元宝塚歌劇団月組トップで、現在は女優として活躍中の天海祐希さん。
そんな彼女は、宝塚時代に数々の伝説をお持ちのようです。
幼稚園時代に「声が大きくて、お芝居が上手ね」とほめられたことから始まった演劇への道。
今回は、天海祐希さんの宝塚時代の伝説についてまとめていきたいと思います。
天海祐希の宝塚時代の伝説の数々が本当に凄すぎる
天海祐希さんが宝塚音楽学校に在籍していたのは1985年から僅か2年間で、その後の宝塚歌劇団に在籍していたたのは、1987年から1995年の8年間でした。
そんな短い期間でありながら、天海祐希さんは数々の伝説を残していました。
宝塚音楽学校に首席で入学
天海祐希さんは宝塚音楽学校を首席で入学しています。
中学生時代に演劇部に所属していた天海さんは、宝塚ファンだった当時の担任から宝塚への入団を勧められ、高校2年生修了後の1985年に宝塚音楽学校を受験しました。
天海さんは新人の頃から周囲より抜きんでた存在だったらしく、その逸材ぶりから天海さんのお母さんは、宝塚関係者から「よくぞ生んでくださいました」とお褒めの言葉をいただいたそうです!
入団1年目で新人公演の主役に最速抜擢
そして正式に宝塚歌劇団に入団した天海祐希さん。
宝塚には、入団1~7年目までの新人達だけで演じる「新人公演」というものがあるのですが、天海さんはなんと入団1年目で主役に抜擢されました。
毎年宝塚に入学する人が40名程度いるので、入団7年目までが『新人』であるならば、280名はいたことになります。その中で、1年目の彼女が主役に抜擢…
この、入団してわずか10ヶ月で主役という記録はいまだに破られていないそうです。
その後、天海さんはさらに実力をつけ、まだ新人公演に出演する学年でありながらトップスターに就任するという異例の大出世を遂げていきます。
入団6年半で月組の男役トップスター
男役トップスターになるのは入団10年目と言われる中、天海祐希さんは入団から6年半でトップスターになりました。
入団から6年半というと、まだ新人公演を卒業する前の学年です。これは、宝塚歌劇団史上最速(普通は12年前後)と言われています。
いまだに6年半でトップスターという記録は破られていません。
ちなみに、宝塚トップでも年収は同世代のOLと同じくらいみたいです。
まあ、人気が出るとファンがお世話をしてくれるみたいだから、天海祐希さんクラスだと何でもファンがやってくれたでしょうけど(笑)
さて、トップスターになる前も天海さんの人気は凄かったのですが、月組男役トップスターになった後の人気度は群を抜いていました。
お茶会でファンに説教
宝塚には、ファンとの交流の場であるお茶会というものがあるのですが、天海祐希さんは人気が凄すぎて会場内がファンでごった返していたそうなんです。
そのため、イベントの進行の段取りは悪くなってしまったのですが、イライラした様子であった天海さんがしびれを切らして、天海さん自身で進行を仕切るなんてことがあったそうです。
また、お茶会には写真撮影もあるのですが、のろのろ動いているファンたちに向かって「テキパキと動きなさい。さっさと終わらせればその分たくさんお話できるんだから」と説教じみたことも言っていたそうです(笑)
ファンに媚び言動はせずある意味塩対応な天海さんでしたが、それでも人気が凄まじかったので、さすがといった感じですよね。
世間の声を気にせず自分の正義を貫く
またある日のお茶会で、当時日本でお米が出回らずタイ米をたくさん輸入していた時があったようなんです。
そのタイ米が不味いと世間では話題になっていたようなので、ある時ファンが天海祐希さんに「タイ米は食べましたか?おいしかったですか?」と聞いたとか。
当然世間の声はご存知だったと思いますが、天海祐希さんは「食べましたよ。美味しかったですよ。」と発言したらしいんです…正義の人ですよね(笑)
全てのファンに同じプレゼントを贈る
さらに、退団する者はファンクラブの人たちにプレゼントを贈るという慣例があるのですが、これまでは昔からのファンと新参者では、プレゼント内容が違っていたそうなんです。
しかし、天海さんは全てのファンに同じワイングラスを送りました。
ファンに格差をつけない天海さん、さすがですよね。
おかしいと思ったルールをドンドン変える
宝塚にはいくつかのルールや規則が存在するのですが、おかしいと思ったルールがあったらそのルールを変えることもあったそうです。
宝塚歌劇団の娘役・有愛さんが2023年9月30日に自殺したことで世間の注目を浴びている宝塚ですが、天海祐希さんもそのルールをドンドン変えていきました。
同期の1人が、本科生からいじめを受けたことがあったんです。そのとき天海さんは“1人だけをいじめないでください”と憤慨した。理不尽な理由で同期が課せられたトイレ掃除を、“私も一緒にやります”と買って出たこともあったそうです。
そうした上下関係を見てきたからでしょうね。天海さんが本科生になったときには“夢を見せる存在である宝塚が、こんな規律に縛られていてはいけない”と、リーダーシップをとってルール改革をしたそうです。
例えば、男役は外を歩く際に髪をピンで止めるという規則があったのですが、その規則を無くしたり、ファンに対して夜10時以降の出待ちは禁止というルールを作ったりしました。
公演が終了してからタカラジェンヌが帰る時間は夜10時過ぎなのですが、その時間まで女性が外にいるのは危険だし、騒いだりしたら周りに迷惑という理由で、夜10時以降の出待ち禁止というルールを作ったそうです。
ちなみにですが、天海さんの出待ちに対する態度はあまりよくなかったと言われています。
毎回帽子を目深にかぶって下を向いて足早に通り過ぎるなどしていたそうで、もちろん、笑顔なんて向けていませんでした。
天海さんは人気がすごかったものですから、一度、ものすごい数の出待ちが押し寄せてきて、揉みくちゃ状態になったり、自宅まで押しかけられたなんてこともあったそうです。
そういった経験が理由で、出待ちに対して態度が良くなかったのではないかと言われています。
他にも、2017年11月に放送された『ウチのガヤがすみません!』にて、過去に宝塚で男役を務め、現在はアイドルとして活躍する彩羽真矢さんが、天海祐希さんの伝説に言及していました。
その内容というのが、「予科ピンを廃止させた」。一体どういうことかと言うと…
男役は髪の毛が短いじゃないですか。髪の毛をピンピンはねないように、徹底的にヘアピンを何十本もつけて固めるっていう規則があったんです。
それが、宝塚音楽学校1年目の予科生っていうんですけど、『予科ピン』っていう規則だったんです。そのピンを付けなくていいっていう風にしたのが、天海さんみたいです。
確かに髪をピンでとめるってかなり大変でしょうからね…
ちなみにこの伝説も事実らしく、今ではスプレーで固めるだけでOKになったとか(笑)
本当に凄い方です!
そんな絶大な人気のあった天海さんですが、トップスターになってからわずか2年で宝塚歌劇団を退団してしまいます。
僅か2年半で宝塚歌劇団を退団
天海祐希さんは宝塚歌劇団入団から8年、月組トップスターになって2年の1995年12月に、人気絶頂の中、宝塚歌劇団を退団しました。
通常、トップスターになってからは平均5年は活動するのですが、天海祐希さんはわずか2年で退団しています。
これには当時のワイドショーやマスコミ各社が退団の特集を組むなどして世間の高い関心を集めました。
天海祐希さん本人は早期退団の理由を明確には話さなかったので、当時は様々な憶測が飛び交いました。
上級生を押しのけて最年少学年でトップスターになったので、嫉妬した上級生やそのファンからいじめを受け、それが理由で早期退団したのではないかと言われています。
大階段を降りるときに背負う羽根を隠された事もあったそうです。
しかしこれはあくまで憶測で、本当にいじめられていたかはわかりません。
ある日、ファンの人たちが「出待ち」をしていると、天海祐希さんが手に包帯を巻いて出てきたことがあったそうです。
みんなが心配したところ、天海さんは「大学風呂を覗いて悪戯しようと壁をよじ登っていたら、ボイラーの熱い部分を触ってしまって」と答えました。
先輩たちからの嫌がらせによる怪我なのか、本当に悪戯をして怪我をしてしまったのかは不明ですが、もし本当に悪戯による怪我だとしたら、いじめられていた人がそんな悪戯をするとは思えませんよね。
しかし羽根を隠されたこともあったそうなので先輩達から多少の嫌がらせは受けていたかもしれません。
先輩達や同期にチャンスを与えるためにトップスターの座を降りたとも言われています。
また、天海祐希さんは女優へ転身を目標としていたので、女優として活躍するには少しでも早く退団した方が良いと考えたのかもしれません。
早期退団の理由を2つ挙げましたが、天海さんのサバサバとした性格を考えると、いじめが原因で退団したというのはどうも考えられませんよね。
天海さんが引退に対して明確な発言をしなかったので様々な憶測が飛び交ってしまいましたが、宝塚の話をしないのは、「宝塚の元男役トップスター」のイメージが強すぎると女優さんとして大成しにくいからという理由があるそうです。
サヨナラ公演で慣例を破る
宝塚といったら男役トップスターがフィナーレに大きな羽根を背負うというイメージが強いと思いますが、天海祐希さんはサヨナラ公演のフィナーレの時に、大きな羽根を背負わずに登場しました。
これまで、羽根を背負わずに登場したトップスターはいないそうなのですが、トップばかりが豪華な衣装を着るという制度が嫌だったらしく、天海さんに限ってその制度をやめてもらったそうです。
そして天海さんにはもう一つ、退団時の伝説エピソードがあります。
幕が降りる前、トップは観客に向かって手を振って終えるというのが当たり前の行動でしたが、天海祐希さんはその慣例も破ったのです。
最後の最後で天海さんが顔を向けた相手は観客ではなく仲間たちでした。
天海さんは在籍時、「同期が支えだった」と話しており、最後のステージでは仲間への感謝の気持ちを最大限に表したようです。
天海祐希の同期や相手の娘役も伝説級の人物ばかり
宝塚時代に数々の伝説を残した天海祐希さん。
そんな彼女の同期や相手娘役にはどんな方がいたのでしょうか?
同期のタカラジェンヌ
天海祐希さんと同期で、現在も芸能活動をしている方たちは以下の通りです。
- 絵麻緒ゆう
- 苑ななみ
- 姿月あさと
- 青山雪菜
- 葛城七穂
絵麻緒ゆうさんは、現在は「えまおゆう」という名前に変えて舞台を中心に活動しています。
苑ななみさんは、本名の中島香織という名で議員として活動しており、天海祐希さんと同じ月組で活躍していました。
そして、姿月あさとさんは舞台女優として、青山雪菜さんは歌手として、葛城七穂さんは声優として活躍しています。
天海祐希さんと同期の人たちは、今でも交流があるそうです。
相手娘役のタカラジェンヌ
天海祐希さんの相手娘役をしていた方は、
- 麻乃佳世さん
- 森奈はるみさん
- 白城あやかさん
です。
麻乃佳世さんは、1995年に天海祐希さんとともに宝塚を退団しており、現在は舞台を中心に活動しています。
森奈みはるさんは、親もタカラジェンヌというサラブレッドで、現在は女優として活動しているみたいです。
そして、白城あやかさんは、タレントの中山秀征さんと結婚し、四人の子供達のお母さんとなりました。
まとめ
今回は、天海祐希さんの宝塚時代の伝説についてまとめてみました。
宝塚音楽学校は首席で入学し、入団一年目で新人公演の主役を務めるなど、その逸材ぶりを発揮していた天海祐希さん。
異例の速さで男役トップスターになってからは凄まじい人気を集め、異例の速さで宝塚歌劇団を退団するなど、他のタカラジェンヌとは違うことを成し遂げました。
そして現在は数々のドラマに出演するなど、女優としても大活躍中ですよね。
天海祐希さんの結婚について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
コメント