数多くのスターを輩出し、長年にわたり日本のエンターテインメント界を牽引してきた旧ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)。
歴代のグループから現在に至るまで、デビューしたグループは約30組にも及びます。
2023年の社名変更や新体制への移行を経て、それぞれのタレントが新たな場所で輝き続けている2025年現在。 そこで今回は、STARTO ENTERTAINMENT所属の現役グループから、独立して活躍するレジェンドたちまで、総勢30組以上の「幼少期」にスポットを当ててご紹介します!
それぞれのメンバーの天使すぎる幼少期の写真や、当時の意外なエピソードはファン必見です。
【ランキング】幼少期が「天使すぎる」メンバーBEST5
まずは、数あるエピソードの中から編集部が独断で選んだ「幼少期が天使すぎる」メンバーをランキング形式でご紹介!
- 第1位:佐藤勝利(timelesz) … 「女の子として育てられた」ほどの美貌は必見!
- 第2位:京本大我(SixTONES) … あまりの可愛さにいつも女の子に間違えられていた!?
- 第3位:山田涼介(Hey! Say! JUMP) … 幼少期から既に完成された「自発光」アイドル。
- 第4位:大西流星(なにわ男子) … クリクリの瞳は当時から健在!
- 第5位:松岡昌宏(TOKIO) … 実は赤ちゃんの頃から目がパッチリで超キュート。
気になるメンバーのエピソードは、それぞれのグループ紹介をチェックしてみてくださいね!
SMAP

まず一組目は、国民的スターSMAPのメンバーです。
ドラマ、バラエティ、音楽と全てのジャンルで頂点を極め、2016年12月31日に惜しまれつつグループ活動を終了しました。
現在は、木村拓哉さんはSTARTO社で、中居正広さんは独立、稲垣吾郎さん・草彅剛さん・香取慎吾さんは「新しい地図」として、それぞれの場所で第一線を走り続けています。
そんな伝説の5人は、どんな幼少期を過ごしていたのでしょうか。
稲垣吾郎

まずは稲垣吾郎さんの幼少期について紹介していきます。
稲垣吾郎さんは1973年生まれ。赤ちゃんの時の貴重な写真はこちら!

どことなく面影があるような・・・?
髪型の雰囲気は、現在の稲垣さんのスタイルに通じるものがあるかもしれませんね(笑)。
子どもの頃は意外にも野球少年で、ヤクルトスワローズの大ファン。芸能界に入るまではファンクラブに入り、何度も神宮球場へ足を運んでいたそうです。
そんな稲垣さんですが、小学生の頃は目立たないタイプで、モテたことがないという意外なエピソードも。


当時、学年にもう一人「稲垣」という苗字の子がおり、稲垣吾郎さんのデビューが決まった時には、みんなもう一人の「稲垣くん」の方だと思ったのだとか・・・。
後に国民的スターとなる稲垣さんのデビューに、当時の同級生たちはさぞ驚いたに違いありません(笑)。
香取慎吾

続いては香取慎吾さんの幼少期です。
1977年生まれの香取さん、赤ちゃんの頃の写真を発見しました!

可愛い・・・!でもまだ現在の香取さんの面影は薄いかもしれません。
そんな香取さんの幼少期は、かなりのやんちゃ坊主。近所の野山を走り回り、お腹がすいたらザリガニを獲って食べていたというワイルドな逸話も(笑)。


周りの子がサッカーをして遊んでいる中、ひたすら虫を追いかけるような好奇心旺盛な少年だったそうです。
そのあふれる好奇心と自由な感性は、現在のアーティストとしての香取慎吾さんに繋がっているのかもしれませんね。
木村拓哉

続いては木村拓哉さん。「日本一のイケメン」として時代を築いた木村さんですが、幼少期の頃からやはりイケメンだったのでしょうか・・・。


こちらが幼少期の木村拓哉さん。既に面影がありますよね!
クールな印象のある木村さんですが、幼少期は「トム・ソーヤーの冒険」が大好きで、「トムがやることは全部やっておくべきだ」と考えるわんぱくな少年だったそうです。
そして、小学生時代の写真がこちら。

もう完全に木村拓哉さん!本当に小学生かと思ってしまうほど顔が整っています。
ちなみに木村さんの幼少期の夢は、動物園の飼育員になることでした。
もし実現していたら、動物ではなく飼育員の木村さん目当てでお客さんが殺到していたことでしょう(笑)。
草彅剛

続いては草彅剛さんの幼少期です。
幼い頃の写真はこちら!


小さい頃はとても人見知りな性格だったという草彅さん。
そんな彼が2歳の時に、まさかの悲劇が・・・。
なんとアパートの20段もある階段から転落してしまったのです。幸い大けがには至らず無事でしたが、当時はご両親も肝を冷やしたことでしょう。
そして、小学生時代の写真がこちら。

ここまでくると、優しそうな草彅さんの面影がはっきりと見えますね。
人見知りだった性格も、小学生の頃にはわんぱくで活発な少年へと変化。
器械体操に真剣に取り組み、本気でオリンピックを目指していたというエピソードは、身体能力の高い草彅さんならではです。
中居正広

SMAP最後のメンバーはリーダー、中居正広さん。
気になる幼少期の写真はこちら!

まるで女の子みたいに可愛いですよね・・・。
三人兄弟の末っ子として生まれた中居さん。「男の子が2人続いたから3人目は・・・」という期待もあったのか、ご両親は中居さんを女の子のように育て、フリフリの帽子やスカートを履かせていたそうです(笑)。
幼少期は経済的に決して裕福ではなく、お風呂は週2回。ご飯に水をかけただけの「水ご飯」や「ワサビご飯」を食べていたという貧乏エピソードも有名です。

大の野球好きとして知られる中居さんですが、野球に目覚めたのは小学生の時。
週末にはユニフォームを着て練習に向かう姿が近所でも目撃されていました。
そんな中居さんが中学2年生の頃にジャニーズ事務所へ履歴書を送った理由は、なんと「芸能人に会いたかったから」。 その動機から国民的スターへと駆け上がったのですから、人生は何が起こるかわかりませんね。
TOKIO

次に紹介するのはTOKIOのメンバーです。
バンドスタイルと「ザ!鉄腕!DASH!!」で見せるたくましい姿で「農業アイドル」とも呼ばれ愛され続けてきたTOKIO。
2021年に長瀬智也さんが新たな道へ進むため退所。 現在は国分太一さん、城島茂さん、松岡昌宏さんの3人が、STARTO社の関連会社として設立した「株式会社TOKIO」で、社長・副社長として会社経営もしながら活動を続けています。
そんなTOKIOメンバーの幼少期はどのような子どもだったのでしょうか。
国分太一

1人目は国分太一さん。
幼少期の写真はこちらです。

男の子というより、女の子に見えるほど愛らしいですね!
1974年生まれの国分さん。団地住まいだった幼少期を経て、20歳の時には老朽化した団地から引っ越すために両親へ家をプレゼントしたという親孝行なエピソードも。
そして、SNSなどでも話題になったこちらの写真。

一時期、国分さんのTwitter(現X)アイコンにもなっていた写真なので、見覚えのある方も多いはず!
14歳で事務所に入った国分さんは、仕事が忙しくなり高校進学を迷っていた時期がありました。

お父様からは「高校に行かないなら家を出ていけ」と厳しく言われ、一度は家族仲がこじれたことも。 しかし現在は、国分さんの舞台をお父様が観に来るなど、関係はとても良好なようです。
城島茂

お次はTOKIOのリーダーであり、株式会社TOKIOの社長でもある城島茂さん。
気になる幼少期の写真はこちら!

残念ながら赤ちゃんの頃の写真は見つかりませんでしたが、こちらは小〜中学生時代の写真です。
実は、城島さんの幼少期はとても壮絶なものでした。
小学3年生の時にご両親が離婚(※元記事の記述を修正し事実に即してマイルドに表現)、それ以来お母様が女手一つで城島さんを育てました。

生活は苦しく、転居を繰り返す日々に城島さんは一時引きこもりがちになってしまったことも。
そんな城島さんを救ったのが、テレビで見た少年隊の「仮面舞踏会」でした。
キラキラと輝く少年隊に勇気づけられ、芸能界入りを決意。見事、憧れの事務所への入所を果たします。

髪のボリュームがすごいですが(笑)、とても初々しい城島さん。 後にTOKIOのリーダー、そして社長としてこれほど愛される存在になるとは、当時は想像もつかなかったかもしれません。
松岡昌宏

TOKIO最後のメンバーは松岡昌宏さん。
松岡さんの幼少期写真はこちら!


お目目がクリックリ! この目力の強さは、赤ちゃんの頃から健在だったんですね(ランキング5位入りの理由です!)。
松岡さんが小学5年生の時にご両親が離婚し、お母様と二人三脚の生活が始まりました。

当時小学生だった松岡さんは、忙しいお母様を手伝うために料理をスタート。
自分とお母様のお弁当を毎朝作っていたというエピソードは、今の料理上手な松岡さんに繋がっています。
なんて親孝行な息子さんなんでしょう(笑)。 そんな松岡さんは中学生時代、光GENJIに憧れて事務所の門を叩くことになります。
V6

続いて紹介するのは、V6のメンバーです。
伝説の番組「学校へ行こう!」などで国民的な人気を博したV6 。
2021年11月1日、デビュー26周年の記念日に惜しまれつつ解散しました 。
現在は、坂本昌行さん・長野博さん・井ノ原快彦さんが「20th Century(トニセン)」としてSTARTO社で活動を継続。 一方、三宅健さんはTOBEへ移籍、岡田准一さんと森田剛さんは独立し、それぞれの道で表現者として活躍しています。
そんな個性豊かな6人の幼少期を振り返ってみましょう。
井ノ原快彦

まずは、トニセンのメンバーであり、タレント・司会者としても活躍する井ノ原快彦さん。
幼少期の写真は・・・。


1枚目の写真は、笑顔がすでに井ノ原さんそのもの! 面影がバッチリありますね 。
2枚目の写真で背負っているのはお姉さんのランドセルかもしれません 。
温厚なイメージのある井ノ原さんですが、小学生時代はかなりやんちゃで、よくケンカをしていたという意外な過去も 。
さらに運動神経も抜群。小学2年生の時に習っていた空手では全国3位という輝かしい成績を残しています 。


運動神経は抜群でも勉強は苦手だったそうで、夏休みの宿題をしっかりやったことがないと話しています(笑) 。
そんな井ノ原さんは学生時代、なんと「目立ちたかったから」という理由で学級委員を務めたことも 。
ユーモラスで明るい人柄は昔から変わらないようですね。小学校時代の同級生も、井ノ原さんのことを「俺の誇り」だと語っていたそうです 。
岡田准一

続いては、日本を代表するアクション俳優として独立後も活躍する岡田准一さんです。
岡田さんはどのような子どもだったのでしょうか・・・。

可愛いけれど、目力がすごい・・・!
赤ちゃんの頃から目が大きく、将来の大物感を漂わせています(笑) 。
実は岡田さん、3歳になるまで全く言葉をしゃべらなかったそうです 。 とても無口で、何かあれば目で訴えていたのだとか 。

心配したご両親が病院に連れて行くと、先生からは「しゃべらないのも個性だ」と言われたそうです 。
そして3歳になってようやく発した言葉は、なんと「それは違うよ」 。最初の一言が哲学的すぎます(笑)。
さらに、2歳の時には車のおもちゃに乗って2駅隣まで行ってしまったという伝説も 。


3歳で補助輪なしの自転車に乗っていたというエピソードもあり、並外れた身体能力は幼い頃からだったようですね 。
坂本昌行

続いては、トニセンのリーダーであり、ミュージカル界のスターでもある坂本昌行さん。
幼少期の写真はこちら!


下の写真はどことなく現在の面影がありますよね 。
三人兄弟の末っ子として生まれた坂本さんは、小さい頃はお母さんやおばあちゃんにべったりの、甘えん坊で泣き虫な子どもだったそうです 。
ご実家が八百屋を営んでいるのはファンの間では有名なお話 。

実はお父様のお名前は「ともじ」さん、お兄さん二人は「ともなり」さんと「ともかず」さん 。
なぜか坂本さんだけ「とも」がつかない「昌行(まさゆき)」なのです 。

幼い頃の坂本さんはそれを気にして、「自分だけ拾われてきた子なのでは・・・」と不安で親に聞けなかった時期もあったそうですよ(笑) 。
長野博

続いて4人目は、トニセンのメンバーであり食通としても知られる長野博さん。
幼少期の写真はこちらです。

長野さんも3人兄弟の末っ子 。
ご実家が自転車屋さんを営んでいたことは有名ですね 。 ご両親が夜遅くまで働いていたため、幼少期から夜ごはんは22時くらいに食べていたというエピソードも 。

小学校に入るまでは引っ込み思案だったそうですが、小学生になってからは活発な少年に変身 。
ボーイスカウトに入ったり、学級委員を務めたりと大活躍だったようです 。
実家の影響か、自転車レースに出場したこともあったそうですよ 。
三宅健

続いては、現在はTOBE所属のアーティストとして活動する三宅健さん。
いつまでも若々しい「奇跡のアイドル」、三宅さんの幼少期は・・・。

幼少期から、一目で三宅さんだと分かるほど完成されています!
いつも明るい笑顔の三宅さんですが、幼い時に父親を事故で亡くし、お母様が女手一つで家族を支えるという大変な時期がありました 。
ジャニーズ事務所に履歴書を送ったのも、少しでも生活の足しになればという家族への想いからだったのです 。

そんな三宅さんは、実は自分の声にコンプレックスを抱えていたそうです 。
小学生の頃、家で歌っていたらお母様に「絶対に外で歌わない方がいい」と言われてしまい、音楽が苦手になってしまったのだとか・・・ 。
しかしその数年後、三宅さんは国民的アイドルとなり、その特徴的な声は多くの人に愛される武器となりました 。
森田剛

V6最後のメンバーは、現在は俳優として実力派の地位を確立している森田剛さん!
ダンディな魅力あふれる森田さんの幼少期写真は・・・。


女の子に見えるほど可愛い!
実はお母様は、17歳の時に森田さんを出産されています 。
「剛(ごう)」という名前は、お母様が当時郷ひろみさんの大ファンだったことから名付けられたそうです 。

幼い時から運動神経抜群だった森田さん 。
小学生の時にはサッカー部と卓球部を掛け持ちし、特にサッカーはプロを目指すほど真剣に取り組んでいたそうです 。
KinKi Kids

お次に紹介するのは、伝説のデュオKinKi Kidsのおふたり!
事務所初のデュオ、初の関西出身デビューとして注目を集めました 。
デビューシングルから「KANZAI BOYA」までの42作連続オリコン1位記録はギネスにも登録されています 。
2024年3月に堂本剛さんが事務所を退所し独立しましたが、堂本光一さんはSTARTO社に残り、事務所の枠を超えて「KinKi Kids」としての活動を継続するという、前例のない新しい形を見せてくれています。
そんなおふたりの幼少期とは・・・。
堂本光一

まずは、STARTO社に所属し、舞台「Endless SHOCK」などで記録を打ち立て続ける堂本光一さん。
永遠の王子様、光一さんの幼少期の姿は・・・。


とても可愛いですね! 笑った顔には、現在の面影を感じることができます 。
幼い頃の光一さんは、なんとゴミ収集車が大好き。ゴミ収集車の後ろに掴まって乗る作業員さんがヒーローに見えたそうで、見かけるとテンションが上がっていたのだとか 。

さらに、クリスマスに「コーラを買ってほしい」とお母様にお願いしたエピソードも 。
その理由は、自分が飲むためではなくサンタさんに飲んでもらうため 。

サンタさんに宛てて「ぼくの大好きなコーラを飲んでください」と手紙を書いたという、優しすぎるエピソードが残っています 。
堂本剛

続いては、現在はシンガーソングライターとして独自の表現を追求する堂本剛さん。
幼少期の写真は・・・。


2枚目の写真は、一目で剛さんだと分かるほど面影がありますね!
堂本剛さんは4月10日生まれですが、本来は前日の9日に生まれる予定でした 。
しかし、「4と9(苦)が並ぶのは縁起が悪い」と思ったお母様が、なんとか頑張って出産を1日遅らせたそうです 。

小学生時代の夢はプロバスケットボール選手 。
一方で、実は小学生の頃から大阪の児童劇団に所属し、子役として活動していました 。
当時は「堂本直宏(なおひろ)」という芸名(お姉さんの初恋の人の名前!)で活動していた時期もあったそうですよ 。
嵐(株式会社嵐)

続いて幼少期を紹介するのは、国民的グループ嵐のみなさん!
1999年のデビュー以来、日本のエンタメ界のトップを走り続け、2020年12月31日をもってグループとしての活動を休止しました。
しかし、時計の針は止まっていません。 2024年4月には、メンバー5人で新会社「株式会社嵐」を設立したことを発表。「未来を描くための準備」として、5人の絆が続いていくことを示してくれました。
現在は、二宮和也さんと松本潤さんは独立、相葉雅紀さんと櫻井翔さんはSTARTO社と契約、大野智さんは活動休止中と、それぞれの形をとっていますが、「5人で嵐」であることは変わりません。
そんな、いつまでも仲良しな嵐のみなさんの幼少期を振り返ってみましょう。
相葉雅紀

最初に紹介するのは、バラエティ番組などで変わらぬ笑顔を届けてくれている相葉雅紀さん。
幼少期の姿は・・・。


すでに幼少期から相葉さんの優しい面影がありますよね!
天真爛漫なイメージのある相葉さんですが、幼少期は現在の姿とは違い、内気で人見知りな性格だったそうです。
さらに当時は病弱で、病院の先生とお友達になるほど頻繁に通院していたというエピソードも。

相葉さんの誕生日はクリスマスイブの12月24日。 そのため相葉家では、12月24日は「クリスマス」ではなく「相葉さんの誕生日」をお祝いする日になっていました。
プレゼントをもらっていた相葉さんですが、弟さんにはクリスマスプレゼントがなかったそうで、「相葉家にはサンタクロースという概念がなかった」と後に語っています(笑)。
大野智

次のメンバーは、現在は芸能活動をお休みされている嵐のリーダー大野智さん。
「株式会社嵐」にはしっかりと名を連ねているリーダーの、気になる幼少期は・・・。

スカートを履いていて、まるで女の子みたいですね!
このスカートは、お姉さんのものを履いているそうです。
普段は穏やかで物静かなイメージの大野さんですが、幼少期は意外にも落ち着きのない子どもだったとか。
食事の時も、一口食べたらどこかへ行き、また戻ってきて一口食べる・・・といった具合に、じっとしていられなかったそうです。

さらに、缶詰のフタを握って5針縫う怪我をしたり、5歳の時にはお父さんの自転車の後ろで寝てしまい、後輪に足を巻き込まれて大怪我をしたり・・・。
かかりつけの病院に行くと「また来たの?」と言われるほど、わんぱくで怪我の多い幼少期でした。
このエピソードを聞いた相葉さんが「今は全然動かないじゃん」とツッコむと、大野さんは「昔いっぱい動いたから(今は動かない)」と返したそうです(笑)。
櫻井翔

続いては、キャスターや司会者としても不動の地位を築いている櫻井翔さん。
櫻井さんの幼少期は・・・。


面影ありますね! 2枚目の写真で櫻井さんが優しく抱っこしているのは妹さんだと思われます。
ご両親は、「羊」に「羽」が生えたように柔らかく自由に、優しい人に育つよう願いを込めて「翔」と名付けました。
幼少期の櫻井さんは戦隊ヒーローにハマっていて、お父さんのピアノ伴奏に合わせて主題歌を歌ったり、「とりゃー!」と叫んだりしていたという微笑ましいエピソードも。


また、5歳の頃に渋谷でお母様と喧嘩をした際、お母様はなんと櫻井さんをその場に残して一人でバスに乗って帰ってしまったのです。
普通なら泣き出すところですが、5歳の櫻井さんは「なんで乗ってるんだよ!探せよ!」と、バスの中のお母様を睨みつけていたそう(笑)。
その後、40〜50分かけて自力で自宅へ帰宅。 泣かずに一人で帰ってきた息子を見て、お母様はこの頃から「自分で判断し行動する子だ」と感じていたそうです。
二宮和也

続いては、2023年に独立し、現在は個人事務所で活動しながら嵐のメンバーであり続ける二宮和也さん。
Jr.時代から現在まで「顔が全く変わらない」と言われる二宮さんの幼少期は・・・。


可愛い・・・! 写真を見た瞬間に二宮さんだと分かるほど、そのままですね。
今やゲーマーとして有名な二宮さんですが、幼少期からその片鱗はあり、休日には一日中部屋にこもってゲームをしていたそうです。

また、幼少期は極度の人見知り。「友達はあんまりいなくてもいい」と、周囲と距離を置くこともあったとか。
そんな二宮さんを心配したご両親は、なんと二泊三日でお寺の修行に行かせます。
しかし、修行中の3日間、二宮さんは意地でも誰ともしゃべらず、結局誰とも打ち解けずに帰ってきたそうです(笑)。 このブレない芯の強さは、今の二宮さんに通じるものがありますね。
松本潤

嵐最後のメンバーは、2024年に独立し、演出家・俳優として新たな表現を追求している松本潤さん。
ファンの間では伝説となっている、衝撃的な幼少期の姿はこちら!

眉毛が完全に松本潤さんです(笑)。
赤ちゃんの頃から、こんなに凛々しい顔立ちだったんですね。
「潤」という名前についてですが、実はお祖母様は「純」という漢字を付けたかったそうです。 しかし、家にたまたま「純」というラベルのお酒があり、「お酒と名前が一緒では可哀想」という理由で「潤」になったという逸話があります。

コンサートの演出などを手掛けるリーダーシップのある松本さんですが、小学生の頃の通信簿には「団体行動が苦手で協調性に欠ける」と書かれていたこともあったそう。
さらに、小学生時代には大事故も経験しています。
駄菓子屋からの帰り道、トラックと接触し、数十メートル引きずられるという大惨事に。 とっさに体を反らして正面衝突を避けたおかげで命は助かりましたが、足に大怪我を負い、現在もその傷跡が残っているそうです。
SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)

続いて紹介するのは、2024年に結成20周年という大きな節目に「関ジャニ∞」から改名し、新たな伝説をスタートさせたSUPER EIGHTのみなさん!
関西出身グループとしてKinKi Kids以来のデビューを果たし、長年エンタメ界を盛り上げ続けています。
過去にはメンバーの脱退や、安田章大さんの大病など、数えきれないほどの試練を乗り越えてきました。 グループ名が変わっても、「最高で最強」な5人の絆は変わりません。
そんな、今や関西の若手(なにわ男子、Aぇ! groupなど)の頼れる先輩・プロデューサーでもある彼らの、幼少期を振り返ってみましょう。
大倉忠義

最初に紹介するのは、なにわ男子やAmBitiousのプロデュースも手掛ける大倉忠義さん。
幼少期の姿は・・・。


まだ現在のクールな面影は薄いですが、ものすごく可愛いですよね。
大倉さんのお父様が、あの有名居酒屋チェーン「鳥貴族」の社長であることはあまりにも有名。
実家は裕福ですが、お父様は大倉さんを甘やかすことなく、「お金を稼ぐ大変さを知れ」と、新聞配達のアルバイトをさせていたそうです。 今のプロデューサーとしての手腕は、こうした教育からきているのかもしれません。

現在はグループで一番の高身長である大倉さんですが、幼少期は背が低かったそう。
心配したお母様が特製の野菜ジュースを作ってくれたのですが、ごぼうの味が強烈で、飲みやすくするために砂糖を入れた結果、さらに恐ろしい味に・・・。
大倉さんは後に「ものすごく不味くてトラウマになった」と語っています(笑)。
丸山隆平

続いては、グループのムードメーカー丸山隆平さんの幼少期です。
写真はこちら!


とても可愛い丸山さんですが、小学生の頃に、背筋が凍るような体験をしています。
塾へ向かう途中、知らない男性に「公園の奥へ行こう」と誘われた丸山さん。
喧嘩を売られたと思ってついて行くと、なんとその男性に身体を押さえつけられ、キスを迫られたのです。
咄嗟に逃げ出して無事でしたが、今でも公園を見るたびにその恐怖がよみがえるそうです・・・。

また、独特な感性は小学生の頃から。隣の席の女の子のノートを1枚破り、丸めて自分の口の中に放りこんで、
すぐに「べっ」と吐き出すという奇行に走ったことも(笑)。
数十年後の同窓会でその女性と再会した際、「ちゃんとした大人になってよかった」と号泣されたそうです。
村上信五

続いては、日本を代表する司会者の一人となった村上信五さん。
パッチリとした目の村上さんの幼少期は・・・。


赤ちゃんの頃から、今の村上さんのまま! 目力がすごいです。
豪快なイメージがありますが、当時は泣き虫で甘えん坊な性格だったとか。
小さい頃にミニバスケットボールを始めた理由は、なんと「目立ちたかったから」(笑)。

その動機とは裏腹に実力は本物で、中学では開幕スタメンに選ばれるほどに。
本気でプロバスケットボール選手を目指していた村上さん。
しかし、当時は身長が伸び悩み150cm以下だったため、その夢を断念。その結果、アイドルとしての才能が開花したのですから運命は不思議ですね。
安田章大

続いては、音楽やアートの才能あふれる安田章大さんです。
現在も可愛らしい安田さんの幼少期の姿は・・・。


面影ありますね!
今は穏やかな安田さんですが、当時は超活発。3歳の頃、お祖母ちゃんの家の中を走り回って網戸に激突して突き破ったこともあるそうです。
さらに、幼稚園入園前にはタクシーにはねられ重体になるという大事故も経験しています。

安田さんのお父様はペンキ屋さんを営んでいます。
安田さんは、もしこの仕事をしていなかったら「お父さんのペンキ屋を継ごうと思っていた」と語るほどお父様を尊敬しています。
そんな安田さんとお父様の写真を比べてみると・・・。

確かにそっくりです!
お父様の眉毛がとても凛々しいのが印象的ですね(笑)。
横山裕

最後に紹介するのは、Aぇ! groupのプロデュースなど裏方としても才能を発揮する横山裕さん。
「奇跡の40代」と呼ばれる横山さんの幼少期は・・・。


赤ちゃんの頃から色白で、今の横山さんのままですね!
しかし、横山さんは非常に壮絶な幼少期を過ごしてきました。
3歳の頃にご両親が離婚。一時期は母方の祖父母の元で暮らすことに。
5歳の頃にお母様が再婚しましたが、新しいお父さんになかなか馴染めず、日常的に厳しく当たられたり、手をあげられたりすることもあったそうです。

その後、2人の弟が誕生。 横山さんが29歳の時にお母様が急逝されてからは、「弟たちの父親代わりになる」と決意。
多忙な仕事の合間を縫って弟たちの食事を作り、大学の学費も出すなど、深い愛情で家族を支え続けました。
いつもテレビで見せる明るい笑顔の裏には、こうした強さと優しさが隠されているのですね。
KAT-TUN

続いて紹介するのは、デビュー当時の「ブラック&ワイルド」な衝撃でアイドル界の常識を覆したKAT-TUNのみなさんです。
従来のキラキラしたアイドル像とは一線を画す、ギラギラとした不良っぽい魅力で一世を風靡しました。
幾度かのメンバー脱退や充電期間を経て、個々の能力が極めて高いプロフェッショナル集団へと進化。 2025年現在は、それぞれのペースで活動を続けながら、2026年のデビュー20周年イヤーを迎えようとしています。
そんな個性派揃いのKAT-TUNメンバーの幼少期は、どのような姿だったのでしょうか。
上田竜也

最初に紹介するのは、Instagramでのファンとの熱い交流や、「MOUSE PEACE」などのソロ活動でもカリスマ性を発揮する上田竜也さんです。
幼少期の姿はこちら!

小さい頃から目がパッチリで、まるで天使のようですね。 今のワイルドな姿からは想像がつかない愛らしさです(笑)。
実は上田さん、小さい頃は習い事を週7日も詰め込まれていたという「英才教育」を受けていました。
ピアノ、学習塾、英会話、習字、水泳、絵画教室など多忙な毎日。 中でもピアノは、先生が自宅に来てレッスンをしてくれていたそうで、かなり裕福な家庭だったことがうかがえます。
現在でもライブやInstagramでピアノ演奏を披露できるのは、この頃の努力のおかげですね。

これだけの習い事をしていたため、小学校の頃の成績は優秀だったそうです。
しかし、中学に入学してバスケットボール部に入ると状況は一変。部活動に熱中しすぎたあまり、成績は急降下してしまったのだとか・・・。
ご両親は「パイロット」か「弁護士」になってほしかったそうですが、上田さんはテレビで踊る今井翼さんを見て「カッコいい!」と衝撃を受けます。 そして自らご両親を説得し、履歴書を送って15歳でジャニーズ入りを果たしました。
亀梨和也

続いては、俳優・キャスター・YouTubeとマルチに活躍し、グループの屋台骨を支える亀梨和也さんです。
亀梨さんの幼少期の姿は・・・。

亀梨さんは、元気な4兄弟の3男として生まれました。
当時の亀梨さんはかなりの駄々っ子で、わがままな性格だったそうです。
男4人兄弟なので、家の中は常に戦場。喧嘩をする日も度々あり、亀梨家はとても騒がしい家庭だったとか(笑)。
しかし、3男の亀梨さんはお兄さんたちに体格では勝てず、喧嘩になる前に負けを認めるような立ち回りも覚えたというエピソードも。

そして、亀梨さんが本気の野球少年だったことは有名ですよね。
小学校1年生から野球を始め、小学校6年生の時には世界大会に出場するほどの実力者でした。
事務所に入ってからも、スポーツ番組「Going! Sports & News」などで野球愛を発揮。 さらに、地元・江戸川区からプロ野球選手が生まれるようにと、少年野球連盟の全チームに毎年ボールを寄付し続けています。 幼少期の情熱が、今の亀梨さんの活動の原点になっているんですね。
中丸雄一

KAT-TUN最後のメンバーは、ボイパや漫画家デビューなど多才な一面を持つ中丸雄一さんです。
中丸さんの幼少期の姿は・・・。

どことなく、現在の中丸さんの穏やかな面影がありますよね!
中丸さんは、お父様から「女の子には優しくしなさい」と毎日言われて育ったそうです。
その教えを忠実に守った中丸少年は、幼稚園の頃から女の子にモテモテ! 誕生日会を開けば、たくさんの女の子がお祝いに来てくれたという、なんとも羨ましいエピソードを持っています。

しかし、小学生になり高学年を迎えた頃、ある事件が勃発します。
自宅で髪を染めるブリーチ剤を見つけた中丸さん。 「茶髪になったら、もっと女子にモテるはず!」という安易な考えで、なんと自分で髪を染めてしまったのです。
当然、帰宅した厳しいお父様に発見され、激怒されてそのまま床屋へ直行。 強制的に丸坊主にされてしまいました・・・。
翌日は所属していたサッカー部の試合だったのですが、中途半端に色が抜けた坊主頭を見て、相手チームからは「茶色の坊主のヤバいやつがいる」と恐れられたそうです(笑)。
Hey! Say! JUMP

続いて幼少期を紹介するのはHey! Say! JUMPのみなさんです。
グループ名には「平成の時代を高くジャンプしていく」という意味が込められていますが、令和になってもそのジャンプ力は健在!
デビュー当時は平均年齢15.2歳という若さでしたが、2025年現在はメンバー全員が30代となり、大人の色気と実力を兼ね備えたグループへと成長しました。
ドラマ、バラエティ、YouTube、そしてプロデュース業など、個々の才能が開花し続ける8人の、天使すぎる幼少期を振り返ってみましょう。
有岡大貴

まず最初に紹介するのは、永遠の愛されキャラであり、結婚というハッピーなニュースも記憶に新しい有岡大貴さん。
有岡さんはどのような幼少期を送っていたのでしょうか?


幼少期から、今の有岡さんの面影がバッチリありますね!
小さい頃からとにかく活発で、やんちゃな少年だったそうです。 いたずらっ子で、女の子のスカートをめくって泣かせてしまったこともあるとか・・・(笑)。

実は有岡さん、ジャニーズに入る前から子役として活動しており、ドラマ出演の経験がありました。
特に有名なのが「百獣戦隊ガオレンジャー」。 物語のカギを握る重要な役どころ(ガオゴッドの化身)を演じていたのです。 当時からその演技力と可愛らしさは注目されていました。
伊野尾慧

2人目に紹介するのは、建築アイドルとしてもお馴染みの伊野尾慧さん。
奇跡のベビーフェイスを持つ伊野尾さんの幼少期は・・・。


この写真を見ると、可愛さは当時から完成されていますね!
幼稚園に入る前から、近所の人に「女の子みたいに可愛い顔だね」と評判だったそうです。
ただ、可愛い顔して裸で水遊びをして近所のおじいちゃんを驚かせたという、男の子らしいやんちゃエピソードも(笑)。

伊野尾さんがジャニーズに興味を持ったきっかけは、幼稚園の頃に見たテレビ番組。
テレビの中の若い男性(ジャニーズ)が、美味しそうな物をたくさん食べているのを見て衝撃を受けます。
「ジャニーズに入ったら美味しい物が食べられるんだ!」 そんな可愛すぎる勘違い(?)が、今の伊野尾さんの原点なのです。
髙木雄也

続いては、グループきってのクール&セクシー担当髙木雄也さん。
幼少期の姿はこちら!

幼少期の髙木さんは超がつくほど活発で、いつも怪我をして帰ってくるようなワンパク少年でした。 昔遊んでいた時にできた傷跡が、今でも残っているそうですよ。
現在はクールなイメージがありますが、根は熱い男なんですね。

一方で、髙木さんは自他共に認めるお母さんっ子(マザコン)。
大人になった今でもお母さんのことを「ママ」と呼んだり、「好きな料理はママの手料理」と即答するほど。
そのギャップが、多くのファンを虜にする理由の一つかもしれません。
知念侑李

続いて4人目は、グループの末っ子・愛されキャラの知念侑李さん。
幼少期の姿は・・・。


知念さんといえば驚異的な身体能力ですが、それもそのはず、お父様はバルセロナ五輪・銅メダリストの体操選手なのです。
幼少期は知念さんも体操を習っており、本気でオリンピック出場を夢見ていました。

さらに、お母様はダンスの先生。
知念さんは3歳の頃からお母様の元でダンスを始め、大人に混じって週5回も通っていたそうです。
体操のDNAと、幼少期からのダンス英才教育。 知念さんの華麗なパフォーマンスは、まさにサラブレッドとしての才能と努力の結晶なんですね。
中島裕翔

続いては、俳優としてもモデルとしても長身を生かして活躍する中島裕翔さん。
幼少期の姿はこちら!

小さい頃から目がクリックリで、品がありますね。
中島さんは幼少期から多才で、ピアノやタップダンス、さらには乗馬まで習っていたそうです。

10歳で事務所に入所した中島さん。
すぐにユニット「J.J.Express」のメンバーに抜擢され、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」では亀梨和也さんの弟役を熱演。 主題歌「青春アミーゴ」のPV出演など、エリートコースを駆け上がりました。

他にも木村拓哉さん主演のドラマ「エンジン」など、Jr.時代から数々の話題作に出演し、その才能を発揮していたのです。
八乙女光

続いて6人目は、バラエティやお昼の顔としても活躍する八乙女光さん。
幼少期は・・・?

どことなく現在のやんちゃな面影がありますよね!
八乙女さんは小さい頃、貯金箱をそのままスーパーに持って行き、大量の硬貨で買い物をしたという伝説があります。
レジの店員さんを困らせてしまい、後に「宮城の小さい町をザワつかせてしまった」と反省していました(笑)。

性格は超がつくほど社交的。
小学生の時には「友達100人」を本気で実現しようとして、知らない人にも「鬼ごっこしよう!」と声をかけまくっていたそうです。 そのコミュ力の高さは、今のバラエティでの活躍に通じていますね。
薮宏太

続いては、グループ最年長で頼れるリーダー格薮宏太さん。
幼少期の姿はこちら!


クシャっとした笑顔が、今の薮さんそのままですね!
グループではしっかり者のお兄さんポジションですが、実は実生活では3人兄弟の末っ子。
お兄さんとはとても仲が良く、薮さんが出演する番組は必ずチェックしてくれているそうです。

薮さんは小学校6年生で入所しましたが、履歴書を送ったのは4歳上のお姉さんでした。
当時サッカーに夢中だった薮さんは、オーディションに行くのを渋っていたそうですが、「サッカーのピンバッジを買ってあげる」というお姉さんの言葉につられて参加。
もしそのピンバッジがなかったら、今の薮さんはいなかったかもしれません(笑)。
山田涼介

最後に紹介するのは、不動のエース山田涼介さん。
誰もが認める王子様、山田さんの幼少期は・・・。

パッチリとした大きな瞳! まさに天使です。
山田さんは11歳で入所しましたが、それ以前からモデル活動をしていました。 あの巨匠・篠山紀信さんに写真を撮ってもらったこともあるそうです。
そして、幼少期の写真を見ると、髪の毛が茶色いことが多いですよね。


「地毛なの?」「クォーター?」と噂されたこともありましたが、地毛は黒。
モデル活動をしていたためにおしゃれで染めていたそうで、一時期はなんとモヒカンヘアーだった時代もあるとか。尖ってますね!
Kis-My-Ft2

続いて幼少期を紹介するのはKis-My-Ft2のみなさん!
光GENJIのDNAを受け継ぐローラースケートパフォーマンスを武器に、長年活躍を続けています。
下積み時代が長く、苦労人が多いことでも知られる彼ら。 SMAPの中居正広さんプロデュースの「舞祭組」でのブレイクなど、泥臭くもカッコいい姿でファンを魅了してきました。
2023年8月に北山宏光さんが卒業・退所し、現在は6人体制となりましたが、その結束力はさらに固まっています。 そんなキスマイメンバー(卒業メンバー含む)の幼少期を見ていきましょう。
北山宏光(元メンバー)

まずは、現在はTOBEでアーティストとして新たな道を歩む北山宏光さん。
幼少期の姿は・・・。


2枚目の写真は、今の北山さんのヤンチャな笑顔そのままですね!
幼少期はとにかくお母さんが大好きで、ずっとお母さんにくっついている甘えん坊でした。
顔立ちがあまりに可愛かったため、お母様は北山さんに花柄のワンピースを作って着せていたそう(笑)。

しかし小学生になると一変、高いところから飛び降りる遊びにハマるわんぱく少年に。
「飛び降りても痛くなさそうにするのがカッコイイ」という謎の美学を持ち、足の裏の激痛を我慢して平然を装っていたそうです。
メンバーの玉森さんからは、「何度も飛び降りたから身長が縮んだんじゃない?」とイジられていました(笑)。
千賀健永

続いては、美容男子・アーティストとしても才能を発揮する千賀健永さん。
幼少期の姿はこちら!


2枚目の笑顔には面影がありますね!
千賀さんのお母様は元モデルで、現在は美容関係の社長。 そんなお母様の友人が嵐の櫻井翔さんと知り合いだった縁で、小学5年生の時に嵐のコンサートへ。 そこで衝撃を受け、ジャニーズの道を志しました。

ご両親の「人とは違うことをしなさい」という教えで、3歳からダンスを開始。
幼稚園の頃から1日6時間以上も練習するというスパルタな日々を送っていました。
最初は嫌々だったそうですが、小3でマイケル・ジャクソンのダンスと出会い開眼。 小5の時には全国大会で最年少入賞を果たすほどの実力者に成長しました。
玉森裕太

続いては、俳優としても大ブレイク中のセンター玉森裕太さん。
幼少期の姿は・・・。


透明感がすごい! 実は1歳の頃からモデル活動をしていたそうです。

意外にも幼少期はアウトドア派で、ご両親とよくサーフィンをしていたとか。
入所のきっかけは、お母様が勝手に履歴書を送ったこと。
オーディション当日、友達と釣りに行く約束をしていた玉森さんは、お父様に無理やり車に乗せられて会場へ連れて行かれ、訳も分からず号泣していたそうです(笑)。

そんな玉森さんのお母様は、17歳で玉森さんを出産した超若いママ。 メンバーも認める美人です。
玉森さんが20歳の頃、お母様と買い物をしていたら週刊誌に「年上の恋人とデート」と撮られてしまったことも! お母様は「息子と恋人に間違えられるなんて嬉しい」と喜んでいたそうですよ(笑)。
二階堂高嗣

続いては、ライブ演出なども手掛ける二階堂高嗣さん。
幼少期の姿は・・・。


1枚目のクシャっとした笑顔は、今と全く同じですね!
幼少期は目立ちたがり屋でヤンチャなクソガキ(本人談)だったそうです。
小学生で入所した二階堂さん。中学では「ジャニーズ」という色眼鏡で見られ、クラスで浮いてしまい、誰とも喋らない日もあったとか。

「俺をそういう目で見るなら・・・」と、二階堂さんは強烈な反抗期へ突入。
茶髪に細眉、仕事現場でも先輩に「誰?」とタメ口をきくなど、尖りまくっていました。 メンバーのパンを勝手に食べるなんて日常茶飯事。
しかし、内心ではジャニーズが大好きで、辞める勇気もなかったと後に語っています。今の丸くなった二階堂さんからは想像できないですね。
藤ヶ谷太輔

続いては、俳優やMCとしても評価の高い藤ヶ谷太輔さん。
幼少期の姿はこちら!


幸せそうな笑顔が可愛い!
藤ヶ谷さんは幼少期からお母様に「女性はみんなお姫様だから優しくしなさい」と教え込まれていました。
重い荷物を持ってあげたり、気が強い女の子がいても「この子にもお姫様の部分があるはず」と考える、生まれながらのジェントルマン。

そんな藤ヶ谷さんは、当然幼稚園の頃からモテモテ。
積み木や木登りをする時も、常に隣には女の子がいたそうです。 バレンタインデーにはチョコを大量にもらい、渡しそびれた女の子がわざわざ自宅まで届けに来るほどの人気ぶりでした。
宮田俊哉

続いては、アニメオタクとして独自のポジションを確立した宮田俊哉さん。
幼少期の姿はこちら!

優しい笑顔は今と変わりませんね!
宮田さんのアニメ好きの原点は、幼少期に見た「デジモンアドベンチャー」。 その後「ONE PIECE」や「HUNTER×HUNTER」などに触れ、どんどん沼にハマっていきました。

宮田さんのお母様は熱狂的なジャニーズファン(特に堂本光一さんのファン)。 宮田さんは幼い頃から「光一くんみたいな王子様になるんだよ」と言い聞かせられて育ちました。
「男の子が生まれたら絶対にジャニーズに入れる」というお母様の執念(笑)。 その夢を見事に叶えた宮田さんは、今や立派な「アニメ好きの王子様」です。
横尾渉

最後に紹介するのは、料理や俳句など多趣味で知られる横尾渉さん。
幼少期の姿はこちら!


2枚目の写真は、なんと足の骨を折っている最中だそうです・・・。 理由は覚えていないそうですが、相当なワンパク坊主だったことが伺えますね。
横尾さんといえばプロ級の料理の腕前ですが、その師匠はお母様。 なんと幼稚園の時に、既にお母様からイカの捌き方を教わっていたそうです。英才教育がすぎます(笑)。

入所のきっかけは、3歳上のお兄さん。 「フットサルに行こう」と誘われてついて行ったら、そこは渋谷のオーディション会場でした。
完全にお兄さんに騙されて参加した横尾さん(笑)。 最初はやる気がなくレッスンもサボりがちでしたが、ジャニーさん直々の説得もあり、徐々に才能を開花させていきました。
timelesz(旧Sexy Zone)

続いて紹介するのは、2024年4月1日に「Sexy Zone」から改名し、新たな章をスタートさせたtimelesz(タイムレス)のみなさんです!
旧グループ名はマイケル・ジャクソンのようなセクシーさをイメージして付けられ、デビュー当時の平均年齢は14.4歳という若さでした。
マリウス葉さんの卒業・引退、そして絶対的エースだった中島健人さんの卒業を経て、現在は菊池風磨さん、佐藤勝利さん、松島聡さんの3人がグループを守り抜いています。
さらに、新メンバーを迎えるためのオーディション開催など、常に挑戦を続ける彼らの原点である幼少期を振り返ってみましょう。
菊池風磨

最初に紹介するのは、いまやバラエティ、ドラマ、そしてグループのプロデュースまで手掛ける大黒柱菊池風磨さんです。
菊池さんの幼少期の姿はこちら!


面影ありますね! やんちゃそうな笑顔が可愛いです。
幼少期の頃の菊池さんの夢は、なんと「政治家」でした。
実は菊池さんのお祖父様は、大臣経験のある政治家の第一秘書を務めていた方。 そんなお祖父様の背中を見て、幼い菊池さんは「日本を変えてやる」という大きな野望を抱いていたそうです。

しかし、その夢は「嵐になること」へと変化します。
菊池さんが4歳の頃に嵐がデビュー。 ご存じの方も多いですが、デビュー曲「A・RA・SHI」の作詞を手掛けたのは、菊池さんのお父様である菊池常利さんなのです。

お父様はシンガーソングライターとして活躍。 後に親子共同制作で、お父様が作曲、風磨さんが作詞を手掛けたソロ曲「Cocoa」も誕生しました。
これは、「2歳の頃、家族で公園に遊びに行った帰りによくココアを買ってくれた思い出」を歌にしたもの。家族の温かい絆を感じますね。
佐藤勝利

次に紹介するのは、舞台「Endless SHOCK」などでも活躍し、不動のセンターとして君臨する佐藤勝利さん!
「顔面人間国宝」と称される佐藤さんの幼少期は・・・。


面影はあるけれど、髪の毛が長いせいか女の子に見えますね・・・。
実はご両親、ずっと女の子が生まれてくると思っていたそうです。
しかし生まれてきたのは男の子。 お父様は出産に初めて立ち合い、その感動から「生まれてきただけで勝負に勝ったようなもの」という想いを込めて「勝利」と名付けました。

女の子だと思っていたため、用意していた服などはすべて女児用。
その可愛らしいルックスも相まって、佐藤さんはしばらく女の子のような格好で育てられました。 本人もよく分かっていなかったのか、それを当たり前のように受け入れていたそうです(笑)。
松島聡

続いて3人目は、個展を開くなどアーティストとしての才能も開花させている松島聡さんです。
松島さんの幼少期の姿はこちら!


笑顔がとっても可愛い! 現在の松島さんの癒し系な雰囲気そのままですね。
実は松島さんが幼稚園の頃にお母様が亡くなられています。 幼かった松島さんにとって、それはとても辛い別れだったはずです。
その後は8歳年上のお姉さんが母親代わりとなり、お弁当を作ってくれるなどして松島さんを支えました。

また、松島さんは元メンバーのマリウス葉さんと不思議な縁で繋がっていました。
松島さんのお父様は建設関係のお仕事をされていますが、なんとマリウスさんのドイツの実家にある「和室」を手掛けた職人の一人が、松島さんのお父様だったのです。
これはグループ結成前の話。まるで運命のような絆で結ばれていた「聡マリ」コンビでした。
中島健人(元メンバー)

続いては、2024年3月にグループを卒業し、現在はソロアーティスト・俳優として世界を目指す中島健人さんです。
「ケンティー」の愛称でお馴染み、中島さんの幼少期は・・・。


幼い頃から目がクリックリ! すでにアイドルのオーラがあります。
幼少期は意外にもおっちょこちょいな性格でした。 小2で東京から千葉に引っ越した際は、環境の変化で一時暗いキャラになってしまったこともあったとか。

中島さんといえば「王子様」「レディーファースト」ですが、これはお母様の教育の賜物。
幼少期から「ジェントルマンであれ」と教え込まれ、車に乗る時は女性のためにドアを開け、椅子を引いてあげるのが当たり前。
もし「めんどくさい」なんて言おうものなら、「紳士ではない!」と厳しく叱られたそうです。 今の輝かしい活躍は、この時のお母様の教えがあってこそですね。
マリウス葉(元メンバー)

最後に紹介するのは、2022年末に芸能界を引退し、現在は新たな夢に向かって歩んでいるマリウス葉さんです。
天使のようだった幼少期の姿は・・・。


可愛すぎる・・・! まさに西洋の天使の絵画のようです。
お母様は元タカラジェンヌの男役スター。 その影響で、6歳の頃からダンスを始めました。
お母様の活躍を見て「人を幸せにする仕事がしたい」と思い、本気で宝塚に入ろうとしていたそうです。

しかし、宝塚は女性しか入れないことを知り断念。
その後、10歳の時に来日して見たSMAPのライブに感銘を受け、ドイツからジャニーズ事務所へ履歴書を送りました。 そして、11歳という若さでジャニーズ史上最年少デビューを果たしたのです。
WEST.(旧ジャニーズWEST)

続いて紹介するのは、2023年10月18日に「ジャニーズWEST」から改名し、新たな名前で未来へ走り出したWEST.のみなさんです。
メンバー全員が関西ジュニア出身。関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)以来、10年ぶりのデビューとして注目を集めました。
旧グループ名は、初代ジャニーズ以来となる「ジャニーズ」の名を冠することを許され、メンバーの強い要望で名付けられた大切な名前でした。 しかし、時代の変化と共に「WEST.」へと進化。名前の最後にある「.(ピリオド)」には、「俺たちが最後だ」という強い覚悟が込められています。
2024年にはデビュー10周年を迎え、個々の活動も絶好調な7人の、笑いあり涙ありの幼少期を見ていきましょう。
神山智洋

最初に紹介するのは、作詞作曲や振付もこなすグループのオカン的存在、神山智洋さんです。
幼少期の姿はこちら!


今は真面目でしっかり者なイメージですが、幼少期はとにかくヤンチャな子どもだったそうです。
外を走り回り、たんこぶを作って帰ってくるのは日常茶飯事。 虫かごと虫網を持って駆け回っていたそうですが、その愛らしい顔立ちから、よく女の子に間違えられることもあったとか。
確かに2枚目の写真は、髪も少し長くて美少女に見えますね!

神山さんの武器であるダンスは、5歳の頃から習い始めました。
きっかけは、3歳年上のお姉さんがダンスをしていたから。 お姉さんの姿に憧れて始めたそうですが、当時はそのお姉さんによく叱られて泣かされていたという可愛いエピソードも残っています(笑)。
桐山照史

続いて2人目は、バラエティや舞台で圧倒的な実力を発揮する桐山照史さん。
幼少期の姿は・・・。


幼少期から、桐山さんの人懐っこい笑顔は健在ですね!
当時は好奇心旺盛すぎるヤンチャ坊主で、なんと「よく蟻を食べていた」という衝撃のエピソードも・・・。 ワイルドすぎます(笑)。
そんな桐山さんは、小学生の頃にダンスを習い始めます。 それがきっかけで、「自分の実力を試したい」と自ら履歴書を送り、13歳で入所しました。

入所後はすぐに頭角を現し、現在も共に活動する中間淳太さんとユニット「B.A.D.」を結成。 関西ジュニアのリーダー的存在として、長年グループを牽引しました。
2008年には約600人の中からドラマ「ごくせん」の主要キャストに抜擢されるなど、ジュニア時代からその演技力と存在感は別格でした。
小瀧望

続いては、グループ最年少でありながら、主演舞台で数々の賞を受賞するなど俳優としても評価の高い小瀧望さん。
幼少期の姿はこちら!


目が大きくて可愛い! すでに完成されています。
小瀧さんは幼少期から人を笑わせるのが大好きで、人見知りも一切しない太陽のような子どもでした。 常にクラスの中心にいる人気者だったそうです。
幼稚園の年長さんで最大のモテ期を迎え、バレンタインデーにはなんと30個以上のチョコレートをもらったという伝説も。

当初はお母様から「ジャニーズに入ったら?」と言われても「絶対に嫌だ」と断っていた小瀧さん。
しかし、テレビで山田涼介さん(Hey! Say! JUMP)を見て衝撃を受け、「こんな人になりたい!」と一転、小5で自ら履歴書を送りました。
オーディション合格の翌月にはユニット「Hey! Say! 7 WEST」に加入するなど、まさにエリート街道を駆け上がってきたのです。
重岡大毅

続いては、飾らない笑顔と熱い演技で多くの人を惹きつけるセンター重岡大毅さん。
幼少期の姿は・・・。


2枚目の悪ガキっぽい笑顔は、今の重岡さんそのままですね!
幼少期はとにかくわんぱくで、常に外を走り回っていました。
小学生の頃は「人と違うことをしたい」という謎のこだわりがあり、大人が爪楊枝をくわえる姿に憧れて、草を口にくわえて公園のシーソーに寝っ転がっていたこともあるそうです(笑)。

スポーツ少年だった重岡さんは、小5・6でサッカー部に所属。 中学でもサッカーを続けるつもりでしたが、「テニスの王子様」ブームで周りがみんなテニス部へ行ったため、流されてテニス部に入部。
しかし、先輩たちが次々と辞めてしまい、部員が減ったことで重岡さんも退部。 その後はゲーム三昧の日々を過ごしていたそうで、当時の自分を振り返り「マジでクズだった」と笑って話しています。 そんな飾らないところが重岡さんの魅力ですね。
中間淳太

次に紹介するのは、語学堪能な知性派でありながら、いじられキャラとしても愛される最年長中間淳太さん。
幼少期の姿はこちら!


幼少期の中間さんは、意外にもインドア派。
「汚れるのが嫌だから」という理由であまり外では遊ばず、家で本を読んだりパズルをしたりするのが好きだったそうです。 そのせいか、当時は全くモテなかったのだとか・・・。

お父様が台湾の方で、中間さんは小4から中学卒業までを台湾で過ごしました。 そのため、日本語・英語・中国語・台湾語を操るマルチリンガルに。
さらに、ご実家は台湾の超財閥とも噂されるほどのお金持ち。 玄関は大理石、休日はテラスで優雅に朝食・・・という、まさに「淳太坊ちゃん」な幼少期を過ごしていたようです。
濵田崇裕

続いて6人目は、優しさの塊であり、身体能力オバケとも呼ばれる濵田崇裕さん。
幼少期の姿は・・・。


幼少期は極度の人見知りで、人とまともに喋れないほどでした。 友達が横にいても「話しかけるなオーラ」を出していたというから驚きです(笑)。
ご実家は農家。ご両親が忙しく働いていたため、2人のお姉さんがよく面倒を見てくれていたそうです。

濵田さんは小学5年生の時にダンスを始めました。
今ではアクロバット担当として知られていますが、きっかけは小学生の時にテレビでジャニーズのバク転を見たこと。 「自分もできるかも」と思ってやってみたら、誰にも教わらずに見様見真似でバク転・バク宙を習得してしまったそうです。 まさに天才的な運動神経の持ち主ですね。
藤井流星

最後に紹介するのは、ライブ演出を担当し、グループのビジュアル担当でもある藤井流星さん。
幼少期の姿はこちら!


幼少期から、ため息が出るほどのイケメンですね。
幼稚園の頃から女の子が後ろをついてくるほどモテモテ。 バレンタインデーには大量のチョコをもらい、親衛隊のようなファンまでいたそうです。
当時木村拓哉さんがロン毛ブームだった影響で、ご両親の趣味により藤井さんもロン毛にされていた時期もありました。

そんなクールな見た目とは裏腹に、中身はかなりの天然さん。
妹さんの誕生日に「なんで俺のはないんだ!」と大泣きしたり、小学校の卒業アルバムで将来の夢に「消防車」と書いたり(消防士ではなく!)。
大人になった今でも、口に水を含んでいるのを忘れて喋りだすなど、愛すべき天然エピソードは更新され続けています。
King & Prince

続いて幼少期を紹介するのはKing & Princeのみなさん!
2015年にMr.King vs Mr.Princeとして結成され、「王と王子」の戦いのように切磋琢磨するという意味が込められたグループ。 当初は期間限定でしたが、メンバーがジャニーさんに「6人でデビューさせてほしい」と直談判し、2018年に華々しくデビューしました。
その後、メンバーの脱退や岩橋玄樹さんの退所を経て、2023年5月22日をもって平野紫耀さん、神宮寺勇太さん、岸優太さんが脱退。 現在は永瀬廉さん、髙橋海人さんの2人体制で、「King & Prince」という王冠を守り続けています。
まずは、現役メンバー2人の幼少期から見ていきましょう。
髙橋海人

まずは、俳優やアーティストとしても才能を爆発させている髙橋海人さん。
幼少期の姿はこちら!


幼少期は体が弱かったという髙橋さん。体力をつけるために、幼稚園の年長からダンスを始めました。
するとダンスの才能が一気に開花。 9歳でダンスグループを結成し、全国大会の予選などで優勝を重ね、なんと1年間で10回以上も優勝経験を持つスーパーキッズダンサーだったのです。

入所前の11歳の時には、SMAPの5大ドームツアーにバックダンサーとして参加した経験も。
当時はワイルドな編み込みヘアーなどで、ガシガシと踊っていた髙橋さん。 その実力は当時から折り紙付きで、今やKing & Princeのパフォーマンスの要となっています。
永瀬廉

続いては、国宝級イケメン殿堂入りを果たし、MCや俳優業でも活躍する永瀬廉さん。
幼少期の姿はこちら!


2枚目の写真の永瀬さん、どこか不安げな表情ですね・・・。 実は手に動物を持っていて、動物が苦手だったため、こんな表情になってしまったそうです(笑)。
幼少期は気が弱く、女の子に泣かされることもあったという意外なエピソードも。

永瀬さんのお父様はヘリコプターのパイロット。転勤が多く、幼稚園・小学校ともに3回ずつ転校を経験しています。
しかし、そのルックスは当時から輝いていました。 転校先で自己紹介をすると、「イケメンが来た!」と噂になり、休み時間には多くの女の子が教室まで見に来たという、少女漫画のような伝説を持っています。
Number_i(元King & Prince)
続いては、現在はTOBE所属のグループ「Number_i」として、世界を舞台に活躍する元メンバー3人の幼少期をご紹介します。
岸優太

まずは、愛されリーダー岸優太さん。
幼少期の姿はこちら!


写真を見ただけで岸さんだと分かる、無邪気な笑顔ですね!
幼少期はとにかくヤンチャな野生児でした。 埼玉県川越市のご実家で、家の柿の木によく登って遊んでいたそうです。

高い所が大好きで、ウルトラマンごっこをして高い所から飛び降り、腕を骨折したことも・・・。
また、小学生の頃には、弟と妹を驚かそうと、自分の体にケチャップを塗って「死んだふり」をしたことも。 しかし、妹さんには「馬鹿じゃないの」と冷たくバッサリ斬られたそうです(笑)。
神宮寺勇太

続いては、「国民的彼氏」と称される紳士神宮寺勇太さん。
幼少期の姿は・・・。


ダブルピースが可愛い! 少し今の面影がありますね。
神宮寺さんは一人っ子で、家では一人遊びの達人でした。 人生ゲームも一人でこなし、青色が好きだったので、自分(青色の駒)が勝つようにズルをしていたという可愛いエピソードも。

しかし、小5で転校してからはキャラ変(?)。 小6の頃はとてもヤンチャで、担任の先生に目を付けられるほどに。
頻繁に怒られ、ご両親が学校に呼び出されることもあったそうです。 今の落ち着いた「国民的彼氏」からは想像できないヤンチャぶりでした。
平野紫耀

最後に紹介するのは、圧倒的なカリスマ性と天然キャラで愛される平野紫耀さん。
幼少期の姿は・・・。


「紫耀(しょう)」という珍しい漢字は、お母様が紫色が好きで「紫」を使ったカッコいい名前にしたかったからだそうです。
幼少期は超ヤンチャで破天荒。 2歳で骨折を経験し、川へ飛び込む、階段から飛ぶ、自転車で崖へ突っ込むなど、怪我の絶えない日々を送っていました。

そして、伝説の天然エピソードも幼少期から。
当時「5円チョコ」が好きだった平野さん。ある時、本当の5円玉もチョコだと思って食べてしまったのです!

病院でレントゲンを撮ると、胃の中に数枚の5円玉が映っていたという衝撃の結果に・・・。
また、小学校の時には、窓ガラス保護用のネットをよじ登り、なぜか「窓から登校」していたこともあるそうです。 規格外のエピソードは、昔から変わっていないようですね(笑)。
SixTONES

次に紹介するのは、圧倒的な歌唱力とパフォーマンスで音楽シーンを席巻するSixTONESのみなさんです。
グループ名には「原石」「音域」「音の6原色」という3つの意味が込められています。
結成当初は「シックストーンズ」と読まれていましたが、ジャニーさんの「名前が長い」という鶴の一声で「ix」を発音しない「ストーンズ」に変更されたのは有名な話。
2020年のSnow Manとの同時CDデビューから快進撃を続け、2025年現在も個々の個性を爆発させながら進化し続ける6人。 そんな彼らの、意外すぎる(?)幼少期を覗いてみましょう。
京本大我

まず最初に紹介するのは、ミュージカル界のプリンスとしても活躍する京本大我さんです。
京本さんの幼少期の姿はこちら!


1枚目は生後7か月の時の写真ですが、もう既に京本さんのお顔ですよね! あまりの可愛さに、この頃はいつも女の子に間違えられていたそうです。
幼少期は意外にも頑固な性格。 ヒーローごっこをする時は、「自分がレッド(主役)じゃないと絶対に嫌だ!」と譲らず、先生に注意されても自分の意志を貫き通していたそうです。

現在は歌もダンスも完璧な京本さんですが、実は幼少期は音痴で運動も苦手だったとか。
しかし、芸能界入りを決めてからは猛練習の日々。 自宅の鏡の前でダンスを踊り、大声で歌い続ける毎日を送り、「家中に物音と歌声が鳴り響く10年間だった」と振り返っています。 今の美しい歌声は、その凄まじい努力の結晶なんですね。
髙地優吾

続いては、笑顔がトレードマークの愛されリーダー髙地優吾さん。
幼少期の姿は・・・。

とっても可愛い! 優しそうな雰囲気は今と変わりませんね。
幼少期はお母さんが大好きすぎて、幼稚園に行く時にお母さんと離れるのが嫌で毎日泣いていたそうです。
お母様からは、幼い頃から「人には優しくしなさい」と教えられて育ちました。 髙地さんの包容力は、この教えから来ているのかもしれません。

お父様は気学鑑定士という珍しい職業。 「嫌なことは3歩歩いたら忘れろ」というポジティブな教えを受けていました。
また、お兄さんは美容師。 その影響で、髙地さんもかつては美容師になるのが夢でした。 お兄さんに髪を切ってもらったり染めてもらったりと、兄弟仲もとても良いそうです。
ジェシー

続いては、グループのセンターでありムードメーカーのジェシーさん。
幼少期の姿はこちら!

お父様はアメリカ人、お母様は日本人。 東京生まれ東京育ちですが、「家の中では英語しか話してはいけない」というルールがあり、家族会議も英語だったそうです。
また、お父様の影響で4歳から空手を開始。 「自分の身は自分で守れ」という教えの下、10年以上稽古に励み、12歳で黒帯(初段)を取得した実力者です。

ジェシーさんには8歳年下の妹さんがおり、溺愛しています。
妹さんが11歳になるまで、膝枕で耳かきをしてあげたり、同じベッドで寝ていたという仲良しエピソードも。
しかし、ジェシーさんの体が大きくなりすぎて二段ベッドを購入したところ、妹さんが成長して「お兄ちゃんと一緒の部屋は嫌だ」と言い出し、結局ジェシーさんが一人で二段ベッドを使うことになったというオチつきです(笑)。
田中樹

続いて4人目は、MC担当としてグループをまとめる田中樹さん。
幼少期の姿はこちら!

女の子みたいに可愛い! ですが、しっかり田中樹さんの面影がありますね。
幼少期は「悪いことをする奴がカッコイイ」という謎の美学を持っていたそう。
そこで思いついた「悪いこと」が、なんと「ティッシュや鉛筆を食べること」。 発想が斜め上すぎて可愛いです(笑)。

田中さんは5人兄弟の4男。一番上のお兄さんとは20歳も離れています。
田中さんが幼い頃、既に実家を出ていたお兄さんが久しぶりに帰省した時のこと。 玄関までお出迎えに行ったのに、お兄さんの顔を見た瞬間「知らない人が来た!」と大泣きして逃げ出したそうです(笑)。 今では兄弟仲が良いことで知られていますね。
松村北斗

続いて5人目は、俳優として朝ドラや映画でも大活躍の松村北斗さん。
幼少期の姿は・・・。


目が大きくて可愛い!
「北斗」という名前は、北斗七星のように「人の道しるべとなるような人間になってほしい」という願いを込めて名付けられました。
テレビで見た空手に憧れ、小1から中2まで空手道場に通い詰めました。 全国大会出場や県大会優勝など、黒帯の実力者です。

小5の時、ドラマ「クロサギ」の山下智久さんに憧れてジャニーズ入りを決意。
しかし、履歴書を送っても返事はなし。2回目もなし。 それでも諦めきれず、中1になった時に「これが最後」と決めて3通目の履歴書を送りました。

すると、奇跡が起きます。 事務所に山積みになっていた履歴書の一番上に、たまたま松村さんの履歴書があったのです。
それを見たジャニーさんが、「この子はオーディションに呼んだほうがいい」と目に留め、見事合格。 もし一番上になかったら、今の松村北斗はいなかったかもしれません。まさに運命ですね。
森本慎太郎

最後に紹介するのは、ドラマ「だが、情熱はある」での好演も記憶に新しい森本慎太郎さん。
幼少期の姿はこちら!


天使のような笑顔! 少し面影もありますね。
森本さんは9歳で入所しました。
きっかけは、ジャニーさんが、当時ジュニアだったお兄さんの森本龍太郎さんと間違えて慎太郎さんに声をかけたこと。
当時空手に夢中だった慎太郎さんは何度か断ったそうですが、舞台のリハーサルを見学して心変わりし、入所を決めました。

入所後はすぐに頭角を現し、1年も経たないうちにドラマ「受験の神様」に出演。 その後も映画主演を務めるなど、天才子役として華々しく活躍しました。
しかし、学校では有名人ゆえの孤独も。 仕事をするたびに友達との距離を感じてしまい、現場では明るく振る舞っていても、家に帰ると一人で泣いていた時期もあったそうです。 そんな過去を乗り越えたからこそ、今の強い慎太郎さんがいるのですね。
Snow Man

続いて紹介するのは、今や日本を代表するエンターテイナー集団Snow Manのみなさんです。
2012年に6人で結成され、舞台「滝沢歌舞伎」などで鍛え上げられたアクロバットとパフォーマンスから「職人集団」と呼ばれていました。
先輩たちから「バックについてほしい」と指名されるほどの実力派でしたが、デビューまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
2019年に関西ジュニアから向井康二さん、宇宙Sixから目黒蓮さん、少年忍者からラウールさんが加入して9人体制に。 そして2020年、満を持してSixTONESと共にCDデビュー。 2025年の今、その苦労と努力が花開き、それぞれの分野で輝きを放つ9人の幼少期を紐解いていきましょう。
阿部亮平

まずは、上智大学大学院修了のインテリであり、気象予報士の資格も持つ阿部亮平さん。
幼少期の姿は・・・。


「亮平」という名前は、お母様が「りょうちゃん」と呼びたかったからという理由で付けられたそうです。
幼少期はとても人見知り。 小学校に上がってもなかなか友達が作れなかった阿部さんを心配したお母様が、「ダンスでも習ってみたら?」と提案。 これが、今のアイドル・阿部亮平の原点となりました。

小5の時には、お母様が申し込んだテレビ番組の公開オーディションに見事合格。 そのまま2004年に入所しました。
実は小1の頃から「俳優になりたい」と思っていた阿部さん。 理由は「役を通して色々な人生を歩めるから」。 小1でそんなことを考えるなんて、当時から知性的だったんですね。 メンバーの深澤さんからも「天才だね」と言わしめたエピソードです。
岩本照

続いては、振付も手掛ける頼れるリーダー岩本照さん。
幼少期の姿はこちら!


今の筋肉美からは想像もつかないほど、可愛らしい女の子のような幼少期ですね!
しかし、当時から運動神経は抜群。小学校のマラソン大会では常に1位をキープしていたそうです。
6歳でダンスを始め、小3にして既に大人と同じクラスで踊っていたという実力者。 「ダンスを仕事にするならジャニーズだ」と考え、自ら履歴書を送って13歳で入所しました。

そんな岩本さんですが、入所当時はバク転ができませんでした。 小学生のジュニアに「バク転やって」と言われても、「怪我をしてるから」と嘘をついて逃げてしまったことも。
その嘘が悔しくて泣きながら練習していた岩本さんを励ましたのはお父様。 「俺の血が流れてるからできないことはない(お父様は小3でバク転ができた)」という言葉を信じて練習を続け、高校生になってついに習得! 今のアクロバット職人としての姿は、この時の努力があったからこそです。
佐久間大介

続いては、アニメオタク兼切り込み隊長の佐久間大介さん。
幼少期の姿は・・・。


少し今の面影がありますね!
今のハイテンションなキャラからは想像できませんが、幼少期は引っ込み思案で、自分の意思を表現するのが苦手な性格だったそうです。
そんな性格を変えるためか、幼少期から体操やダンスを習っていました。 女子に混じってバレエを習ったこともあるそうで、その経験が今のしなやかなダンスに生きています。

学生時代も決して目立つタイプではなく、本人曰く「スクールカーストの下位にいた」とのこと。
運動神経は良いはずなのに、学校の体育(特に球技)は大の苦手で苦痛だったと語っています。 今の輝く姿は、ジャニーズという場所で見つけた新しい自分なのかもしれません。
深澤辰哉

続いては、MC担当でグループの最年長深澤辰哉さん。
幼少期の姿は・・・。

深澤さんは出生体重3,610gと、平均より少し大きく生まれました。 そして、他の赤ちゃんと比べてもひときわ頭が大きかったそうです。
幼稚園の入園時には、指定の帽子がサイズギリギリで入るか入らないか・・・という事態に。

小学校でも、体育帽子を特注にするか悩むほど頭が大きかった深澤さん(笑)。 「顔がデカい」といじられる今のキャラは、生まれつきの才能(?)だったようです。
お母様がバラエティ番組の追加オーディションに応募したのがきっかけで入所。 最初は「カッコつけ」キャラを目指していましたが、滝沢秀明さんから「お前は3枚目を目指した方が向いてる」とアドバイスされ、今の親しみやすいキャラクターを確立しました。
宮舘涼太

続いては、「舘様」ことロイヤルな貴族キャラ宮舘涼太さん。
幼少期の姿はこちら!


ご両親は、お父様がサーファー、お母様が元レディース総長というファンキーな家系。
「涼太」という名前は、漫画「ころがし涼太」から取られたそうです。 お母様の教えは「喧嘩で負けるな」。 宮舘さんが負けそうになると、お母様が必死に応援していたというエピソードも(笑)。

そして、宮舘さんといえばメンバーの渡辺翔太さんと「幼馴染(ゆり組)」であることはあまりにも有名。
生まれた病院が一緒、幼稚園も一緒、クラスも一緒(ゆり組)。 入所前から同じダンススクールに通い、家族ぐるみで付き合いがあった仲です。

11歳の時、お母様に「買い物に行く」と言われて連れて行かれたのがオーディション会場。
終わった後、名札をどこに返せばいいか分からず尋ねた相手が、なんとジャニーさん。 その流れでジャニーさんと一緒にラーメンを食べに行ったという、入所初日から大物ぶりを発揮していました。
向井康二

続いては、唯一の関西出身メンバーで、バラエティ力抜群の向井康二さん。
幼少期の姿は・・・。


面影は薄いですが、とっても可愛いですね!
お父様が日本人、お母様がタイ人のハーフ。 タイに住んでいた頃は、なんとムエタイを習っていました。 帰国後は、サッカー、ダンスに加え、茶道や日本舞踊など日本の伝統文化も習っていたという意外な一面も。

入所のきっかけは、まさにそのムエタイ。
滝沢秀明さんとタイを訪れていたジャニーさんが、現地のムエタイ道場に飾られていた向井さんの写真に一目惚れ。
すぐに実家に電話をかけますが、お母様は信じず。 しかしジャニーさんは諦めず、1日に5回も電話をかけてスカウトしたそうです。 まさにジャニーさんに見初められた逸材だったんですね。
目黒蓮

続いては、俳優・モデルとしても大ブレイクを果たした目黒蓮さん。
幼少期の姿はこちら!


幼少期は超活発なアウトドア少年。 毎日外で遊び回り、趣味はザリガニ釣り。
幼少期からサッカーとソフトボールに打ち込み、小学生の頃には既に「勉強はいいや」と見切りをつけてスポーツ一筋だったそうです(笑)。

所属していたサッカーチームは都大会3位になるほどの強豪。
中学ではサッカー部で1年からレギュラーとして活躍。 そのイケメンぶりからファンクラブが結成されましたが、目立ちすぎたせいで学校の番長(不良)に目を付けられるというトラブルも。
最後は、お父様が番長を呼び出し「仲良くしてやってくれ」と説得して解決したという、漫画の主人公のようなエピソードを持っています。
ラウール

続いて8人目は、パリコレモデルとしても世界を股にかける最年少ラウールさん。
幼少期の姿は・・・。


お父様がベネズエラ人、お母様が日本人のハーフ。 日本育ちでベネズエラに行ったことがないため、スペイン語は全く話せないそうです。
幼少期の夢は芸能人になること。 ダンスを習い始め、小3の頃には「まいとラウール」という名前でダンサーとして活動していました。

その実力は凄まじく、ダンス大会でベスト8入りしたり、所属グループでアメリカのコンテスト2年連続準優勝を果たしたりと、世界レベル。
「将来はダンスを仕事にしたい」と考え、小6でジャニーズ事務所に入所。 加入当時は15歳だった彼も、今やグループのセンターとして堂々たる存在感を放っています。
渡辺翔太

最後に紹介するのは、美容男子としても注目を集めるメインボーカル渡辺翔太さん。
幼少期の姿は・・・。


前述の通り、宮舘涼太さんとは生まれた病院からの幼馴染(ゆり組)。 漫画のような設定が現実に存在するのがSnow Manの凄いところです。
幼少期、渡辺さんは左利きでしたが、ご両親の方針で右利きに矯正させられました。 当時のことを「人生の壁」と表現し、泣きながらお箸や鉛筆を右に持ち替えたという苦労話を語っています。

オーディションのきっかけは、宮舘さん同様、お母様に「買い物に行く」と騙されて連れて行かれたこと(笑)。 幼馴染で入所理由まで一緒なんて奇跡的ですね。
当時遊び程度で習っていたダンスを披露したところ、ジャニーさんに「君いいよ」と認められ、なんとその日のうちに取材を受けることに。
そしてその3か月後、幼馴染の宮舘さんも入所。 運命に導かれるようにして、2人は同じグループでデビューすることになったのです。
なにわ男子

いよいよ最後のグループ!
トリを飾るのは、キラキラ王道アイドルなにわ男子のみなさんです。
2021年11月、関西ジュニアから7年半ぶりのCDデビューを果たし、デビュー曲「初心LOVE」は社会現象にもなりました。
今やドラマ、映画、バラエティ、CMと見ない日はないほどの人気ぶり。 24時間テレビのメインパーソナリティを務めるなど、名実ともに国民的スターへの階段を駆け上がっています。
そんな、愛され力全開の7人の幼少期エピソードを見ていきましょう。
大西流星

最初に紹介するのは、あざとかわいい魅力でコスメプロデュースも手掛ける大西流星さん。
幼少期の姿はこちら!


小さい頃から目が大きくて、お人形さんみたいに可愛いですね!
しかし、その可愛さとは裏腹に、4歳からロックダンスを習っていた実力派。 小学生の時にはダンスユニット「シャムロック」に所属し、西日本大会で優勝するほどの腕前でした。

入所のきっかけは、お姉さんと一緒に行ったSexy Zoneのコンサート。 そこで佐藤勝利さんに一目惚れし、強い憧れを抱いて10歳で入所。
入所後わずか1か月で、西畑大吾さん、永瀬廉さん(現King & Prince)と共にユニット「なにわ皇子」のメンバーに抜擢されるという、スーパーエリートです。
大橋和也

続いては、底抜けに明るいリーダーで、美声の持ち主大橋和也さん。
幼少期の姿は・・・。


幼少期はスポーツ万能少年。野球、テニス、バドミントン、サッカーと何でもこなしていたそうです。
小2からは大阪の有名ダンス&ボーカルスクール「キャレス」に通い、CMやテレビ出演の経験も。

11歳の時には、あの「青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ」に出演! 「やきそば★SOUL」というユニットでボイパを担当していました。
当時、審査員だったつんく♂さんから「音楽は絶対に辞めるなよ」と絶賛された大橋さん。 その言葉通り、音楽の道を突き進み、今こうして私たちに素敵な歌声を届けてくれています。
高橋恭平

続いては、圧倒的ビジュアルとナルシストキャラが魅力の高橋恭平さん。
幼少期の姿はこちら!

幼少期はとても活発なスポーツ少年。 サッカーやバスケットボールを習い、さらに塾にも通っていたため、放課後は毎日習い事で大忙しだったそうです。

本人が語る「人生最大のモテ期」は中学時代。
バレンタインにはチョコを20個以上もらい、卒業式には制服のボタンを全て女子にあげたという、まさに漫画の主人公のようなエピソードを持っています。
しかし、勉強の方は少し苦手だったようで、中学生の頃、5教科500点満点のテストで合計100点を取ってしまったというお茶目な一面も(笑)。
長尾謙杜

続いては、衣装デザインも手掛けるグループの最年少長尾謙杜さん。
幼少期の姿はこちら!

めちゃくちゃ可愛い!
実は長尾さん、入所前からキッズモデルとして活動していました。

有名なのが、小学校の家庭科で使うエプロンのカタログモデル。 「あ、この子見たことある!」という方も多いのでは?

その可愛らしさから、数々の芸能事務所からスカウトを受けていたそうです。
しかし、テレビや舞台の世界に憧れていた長尾さんは、他のスカウトを断って、小6の時に自らジャニーズ事務所に履歴書を送りました。 その選択をしてくれて、本当にありがとうと言いたいですね。
西畑大吾

続いては、圧倒的な演技力で朝ドラ俳優としても活躍する絶対的センター西畑大吾さん。
幼少期の姿はこちら!

すでに西畑さんの優しい面影がありますね!
小学生の頃の夢は、なんと「ハリケンジャーになること」。 純粋な戦隊ヒーロー好きでした。
小4から小6までは、お父様がコーチを務めるチームでソフトボールに熱中。 中学では陸上部に所属し、1年生で市の大会6位入賞を果たすなど、運動神経も抜群でした。

中3の時、お母様に「トイザらスに行くよ」と言われてついて行ったら、そこは大阪城ホール(オーディション会場)でした。
「嫌だ!」と帰ろうとする西畑さんに、お母様は「なんでも買ってあげるから!」と説得。 物につられて受けたオーディションで見事合格し、今のトップアイドル・西畑大吾が誕生しました。
藤原丈一郎

続いては、バラエティ担当兼オリックス担当(?)の最年長藤原丈一郎さん。
幼少期の姿は・・・。


1枚目は0歳の写真ですが、バッチリ面影がありますね!
「丈一郎」という名前は、お父様が大ファンだったボクサーの辰吉丈一郎さんから名付けられました。 筋金入りのオリックスファンなのも、お父様の影響で幼少期から球場に通い、ファンの愛の深さに触れたからだそうです。

実は藤原さん、入所前から子供服のモデルとして活動していました。
そして小2(8歳)で入所。 これは当時の関西ジュニア史上最年少記録でした。
まだ幼かったため、厳しい指導に何度も涙を流したそうですが、その長い下積みと努力が、今の藤原さんの揺るぎない実力を支えています。
道枝駿佑

最後に紹介するのは、世界中にファンを持つ次世代のエース道枝駿佑さん。
幼少期の姿は・・・。

「駿佑」という名前は、午年生まれの「駿」と、かっこいいからという理由の「佑」を組み合わせてお父様が名付けました。
お母様がSMAPの大ファンだった影響で、幼い頃からジャニーズの曲を聴いて育ちました。

運命が変わったのは、ドラマ「金田一少年の事件簿N」を見た時。 主演の山田涼介さんに憧れ、自ら履歴書を送りました。
しかし、すぐには返事は来ず。 諦めずに送り続け、4回目の応募でようやくオーディションの連絡が届いたのです。 その執念と情熱が、今の道枝さんの活躍に繋がっています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、STARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)所属の現役グループから、新たな道で活躍するレジェンドまで、総勢30組以上の幼少期エピソードをご紹介しました。
天使のように可愛い写真や、意外なヤンチャエピソード、そして今に繋がる努力の物語。 幼少期を知ることで、彼らの現在の活躍がより一層輝いて見えますね。
これからも、それぞれの場所で輝き続ける彼らを応援していきましょう!
最後までご覧いただきありがとうございました。



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