酒鬼薔薇聖斗(少年A)の顔と本名は?東慎一郎から西岡真に改名した現在の暮らしと結婚の噂

著名人

1997年に日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件。犯人は当時14歳の中学生で、自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗りました。

あれから約29年が経った今、彼は一体どこで何をしているのか。本名の「東慎一郎」から改名した現在の名前や、顔が公になった経緯、結婚の噂まで、気になりますよね。

酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの現在と、事件の全貌を改めて見ていきましょう。

酒鬼薔薇聖斗(少年A)の顔や本名と現在の暮らし

まずは元少年Aの現在についての結論からお伝えします。

  • 本名は「東慎一郎(あづま しんいちろう)」で、事件後に「西岡真(にしおか まこと)」に改名している
  • 2004年に関東医療少年院を仮退院し、2005年から社会復帰。現在43歳
  • 2015年に手記「絶歌」を出版し、推定2,000万円以上の印税を得たとされる
  • 結婚して子供がいるという噂があるが、信頼できるソースでの確認は取れていない
  • 現在の居場所は公表されておらず、改名後の名前で社会に溶け込んでいるとみられる

本名「東慎一郎」から「西岡真」に改名した経緯

犯行時の名前 東慎一郎(あづま しんいちろう)
改名後の名前 西岡真(にしおか まこと)
生年月日 1982年7月7日
年齢 43歳(2026年3月時点)
犯行時の年齢 14歳(中学3年生)
身長 165.6cm
血液型 A型

酒鬼薔薇聖斗の本名は「東慎一郎」です。ネット上では「東真一郎」と表記されることもありますが、多くのメディアでは「慎一郎」が使われています。

事件後に改名しているのは、本名のままでは社会生活が成り立たないからでしょう。日本では、生活に著しい支障がある場合に限り、家庭裁判所に「姓名の変更許可」を申し立てることができます。

改名後の名前として判明しているのが「西岡真」です。当初はイニシャル「K.M.」としか報じられていませんでしたが、その後の取材で具体的な名前が明らかになりました。「K.M.」と「西岡真(N.M.)」が一致しない点については、別の時期にさらに改名した可能性も指摘されています。

なお、元少年Aの成人後の顔は、2015年に週刊文春が足立区の団地で直撃取材した際の写真で初めて広く報じられました。それ以前にも、自ら開設したホームページ「存在の耐えられない透明さ」にセルフポートレートを掲載していた時期があります。

いずれにせよ、元少年Aは「西岡真」として社会に紛れ込み、現在もどこかで暮らしているということになります。

少年院退院後の生活と現在地の噂

1997年に逮捕された元少年Aは、関東医療少年院に収容されました。2001年には治療が順調として東北少年院に移送され、2004年に仮退院、2005年から本格的に社会復帰しています。

ただ、少年院内での更生には疑問の声もありました。収容中の元少年Aは「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らない」と発言していたとされ、法務省内部からも「更生したかどうかの決定的な証拠はない」との声が漏れていたといいます。

退院後の彼の生活は、転居と転職の繰り返しでした。少年院で習得した溶接工の技術を活かし、日雇い労働で収入を得る日々。身元がバレるたびに引っ越しを余儀なくされ、ネットカフェや簡易宿泊所で過ごすこともあったそうです。

退院後の主な経歴を時系列でまとめると、まず2004年の退院直後は東京でのホテル暮らしから始まり、更生保護施設に入所。派遣会社を通じてオフィスの荷物運びやビル清掃、廃品回収などに従事しました。2005年冬からは寮付きの建設会社で契約社員に。しかし2009年にリーマンショックの余波で解雇され、再び日雇い生活に逆戻りしています。

同年9月にようやく溶接工の職に就くも、2012年に退職。この頃から手記の執筆に没頭し始めたとみられています。

住所については、2011年頃に静岡県浜松市に定住していたとの情報があります。ここで手記「絶歌」の執筆を始めたとされています。

その後、2015年頃には東京都足立区のUR花畑団地に住んでいたことが週刊文春の取材で判明。記者が直撃した際、元少年Aは当初とぼけようとしたものの、途中で豹変。ポケットの中で何かを握るような素振りを見せながら記者を追いかけ回したと報じられました。

さらに、この団地周辺では動物の死体が複数見つかっていたという不穏な情報もあります。現在の居場所は公表されておらず、再び転居した可能性が高いでしょう。

手記「絶歌」の出版と印税の行方

2015年6月11日、元少年Aは手記「絶歌(ぜっか)」を太田出版から出版しました。事件から18年後のことです。

第1部は幼少期から事件、逮捕までの経緯。第2部は少年院退院後の暮らしについて書かれています。

この出版には大きな問題がありました。被害者遺族の許可を一切取らずに出版されたのです。太田出版は「少年犯罪を考える上で社会的意味がある」と説明しましたが、被害者遺族は猛反発。土師淳君の父・守さんは本の回収を要求し、山下彩花さんの母・京子さんも強い姿勢で受け入れを拒否しました。

手記の中で元少年Aは、殺人を犯してはいけない理由を聞かれ、「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」と答えています。被害者への共感ではなく「自分が苦しむから」という理由に、多くの人が衝撃を受けました。

内容も「反省」よりも「退院後いかに自分が辛かったか」が中心で、購入を拒否した書店や図書館もあったほどです。

それでも「絶歌」は10万部以上を売り上げ、増刷もされました。価格は1,500円で、印税率を一般的な10%とすると、少なくとも2,000万円以上の印税を手にしたと推計されます。

印税の使い道は公表されていません。太田出版は「本人任せ」としており、被害者遺族への賠償に充てられたかも不明です。遺族側は受け取りを拒否しているとの情報もあります。

また同時期に元少年Aは「存在の耐えられない透明さ」というホームページを開設。自身のセルフポートレートや不気味なイラストを掲載し、書籍の宣伝も行っていました。このサイトは規約違反で凍結され、続いて始めた月額800円のメールマガジンも即座に廃止されています。

それでも手記の印税は残ったままです。元少年Aはそのお金で一般人と変わらない暮らしをしていると報じられています。

東慎一郎(西岡真)は結婚しているのか?

元少年Aが結婚して子供がいるという噂は、以前からネット上で囁かれています。

この噂の発端は2ちゃんねるの書き込みでした。「遺族に結婚式の招待状を送ったが検閲で差し戻された」という内容でしたが、手記「絶歌」にそのような記載はありません。ネット上では「ファンの女性と結婚した」「子供もいる」といった書き込みが先走りしましたが、いずれも根拠のない情報です。

「絶歌」の出版を担当した落合美砂氏は、FLASHの取材に対してこう証言しています。元少年Aは人と親しくなることを警戒しており、親しくなるとその人に対して自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるため、女性に対しても好きにならないよう警戒していた、と。

一方で、一部のネットメディアでは「結婚して離婚した」との情報もありますが、信頼できる大手メディアでの確認は取れておらず、真相は不明というのが現時点での結論です。

酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)の全貌

酒鬼薔薇聖斗事件は、正式には「神戸連続児童殺傷事件」と呼ばれます。1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区で当時14歳の中学3年生が5人の児童を次々と襲い、死者2名・重軽傷者3名を出した連続事件です。事件の経緯を時系列で見ていきましょう。

第一・第二の事件(1997年2月〜3月)

第一の事件は1997年2月10日16時頃に発生しました。元少年Aは、2人の小学生女児をゴム製のショックレスハンマーで殴打。1人は軽傷、もう1人は重傷を負いました。

被害者の女の子の証言から、犯人はブレザーを着て学生鞄を持っていたことが判明。被害者の父親は近隣の中学校に生徒の写真開示を求めましたが、学校側は「警察を通してほしい」と拒否。警察に被害届を出しても、結局中学校生徒の顔写真は開示されませんでした。

この対応の遅れが、その後の悲劇を招くことになります。捕まらなかったことが元少年Aを増長させたのは間違いないでしょう。

約1か月後の3月16日、第二の事件が起きます。元少年Aは公園で10歳の山下彩花ちゃんに声をかけました。「手を洗える場所はないかな?」と。彩花ちゃんが親切に学校まで案内すると、「お礼が言いたいから振り向いてください」と言い、振り向いた彼女を八角玄翁(ハンマーの一種)で殴りつけたのです。

山下彩花ちゃんは搬送先の病院で3月23日に脳挫傷で亡くなりました。わずか10歳でした。

さらに元少年Aは彩花ちゃんを殴った直後、わずか10分後に別の小学3年生の女児を刃渡り13cmのナイフで刺しています。この女児は一命を取り留めましたが、あと少し深ければ命を落としていたところでした。

第三の事件と犯行声明

5月24日、最も痛ましい第三の事件が発生しました。元少年Aは、自分の弟の同級生である土師淳君(当時11歳)を「亀がいるよ」と誘い出し、通称「タンク山」の高台に連れ込んで絞殺しました。

事情聴取で元少年Aは、淳君が激しく抵抗したためかえって興奮したと供述。殺害現場のアンテナ施設に遺体を隠し、南京錠を万引きしてかけ直すなど、14歳とは思えない冷静さを見せています。

翌日、元少年Aは再び山を訪れ、遺体の頭部を切断。その後、自宅の浴室で頭部を洗い、5月27日早朝、自分が通う神戸市立友が丘中学校の正門前に頭部を置きました。口には犯行声明文を咥えさせていたのです。

犯行声明にはこう書かれていました。「さあゲームの始まりです」「愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ」——。差出人は「酒鬼薔薇聖斗」。小学校高学年の頃に自分の「悪い自分」につけた名前だったといいます。

警察が「酒鬼薔薇」を「酒・鬼・薔薇」とバラバラに読んだことに腹を立てた元少年Aは、神戸新聞社に抗議の手紙を送りつけるという行動に出ます。再び間違えた場合は報復すると脅す内容でした。

逮捕までの経緯

この神戸新聞社への手紙が決定的な手がかりになりました。筆跡鑑定の結果は「同一人の筆跡か否か判断することは困難」という曖昧なものでしたが、警察はこれをもとに元少年Aを容疑者として浮上させます。

6月28日、警察は事情聴取の中で「筆跡が一致した」とカマをかけました。すると元少年Aは泣き崩れ、犯行を自白。同日19時05分、殺人・死体遺棄の容疑で逮捕されました。同時に、それまでの通り魔事件の犯行もすべて認めています。

少年Aは以前から動物への加虐行為を繰り返しており、カエルやナメクジの解剖に始まり、猫を何匹も殺していたことが判明。友人にそれを自慢げに話していたにもかかわらず、周囲の大人がその異常性に気づいて止めることができなかったのは、今も悔やまれる点です。

事件後の両親や弟たちのその後

事件によって人生を破壊されたのは、被害者遺族だけではありません。加害者の家族もまた、過酷な運命を背負うことになりました。

父親は事件直後に退職を余儀なくされ、退職金のすべてを賠償金に充てたとされています。母親は面会室で息子から「帰れブタ野郎!」と罵倒されながらも、手記『少年A この子を生んで』で謝罪を続けました。

2人の弟たちの境遇はさらに深刻です。兄の事件によって進学や就職の道を閉ざされ、工学部への進学断念や高校中退という過酷な人生を強いられました。

ネット上では「印税で豪邸を建てた」という噂もありますが、これは未確認情報です。家族の現在の暮らしぶりは公にされておらず、本人たちが公表していないプライベートな情報であるため、詳細な言及は控えます。

コメント

芸能人の裏ニュースについて

芸能人の裏ニュースはユーザー参加型まとめサイトです。

サイトでは、芸能人の最新ニュース・噂や裏話などのゴシップ、そして事件などのニュースのまとめをライターが記事にしています。

当サイトで掲載している記事・画像・動画の著作権や肖像権等は各権利所有者様に帰属します。

権利を侵害する目的は一切ありません。

ライターが書いた記事の内容や掲載画像等に問題がございましたら、各権利所有者様本人が直接メールでご連絡下さい。

管理者が確認後、対応させて頂きます。