【2024年最新】美空ひばりの死因はガン?病院通いの理由は酒とタバコ!

今回調査するのは、昭和の大スター美空ひばりさんの死因についてです。

美空ひばりさんといえば数々の大ヒット曲を世に送り出しています。

どの世代の人も美空ひばりさんの曲は、一度は聞いたことがあると思います。

私も「愛燦燦」が大好きです。

昭和を代表する美空ひばりさんですが実はたくさんの病気を患っていました。

しかし亡くなる直前まで音楽と向き合い、亡くなる半年前には最後のシングルレコード「川の流れのように」を発売しています。

しかし残念ながら1989年6月24日、52歳という若さでお亡くなりになりました。。。

一時期、情報がかなり隠されていたので「がん」や「梅毒」なども噂されたようですが、それは違うようです。

美空ひばりさんの死因は指定難病「特発性間質性肺炎」による呼吸不全でしたが他にも様々な原因があるようなのです。。。

調べていくと様々な原因が見つかったので、見ていきたいと思います。

美空ひばりの死因は特発性間質性肺炎

美空ひばりさんの死因は「特発性間質性肺炎」でした。

「特発性間質性肺炎」とは様々な原因から肺胞の薄い壁である「間質」に炎症や損傷が起こり酸素と二酸化炭素がうまく交換できなくなる病気です。

「特発性間質性肺炎」の治療にはステロイドが有効とされていましたが、美空ひばりさんには他にも病気があり、それが原因で十分に治療ができなかったとも言われています。

またプライベートではかなりの酒豪で喫煙家だったことも有名です。

それではそれぞれ見ていきましょう。

肝硬変と大腿骨頭壊死が発覚

実は特発性間質性肺炎と診断されるより以前の1987年4月に公演先の福岡で倒れ市内の病院に緊急入院しています。

そして肝硬変と大腿骨頭壊死と診断されています。

美空ひばりさんの場合はどちらも大量のアルコール摂取が関係していると言われています。。。

その当時はプリン体ゼロのビールなどもなかったでしょうけど、それでもアルコールはほどほどにしないといけないですね。

まずは肝硬変について見ていきたいと思います。

  • 肝硬変

肝硬変とは、その名の通り「肝臓が硬くなって変化する」と言われています。

肝臓は再生機能が高いので、半分以上を切除しても元通りになりますが、肝硬変まで進行すると、治療がかなり難しくなります。

美空ひばりさんはかなり我慢強い性格だったそうなので、倒れるぐらいの痛みが出るまで我慢していたのかもしれません。。。

実は肝硬変を患っていたために、特発性間質性肺炎の治療に有効なステロイドが使用できなかったと言われています。

病院に行く暇もないぐらい、トップスターとして走り続けていたと思うのですが、もっと発見が早かったらと思ってしまいますよね。

  • 大腿骨頭壊死

大腿骨頭壊死は血液のめぐりが悪くなり大腿骨に血が通わなくなり、骨が壊死して潰れる病気です。

美空ひばりさんは大腿骨頭壊死と診断される2年程前から、腰に違和感を感じていたそうですがそのまま日常を送っていました。

そして足腰に激痛が走り1人では段差を登りきれず、付き人の手を借りなければならないぐらい進行していました。

直接命に関わる病気じゃなかったために余計に無理をしてしまったのかもしれませんね。。。

マスコミは「復活は絶望的」と騒いでいたようですが、美空ひばりさんは「もぅ一度歌いたい」という信念を持って回復にとても意欲的でした。

そしてファンに対してもメッセージを送っています。

「私自身の命ですから、私の中にひとつでも悩みを引きずって歩んでいくわけには参りませんので、後悔のないように、完璧に人生のこの道を歩みたいと願っているこの頃です。」

もしかしたらこのメッセージは、美空ひばりさんはもぅ余命が長くないとわかっていたのかもしれないですよね。

そして約3ヶ月半の療養を経て無事に退院しましたが、完全に完治したわけではありませんでした。

肝機能の回復は60%程度で、足腰の痛みもほとんど治っていませんでした。

ですが、無理を押して退院をしており、病院に駆けつけた多くのファンの前で投げキッスをして元気な姿を披露しました。

美空ひばりさんは治療よりも歌手として最期まで歌い続けることを選んだんでしょうね。

酒とタバコをやめれなかった理由

美空ひばりさんはかなりの量のアルコールを摂取していたり、タバコも吸っていたのですが、単に「好きだから」という理由だけではなさそうなんです。

実は1980年以降に家族の不幸が次々と起こったのです。

  • 1981年 実母の喜美枝 死去
  • 1983年 実弟の加藤哲也 死去
  • 1986年 実弟の香山武彦 死去

2年ごとに家族が亡くなり、さらにトップスターである美空ひばりさんは誰にも弱みを見せることができなかったと思うと、お酒とタバコに走る気持ちも分かりますよね。

美空ひばりさんは実母の喜美枝さんと二人三脚で芸能界での道を切り開いてきたため、その姿から「一卵性親子」とも呼ばれていました。

まさしく「トップスター美空ひばり」を育て上げたのは喜美枝さんでした。

喜美枝さんは自分自身も歌手を夢見ていたので、その思いを長女の美空ひばりに託していました。

そして美空ひばりさんは喜美枝さんが亡くなるときに「あなたが美空ひばりなのよ。」と声をかけたそうです。

それだけ喜美枝さんに感謝をしていたし、本当に2人で駆け上がってきたんだなと思いますよね。

美空ひばりさんは最愛の母の死を悲しむあまり、火葬場で母の棺が入るかまどの中に号泣しながら一緒に入ろうとしたそうです。。。

共に歩んできた喜美枝さんが亡くなることは、美空ひばりさんにはとても耐え難い現実だったんでしょうね。

そして美空ひばりさんの兄弟も同時期に次々と亡くなられてしまいます。

美空ひばりさんには2人の弟がいました。

2人とも芸能界デビューをしていますが、どちらも美空ひばりさんのようには上手くいかなかったそうです。

加藤哲也さんは、山口組系暴力団員でした。

「小野透」という芸名でデビューし、主演の映画まで制作されていましたが、映画会社が解散してしまい、そのまま引退しています。

引退後は賭博、拳銃不法所持、傷害、暴行などで複数回逮捕されています。

それでも美空ひばりさんと母親の喜美枝さんは加藤哲也さんを信じて守り続けていました。

そしてひばりプロダクションの社長に就任したのですが、その2年後の1983年、心不全で42歳という若さでこの世を去ります。

もぅ1人の弟、香山武彦さんは俳優や歌手として芸能界で活躍していました。

引退後は飲食店を経営されています。

そして、なんと長男の加藤哲也さんと同じ死因、同じ年齢(心不全•42歳)で亡くなられているのです。

家族思いだった美空ひばりさんに、辛すぎる不幸が次々と起こってしまったんですね。。。

また同じ時期に父親代わりだった、山口組の3代目組長の岡田一雄さんも亡くなれています。

そして親友の江利チエミさんも失うことになってしまいます。

美空ひばりさんの家族、親友を一度にたくさん失ってしまった辛さは計り知れませんね。

そんな辛い状況の中、唯一の光だったのが加藤哲也さんの実子の加藤和也さんでした。

美空ひばりさんは、実子のように幼少期から可愛がっており、7歳の時には養子縁組をしています。

父や叔父が亡くなり反抗してグレた時期もあったそうですが、16歳のときにひばりプロダクションの副社長に就任し、翌年社長に昇格しています。

そして美空ひばりさん亡き後も、ずっとトップスターの栄光を語り継いでいる存在となっています。

いくら心の拠り所だったとは言え、まだ当時子供だった和也さんに弱いところなんて見せれないですよね。。。

そういった原因が重なって、寂しさを紛らわす為にお酒とタバコがやめられなかったのかもしれないですね。

玄米とセンナ茶だけの偏った食事

実は「酒とタバコ」以外にも、間違った治療法によって病状が悪化した可能性がありました。

韓国系アメリカ人の医師であるハワード•ヤング氏の独自療法を勧められて、美空ひばりさんは、「玄米のおにぎりとセンナ茶」だけの食事を摂るようになりました。

玄米もセンナ茶も両方ともに便秘に効果がありお通じが良くなると言われています。

この独自療法を行っていたハワード•ヤングさんは、1990年代には約600名の顧客がいたそうです。

その中には各職業の社長さんや、芸能有名人もたくさん顧客としていたそうです。

そして芳村真理さんが中村メイさんを通じて、「体のためにいい先生がいるので、ひばりさんに紹介したい」という連絡があったそうです。

それぞれは健康に悪くないのですが、病気を患っている美空ひばりさんに偏った食事をお勧めするのは、おかしいですよね。

今だったらSNSも進んでいて、自分で調べたりすることが出来るんですが、まだ昭和の時代だと調べる術もなく、ただ信じることしかできなかったのかもしれませんね。

命を削り歌い続けた美空ひばりの最期

美空ひばりさんは1987年に退院した翌年の1988年に命がけで復活コンサート「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!!新しき空に向かって」を開催しています。

元気な姿をファンに見せるために、全39曲を歌いきりました。

誰もが完全復活を疑わなかったのですが、その裏では控室に簡易ベッドや酸素ボンベが置かれ、医師が控えていました。

美空ひばりさんは会いにきてくれたファン全員に自分の姿を見てほしいという思いから「100m花道フィナーレ」を腰の痛みを感じさせることなく歩ききります。

その姿はまさに不死鳥のようで、伝説のコンサートとして現在も語り継がれています。

歌手生活をあきらめ、療養に専念していれば、もっと生きられたかもしれません。

しかし美空ひばりさんは命を削ってでも「トップスター」であり続けることを選んだのかもしれませんね。

そして容体は悪化する一方で1989年には再入院することになります。

美空ひばりさんは52歳の誕生日を和也さんと病室で迎えていました。

しかしその2週間後に人工呼吸器が装着されることになり「このまま…死ぬんじゃないの?悔しい…」涙交じりに呟いていたそうです。

死期が近づいていることを悟ったのか、最期は「ごめんね」「ありがとう」を息子の和也さんに繰り返し伝えていたそうです。

もちろん親なら子供よりは先に旅立ちたいと思いますが、早すぎる死を受け入れるのは、辛すぎますよね。。。

そして和也さんが病室を出た直後に警告音が鳴り響きます。

複数の医師がAEDを使った心肺蘇生を繰り返していましたが、最後は和也さんが「もぅ、いいです」と声をかけ死亡を確認したそうです。

そして美空ひばりさんの葬儀が行われ、弔問客は4万2千人も訪れていました。

これは当時の史上最高人数と記録されています。

それだけ多くの国民が美空ひばりさんを愛していたということですよね。

亡くなられてから30年以上経ちますが、トップスターであり続けた美空ひばりさんの曲は今でもみんなに愛されています。

まとめ

今回は美空ひばりさんの死因について調べていきました。

数々の病気を患いながらも、歌手として生き抜いた美空ひばりさんをとてもカッコよく思いました。

そして今でも多くの人に愛されており、2024年現在でもひばりさんの生誕祭が行われています。

もちろん息子の和也さんのおかげもあると思いますが、美空ひばりさんはたくさんの人を魅了していました。

私も美空ひばりの曲を改めて聞いてみたいと思います。

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