その年、その年によって思い出す出来事がある。1997年と言えば、この事件を思い出す人々もいるくらい、日本中に衝撃を与えた事件。
それが、「神戸連続児童殺傷事件」。
別名「酒鬼薔薇聖斗事件」。と言えば思い出して頂けただろうか?
この事件は、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件で、死者2名、重軽傷者3名をだし、犯人はなんと普通の中学生、当時まだ14歳だった。彼の事は以下、元少年Aとする。
元少年Aが、自分の事を犯行声明で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗っていたので、酒鬼薔薇聖斗事件と呼ばれている。
今回の調査内容は下記である。
- 酒鬼薔薇聖斗のプロフィール
- 酒鬼薔薇聖斗の本名は?
- 酒鬼薔薇聖斗の事件の詳細は?
- 彼の現在の名前や生活、結婚の噂、事件後の暮らしについて
調査しながら、急に襲われ死亡した、怪我をした子ども達、子どもを理不尽に奪われた両親、自分の子どもが加害者だった両親の気持ちを考えるとやりきれない気持ちになった…。
彼の実際の言葉や、イラストも見つけたが…かなり気持ちが悪い。性的な表現も文章の中にある。了承できる方のみ読んでいただきたいと思う。
【誇大妄想癖のナルシスト】酒鬼薔薇聖斗(少年A)最新の顔画像!
まず、元少年Aのプロフィールを紹介し、酒鬼薔薇聖斗事件についての詳細を説明したいと思う。
彼の本名と現在の名前も判明した。やはり本名で生きていくことはできなかった、という事だろう。
酒鬼薔薇聖斗のプロフィールは元少年Aのブログから抜粋されたものだ。現在41歳になっている。(2024年)
- 本名 東慎一郎(改名して今は「西岡真」)
- 身長165.6cm 体重54.3kg
- 視力 右0.03 左0.05
- 血液型 A型
- 大動脈心臓部に雑音あり
- 性格類型 INFJ型
- 誇大妄想癖あり
上記、下記の写真は同じく33歳頃のものだ。
元少年Aは、ジョギングや筋トレで鍛えた身体を見せている。ナルシストであることは間違いない。強くなりたいという願望かもしれない。
これが、彼、酒鬼薔薇聖斗こと、元少年Aである。
本名は「東 慎一郎」だが事件後に「西岡 真」に改名していた
「酒鬼薔薇聖斗」の本名は「東 慎一郎」と言う。
本名は、ネットで調べただけですぐに発見できた。つまりは、本名で普通に生きていくのは難しいと言える。(ネット上では、真一郎であったり慎一郎であったりしている。ここでは慎一郎とする。)
ではどうしたのだろう?
日本には戸籍がある。改名など簡単にはできないのが実情である。しかし、生活に支障が出る場合は、家庭裁判所に申し出て「姓名の変更許可」を申し立てることができると言う。
なるほど…知らなかった。確かにそうでなければ、とても生活ができないだろう。
現在の名前は、最初はイニシャル「K.M.」としか分からなかったが、掘り下げてみるとなんと現在の名前が分かってしまった。
「西岡 真」。確かに「K.M.」である。
元少年Aは、西岡真として、今もどこかで普通に生活をしているのだ。
酒鬼薔薇聖斗(東慎一郎)2024年今現在はどこで何をしているのか?
元少年Aは、事件後はどのような暮らしをしていたのか?
ここでは、元少年Aが逮捕された後、どのように過ごしていたのか、今現在どのような暮らしをしているのか、結婚をしているのかなどを徹底的に調べてみた。
事件後の酒鬼薔薇聖斗は医療少年院で表面上は更生したらしい
捜査と裁判が終わり、少年Aは医療少年院送致が妥当だとされ、1997年、関東医療少年院に収監された。
2001年になると治療が順調だとされ、普通の少年院に送られている。東北少年院だった。2002年、治療は順調だが、まだまだ矯正教育が必要とされ、収容は続いていた。
2003年には、関東医療少年院は、元少年Aの仮退院を要求している。
どういうことだ?どのように治療をしたら、あの酒鬼薔薇聖斗が治るのか?と聞きたいくらいだ。
一方で、元少年Aは自身をよく知っていたようだ。
「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから……」「闘争と破壊こそ真の世界の姿だが、少年院ではいい子にしていなければ出られないから気をつけなくちゃ……」と発言している。
実際、元少年Aが収容されている東北少年院では、彼の収容を2004年まで延長している。
それでも、2004年には仮退院、2005年になると普通に一人で生活ができるようになったというから驚きである。驚きではない、恐怖である。
とても彼が更生した(治った)とは思えない。
加えて法務省幹部のコメントがこうだ。
何しろ、この段階で少年を送り帰そうものなら、仮退院はパー、国家の威信をかけた更生プログラムを組んだ法務省の面子は丸潰れになる。
そこで院内には厳重な箝口令が敷かれ、何と少年の奇行はウヤムヤになり、社会復帰のための最終的な研修は予定通り終了したことになってしまった。
上層部は保身に走り、現場の少年院も『やるべきことはすべてやった。こうなれば一刻も早く、少年を手放したい』という腫れ物に触るような弱腰姿勢が見え見えだった。
もっとも更生したかどうかの決定的な証拠など、何もないからね。
それはそうだ。どんな犯罪者でも更生したという確固たる証拠などあるわけがない。信じるしかない。
しかし、元少年Aのあの狂気ともいえる行動、性癖。外に出すには恐ろしすぎる。
にも関わらず、元少年Aは、出てきてしまっている。少年院を終えた彼はどのように暮らしていたのだろうか?
少年院退院後の暮らしぶりとは?追いかける記者に逆ギレ
少年院退院後の元少年Aの生活は、同情はできないが簡単なものではなかったようである。
どこに行っても疑いの目を向けられる。週刊誌の記者は放っておいてはくれない。自分が犯罪者だとばれてしまう度に転居を繰り返す日々。
少年院で習得した溶接工の技術などを生かし、日雇いで収入を得ていた。定住できずにネットカフェ、簡易宿泊所に泊まることもあったと言う。
(注:下記のネットカフェは彼が宿泊したカフェではなく、あくまでネットカフェで泊まれる環境の一例として掲載している)
四国(愛媛県松山市)にいた、または神奈川県に住んでいるなど噂されたが確証はない。分かっているだけだが、次の場所には滞在していたようだ。
2011年ごろに静岡県浜松市に定住。ここで手記「絶歌」を書いていたと言われている。
その後、2015年ごろ足立区のUR花畑団地。人目に付かないようにひっそりと暮らしていたようだ。
しかし、足立区の団地では、文春の記者の直撃を受けてしまう。
最初は、「何のことかわからない。」とはぐらかそうとしていた元少年A。しかし、途中から豹変。
「名刺も手紙もいらねえよ!命がけで来てんだよな!」といきなり記者は凄まれ、元少年Aは逃げる記者を執拗に追いかけた。
「(加害男性は)ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでいた。更生できているのか疑問に感じた」
しかもこの辺りで動物の死体が多々見つかっていたらしい。
その後の彼の住所は分かっておらず、また転々としているか、定住していてもひっそりと暮らしているか、どちらかだろう。
彼の出所後の仕事の状況についてまとめるとこうだ。
- 少年院を退院後は、1ヶ月間の東京でのホテル暮らし
- 更生保護施設に入所後に、派遣会社に登録。
- 最初の仕事はオフィスでの荷物運び・ビル清掃・廃品回収・プレス工
- 2004年までで保護観察期間は終了し、職場の近くで一人暮らしを始める
- 仕事も辞めて、カプセルホテル暮らし
- 2005年の冬から、寮付きの建設会社で契約社員になる
- 2009年6月に、リーマン・ショックの余波を受け解雇され、日雇い労働を転々とする
- 2009年9月、少年院で覚えた溶接工の仕事になんとか就く
- 2012年冬、溶接会社に辞表を提出した
常に何かに怯えている姿だったと、後に彼が少年Aだと分かった人たちが口にしている。
その後、少年Aは殺害した2人の命日を前に、毎年遺族へ贖罪の手紙を送っていた。遺族も、その手紙を無視することなく、目を通して見守っていたようだ。
2015年には、ワープロで37枚という膨大な量の手紙が送られ、事故の原因を彼なりの言葉で綴っていたらしい。しかし、その1ヶ月後に元少年Aの著書「絶歌」を出版。
遺族にとっては裏切り行為に感じたようだ…その書籍出版後は謝罪の手紙も途絶えている。
酒鬼薔薇聖斗が手記「絶歌」を出版し印税で悠々と暮らしている
酒鬼薔薇聖斗、元少年Aは、2015年6月11日、手記を出版している。
「絶歌(ぜっか)」というタイトルだ。
事件が起きたのは1997年であるから、18年後ということになる。
18年、人が変わるには十分な時間とも言える。事件当時が14歳であれば、当然伸びしろもあると思われるべきである。
少年Aは反省したのだろうか?そして変わることができているのであろうか?そのことが、手記から感じられるのであろうか?世間は注目した。
物語は2部構成になっている。
第1部は、少年Aの幼少期から、なぜあんな恐ろしい事件を起こしてしまったのか、事件の事と逮捕までである。
そして、第2部。少年院退院後、どのような人生を送ってきたのかが書かれている。
書き出しは下記の通りである。
〈一九九七年六月二十八日。僕は、僕ではなくなった。陽なたの世界から永久に追放された日。それまで何気なく送ってきた他愛ない日常のひとコマひとコマが、急速に得体のしれない象徴性を帯び始めた日。「少年A」—それが、僕の代名詞となった〉
表現が…いい意味で文学的ではなく、無駄に文学的。いや、文学的と言うには正しくないような気がする。なんだか嫌悪感を感じさせる文章だ。
以前から犯行の動機として、最愛の祖母との別れ、異常な性癖が語られていた。
本人も手記の中でその瞬間について語っていた。
祖母が亡くなった後も、度々祖母の部屋を訪ねていた元少年A。思い出に浸りながら、祖母が愛用していた按摩器を性器に押し当てたことで、射精してしまった。
〈僕のなかで、〝性〟と〝死〟が〝罪悪感〟という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった〉
って、これまた不必要な比喩表現。あまり意味が分からない、気味が悪いと思った方、それが普通の感覚だ。
同時期に、ナメクジの解剖にはまり、祖母の愛犬が死んでしまい、そのエサを食べようとしていた野良猫に腹を立てて殺してしまう。
この瞬間から猫を殺すことに味を占めてしまったことも認めている。
〈僕は知らず知らずのうちに、死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた〉
自覚はあったらしい。
〈中学に上がる頃には猫殺しに飽き、次第に、「自分と同じ〝人間〟を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、寝ても覚めても、もうそのことしか考えられなくなった〉
そして、そのページは最初の事件へと進んで行くのである。
第一の事件(二人の女児をハンマーで殴る)について述べた後、こう書かれている。
〈あれは夢だったのか?僕は現実には何もしていないのか?どこまでが現実でどこからが現実でないのかわからなくなった〉
まさに、あの時、中学生の顔写真を開示していれば…。悔やみきれない。そのままあの痛ましい淳君の事件へと続いていく。
逮捕され、取り調べを受けたことを記した後は、少年院のことはあまり書かれておらず、退院後の暮らしについて書かれている。
退院後は様々な日雇いでのその日暮らし。かなりきつかったようだ。身体的にも精神的にも。
やっと溶接工の仕事につくことができたのは2009年9月。退院してから5年後の事。確かに辛い5年間であったかもしれない。しかし、当然の報いと思う人の方が多いだろう。
この頃からである。元少年Aは、自分の言葉で自分の過去を語りたいという衝動にかられるようになった。2012年には、仕事を辞め、執筆に明け暮れる日々を送ったのである。
最初は、幻冬舎に出版をしたいと手紙を送付。
2年間にわたり出版活動は行われたが、出版に対しての批判が計り知れないこと、元少年Aが出版取りやめの意思表示をしたことから、出版は取りやめられた。
しかし、少年Aはやはり出版を希望した。そのため、幻冬舎は太田出版を元少年Aに紹介したのだった。
そして太田出版は、なんと被害者遺族の許可を得ずに出版をしてしまった。
「少年犯罪を考える上で社会的意味があると考えた」
太田出版社が出版の際に、ホームページで述べていた言葉である。
社長のコメントがこちら。苦労している少年Aに同情的だ。
さらに、出版を担当した落合美砂氏はこう語った。
「出版について事後報告になってしまったということのお詫びと、なぜ自分がそうまでしてこの本を出すかということについて説明した著者の手紙と、本そのものをご遺族にお送りしています。本と手紙とを、合わせて読んで頂きたいと思っています。もちろん、その上で差し止めなどの求めがあれば、改めて対応を検討したい」
そんなに遺族に気を使っているのならきちんと許可取ってから出版だろうと思う。
もちろん、被害者遺族は猛反発。土師淳君(当時11)の父、守さんは太田出版に抗議。本を回収して欲しいと要求している。
山下彩花さん(当時10)を亡くした母、京子さんも強い姿勢で出版の受け入れを拒否している。
付け加えると、購入を拒否した書店や図書館もあると言う。
大体の人が気分を害しているし、内容がないと言っているようだ。
ここで気になるのが印税だ。「絶歌」のお値段は、1500円。で、10万部売れていた。6月には5万部の増刷。単純に計算して、増刷込みで2千万は下らない。
その使い道は?明らかになっていない。
被害者遺族に払われてはいない。なぜなら受け取りを拒否されているからだ。
太田出版社は、印税の使い道に関しては関与していない、本人任せということらしい。これだけのお金があれば、悠々と暮らしていけるだろう。
しかも、確実に更生はしていない。なぜなら、この本で元少年Aは、殺人を犯してはいけない理由をこう語っているのである。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
「自分が辛い目に合うから人は殺さないほうがいい。」というから驚きだ。
他にも、反省というより、少年院退院後、こんなに辛かったんだという自分中心の文章が目立つ。これでは、遺族が受け入れないのも当然だろう。
しかし、増刷は中止されることはなく、本は回収されることはなかった。
太田出版の言い訳がこちら。
「そんな事は万人が分かっている。」と言いたい。
元少年Aは同時期に自身のホームページを開設している。「存在の耐えられない透明さ」とある。またなんだか無駄に文学的なような、ないような…。
週刊文春と週刊新潮に、ホームページ開設の手紙が届いていた。ページのURLが書かれていたと言う。
内容は、反省している感じは全くなく、自身のアピールと書籍の宣伝、そして気持ちの悪い自分で描いたイラスト、セルフポートレート、沢山のナメクジの写真に加え、少年Aが全裸でナメクジにまたがる写真がギャラリーに。気味が悪すぎる…。
本当にテンションが下がる代物としかいいようがない。
ネット上の反応もかなり手厳しい。
- 全然反省してない!
- 本が売れて調子に乗ってHP開設で稼ごうとしてる?
- 少年Aギャラリーのページ見ちゃダメ。メンタルやられる。
- まともには働けないから、こういうの好きな人から稼ごうとしている。
などなど。当然の反応とも言える。
そう。無くなったのだ。凍結され今は見ることができない。少しホッとする。
元少年Aは、ホームページが閉鎖された直後、メールマガジンの配信も行っていた。元少年Aとより深くやりとりができる場所を売ろうと思っていたのだ。月額800円。
もちろん、これも規約違反ですぐに廃止。
ホームページやメールマガジンは廃止されたが、本は回収されることはなかったし、増刷された。
そして、元少年Aは多額の印税を手に入れて普通に暮らしているのだ。普通の人と同じように酒を飲み、テレビゲームをして、旅行にも行っている。
本当に反省しているとはとても思えない。彼は何も変わっていない。ただ、人を殺すとまた自分が辛い目にあうから、だから大人しくしているだけなのだ。
東慎一郎(西岡真)結婚して子供がいるという噂の真相
詳しくは後述する手記「絶歌」を出版、ホームページ開設と世間を騒がせている元少年A。さらなる噂でますます騒がしくなった。
元少年Aが結婚をして子どもまでいるという噂である。
噂の出どころは、2チャンネル。ここに、「遺族に結婚式の招待状を贈ったところ、検閲に引っかかって差し戻されたと手記に記してある」という書き込みがあったのだ。
しかし、「絶歌」にはそんな記載はない。「恋人の記載すらない。」、「読み終わったがそんな記載はどこにもない。」との声があげられた。
デマだろうか。
ネット上では、次のような書き込みが先走りしていた。
- 「ファンである女性と結婚した」
- 「既に結婚して子供もいるって。奥さんも事件の事は了解してるって」
しかし、これらの書き込みはネット上だけのもので全く根拠がなかった。
さらに、「絶歌」の出版の際に担当であった落合美砂氏は元少年Aについて「FLASH」の取材に次のように答えているのだ。
「彼は人と親しくなることを警戒しています。親しくなると、その人に対して、自分が殺人者であることを隠すことに耐えられなくなるからです。女性にも同じ。好きにならないよう警戒していた。禁欲的な生活です」
改めて「噂を全部信じてはいけない。」と認識。「元少年Aが結婚して子供もいる」というのは単なる噂である可能性が高い。
死ぬほど恐ろしい酒鬼薔薇聖斗事件の全貌を今一度振り返ってみる!
第一の犯行は1997年2月10日16:00頃。
二人の小学生女児をゴムのショックレスハンマーで殴る。
一人は軽傷、もう一人は重傷。被害者遺族が、公開を希望しなかったため被害者は未公開である。
被害を受けた女の子の証言から、犯人は、ブレザーを着ており、学生鞄を所持していたとの事を被害者の父親が突き止め、近くの中学校に学生の写真を見せて欲しいと要求。当然だ。
しかし、中学校側は警察を通して欲しいと要望。要望は拒絶となった。こちらも、当然と言えば当然。
事情は事情だが、「あぁ、そうですか。」とすんなり学校が生徒の情報を他の人に見せるわけにもいかない。
そこでこの父親は警察に被害届を提出。これも当然である。兵庫県警察に再度開示を求めるものの、結局、中学校生徒の顔写真は開示されず。
どういう事なのか?小学生が重傷を負っているのに?
たまに「警察が事件が起きてないから動けない、事件になってからでは遅いのに」という話を聞くことがある。だが、この場合は起きているではないか!事件が!
この地区の父兄の警戒度はマックスになった。
「ここで顔写真が開示されてさえいれば、第二、第三の事件が起きなかったかもしれなかったのに」と批判の声が上がった。
本当にその通りである。
女児たちをハンマーで殴っても、警察に捕まらなかったことが、元少年Aを調子づかせた要因の一つであることは間違いないのだから。
第二の犯行は、第一の犯行の約一か月後、3月16日、12:25頃。
近くにいた女の子、山下彩香ちゃんを八角玄翁(はっかくげんのう:ハンマーの一種)で殴り、すぐ後に小学3年生の女児を刃渡り13cmのナイフで刺す。
元少年Aは、公園で彩香ちゃんに声をかける。「手を洗える場所はないかな?」と。
彩香ちゃんは親切に学校まで元少年Aを案内した。元少年Aは「お礼が言いたいからこちらを向いてください」(少年の日記より)と言い、振り向いた彼女を殴りつけたのだ。
山口彩香ちゃんは、病院に運ばれ治療を受けたが、3月23日に脳挫傷で死亡した。
逃走した元少年Aは、それだけでは飽き足らなかったのか、10分ほどしかたっていないのに、他の女児を刃渡り13cmのナイフで刺すという信じがたい行動に出ている。
この女の子は、一命を取り止めているが、胃を貫通したナイフがもう少し奥まで刺さって静脈に入っていたら、救命はできなかっただろう。
第三の事件。5月24日お昼過ぎ頃。
反対から歩いてくる少年Aの弟の同級生の子、士師淳君を見つけタンク山に連れて行き、絞殺して遺体を隠した。
第一、第二の事件を成功させている元少年Aは、確実に興奮していた。
10分ほどぶらぶらと自転車を走らながら、殺すのに適当な子を探していたとは、ぞっとする…。
そして、多井畑小学校から北側の道路で反対から歩いてくる淳君を見つけてしまう。
元少年Aは、淳君が自分の家にいた亀を気に入っていたのを思い出し、「向こうの山に行ってみよう。亀がいるよ。」と誘い出し、通称タンク山と呼ばれる高台に連れ込んだ。
タンク山の山頂手前、ケーブルテレビのアンテナ施設があった。そこで元少年Aは、淳君を絞殺してしまう。
「淳君が思いのほか抵抗したので、殺すのに時間がかかり、殴っただけ、刺しただけ、そしてすぐ逃げた以前の犯行より達成感を感じ興奮した。」と元少年Aは事情聴取で話していた。
こんな人間がいるとは…。背筋が凍るとはこのことである。
「何とか死体の発見は遅らせたい…。どうしたら?」元少年Aは考えた。
まず遺体を隠さなければならない。アンテナ施設の鉄筋の建物…、床に草も生えている…良さそうだと思った。
かけてあった南京錠を壊し、不信に思われないように新しい南京錠を万引きしてかけなおし、その部屋に遺体を隠したのだ。
結構な知能犯だ。中学生で?人を殺した後に?冷静に思考が繰り広げられているではないか…。
信じがたいと言えば、この後、元少年Aは友人と遊んでいる。遊べるのか…。普通に。
その日の夜、南京錠のために買った糸のこぎりのことを思い出すと、淳君の頭と胴体を切り落としたくなったと言う。
5月25日。
再びタンク山へ出かけていき、淳君の首を切断。
「遺体を切ることに抵抗はなかったのか?」と警察で聞かれると、元少年Aは、「特になかった。自分が殺した男児は、自分の作品だからです。」と答えた。実際、首を切ってみて元少年Aは、すごく興奮し、その自分の作品を眺め、満足感で一杯になり射精した。
自分が興奮するために殺人を犯す、そして興奮して射精してしまう…。気持悪いという言葉では足りない、言葉が見つからない。
また首を鑑賞したいという思いで、切断した頭をビニール袋に入れて別の場所、入角ノ池へ移動させた。
加えて、次は、首がどのように変化していくのか見たくなった元少年A。なんということか…。理解の範疇を超えている。
5月26日。
首の鑑賞に出かける。
「どんな変化があるのだろう??」元少年Aは、ワクワクしたと証言。しかし、「目がちょっと青白さが増していたくらいだった…その程度の変化かぁ…。」とガッカリし、首を自宅に持ち帰ることとなった。
そんな時、元少年Aの両親は、淳君の捜索を手伝っていた。自宅に首があるとは思いもせずに…。
日本の警察はかなり優秀だ。誰もが知っている。
遅かれ早かれ、遺体が見つかるだろうと思った元少年Aは、首をどこかに晒すことを考えた。そうすることによって捜査を撹乱しようとも。
確実に知能犯である。
色々と考えた結果、元少年Aは、首を自分が通う神戸市立友が丘中学校の正門に置こうと考えた。まさか犯人が自分の通う中学校に首を晒すとは警察も考えないだろうと結論を出したのだ。
首を晒すと決めたからには、首を洗ってからと思い、お風呂場で首を洗った元少年A。
Aは首を洗った理由を「理由は二つ。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱ等を洗い流すためでした。
あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための道具になってもらう訳ですから、血で汚れていたので『せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれ。君の初舞台だよ』という意味で、顔を綺麗にしてやろうと思ったのです」と供述している。
Aは首を洗った時も興奮して勃起し、髪の毛にクシを入れながら射精した。
捜査をさらに撹乱させたほうがよいと思い、手紙を作成。手紙により犯人は何らかの強い恨みを抱える人間、割と歳のいった若くても中年の人間ではないかと思わせる意図があったらしい。
内容は下記の通り。不気味過ぎる。これは現実なのか、小説なのかわからなくなる。
さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇
「酒鬼薔薇聖斗」とは、小学校高学年の時に、自分が悪い自分につけた名前だと言う。
こんな名前を考え付くところから、もともと異常な性格だったのだろう。
5月27日。
自分の通う神戸市立友が丘中学校の正門に首を晒す。
口には作成した犯行声明(手紙)を加えさせた。
きちんと「酒鬼薔薇聖斗」の文字が見えるように。こだわりと呼んでいいのか…。
しかもこの光景を眺めていい気分になったらしい…。
その時の光景を「学校の正門前に首が生えているというような『ちょっと不思議な映像だな』と思って見ていたのです」と供述している。
Aはその光景を5,6分見ていた。また、この時Aは「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」という。Aはのちにその時の光景を「作品」と呼んでいる。
朝になり首は発見され、もちろん大騒ぎになった。
元少年Aは、見つかるために首を置いたわけで、慌てることなく、特に何も感じずにニュースを観ていた。しかし、同日にタンク山の胴体も見つかったと聞き、これは早すぎると驚いた。
警察が「酒鬼薔薇(さかきばら)」を酒(さけ)・鬼(おに)・薔薇(ばら)とばらばらに読み、何を意味しているのかわからないと発表したことに腹を立て、元少年Aは、神戸新聞社に手紙を送りつけた。
普通であれば足の着く行動は避けたいところ。それにも関わらず堂々と抗議し、更に、再度間違えた場合は報復をほのめかしていた。
本人も、もしかしたらこれで捕まるかもしれない…と思ったものの、後の祭りだった。
6月28日。
警察からの事情聴取、逮捕。
新聞社への抗議文で、元少年Aは容疑者に浮上する事となり、警察から事情聴取をうけることとなった。最初は犯行を否定していた。
刑事が元少年Aに犯行声明、手紙を見せ、「これが君の筆跡と一致した。」とカマをかけると、泣き崩れ自白を始めたと言う。
実は、鑑定結果は下記のようなもの。
「類似した筆跡が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否か判断することは困難である」
これでは逮捕状も取れないので警察はカマをかけたのだ。しらを切っていれば、この時は逃げ切れたかもしれなかった。
同日6月28日、19:05。
殺人、死体遺棄の容疑で少年A逮捕。
同時にこれまでの数々の通り魔事件の犯行も認めたのであった。
こんなに恐ろしい事件が起き、そして犯人が中学生だった…。信じられないと思った人は多かったようだが、少年Aを知る人間であれば、あまり驚きはしなかったようだった。
少年Aは、もともと「殺す」ことに興味があり、最初は、カエル、ナメクジ、そして猫などを殺していたのだ。
その事は、友人にも自慢げに話していたと言う。そして、猫では物足りなくなり、人間を殺してみたくなった。まるでFBIドラマのようだ。
実は、これがサイコパスを生む流れと聞く。まずは動物から。そして飽き足らず人間を殺したくなる。
なぜ少年Aが猫を何匹も殺している時に何もできなかったのだろうか…。
まとめ
人々を恐怖に陥れた「酒鬼薔薇聖斗事件」。今回は酒鬼薔薇聖斗事件の全貌と、神戸児童連続殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aとその家族について調査を行った。
ここでまとめに入りたいと思う。
- 酒鬼薔薇聖斗の本名は、東慎一郎で、2024年現在41歳である。
- 事件後は改名しており、その名前は、西岡真。
- 「酒鬼薔薇聖斗事件」では、小学生児童が三度連続して襲われ、二名が死亡、三名が重軽傷を負っている。
- 第一の事件と第二の事件で、逮捕されなかった事が元少年Aを調子付かせ、第三の犯行へと繋がっていった。
- 元少年Aは殺人をすることで快楽を得る異常な性癖の持ち主であった。
- 医療少年院、少年院で7年もの更生プログラムを経て退院している。
- 退院後は、自分が元少年Aと判明するたびに転居を繰り返し、日雇いの仕事で食いつないでいた。
- 一時定住していたのは、静岡県浜松市、東京都足立区の花畑団地。花畑団地付近では動物の死体が度々見つかっていた。
- 花畑団地で記者に直撃された際、記者にキレ、「名刺も手紙いらねえよ!命がけできてんだよな?」と叫び、執拗に追いかけたことが記事になっている。
- 元少年Aは、2015年に手記「絶歌」を被害者家族に無断で出版。初版で10万部、売り切れ。増刷決定。印税は2千万以上。
- 元少年Aが本の宣伝のためだったのか開いたホームページとメールマガジン配信は凍結されている。
- 元少年Aが結婚して子供までいるという噂はだたのデマの可能性が高い。
- 元少年Aは更生したとは言い難い。再犯が防止できているのは、自分が辛い目にあいたくないからである。
- 元少年Aは、今でも普通にどこかで暮らしている。
本当に痛ましく、忘れてはならない事件だ。二度と同じような事件が起きないよう、若い世代にも事実を伝えていく必要がある。
この事件で亡くなった士師淳君、山下彩香さん、「絶歌」の出版後すぐに亡くなった彩香さんの母、京子さんのご冥福をお祈りしながら終わりにしたいと思う。
さて、酒鬼薔薇聖斗事件で人生を狂わされて人の中に、当然加害者の家族もいる。
彼らの現在について調べてみたところ、どうやら被害者家族に対する賠償金を毎年支払っている様子が見受けられた。書籍の出版も賠償金の支払いのためだったようである。
そんな加害者家族の現在について気になる方はこちらの記事を見てほしい。
少年Aの母親にも異常な行動があったようなので、気になる方はこちらの記事を見てほしい。
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