2020年10月にNHKのBS放送である歌手の引退コンサートが放送されました。
(2021年1月30日にはNHKの地上波でも再放送されました。)
その歌手というのは昭和の伝説のアイドルと言われた「山口百恵」さんです。
芸能界を引退してから既に40年以上が経過していますが、今でも人気がある人物です。
今回は「山口百恵」さんの生い立ちを中心に紹介していきます。
山口百恵の複雑な生い立ちや家庭環境を自著で赤裸々に告白
今も昔も芸能人の生い立ちには様々なものがあります。
一件派手な感じに見える人が実は苦労人だった事や、実家が裕福で令嬢や御曹司なんていう人も多々あります。
今回とりあげる山口百恵さんも芸能界で成功し、伝説のアイドルとまで言われる存在になりましたが、生まれ育った環境や親子関係が壮絶といわれています。
今回の記事では山口百恵さんの両親や生い立ちなどについて紹介します。
なお、ネットや様々なメディアで真偽ごちゃ混ぜの情報が氾濫する現在とは違い、当時は芸能誌(週刊誌)やスポーツ紙でなければそのような情報が発信される事は有りませんでした。
それなのになぜ山口百恵さんの生い立ちや家庭環境が知れ渡っているかと言うと、引退前の1980年9月に刊行された自叙伝「蒼い時」にて山口百恵さん自らが告白していたからでした。
この著書は発売1カ月で100万部を売り上げ、その年の12月には200万部を突破する大ベストセラーになったそうです。
まあ当時は芸能人がプライベートの情報を公にする事なんて考えられない時代でもあり、出した芸能人が山口百恵さんだった事もあり、飛ぶように売れた様です。
当然ですが、当時小学生の筆者がそんな事は知る由も無く、この記事を作成するにあたって初めて知るような始末です(笑)。
正直、引退は結婚による寿引退であるのに、イメージダウンに繋がるような自叙伝を引退前にわざわざ出す事になった理由が筆者には気になります。
母親の山口正子と妹の山口淑恵の3人暮らしで生活保護も受給
デビュー当時、山口百恵さんの実家は母子家庭である事は知られていた様でした。
母親と妹との3人暮らしでした。
父親については詳細は後述しますが、居ないとインタビュー等には応えていたそうです。
ですが、死別や離婚した訳でもありませんでした。
現在も母子家庭という環境はありますが、昭和40年前後で女性が働きに出ると言う事は相当困難だったと思われます。
そんな事もあり、やはり相当困窮した生活を送っていたらしく、山口百恵さんも家計の助けになる為に小学生から新聞配達のアルバイトをしたり、生活保護を受けながら生活を送っていたと言われています。
ちなみにお母様のお名前は「山口正子」さん、5歳下の妹のお名前は「山口淑恵(やまぐちよしえ)」さんであることも分かっています。
上記Twitterの画像は当時の芸能誌ですが、家族も顔出しで雑誌に掲載されていたのですから、凄い時代ですよねぇ・・・。
今じゃ考えられません。
ちなみに母親の山口正子さんは51歳という若さで亡くなられたことが分かっています。死因は判明していませんが、後述する酷すぎる夫のせいだったのかもしれません。
山口百恵の父親の久保茂がクズすぎる!職業は医者で現在が悲惨
先ほど山口百恵さんの父親と死別や離婚をしていないと書きました。
上記以外で母子家庭になる状況に察しが付くかと思いますが、山口百恵さんの母:正子さんと父親は愛人関係でした。
父親の名前は「久保茂」といい、当時は医者だったと言われています。
山口正子さんが看護師だった事から知り合ったようです。
しかも自分は本妻と本妻の子供と同居しており、1週間に一度、山口百恵さんの家を訪れるという生活を送っていたそうです。
さらに山口百恵さんに妹がいると書きましたが、その妹の父親も久保茂でありました。
他人の父親を非難するのは本来筋違いですが、この父親はホントにクズだった事が自叙伝で語られていますし、ニュース沙汰になった騒動も存在しています。
山口百恵の母 山口正子の親には責任を取ると嘘を付く
山口百恵さんの母親である正子さんが身籠った時に、久保茂は正子さんの両親にこう語っているそうです。
「責任をもってきちんとします。」
まあ当然の言葉とも言えます。
ところが、実際は本妻と離婚していません。
また職業は医者ですから、離婚できなくても経済的な援助は可能だと思いますが、それも行っていませんでした。
それで週末だけ会いに行くという生活ですから、まあ面の皮が厚い人物です。
挙句には山口百恵さんの妹の淑恵さんまで生まれても状況が変わらなかったのですから、筋金入りのクズとしか言えません。
芸能人として成功した山口百恵に金銭をたかり、親権を主張する
山口百恵さんやその家族が苦労して生活していたにも関わらず、まったく援助しなかった父親。
そんな苦労を経て芸能人となり、成功を収めた山口百恵さんに対して、この父親はまたクズっぷりを発揮します。
山口百恵の父親としての立場を悪用し、事務所からお金を借りたり、山口百恵さん自身にも金を無心したと言われています。
さらには有名人になった途端に親権を主張し、挙句には裁判まで起こしています。
筆者は本来ならば寿引退でおめでたい引退の筈なのに、暴露本とも言える自叙伝を出したことが謎だと書きましたが、父親の存在が大きく関わっていた様です。
どうやら自分が芸能人として活動している限り、いつまでも父親が迷惑を掛けてくる事に嫌気がさしたと言われています。
そしてそれまで芸能人として稼いだ金銭を父親に渡して親子の縁を切ったそうです。
また引退する事でもう金づるにはならない事の決意表明だったのかも知れません。
自分の出生の秘密を週刊誌の記事で知り父親の存在を否定
山口百恵さんは父親と母:正子さんが愛人関係だった事で生まれた子供だった訳ですが、山口百恵さんがその事実を知る経緯もかなりショックな内容でした。
今では信じられない事ですが、山口百恵さんの戸籍謄本が週刊誌に掲載されて、その記事を見た事で自分が父親との非嫡出子であることを知ったそうです。
また自叙伝の中で山口百恵さんは自分には父親が居ないと書かれています。
それほど父親を憎んでいた事が分かります。
手も差し伸べず、迷惑だけをかけ続けていた様なので、当然と言えば当然の結果かも知れません。
久保茂の現在は?老人ホームで余生を過ごし死因は老衰?
ちなみに父親の久保茂の晩年は東京都内の老人ホームで余生を過ごしていたと言われています。
また引退時に縁を切られた事に対して、ずっと怒っていたそうですがあまりにも身勝手としか言えませんね・・・。
父親の存在を認めなかった山口百恵さんでしたが、芸能界では父と呼ぶほどに慕っていた俳優さんが居られました。
山口百恵さんが主演を務めたドラマで何度も父親役だった宇津井健さんだったそうです。
山口百恵のデビューから引退するまでの華麗な経歴をご紹介
冒頭でも述べましたが、山口百恵さんが芸能界を引退したのは40年以上前で、正確には1980年(昭和55年)です。
実は筆者も世代的には山口百恵さんの現役時代に生まれているのですが、幼すぎて正直リアルで見た記憶が殆どありません。
引退した1980年でも小学校低学年ですので、芸能人に興味を持つ年齢でもありませんし、知識的には平成世代や知らない世代の人とほとんど変わらないレベルかも知れません(笑)。
改めて山口百恵さんの活動の軌跡を紹介します。
13歳でスター誕生に出場し、20社から指名される
生い立ちで紹介した通り、山口百恵さんは大変貧しい子供時代を過ごす事となりました。
その為、芸能界デビューも苦しい家計を助ける為にデビューしたと言われています。
ですが、実際にはそれが一番の理由では無く、芸能界で活躍していた同世代の「森昌子さんのようになりたい」と思った事が動機だったようです。
もちろん家計を助ける一面もあったと思いますが、芸能界入りの動機としてはありきたりな物だった様です。
山口百恵さんがデビューするきっかけとなった「スター誕生!」ですが、40代以上の人には懐かしい番組かと思います。
オーディション番組の先駆け的番組で、この番組からは数多くの歌手がデビューされています。
ほんの一部ですが、先ほどの「森昌子」や「桜田淳子」「片平なぎさ」「岩崎宏美」「ピンク・レディー」「小泉今日子」「中森明菜」などがこの番組をきっかけにデビューしています。
セカンドシングルからの路線変更で人気に火が付く
1972年にスター誕生でスカウトされてホリプロに所属した山口百恵さんは、翌1973年5月21日に「としごろ」というシングルで歌手デビューします。
また同時期に活躍していた森昌子さん、桜田淳子さんと合わせて「花の中三トリオ」と呼ばれ大々的に売り出されました。
デビュー当時は14歳ですので、やはり王道のアイドル路線での楽曲でしたが、デビューシングルはさほど売れなかった様です。
そこで2枚目のシングルからは王道アイドル路線から、実年齢より上の大人びた内容の歌詞を歌わせる方向になりました。
これが当たり以降は人気歌手として活躍していくことになります。
もはや説明する必要もないくらい有名ですが5枚目のシングルだった「ひと夏の経験」がその路線で発表された楽曲としては特に有名ですよね。
リアルタイムでほとんど視聴した記憶が無い筆者ですが、山口百恵さんの印象と言えばとても10代とは思えないの大人びた女性の印象だったと言う事だけは覚えています(笑)。
女優・歌手として高い人気を誇る
歌手デビューと並行するようにドラマの出演も始まります。
すぐに主演ドラマも作られる様になり、後に「赤いシリーズ」として山口百恵さんを代表する作品になります。
また映画にも出演しており、「伊豆の踊子」や「潮騒」等が特に有名ですよね。
後の夫となる三浦友和さんとも早くから共演されていました。
歌手としても人気歌手としての地位を不動のものとし、特に宇崎竜童さん、阿木燿子さん夫妻の提供の楽曲で数多くのヒット曲が生まれました。
1978年に出場した紅白歌合戦では紅組のトリを務めています。
この時の山口百恵さんは19歳でトリを務めた歌手の最年少記録になっています。
これらの活躍で所属事務所だったホリプロは自社ビルを建てる事が出来たとも言われています。
人気絶頂時に恋人宣言し、21歳で芸能界を引退
父親との確執などの問題はありつつも、芸能人としては成功し、順風満帆に活動されていました。
まだまだ活躍が期待される1979年10月20日に行われたリサイタルで山口百恵さんが突如こんな告白をされました。
「私が好きな人は、三浦友和さんです」
前述でもありましたが、三浦友和さんとは数々の作品で共演されていました。
映画、ドラマはもちろんCMや雑誌でもやたらと共演していましたので、小学校低学年だった筆者でもこの2人はお似合いのカップルの様に見えていました。
上記画像のグリコのセシルチョコレートはカップル設定のCMがやたら多かったのでよく覚えています。
懐かしい(笑)。
もちろん子供なので実際に交際しているまでの想像は働きませんけど(笑)。
公然の秘密の様な二人の関係でしたが、突如山口百恵さん本人の口から上記のような宣言がありました。
その後お相手の三浦友和さんも取材されて、結婚を前提に付き合っていると認めました。
翌年の1980年3月7日に婚約発表が行われて、その年の10月5日に行われるコンサートで山口百恵さんが芸能界から引退する事も発表されました。
そしてこのタイミングの同年9月に先程紹介した自叙伝『蒼い時』が発売されています。
引退コンサートは日本武道館で行われ、当時はTV中継もされたそうです。
そして最後の曲を歌い終わった山口百恵さんは、ステージ中央にマイクを置いて舞台を去るという終わりで幕を閉じました。
たまにパロディーにも使われますが、この行動は伝説として語られています。
14歳でデビューし、約8年間の芸能活動で21歳という早すぎる年齢での芸能界引退でした。
芸能界で成功した人で21歳で引退した人は恐らく山口百恵さん以外では居ないと思われます。
あまりにも潔い辞め方だった事から、後世でも芸能界の去り際が潔い人物の中に必ず上がる程です。
21歳の引退を現在の同世代の女性芸能人で例えると浜辺美波さん、橋本環奈さんが引退するようなものですから、当時の衝撃度が分かるかと思います。
引退理由は表向きは結婚ですが、前述の様に父親との手切れの側面や、それ以外にも所属事務所との揉め事もあったそうです。
これも自叙伝で語られているそうですが、当時は事務所からの独立を考えていたとも言われています。
これが実現していれば、引退も三浦友和さんとの結婚も無かったかもと言われています。
引退後も終わらない山口百恵に対するマスコミの執拗な取材
1980年11月19日に三浦友和さんとの結婚式が行われて、山口百恵さんは表舞台から完全に降りる事になりました。
その後はお子さんを二人出産されていて、現在は既にどちらも成人されて芸能人として活躍されています。
長男は三浦祐太郎さんで、シンガーソングライターや俳優として活躍されています。
2020年6月12日には人気声優の牧野由依さんと結婚されています。
ニュースにもなったので、覚えておられる方も多いでしょう。
次男は三浦貴大さんで、俳優として様々な作品に出演しています。
引退後は穏やかに過ごせるかと思いましたが、何かとマスコミからの取材に悩まされる事になります。
マスコミの身勝手な取材でトラブルになった過去も
山口百恵さんは引退後はマスコミの取材に数回応じた以外は完全に表舞台からは遠ざかっていました。
ただ、お節介すぎるマスコミが事あるごとに追いかけ回していたので、筆者もよく覚えています(笑)。
それくらい引退してからも頻繁に追いかけ回されていました。
当然ですがこの当時はインターネットなんかもありませんし、ワイドショーは存在していましたが、コメンテイターは存在していませんので、取材を批判する声は表向きはありませんでした。
もちろん、一般市民の人からは有ったかもしれませんが、それが表面化する事はありません。
そんな場がそもそもありませんので。
もしこの当時にSNSやネットがあれば、間違いなく行き過ぎた取材をしていたマスコミに対して、罵詈雑言が浴びせられていたでしょうね。
それでもマスコミは辞めなかったでしょうけども。
これが原因で当時小学校の行事に参加された山口百恵さんが、マスコミに対して手を挙げたトラブルもあります。
取材陣が車に乗る子供にカメラを向けて執拗に撮影したせいで怯えてしまい、それに激怒した山口百恵さんがカメラマンに平手打ちしたという事があります。
ちなみに引退した芸能人の消息をマスコミが取材する件に関しては、2018年に引退した安室奈美恵さんを思い浮かべる人もいるかと思います。
安室奈美恵さんも引退後にマスコミが消息を追う事が予想されましたが、実際にはそんなことは起こりませんでした。
ご存じの方も多いと思いますが、引退後にマスコミが取材をした場合は法的措置を取ると、安室奈美恵さんが引退前に事前通告されたので、その効果で現在も取材されることは有りません。
山口百恵さんも同じような措置をしていれば、取材される事は無かったと考えるかも知れませんが、実は少し事情が異なりました。
夫である三浦友和さんは、現役の俳優として活動していた為にマスコミを完全に拒否する事が出来ませんでした。
関係がこじれると俳優活動の取材や宣伝をしてくれなくなる恐れがある為です。
もちろん、家族の取材に対しては毎回自粛をお願いしていましたが、聞く訳ないのは言うまでもありませんね。
当時は取材した成果は週刊誌や芸能誌に掲載されたと思いますが、果たして当時読者からそんなニーズがあったのかは甚だ怪しいと思いますが、まあ毎度毎度しつこいくらい取材されていました。
ご本人はきっちりとケジメをつけて芸能界を引退して家庭に入ったはずなのに、余計なマスコミのお節介でいつまでも表舞台から降りられない状態が、引退後何年と続く事になってしまいました。
これくらい本人の意志と関係無しに付きまとわれていましたから、正式にTV出演等の依頼がこれまで度々あったそうですが、一度も実現する事はありませんでした。
まあ表向きは完全に引退した事で断っていたと思いますが、内心ではマスコミへの恨みから出なかった事もあり得ない話ではないと筆者は思っています。
「知らんけど」の世界ですが(笑)。
現在は子育ても完全に終了していますので、悠々自適の生活を送られている様です。
キルト作家として活動もされており、その時の画像等も見る事ができます。
まとめ
今回は山口百恵さんの生い立ちについて紹介しました。
自叙伝の内容は衝撃的ですが、これを当時21歳で書いた事に驚かされます。
14歳でアイドル歌手としてデビューしますが、TVで見る山口百恵さんには年齢を超えた女性の強さや美しさがあったような気がします。
壮絶な人生を乗り越えてきたからこそあの表情や歌が歌えたのかも知れません。
山口百恵さんの生い立ちについてのまとめです。
- 母:山口正子さん、妹:山口淑子さんの3人で母子家庭として大変貧しい幼少期を過ごす
- 父親は久保茂で母親との愛人関係で生まれたのが百恵さんと淑恵さんだった
- 山口正子さんの親には責任を取ると約束していたが、実際は本妻と離婚する事は無く、経済的援助も全くしなかった
- 自叙伝の中で山口百恵さんは実の父親である久保茂を父親とは認めてない
- 芸能界デビューは家計を助ける為と言われているが、一番大きな理由は同世代で既にデビューしていた「森昌子」さんの様になりたいという気持ちがあった事
- デビュー当初はアイドルとして売り出したが、うまく行かなかった
- アイドル路線から路線変更をした結果、ヒットに繋がり人気歌手の一人となっていく
- 芸能界で山口百恵さんが成功を収めると、急に父親として出しゃばり、事務所から勝手にお金を借りたり、娘の親権を主張して裁判を起こす等、問題行動を起こした
- 人気絶頂の21歳で三浦友和さんとの恋愛関係を告白して引退するが、それまで稼いだお金を父親への手切れ金として渡し、親子の縁を切っていると言われている
- 引退後も山口百恵さんの周りをマスコミが取材してトラブルになった過去もある
三浦友和さんと結婚後にマンションを建てて、そこに母親と妹を呼び寄せて一緒に暮らしていたそうです。
そうやって幼少時の苦労に報いる事が出来ましたが、山口正子さんは51歳の若さで亡くなられています。
妹の淑子さんについては学生時代には海外留学などされていたと言われていますが、現在の消息は判明していないようです。
山口百恵さんの現役時代の楽曲ですが、2020年5月29日から600曲以上がストリーミングでの配信を開始しています。
40年程前の楽曲になりますが、これを機会に伝説の歌手と言われた山口百恵さんの数々のヒット曲を聞いてみては如何でしょうか。
さて、そんな悲惨な生い立ちだった山口百恵さんですが、現在の様子や収入や国立市の自宅が凄すぎることをご存知でしょうか?
彼女の現在について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
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