沖雅也の死因の自殺理由は日景忠男マネージャーとの恋人関係か!涅槃で待つの遺書がヤバい!

俳優

高身長と甘いルックスで、1970年代に活躍された俳優「沖雅也」さんをご存じですか?

「必殺シリーズ」「太陽に吠えろ」「俺たちは天使だ!」などのドラマで人気を博していた沖雅也さんですが、1983年に新宿の京王プラザホテル最上階から飛び降り自殺をしてしまいます。

「おやじ、涅槃(ねはん)で待っている」と書き残した遺書は当時話題となり、おやじと呼ばれている日景忠男さんとの関係性にも注目が集まりました。

今回は沖雅也さんの自殺の謎に迫り、日景忠男さんとの関係や、本命の恋人と噂された坂口良子さんとの関係について見ていきたいと思います。

【衝撃】沖雅也が京王プラザホテルから飛び降り自殺!

着実に俳優としての地位を築いていた沖雅也さんですが、精神的に不安定な状態でもあったようです。

1981年には過密スケジュールにより、ますます体調が悪化し「躁うつ病」と診断され、精神安定剤を服用する程になっていました。

この年には実父の墓参りに行く最中に交通事故を起こしてしまったことも、精神が不安定だったことを示しいている思いますね…

また、肝臓炎の発症や薬の副作用によるむくみや肥満などから躁うつ病が悪化し、長期間の休養を余儀なくされた時期もあったようです。

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京王プラザホテルのプールの脇で綺麗な遺体発見

1983年(昭和58年)6月28日 『沖雅也、飛び降り自殺』

世間や芸能界に衝撃が走るニュースが、新聞の一面を飾ることになります。

新宿の京王プラザホテル本館の最上階である47階バルコニーから、警備員の制止を振り切って飛び降り、ビル7階の屋上(プールの脇)に落ちて即死状態であったようです。

沖さんは仕事を終え京王プラザホテルに「つかこうへい」名義でチェックインし、馴染みの風俗嬢を部屋に呼び事を済ませた後、ホテルの最上階へ上がり一服していたのですが、警備員が目を離した隙にフェンスをよじ登っていました。

気が付いた警備員が「危ない!」と声を掛けた時には、既にフェンスを乗り越える寸前で間に合わなかったみたいです。

「親父、涅槃で待つ」の遺書がホテルにあった

ホテルの備え付けのメモには遺書も残されており、そこには「おやじ、 涅槃(ねはん)で待つ」と記されていました。

「涅槃(ねはん)」とは安楽の世界を意味する仏教用語だよ。

「おやじ」とは、1975年に養子縁組した義父「日景忠男」さんの事で、遺書には迷惑をかけた京王プラザホテルへの謝罪と名前を使いチェックインしたつかこうへいさんへの謝罪、そして日景忠男さんへのメッセージでした。

ちなみに、つかこうへいさんは当時沖雅也さんと一緒に活動していた演出家です。

今・・・プラザホテル様へ大変申し分けなくおゆるし下さいませ。

つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。

人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。

若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。

人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。

老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを、離れた境地を求めることが正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。

(便箋の裏には、)おやじ 涅槃で まってる 沖雅也

自殺という選択をしてしまった沖さんも、彼を救えなかったお仲間の人達も、相当辛い毎日を過ごしていた事でしょう。

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「沖の自殺は、事故みたいなもの」と日景忠男が発言

沖さんはホテルに遺書を残し飛び降り自殺をしましたが、実際は事故だったのでは無いか?という見解があります。

これは後に日景さんの親族の人が語っているのですが、沖さんは日景さんの嫉妬深く束縛する性格が嫌で、日景さんの財布から50万円を抜き取り、京王プラザホテルに2日間滞在したそうです。

そして、報道のように風俗嬢を呼び事が済んだ後、その風俗嬢に一通の手紙を渡し日景さんに渡して欲しいと頼みます。

その手紙には『ホテルに迎えに来てほしい』と書いてあったそうで、日景さん曰く「自殺する人間が迎えに来いとは言わないだろう」という事らしいのです。

また、最上階のバルコニーの縁に座り一服していた沖さんに声を掛けた警備員曰く、「何やってんだ!と声を掛けたら、驚くような感じで振り向き、バランスを崩して落ちた」と説明したそうです。

このような話から、沖さんが精神的に病んでいたことは事実なのですが、本気で死のうとは思っていなかったのでは?と、日景さんは語っていたようです。

沖さんが亡くなられた今では、自分で「落ちた」のか「落ちてしまった」のかは確認のしようがありません。

しかし、日景さん宛の手紙にあった『ホテルに迎えに来てほしい』という記述は、その文頭に「私が死んだら」と付け加えると遺書の一部とも捉えることが出来そうですよね。

また、ホテルの遺書とは別に、沖さんの自宅にも2枚の遺書が存在していたので、やはり警察の発表の通り、自殺の可能性の方が濃厚ではないかと思います。

実は沖雅也の自宅にも遺書が存在したことが判明

どうやら京王プラザホテル以外にも、沖雅也さんの自宅に遺書が残っていたようです。

しかも自宅には2枚の遺書が残っていたというのですから驚きです。

まず1枚目の遺書

私は生きる気力を失い苦しさに負け、死を選びます。

私の死は、私自身の人間としての問題で有り、沖雅也としてでなく日景城児として、死んでいきます。

一:日景家一同様、名を汚して申しわけ有りません。許してください。

一:日景忠男殿、あなたにうけたあたたかい思いやり、身にしみて感じておりました。一五年、大変お世話になりました。楽しい日々でした。お元気で、ありがとう。

2枚目の遺書

私 沖雅也は生きていく 気力を失い自殺します。

この自殺は私個人の問題で有り、人を傷つけた私のせめてものおわびです。

死という弱い、卑怯なことでしかおわびの方法を知らない私をお許し下さい。

他人に迷惑のかからぬ様死にたかった…

日景忠男殿、あなた様のこの一五年の心苦いかばかりか察するにあまりあります。

あなた様から受けた人生道、人間道、身にしみて、心より感謝いたします。一心同体で歩いてきた道ですが 途中で投げ出す私をおゆるし下さい。

あなた様に何もしないで、何も言わないで死んでいく私を、おしかり下さい。

私のごとき男がそばにいてはあなたの人生がダメになります。

有りがとうございました…お世話になりました。

自宅にある遺書ですが、どちらも日景忠男さんへの感謝の念が込められていることが分かります。

一体なぜ?自殺理由の真相を徹底的に考察してみた

沖雅也さんの自殺した理由については様々な推測がされています。

  • 長年精神的に不安定な状態が続いており、躁うつ病で苦しんでいた為、人生が嫌になって“死”を選んだ、又は精神病特有の自殺願望。
  • 遺書にも書いてあったように、自分が老いていくことへの恐怖心があり、精神的に参っていた。

などが挙げられます。

実は沖雅也さんですが、当時あまりに仕事が忙しかったため、精神安定剤が欠かせない生活になってしまい、他にも躁うつ病や肝臓炎を発症、しまいには表向きに病死と発表され、すべての出演作を降板してテレビ俳優業を引退していたのです…

そんな沖雅也さんの遺書の最後の方に書いてあった「今の私は誤ったものの方を求めている者」というフレーズから、自殺という間違った選択肢を選んでいる事を分かりつつも、その考えを断ち切ることが出来なかった沖さんの無念も感じ取れるような気がします。

そして彼の自殺は突発的なものだったということも考えにくいですね。

なぜなら、沖雅也さんが自殺したホテルは半年も前から予約をされたものだったので、自身の終幕についてずっと前から考えていたのではないかと思ってしまいます。

実は沖雅也さんの遺体のお顔には傷一つなかったようです。

というのも、京王プラザホテルの47階(高さ178M)から飛び降りる際、後ろ向きになり背中から身を投げたからだとか…

人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。

若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。

自殺する半年前の沖雅也さんはベストの体重から10㎏太っていたようですが、その後半年間で美男子と呼ばれていた自身のベスト体重に戻したようです。

生前には、「30歳を過ぎて醜く老いるのなら死を選ぶ」とも発言していることから、老いること・美しく居続けることができないことに絶望したとも考えられます。

日景さんとの関係や恋愛問題、演技・表現での悩み、衰える美貌や老いへの恐怖など、そういった諸々の複合した精神的な悩みが彼を追い詰め、自殺という道を選ばせたのかもしれませんね。

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沖雅也の父親(養父)日景忠男マネージャーは恋人関係

実業家であり沖雅也さんの遺書で「おやじ」と呼ばれていた日景忠男さんは、沖雅也さんが役者になる前に働いていたゲイバー(売り専門店)で出会ったようです。

役者志望の青年である沖さんと出会った日景さんは、彼の夢を叶えるべく「JKプランニング」という事務所を設立、沖さんとは愛人契約を結び、公私ともに日景さんがサポートしていました。

1975年には沖さんの実父の死去に伴い、日景さんと養子縁組をし、「養子縁組=同性婚」の形をとったようです。

同性婚をしていたと言われている沖さんですが、沖さん自身は女性が好きな男性だったようで、日景さんとの関係は生活の為であったそうです。

あまりに日景さんの束縛が酷かったので、沖雅也さんが自殺する当日には、

日景さんの財布から50万円を抜き取ってホテルに向かったという話もあるのですがね。

さて、その後沖雅也さんが亡くなってからの日景忠男さんの転落ぶりは、物凄いものがありました。

沖雅也さんにかけられていた保険金3億円を受け取った後、そのお金をベットに敷き詰めて「これが沖の全てだ!」と発言したようです。

その後日景さんは、新宿2丁目に建てたゲイ喫茶「シンドバッド」の資金としてお金を使ったり、高級車や高級品・海外旅行など散財の限りを尽くし、わずか3年で使い切ってしまいました。

また、沖雅也さんが生前の時は公表していなかった、自身の性癖(いわゆる”ゲイ”)ということを公表し、美少年評論家としての活動に切り替えていきます。

沖雅也さんで満たされていた心の隙間を、別の男性を見つけることで補おうとしたのかもしれないですね…

美少年評論家としての活動を続けていた日景忠男さんですが、不況の影響で新宿2丁目に建てたゲイ喫茶「シンドバッド」が倒産してしまいます。

そして2005年、覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕、2008年には暴力団と共謀して風俗店経営者を恐喝したとして再度逮捕されてしまいました。

その後消息が途絶えた日景忠男さんですが、肝硬変によって2015年2月に亡くなっていたことが明らかになりました。

亡くなる間際には実のお姉さんが面倒を見ていたようですが、死後は葬式すらなく、本当に寂しい最後を迎えてしまったようです。

沖雅也さんが待つ涅槃で再開できたのか、ご冥福をお祈りいたします。

本命の恋人?沖雅也と坂口良子との関係をまとめてみた

1983年6月28日に「自殺」によってこの世を去った沖雅也さんですが、6月30日に密葬、1ヵ月後には事務所主催の葬儀・告別式が行われました。

葬儀には勝野洋、ロミ山田、美輪明宏、二谷英明、柴田恭兵、坂口良子、渡辺美佐子らが弔問に訪れ、柴田恭兵さんと坂口良子さんが弔辞を読まれました。

沖雅也さんと坂口良子さんは仕事で共演も多く、本命の恋人ではないか?と噂があり、葬儀に参列した坂口さんをレポーターが取り囲んだそうです。

そのような状態になることを想定した上で葬儀に参列した坂口さんは、レポーターの質問に対し「事実でないのに色々言われて、すごく沖くんが可愛そうです」と答えていました。

デビュー当時から坂口さんは、色々と沖さんに教わったそうで、お二人の関係はどちらかというと恋人というよりも兄と妹のような関係であったそうです。

希代のイケメン俳優「沖雅也」はかなりの苦労人だった

沖雅也さんは大分県別府市出身で父が石油卸売業、祖父が東京帝国大学医学部出身の医師で、病院も経営していたという裕福な家庭に生まれます。

しかし、父親の事業失敗のため大分市に転居してからは、市内を転々とする生活を送ったそうです。

中学2年生の時に両親が離婚、父方に付きますが折り合いが悪く、中学校の卒業前に10万円の全財産とバッグ一つで家出をして上京します。

  • 本名 :日景 城児(ひかげ じょうじ)
  • 出生名:楠 城児(くすのき じょうじ)
  • 生年月日 1952年6月12日
  • 没年月日 1983年6月28日(31歳没)
  • 身長:183cm

名前と年齢を偽り、様々な職を転々とした沖さんは、池袋の「げれえ」というゲイバーでバーテンダーをしていたそうです。

そして、そのお店に来ていたお客さんにスカウトされ、ゲイバーで勤務しながら、単発でファッション誌のモデルの仕事をしていました。

そんな沖雅也さんに転機が訪れたのは、16歳の頃。

ゲイバーに客として来ていたオスカープロモーション設立前の古賀誠一さんにスカウトされ、日活関係者に紹介された所、『ある少女の告白・純潔』という作品で銀幕デビュー。

翌年の1969年には「エランドール新人賞」を受賞しました。

家出からわずか2年程で役者としての頭角を現した沖雅也さんには、やはり何か光るものがあったのでしょうね!

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沖雅也が出演した主な作品を一覧でご紹介してみた!

芸名である沖雅也の「雅」は当時の日活社長の堀雅彦の一字から名付けられ、相当な期待を受けていましたが、大きな役には恵まれずにいました。

1971年に「八月の濡れた砂」という作品でようやく主役に抜擢されますが、撮影開始直後にオートバイ事故のケガで降板という不運に見舞われたそうです。

その後、「さぼてんとマシュマロ」というドラマの主演で人気を博し、アイドル的な人気で注目を浴びることになりました。

デビュー当時は中々上手く行かなかったようですが、やはり恵まれたルックスを世間は放っておかなかったみたいですね。

必殺シリーズ第2作「必殺仕事人」の棺桶の錠

1972年に沖雅也さんは、松竹に移籍し、1973年には必殺シリーズ第2作『必殺仕置人』の「棺桶の錠」役に抜擢されます。

シリーズ第6作『必殺仕置屋稼業』にもレギュラー出演した沖さんは、棺桶の錠とは全く印象の違う冷徹な殺し屋「市松」を演じました。

どちらの役も目力が凄いですね。

「太陽に吠えろハマッ子刑事の心意気」スコッチ刑事

沖さんは、1972年9月放送の『太陽にほえろ!』第10回「ハマッ子刑事の心意気」に出演。

神奈川県警浜崎署「久保刑事」として初出演を果たします。

その後、「必殺仕置屋稼業」の演技を見たプロデューサーが沖さんに注目!

城北署から七曲署に転勤した「滝隆一(スコッチ刑事)」役として出演し、爆発的な人気を得ることになりました。

第2期の「太陽に吠えろ」は、同じ時間帯に放送されていた「金八先生」の影響で、視聴率が低下していたようです。

その際には視聴者から「何とか沖を復帰させて欲しい。」と、スコッチ刑事の再登場を熱望される程の人気があったそうですから、凄いですよね(笑)

「俺たちは天使だ!」麻生雅人は沖雅也の素顔に近い

1979年に放送されたドラマ「俺たちは天使だ!」は、沖雅也さんが演じるキザだけどコミカルなキャラクターのキャプテンを中心に、柴田恭兵、多岐川裕美、神田正輝、渡辺篤史など豪華なメンバーが揃った探偵アクションコメディーで、とても人気がありました。

沖さんは本来明るい性格の方だったようで、主人公の陽気な伊達男(麻生雅人)の役がとても気に入っていたようです。

そんな人気もあって順風満帆な俳優人生を送っていた沖雅也さんが、その後に「まさか…」と思われるような事件を起こすなんて、本当に誰も考えていなかったでしょうね。

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やはり躁うつ病が原因か?沖雅也の自殺理由まとめ

裕福ですが複雑な家庭に生まれ、自分の生きる道を探し上京してきた沖雅也さん。

色々な人との出会いの中でチャンスを掴み、自身の恵まれたルックスを活かしスターへと駆け上がりましたが、精神的に不安定な状態となり、志半ばで自ら命を絶ってしまいました。

31歳という俳優として、人としてもこれからという時期に自殺を選択してしまった沖さんですが、涅槃で待っていた日景忠男さんも沖さんが亡くなられた32年後の2015年にお亡くなりになりました。

話は大きく逸れますが、1995年放送の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』の妖怪退治企画で、日景忠男さんは保健室に迷い込んだ美少年を待ち受けるボスキャラ・「妖怪ねはん」として登場し、ピンクのネグリジェ姿で松本人志さんや山崎邦正さんに襲いかかったようです。

もし、涅槃で二人が再会しているならば、沖さんに怒られているかも知れませんね。

彼のご冥福をお祈りいしたいと思います。

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