神作譲がある女性に好意を抱きましたが、その女性に交際相手がいることを知りました。

神作はその男性を金属バットで脅し男性を車のトランクに入れたあと、神作の母親が経営する店舗で「ACB(アシベ)」で男性を監禁し暴行し全治10日間のけがを負わせています。

神作譲は被害者を監禁している間「俺は少年の時に刑務所に10年入っている」「遊びに行って帰ってきたら、監禁していた女が死んでたんだよ」と、女子高生コンクリート詰め殺人事件に関与していたことをほのめかして脅していました。

コンクリート詰め殺人事件の裁判で涙ながらに被害者家族へ”一生かけて償う”と述べていた神作でしたが、それは全て嘘だったということが分かりますね。

また「俺は警察を騙すことも丸め込むノウハウも知っている、だからまた入ってもすぐに出てこられる」という発言もしていたようです。

さらには、監禁事件の裁判で神作譲は脅迫も監禁もしていないと主張。

監禁ではなく「被害男性と店でお茶を飲んで話していた」金属バットで脅し男性を車のトランクに入れた件については「男性が自分からトランクに入った」などと全く信憑性のない発言をしています。

彼の発言は昔から嘘ばっかりです。誰が信じるのでしょうか。

しかし、これを受けて裁判長は、以前の出所後は派遣社員として働くなど一定の更生努力が見えるとして懲役4年の実刑判決を下しています…。

短すぎます。

神作譲の「俺は警察を騙すことも丸め込むノウハウも知っている、だからまた入ってもすぐに出てこられる」という発言の通りになってしまいました。

全く更生しておらず、恵まれない家庭環境を考えても彼の行動は許されないものです。

もっと厳しい刑が下されるべきでした。

この事件を起こしたあと、谷村譲として大阪に潜伏している、再婚して子供がいるなどの噂がありますが明確な情報ではありません。

その後もまともな仕事をしてるとは思われませんので再婚をしていたとしてもまた問題を起こし逃げられてしまうと思われます。

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家族は慰謝料払わず贅沢三昧で被害者のお墓を壊す

神作の家族は母親・父親・姉・神作の4人家族でした。

それぞれの現在を説明します。

父親の名前は小倉彰。前述した通り、愛人をつくり母親とは別居状態でした。

父親は愛人との生活を選んでいたようですが、母親と籍は外していませんでした。

愛人との間に子どもが2人生まれており、事件発生時は42歳。

運送会社の配送員として働いていたようですが、現在も配送員を続けているのかは不明です。

神作譲が埼玉県三郷市で監禁致傷事件を起こし逮捕されたときは、メディアの取材に対し「関係ないの帰ってくれ」と繰り返すばかりだったようです。

神作譲をもう、自分とは関係ない人物だと思いたいのかもしれません。

神作の3歳年上の姉の名前は分かりませんでした。

事件当時20歳で、私立高校卒業後に都内で会社員をしていたという情報のみで、現在はどこで何をしているか分かりません。

母親は小倉悦子という女性で事件当時は43歳。

被害者遺族に支払われた慰謝料は50万円ほどとても少ないものでしたが、母親は事件後すぐにマンションを購入しています。

このマンションは埼玉県八潮市中央4-21-12と住所がネット上に晒されています。

また、高級車を息子に買い与えており、遺族に支払うべきお金を自分たちの私利私欲のために使っていました。

本来であればそういうお金を遺族に支払うべきですが、遺族に対する謝罪の気持ちが微塵も感じられません。

事件後に、母親はスナック「ACB(アシベ)」を経営しており、自分の息子がコンクリート事件の犯人だということを隠して生活していたようです。

しかし神作が拉致事件を起こし、2度目の逮捕をされたことにより周囲にその事実がバレてしまいます。

バレてからは、マスコミや近所の目を気にして車の中で生活していたようで、かなり落ち着かない環境で生活していたのではないかと思われます。

この時、母親はお店のホステスに「ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない」とメールを送っており、周囲にバレてしまったことをかなり悩んでいたことが分かります。

このホステスは、母親から神作のことを「昼間でも『ギャー』とか『ウー』とか叫び出すことがあった」と聞いており、事件後も精神状態が普通でなかったということが分かります。

また、神作譲が「おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう」と言っていた話もしており、感情のコントロールができない状態にあったと分かります。

しかし、前述した通り、遺族に対して支払うべきのお金でマンションや高級車を購入しており、このような状況になったとしても全く同情できません。

母親が経営していたスナック閉店しており、現在どこで働いているかは明らかになっていませんが、購入したマンションが埼玉県八潮市ですのでその周辺に住んでいる可能性が考えられます。

また、自分や息子の精神が追い詰められたことを被害者の女子高校生のせいにし、被害者のお墓を壊すという信じられない行動をしました。

「息子は被害者のために運命を狂わされた」

母親は憎むべきなのは、コンクリート事件を起こした息子であって、被害者女性に対して怒りをぶつけるとは意味不明です。

世間から隠れて生きていかないといけないストレスにより精神がおかしくなったのかもしれませんが、事件後の行動を見ても、母親に同情する必要はありません。

湊伸治の生い立ち!家族のスパルタ教育とネグレクトで荒れる

1972年12月16日生まれ。両親はともに共産党員で、父親は共産党系診療所の事務局長、母親は主任看護師をしていました。

家族は父親・母親・兄・湊伸治の4人家族。

家族は一軒家に住んでいましたが、不良仲間のたまり場になっていました。

この場所こそが、被害者少女が40日間監禁され殺害されてしまう場所になります。

湊伸治の父親はスパルタで、家の決められたルールを破ったりすれば母親がそれを父親に報告。

寝ていてもたたき起こされてしつけと称した虐待を受けていました。

また、父親は毎晩のようにお酒を飲んで帰宅していたようです。

湊伸治と兄は事件時に弁護士への証言として「週1回は必ず殴られていた。ゾッとするほど怖かった」と語っています。

湊伸治は”足立の学習院”として知られる名門中学校の出身であり、都内で唯一の化学専門工業学校に進学していました。

中学生の頃は真面目に過ごしていたようです。

その後工業高校に入学し入学後1年の2学期頃から不良仲間と遊ぶようになります。

そのころから、湊伸治の自宅が不良のたまり場になりました。

高校生の男子といえば、丁度自分の親よりも力が強くなるぐらいの年齢です。

今まで我慢していたことが爆発してしまったのでしょう。

立場が逆転し、両親が手を付けられないほど狂暴化していたそうです。

湊伸治の場合は、虐待の反発により両親が手を付けられない程狂暴化してしまいました。

もし、穏やかな家庭環境で育っていれば事件を防ぐことができたのかもしれませんが、コンクリート事件の内容はあまりにも酷い物であり家庭環境が悪いからと言って同情はできません。

また、普通の家庭であれば40日間も少女を監禁することは不可能なはずです。

しかし、父親は仕事に忙しく家庭を顧みることが無かったことと、母親は少女の存在に気づいていましたが、一度逃がそうとした時に湊伸治から1時間に渡って暴力を振るわれたため見て見ぬふりをしたのです。

また、も少女に食事を運んでおり犯行の一部始終を知っていたはずですが、見て見ぬふりをしていました。

こういった状況から、少女が助けられることはなかったのです。

確かに湊伸治に立ち向かうことはとても恐ろしいことで、自分も殺されてしまうかもしれないと思ったのでしょう。

しかし、本当に助けることのできる瞬間は一度もなかったのでしょうか。

助けることのできるすべての手段を考え、試してほしかった。

どんなに悔やんでも、被害者女性は戻ってこないし処罰も納得できません。

さて、その後の湊伸治は2008年頃から東京都大田区南蒲田にあるアパートで生活していました。

東京のアパートに住んでいた頃、湊伸治には彼女がいたようですが、彼女との喧嘩により度々騒音トラブルを起こして他の住民からかなり迷惑がられていたようです。

「このアパートは騒音トラブルが多い。夜、男女が口論する声、特に男性の怒鳴り声や何かを叩きつける音がしたことが何度もありました」

「夜中にアパートの部屋の窓ガラスが割られたらしく、管理会社の方から『防犯カメラを設置します。警察とも相談中です』との連絡をもらいました」

引用元:デイリー新潮

度重なるトラブルにより2018年5月には防犯カメラが設置されるほどでした。

防犯カメラ設置直後、湊伸治は居づらくなったのか、埼玉県川口市に引っ越していきました。

川口市内のアパートに引っ越してきたときは同年代の女性と同棲していたそうで、この女性とは結婚もしたと言われています。

この女性が、東京のアパートで同棲していた彼女と同一人物なのかは不明です。

ただ、普通の神経であればコンクリート事件の犯人と結婚しようとは思わないはずなので、湊伸治はこの女性に過去の犯行を隠して結婚した可能性があります。

あの事件の犯人だと知りもせず結婚したと考えるとゾッとしますよね。

また、2018年の8月19日に殺人未遂を起こしています。その時は無職で一人暮らしと報道されていたことから、前述の彼女とは離婚したと考えられます。

この殺人未遂は、湊伸治が埼玉県の川口市路上で、トラックを停めていた32歳の男性と駐車トラブルになったことが原因でした。

湊伸治は男性を41cmの警棒で相手を殴りつけ、刃渡り8cmのナイフで後頚部を刺しました。

これに対し湊伸治は「殺すつもりはなかった」と話していますが、ナイフで首を刺しているのですから全く信憑性がありません。

湊伸治は裁判で

湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」

裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があるとすればそれは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」

湊被告 「医師というより、警察!」

裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と言っていたけど、今の話は違うわけね?」

湊被告 「いやそれは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」

引用元: フライデー

上記のように意味不明な主張しており、コンクリート事件を隠して結婚したとして、すぐに離婚となるのも納得できます。

2019年11月22日に懲役1年6カ月・保護観察付執行猶予3年の判決を受け、現在は執行猶予中ですが、2010年頃には関西で外国人の女性と同棲し、ふたりの間に娘がひとりいるという噂が流れています。

ただ、結婚しているかは定かではありません。相手の女性も外国人だと噂されていますが真相は分かっていません。

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家族は共産党から除名され父親は病気で亡くなる

事件後、湊伸治の父親と母親は共産党から除名されています。

両親と兄は姿を消し、自宅も取り壊されたようです。

両親は1999年頃からさいたま市内にある一軒家で暮らし、兄はひとり立ちしていたようです。

父親については湊容疑者の父親の姉が

「(湊容疑者の父親は)2年前の12月に病死しました。息子の事件については、そりゃあ、苦しんだはずです」

引用元:デイリー新潮

とインタビューで語っています。

このことから父親は事件後、苦しんでいたこと、2016年12月に病気で亡くなっていることが分かります。

母親と兄の現在の様子は残念ながら分かっていません。

まとめ

今回は「コンクリート殺人事件」の犯人の家族についてまとめました。

やはり、幼少期の家庭環境は人格形成に大きく影響しているようです。

もし、良い環境で育つことができていれば、この事件が起こっていなかった可能性はあります。

しかし、あれだけ恐ろしい事件を起こしておきながら反省の色が伺えないので、彼らに同情する必要は全くないでしょう。

これからも、彼らが更生することはないと思われます。

とても悔しいですが、また新たな被害者が出ないことを祈ることしかできません。

さて、今回の記事でも触れましたが、コンクリート事件を起こした加害者達は今現在どこで何をしているのでしょうか?

どうやら懲りずに何度も犯罪行為を重ねているようです…

気になる方は『女子高生コンクリート事件の犯人(宮野裕史・湊伸治・小倉譲)の2021年現在がヤバすぎる!』という記事をご覧ください。

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