ロックバンドグループ『フジファブリック』のボーカル志村正彦さんは、2009年12月24日に突然の死を遂げました。
当時は死因不明ということで様々な噂が流れましたが、2025年2月にバンドとしての活動を休止したフジファブリック。
一つの区切りを迎えた今、改めて志村正彦さんの死因や功績についてまとめていきます。
志村正彦の死因と、亡くなる直前の様子


ソニー・ミュージックアーティスツに所属するロックバンドグループ『フジファブリック』は2000年4月に結成されたバンドで、2001年8月まで「富士ファブリック」という名前で活動していました。
フジファブリックはメインメンバーとサポートメンバーで構成されており、志村正彦さんが亡くなるまでは、以下のメンバーがメインとなって活動されていました。
- 志村正彦:ボーカル、ギター
- 渡辺隆之:ドラムス
- 渡辺平蔵:ベース
- 小俣梓司:キーボード
- 萩原彰人:ギター
- 加藤雄一:ベース
- 足立房文:ドラムス
- 田所幸子:キーボード
志村正彦さんはフジファブリックのボーカル&ギターとして活躍されていたのですが、2009年12月24日に29歳という若さでこの世を去ってしまいます。
志村正彦さんは、前日から連絡が取れなかったためマネージャーが自宅を訪れたところ、パソコンの前で亡くなっているのを発見したそうです。
志村正彦さんの死は翌日の25日に公式ホームページで公表され、その突然の別れにメンバーやスタッフ、ファンは言葉を失いました。
フジファブリックの公式サイトにて発表されましたが、「検査の結果は病名不詳」であり、所属レーベルも「現時点ではサイトに載っているものが全ての情報です」としていました。
この公式ホームページでの発表から、志村正彦さんの死因は原因不明であったことがわかり、人気バンドのボーカルが原因不明の死を遂げたことで、当時は多くの憶測を呼びました。
生前の最後の写真は、ブログで公開されたこの一枚になります。


ツアー14日前に好調ぶりをブログで公開していたことも、謎が謎を呼んだこの不可解な最期。 死因が原因不明であることに疑問を持ったファンたちは多く、当時ファンによって、病気が原因だったとか、自殺だったとか、様々な憶測が立てられました。
死因は薬物?噂の真相
当時、急死ということで一部で「薬物ではないか」という心ない噂も流れました。 しかし、これは完全にデマであり、事実ではありません。
当時行われた警察による現場検証の結果、「事件性はない(=他殺や自殺、違法薬物などの痕跡はない)」と判断されています。
所属事務所や遺族からも薬物を示唆する発表は一切なく、単なるネット上の憶測に過ぎません。お酒や過労による身体への負担はあったかもしれませんが、違法な薬物とは無縁でした。
病気(致死性不整脈の可能性)
公式ホームページによると「病名不詳」ということですが、志村正彦さんは何らかの突発的な病気が原因で亡くなったのではないかと推測されています。
亡くなる少し前の志村正彦さんを知るファンによると「彼はげっそりしていて”なにか異常”だった」そうです。
特に可能性が高いのは心室細動や心室頻拍といった致死性不整脈で、この致死性不整脈というのは、意識不明状態となり緊急処置を行わなければそのまま亡くなってしまう可能性の高い不整脈です。
志村正彦さんは当時多忙を極めており、睡眠時間もまともにとれていなかったようですし、自宅で倒れていたことから、死因は致死性不整脈の可能性が高いと言われているようです。
自殺説の否定
志村正彦さんが亡くなる前に投稿された日記などを見ると、精神的にも体力的にも追い詰められていたことがわかります。 しかし、志村正彦さんの自殺は多くの人が明確に否定しています。
仕事も順調でしたし、亡くなった前日の飲み会にも参加していたので、自殺をする予兆は全くありませんでした。
また、志村正彦さんと特に親交の深かったロックバンド『TRICERATOPS』のボーカル&ギターの和田唱さんは、ブログにて志村正彦さんの死因は自殺ではないとはっきりと綴っています。
今は彼に近かった人にいろいろな情報も聞けたので、これだけはハッキリ言えます。それはまったく自殺ではないってこと。僕も自殺だとは思えなかったし思いたくもなかった。
ごめんなさい。彼は自殺じゃないんです。じゃあどうして?って思うでしょうし、僕ももっと知りたいのですが、本当に「まだ分からない」みたいなんです。
引用元:和田唱日記
このように、志村正彦さんの死因は自殺ではないと言い切っていいと思います。
「数年後に死ぬ」医師からの警告と過酷な制作環境
出典:yahoo
「なぜ29歳という若さで亡くなってしまったのか?」
その答えとして最も有力なのが、極度の過労と栄養失調による身体の限界です。
亡くなる前日にも飲み会に参加していたことから「お酒が原因では?」という噂もありましたが、実際は2007年頃から飲酒量を控える生活にシフトしており、お酒が直接の原因とは考えにくいのが通説です。
しかし、栄養バランスと睡眠不足は深刻な状態だったようです。 当時の志村正彦さんは、食事はコンビニ弁当とコーラで済ませることが多く、時には「主食はミンティア」と語るほど食生活が乱れていました。
さらに、曲作りとツアーに追われる日々で「睡眠時間は2時間くらい」と公言しており、まさに命を削って音楽を作っていたことが分かります。
その証拠に、志村正彦さんは生前、日記(『東京、音楽、ロックンロール』等)に衝撃的な告白を残しています 。
- 体調が悪くて体重が40キロ台になりそう
- 医者に仕事を休まないと数年後に死んでしまうと言われた
- ポリープの手術をした
- スランプの時期があった
特に「医者に仕事を休まないと数年後に死ぬと言われた」という記述は、ファンの間でも悲しい予言として知られています。
医師から警告を受けるほど身体は悲鳴を上げていたにも関わらず、彼は走り続けました。 その結果、弱った心臓が悲鳴を上げ、致死性不整脈を引き起こしてしまった可能性が極めて高いと考えられます。
亡くなる14日前(2009年12月10日)の公式ブログでは、皮肉にも体調の良さをアピールしていました。
1ツアーやるとなると、1ツアーに1回は必ず風邪をひいていた過去のフジファブリックですが、最近全然ひきません。
体調もかなり良好です。どこも痛くも痒くもない。インフルエンザが流行っているみたいですが、僕らは大丈夫です。
ここまで健康だとなんか…年末にこう…風邪が来そうで怖いのです。まあ、ひいている暇など微塵も無いのですが。
引用元:fujifabric
本人は「好調」と感じていたようですが、これは過労状態でランナーズハイのように感覚が麻痺していただけなのかもしれません。 「ひいている暇など微塵も無い」という言葉通り、彼は最期の瞬間まで音楽家として走り抜け、そして旅立ってしまいました。
フジファブリック志村正彦のお墓の場所は山梨県「大正寺」
志村正彦さんのお墓は、彼の出身地である山梨県富士吉田市にあるそうです。
富士吉田市は富士山ビュースポットや「富士急ハイランド」があることでも有名ですが、志村正彦さんが眠るお墓は、市内にある「大正寺」というお寺にあります。
公式に発表されているわけではありませんが、多くのファンが感謝を伝えるために大正寺を訪れています。 お寺にはファンが志村正彦さんへの想いを綴ることができる「メッセージノート」も設置されているようです。
しかし、お墓参りに関しては「マナー」について厳重な注意が必要です。
過去には、ファンの行き過ぎた行動(勝手な掃除や、大量のお供え物など)が問題視されたこともありました。 志村正彦さんが眠っているのはあくまで「志村家の墓(個人のお墓)」です。
- 勝手にお墓の掃除や管理をしない
- 腐敗の原因になる飲食物(コーヒーやコーラ等)を置いて帰らない
- ご家族や近隣住民の迷惑になる行為はしない
彼を愛するファンだからこそ、最大限のルールと節度を守ってお参りさせていただく必要があります。
実家「志村商店」は既に閉店
山梨県富士吉田市の出身である志村正彦さん。彼の実家は、昔ながらの雑貨や食料品を扱う「志村商店」というお店でした。
生前はファンが訪れることもありましたが、現在は既に閉店されています。
現在は一般の住宅となっていますので、観光気分で立ち寄ったり、写真を撮ったりする行為は控えましょう。
ちなみに、ご家族はご両親と姉と妹の計5人家族。 ファンの間ではお姉さんと妹さんが「かなりの美人」であることでも有名で、過去のイベントではお手製のクッキーを振る舞ってくれたという温かいエピソードも残っています。
2025年、フジファブリック活動休止。守り抜いた15年
2009年にボーカルの志村正彦さんが急逝した後、フジファブリックは存続の危機に直面しました。 しかし、残されたメンバー(山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一)は「フジファブリックを終わらせない」という強い意志で活動継続を決断しました。
それから約15年。 3人体制となったフジファブリックは、2014年に初の日本武道館単独公演を成功させ、志村さんが残した名曲『若者のすべて』は音楽の教科書に掲載されるほど、世の中に浸透しました。
そして、デビュー20周年イヤーを終えた2025年2月、フジファブリックはバンドとしての活動を休止しました。
「解散」ではなく「活動休止」ですが、これはメンバーが話し合い、バンドの活動に一つの区切りをつけるための前向きな決断でした。
志村正彦という天才がいなくなった後も、その魂を背負い、バンドを守り抜いた3人のメンバー。 ネット上では、活動休止を惜しむ声と共に、「志村くんのバンドを守ってくれてありがとう」「15年間走り続けてくれてありがとう」という、3人への賞賛と感謝の声で溢れました。
まとめ
今回の記事をまとめると、以下のようになります。
- 志村正彦は2009年12月24日、29歳の若さで急逝した
- 死因は不詳だが、過労と栄養失調を背景とした致死性不整脈の可能性が高い(薬物説はデマ)
- お墓は山梨県富士吉田市の「大正寺」にあるが、マナー厳守が必要
- 残されたメンバー3人が15年以上活動を続け、2025年2月に活動休止(完結)した
天才・志村正彦の肉体はなくなってしまいましたが、彼が命を削って生み出した音楽は、これからも多くの人の心の中で生き続けていくことでしょう。



コメント