1980年代から90年代にかけて女優・タレントとして活躍した可愛かずみさん。彼女の名前で検索すると必ず出てくるのが、元プロ野球選手・川崎憲次郎さんとの関係ですよね。
2人は1995年に交際が報じられましたが、わずか約1年で破局。その後、可愛かずみさんは川崎さんが住んでいたマンションから飛び降りて、32歳の若さでこの世を去っています。
亡くなった本当の理由は何だったのか。遺書の内容、婚約者の存在、そして川崎憲次郎さんの現在――気になるポイントが多い話題です。
可愛かずみと川崎憲次郎の交際と破局の全経緯
- 可愛かずみさんは1995年にヤクルトの川崎憲次郎さんと交際開始、約1年で破局
- 破局理由は川崎さん側からの「怪我の治療に専念する」という申し出
- 1997年5月9日、川崎さんが住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り、32歳で死亡
- 自殺の原因は破局だけでなく、精神安定剤への依存や芸能界のストレスなど複合的
- 父親宛ての遺書には親友・川上麻衣子さんへの感謝の言葉が綴られていた
| 名前 | 可愛かずみ(本名:久我知子) |
|---|---|
| 生年月日 | 1964年7月9日 |
| 没年月日 | 1997年5月9日(32歳没) |
| 出身地 | 東京都杉並区高円寺 |
| 職業 | 女優・タレント・歌手 |
| 代表作 | ヘッドフォン・ララバイ、オレたちひょうきん族 |
可愛かずみさんは幼い頃に両親が離婚し、父親のもとで育ちました。父親の仕事の都合で何度も転校を繰り返し、仲良くなった友達とすぐに離れなければならない幼少期を過ごしています。
芸能界入りのきっかけは、高校3年生のときにスカウトされてモデルクラブに所属したこと。わずか1週間後に渡辺護監督の目にとまり、映画デビューを果たしました。
女優・タレント・歌手として多方面で活躍
1983年に映画「ヘッドフォン・ララバイ」で一躍有名になった可愛かずみさん。同時期には歌手活動もしており、シングルを4枚リリースする多才ぶりでした。
その後はバラエティタレントとしても活躍し、「オレたちひょうきん族」や「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」といった人気番組に出演。演技・歌・バラエティをこなす万能タイプの美人タレントとして人気を集めました。
芸能界では香坂みゆきさん、川上麻衣子さん、森尾由美さん、志村けんさんらと親交が深く、なかでも川上麻衣子さんとは親友同然の間柄だったと言われています。
川崎憲次郎との交際のきっかけと経緯
| 名前 | 川崎憲次郎(かわさき けんじろう) |
|---|---|
| 生年月日 | 1971年1月8日 |
| 出身地 | 大分県佐伯市 |
| 職業 | 元プロ野球選手(投手)・野球解説者 |
| 所属球団 | ヤクルトスワローズ→中日ドラゴンズ |
| 主な実績 | 1998年最多勝・沢村賞受賞 |
川崎憲次郎さんは1988年のドラフトでヤクルトから1位指名を受けた、球界屈指の右腕です。対巨人戦の通算29勝から「巨人キラー」の異名を持ち、1998年には最多勝と沢村賞をダブル受賞しています。
2人の交際が報じられたのは1995年のこと。川崎さんは学生時代から可愛かずみさんの大ファンだったとされ、川崎さん側からアプローチしたと見られています。
可愛かずみさんの方が6歳年上でしたが、交際は順調に進みました。マスコミの取材にも2人揃って応じており、世間からは結婚間近と見られていたほどです。
交際を重ねるうち、可愛かずみさんは「早く結婚して家庭を持ちたい」と強く望むようになったと言われています。
「怪我の治療に専念する」という破局の理由
しかし当時の川崎さんは、プロ野球選手として故障に苦しんでいた時期でした。成績の低迷と怪我が重なり、最終的には川崎さんの方から「怪我の治療に専念する」という理由で別れを切り出したそうです。
結婚を強く望んでいた可愛かずみさんの想いに、川崎さんが応えられなかったことが破局の本質だったとも言われています。交際期間はおよそ1年でした。
なお、破局後の川崎憲次郎さんは1997年11月に元女優で東レキャンペーンガールだった堀恵子さんと結婚しています。可愛かずみさんとの破局からわずか1年余りでの出来事でした。
可愛かずみの死因と1997年5月9日の真相
可愛かずみさんが亡くなった理由は、川崎憲次郎さんとの破局だけではありませんでした。当時の彼女を取り巻く状況は、想像以上に過酷だったようです。
破局後に重なった複数のストレス
もともと仕事のストレスは抱えていたものの、川崎さんとの交際中はそれが緩和されていたようです。しかし破局によって心の支えを失い、精神状態は急速に悪化していきました。
破局直後には志村けんさんとのツーショット写真がマスコミに報じられ、「乗り換えた」と書き立てられたことも追い打ちをかけています。
さらに、あるドラマ出演がきっかけで大物女優から厳しい言葉を浴びせられたとも言われています。この大物女優が誰なのかは明らかになっていません。
ネット上では特定の女優の名前が挙がっていますが、本人からの公式な発言や信頼できるメディアの報道はなく、あくまで憶測の域を出ていません。
こうしたストレスが重なるなか、可愛かずみさんは精神安定剤の服用量が増えていきました。薬を飲んだ日は記憶がなくなるほど強い薬を常用しており、深刻な依存状態に陥っていたとされています。
親友の川上麻衣子さんは心配して同じマンションに引っ越し、そばで支えようとしました。しかし依存状態があまりに深刻で手に負えず、やむなく別のマンションに越していったようです。
1996年12月・1997年1月・1997年5月と、3度にわたるリストカットによる自殺未遂を繰り返しており、極めて危険な精神状態でした。
1997年5月9日に起きた悲劇
1997年5月9日、その日の午前中にも3度目のリストカットをして病院に搬送された可愛かずみさん。手当てを受けた後に食事のドリアを完食したため、周囲はひとまず安心していたそうです。
しかし午後6時半頃、留守番をしていた女性に「咳が出るから病院へ行く」と告げて外出。午後7時10分頃、川崎憲次郎さんが住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降りました。
午後7時14分頃に「マンションの前に人が倒れている」と119番通報があり、駆けつけた時にはすでに心肺停止状態。搬送先の病院で午後7時59分に死亡が確認されました。32歳でした。
当初は他殺の可能性も調査されましたが、マンションの前に揃えて置かれた靴と10万円入りの財布が見つかったことから自殺と断定されています。
翌日の記者会見で川崎憲次郎さんは、「なぜこの場所を選んだのか」という問いに「分かりません」と答えるのみでした。
ちなみに、この年のプロ野球オールスターゲームでは川崎さんがファン投票1位に選ばれるという騒動もありましたが、本人が出場を辞退して収まっています。
なぜ川崎憲次郎のマンションを選んだのか
可愛かずみさんがわざわざ川崎さんのマンションを最後の場所に選んだ理由については、さまざまな見方があります。「当てつけだったのでは」という声もありますが、彼女をよく知る人たちはその見方を否定しています。
生前の可愛かずみさんは、周囲から深く愛されていた人物でした。告別式には大勢の人が駆けつけており、人望の厚さがうかがえます。
川崎さんと過ごしたあのマンションこそ、彼女にとって最も幸せだった場所だったのかもしれません。限界を迎えたときにふと幸せな記憶の残る場所へ向かい、そこで衝動的に命を絶ってしまったのではないかという見方が有力です。
親友の川上麻衣子さんは「自殺の原因はひとつではなく、複数のものが重なった結果ではないか」と語っています。仕事のストレス、破局のショック、マスコミの報道、薬物依存、そして後述する婚約者とのトラブルなど、さまざまな要因が重なっていました。
なお、さんまさんとの破局が原因という声もネット上にはありますが、「オレたちひょうきん族」での共演歴があるだけで交際の事実はなく、根拠のない噂です。
父親への遺書と親友・川上麻衣子への想い
可愛かずみさんが亡くなった当初、遺書の存在は報じられていませんでした。ところが死後17年が経った2014年、父親の久我竹三郎さん宛てに遺書が残されていたことが判明します。
久我竹三郎さんは2014年放送の「爆報THEフライデー」(TBS系)に出演し、番組内で川上麻衣子さんと久々に対面。「初めて言うんですが、実は私宛のメモ(遺書)があったんです」と打ち明けました。
遺書には「体調と気分が良いので、パパにメモを残します」という書き出しがあり、そのほとんどが親友・川上麻衣子さんへの感謝の言葉で埋め尽くされていたそうです。
「麻衣ちゃんがいてくれたおかげで楽しかった」「麻衣ちゃんと話してるだけで楽しかった」という言葉が並び、最後には「パパ、麻衣ちゃんをよろしくね。」と記されていたといいます。
川上麻衣子さんは、可愛かずみさんが亡くなる前日に「麻衣ちゃん元気?忙しいの?」と留守番電話を残していたことも明かしています。
帰宅時に疲れていて留守電を聞かなかったそうで、あの時電話に出ていたら止められたかもしれないと、長年にわたり苦しんでいたとのことです。
このエピソードを経て、川上麻衣子さんは「かずみちゃんの思いを背負って生きるしかない」と前を向くことができるようになったと語っています。
婚約者の存在と川崎憲次郎の現在
可愛かずみさんの悲劇には、もうひとつ意外な事実がありました。亡くなる直前の彼女には別の婚約者がおり、結婚を間近に控えていたのです。
結婚直前だった婚約者の存在
可愛かずみさんの婚約者は、外車販売店を経営する青年実業家の國保尊弘さんという方でした。7月7日の七夕に挙式予定で、自殺した翌日には婚約の正式発表を控えていたとも報じられています。
2ヶ月後には入籍と結婚パーティーの予定だったとのこと。まさにこれからという時に起きた悲劇でした。
一部では、婚約者との関係にも悩みを抱えていたという話もあります。ただしこれについても信頼できるソースでの確認は取れておらず、真相は不明のままです。
川崎憲次郎の現在の生活
川崎憲次郎さんは1997年11月に元女優の堀恵子さんと結婚し、翌1998年4月には長女の琴之さんが誕生しています。琴之さんは現在モデルとして活動しており、父との仲睦まじいエピソードがメディアで話題になることもあります。
プロ野球選手としては1998年にセ・リーグ最多勝と沢村賞をダブル受賞する輝かしい実績を残し、2001年に中日へ移籍。故障に苦しみ2004年に現役を引退しました。
引退後は千葉ロッテマリーンズのコーチなどを経て、現在は野球解説者として活動しながら、地元・大分県佐伯市で釣り番組のレギュラーを務めるなど多方面で活躍中です。
SNSでは「川崎漁業組合組合長」「かぼす特命大使」を名乗り、地元愛を発信し続けています。2026年で55歳を迎え、家族とともに穏やかな日々を送っているようですね。



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