向田邦子の死因は飛行機の空中分解で丸焦げの遺体の写真が閲覧注意!

向田邦子の死因について 著名人

昭和のテレビドラマ黄金期を築き上げた伝説の脚本家、向田邦子さん

『寺内貫太郎一家』や『阿修羅のごとく』など、家族の絆と闇を鋭く描いた作品は、今なお多くのファンに愛されています。

しかし、彼女の人生は、あまりにも突然で衝撃的な事故によって幕を閉じました。

今回の記事では、昭和を代表する脚本家・向田邦子さんの功績と、日本中に衝撃を与えた飛行機事故の真相について紹介します。

向田邦子は超一流の脚本家であり没後も影響力がある女性

向田邦子さんは、テレビドラマの黎明期から活躍し、向田作品に出演することは俳優にとって一種のステータスとも言えるほどの存在でした。

脚本家としてだけでなく、エッセイスト、小説家としても才能を発揮し、直木賞も受賞されています。

まずは、彼女の輝かしい経歴を振り返っておきましょう。

  • 本名:向田邦子 むこうだくにこ
  • 生年月日:1929年11月28日
  • 出身地:東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現・東京都世田谷区若林)
  • 学歴:実践女子専門学校(現・実践女子大学)国語科卒業
  • 経歴:映画雑誌編集者を経て、脚本家の道へ

  • 1970年代には倉本聰、山田太一と並び、『シナリオライター御三家』と称された
  • 主な作品:『時間ですよ』シリーズ、『寺内貫太郎一家』、『阿修羅のごとく』
  • 第83回直木賞受賞:短篇連作『思い出トランプ』収録の『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』
  • 1981年(昭和56年)8月22日死去 享年51歳

1970年代に一世を風靡したドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』は、リアルタイム世代でなくともタイトルを聞いたことがある人は多いはずです。

これらの作品はBSなどで度々再放送されており、現代の視聴者をも惹きつける普遍的な面白さがあります。

また、樹木希林さん(当時は悠木千帆)が『寺内貫太郎一家』でおばあちゃん役を演じた際、当時はまだ31歳だったというエピソードはあまりに有名です。

そんな彼女の影響力は死後も衰えることはありません。

現在も優れた脚本家に贈られる賞として『向田邦子賞』が存在し、テレビドラマ界の権威ある賞として機能しています。

また、爆笑問題の太田光さんをはじめ、多くの著名人が向田邦子ファンを公言しており、関連書籍は今も書店に並んでいます。

2026年現在は、没後45年を迎えようとしていますが、その作品と生き様は色褪せるどころか、新たなファンを獲得し続けています。

しかし、その才能が絶頂期にあった51歳の時、あまりに悲劇的な事故が彼女を襲いました。

向田邦子の死因は飛行機の空中爆発という痛ましい事故

向田邦子さんが亡くなられたのは、病気ではありません。 取材旅行で訪れていた台湾での、航空機墜落事故が原因でした。

1981年(昭和56年)8月22日、乗っていた飛行機が上空で空中爆発を起こし、乗員乗客110人全員が死亡するという、生存者なしの大惨事でした。

当時のニュース映像や新聞報道は凄まじいもので、台湾の航空事故史においても2番目に犠牲者が多い事故として記録されています。

事故の経緯と原因については、後の調査で以下のように解明されています。

  • 正式名称:遠東航空103便墜落事故
  • 発生日時:1981年8月22日
  • 事故概要:台北松山空港発・高雄行きのボーイング737型機が、離陸14分後に高度6,700メートルを巡航中、突然空中分解し、山中に墜落
  • 犠牲者:日本人乗客18名を含む、乗員乗客110名全員が死亡。シルクロード写真企画の志和池昭一郎さんも同乗していた。

  • 事故原因:機体の老朽化に加え、台湾国内輸送で魚介類などを多く運んでいたことによる塩害で機体下部の腐食が進行。客室の与圧に耐えられなくなり、空中で機体が裂けて分解した。
  • 予兆:事故の2週間前の8月5日にも客室の与圧が抜けるトラブルを起こし、応急修理を受けたばかりだった。

運命の皮肉というべきか、向田邦子さんは生前、大の飛行機嫌いとして知られていました。

事故のわずか3ヶ月前、1981年5月に発表したエッセイ「ヒコーキ」の中で、彼女は奇妙な「ゲン担ぎ」について綴っています。

もし墜落して死んだ後、部屋が綺麗に片付いていると『やっぱりムシが知らせたんだね』と言われるのが癪だから、旅行前はわざと部屋を散らかしたまま出かける、と。

しかし、そのゲン担ぎも虚しく、彼女は帰らぬ人となってしまいました。

そして、空中分解という凄惨な事故状況から、ご遺体の状態もまた、筆舌に尽くしがたいものだったと言われています。

向田邦子の遺体は弟の向田保雄が発見し日本に持ち帰る

高度6,700メートルでの空中分解という、あまりに凄惨な事故。

機体がバラバラになって墜落した状況から、遺族やファンの間では一つの不安がよぎりました。

「遺体は見つかったのか?」 損傷が激しく、本人と判別できたのか?

事故から45年近くが経過した現在でも、当時の報道を知らない世代が検索するなど、関心が高い事柄です。

結論から言えば、向田邦子さんのご遺体は発見され、日本へ無言の帰国を果たしています。

その過酷な身元確認を行ったのは、2歳年下の弟・向田保雄さんでした。

保雄さんは、後に著書『姉・向田邦子』の中で当時の壮絶な状況を記しています。 (※この書籍はロングセラーとなっており、2026年現在も文庫版や電子書籍で読むことが可能です)

事故直後、保雄さんは「万が一の二次災害で全滅するのを防ぐため」に、他の家族を残してたった一人で台湾へ飛びました。

事故があったのは8月の台湾。 亜熱帯の真夏という気候条件です。

遺体安置所の環境は劣悪で、腐敗の進行も早く、現場は地獄のような様相だったと伝えられています。

しかし、そんな極限状況の中で、保雄さんは並べられた多くの遺体の中から、一目で姉を見つけ出したそうです。

ご遺体は現地で火葬され、小さくなった姿で日本へ帰国。 先祖が眠るお墓に埋葬されました。

弟さんの手記では、姉への敬意と愛情を持ってその最期が綴られていますが、実はその裏で、マスコミによる信じられない暴挙が行われていたことが分かっています。

それが、1983年4月に創刊された写真誌『SHUTTER(シャッター)』の存在です。

なんとこの雑誌、表紙の見出しに『向田邦子さん最期の姿』と打ち出し、事故現場の遺体写真を掲載していたのです。

現在では廃刊となっており入手困難ですが、当時の誌面には修正も配慮もない遺体画像が掲載されていました。

その画像や記事内容からは、当時のご遺体の損傷の激しさが生々しく伝わってきます。

※以下のリンク先には、当時の雑誌に掲載された遺体写真が含まれます。白黒で不鮮明ではありますが、非常にショッキングな内容のため、心臓の弱い方や苦手な方は絶対に閲覧しないでください。

【閲覧注意】当時の雑誌掲載写真はこちら

記事の記録によると、向田さんのご遺体は以下のような状態だったとされています。

  • 空中分解の衝撃と火災により、全身が丸焦げの状態
  • 衝撃で四肢は炭化し、失われていた

顔も焼けており、目視での判別は不可能な状態指紋の採取も困難なほど炭化が進んでおり、通常の方法では身元確認が絶望視される状況だったと言います。

顔も体も判別不能な状態で、なぜ弟さんは「向田邦子だ」と確信できたのか。 そして、なぜ雑誌記者はこれを「向田邦子の遺体」と断定できたのか。

決め手となったのは、1975年(昭和50年)に行った乳癌の手術痕でした。

向田さんは右腕が上がりにくくなる後遺症と引き換えに、右乳房を切除していました。 炭化したご遺体には、その手術の痕跡が残っており、これが悲しい身元確認の決定打となったのです。

遺族の悲しみを無視し、盗み撮るように遺体写真を掲載した当時のマスコミ。 ご遺族の許可など取っているはずもなく、コンプライアンスが重視される現代であれば、大炎上では済まされない事態になっていたことでしょう。

昭和という時代のエネルギーと、それ故の恐ろしさを感じずにはいられません。

遺体の画像が雑誌に掲載された事実を知る人は少ない

先ほど紹介した通り、向田邦子さんのご遺体写真が雑誌に掲載されるという、現代では考えられない出来事が実際にありました。

「報道の自由」や「事実の記録」という言葉だけでは片付けられない、倫理観の欠如を感じざるを得ません。

向田邦子さんの事故死については多くのメディアで語られていますが、この「遺体写真掲載騒動」については、あまり知られていません。

あまりにショッキングな内容であるため、ファンや関係者の間でもタブー視され、あえて触れずにきた側面もあるのでしょう。

SNSなどを検索しても、この件に関する具体的な情報はごくわずかしか見つかりません。

また、向田さんのご遺族がこの出版社に対してどのような対応を取ったのか、公式な記録も残されていないのが現状です。

しかし、「昭和のマスコミの闇」を示す一つの事実として、ネットの片隅でひっそりと語り継がれています。

まとめ

今回の記事では、昭和を代表する脚本家・向田邦子さんのあまりに早すぎる死と、その裏で起きていた衝撃的な事実について紹介しました。

コンプライアンスが叫ばれる令和の現在から見ると、遺体写真を雑誌に掲載するという過去の事例は、狂気じみた行動にすら思えます。

最後に、向田邦子さんの事故と死因についてのポイントをまとめます。

  • 向田邦子さんは『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』等を手掛けた昭和を代表する脚本家・エッセイスト
  • 1981年(昭和56年)8月22日、台湾取材旅行中に飛行機墜落事故で死去
  • 事故原因は機体の整備不良(塩害による腐食)による空中分解だった
  • 2026年で没後45年を迎えるが、その作品は今も多くの人に愛されている

  • 遺体の確認は弟の向田保雄さんが現地へ向かい、乳癌の手術痕を頼りに識別した
  • 当時、損傷の激しい遺体の写真を掲載した雑誌が発売されていた
  • この雑誌掲載の事実は、ファンの間でもあまり語られることのない知られざる事実である

現代でもSNSでの誹謗中傷やプライバシー侵害が問題になりますが、昭和の芸能報道の過激さは、また別の次元にあったのだと思い知らされます。

少し衝撃的な内容もお伝えしましたが、向田邦子さんが遺した作品の素晴らしさが損なわれることはありません。

彼女が描いた家族の物語は、現在でも多くの動画配信サービスやCS放送などで見ることができます。 特に向田脚本の真骨頂である会話劇は、倍速視聴が当たり前の現代でこそ、じっくりと味わう価値があります。

この記事をきっかけに、彼女が生み出した温かくも鋭いドラマの世界に触れてみてはいかがでしょうか。

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