吉田美和の夫【旦那】年齢差は?母親は誰?急死の歌の思いがヤバい!

ミュージシャン

日本を代表するアーティスト:ドリカム。

そのドリカムのボーカルを務める吉田美和さんは、現在結婚をしています。

しかし、今の夫と結婚をする前に、略奪愛や最愛の人との死別という壮絶な過去を経験しています。

そこで今回は、吉田美和さんの過去や現在の夫、その夫の母親の情報などを掘り下げていきます!

吉田美和は旦那と死別していた?

今から16年前、吉田美和さんはある一人の男性と出会います。

吉田美和さんは、ドリカムとして人気を不動のものにしていた2003年1月、9歳年下の映像ディレクター・末田健(すえだたけし)さんとの半同棲交際がスクープされています。

この末田健さんとは前々から面識があったみたいです。

東放学園専門学校放送芸術科卒業。

m-flo大塚愛などのPV監督として活躍。

1997年に株式会社セップ(SEP)に入社し、ミュージックビデオを中心とした映像制作に携わるようになる。

吉田との出会いもDREAMS COME TRUEのミュージックビデオ製作の場であった。

このまま順調に交際を続け、周りからも祝福されて結婚。

…かと思いきや、そうはならなかったようです。

不倫略奪?ワケありな関係

末田には妻子がいたが、不倫略奪の末に、2004年5月に結婚(事実婚)を発表。

え、不倫?略奪?

ちょっと驚きですが、とにかくお二人は事実婚の発表をしました。

ちなみに事実婚というのは、婚姻届を提出せず、内縁関係の状態のことを言います。

吉田さんは独身だったため本来なら祝福される話題でしたが、末田さんはこのとき既婚者であり子供もいたため、人気トップアーティストである吉田さんのまさかの不倫愛は世間に衝撃を与えました。

不倫略奪したあげく事実婚なのですから、周りも祝福しようにもできない状態だったでしょうね。

当の吉田美和さんも、

「籍を入れるわけでもないし、でも心意気は『共に白髪が生えるまで』だからさっ!」

このように割り切った様子。

ではなぜ、お二人は事実婚を選択したのでしょうか?

「ご本人たちが話していないので詳しくはわかりませんが、別れた前妻やその子供への配慮からと考えられます。

具体的には、末田健さんと子供の関係性や、万が一のことが末田さん自身に起きた場合、子供に遺産相続をさせるためなどといったことが考えられます。」

「吉田さんの持っている莫大な財産を末田さんの元妻子に慰謝料や養育費として流出することを防ぐために吉田さんの周りにいた人が入籍を止めたということが背景としてあったようです。」

どうやら、相当入り組んだ大人の事情があったようです。

そもそもが不倫からの事実婚なので、当然といえば当然でしょうか。

略奪婚ということもあり、当時は批判を浴びた吉田美和さんですが、真実は違っていたようです。

吉田美和が末田健と出会い恋愛感情が生まれるまでは、結婚していたという事実を隠されていたようなんです。

つまり吉田美和は独身だと思って付き合っていたというわけです。

その後きちんと話し合いが行われたのかきちんと離婚をして、一緒になっていますが結婚ではなく事実婚という形式をとっています。

自分達の関係が週刊誌に報道された事で、初めて末田さんが妻子持ちだという事実を知り、非常に落ち込んだと言われています。

むしろ責められるべきは松田さんの方?と思ってしまう情報です。

しかし夫婦仲は良かったようで、その後は黒い噂は流れませんでした。

夫が急死。残酷な運命

体調不良を理由に2007年3月に映像制作会社を退社した末田さんの体は、胚細胞腫瘍という病魔に蝕まれていた。

頭痛や意識障害、嘔吐といった症状を訴える末田さんのため、吉田は自宅に医療機器を設置して必死の看病に努めた。

事実婚という状態ではあったものの、幸せに暮らしていた2人に突如変化が訪れました。

不幸にも、末田さんが病に倒れてしまったのです。

しかもこの時はドリカムの「ワンダーランド2007ツアー」の真っ最中。

一時は看病などのため、ツアーの中止も考えたという吉田さんでしたが、末田さんに「ツアー楽しみにしているよ、頑張ってきて!」と励まされた事で、ツアーを最後までやり切る事を決意されました。

末田さんの回復を信じ、最後までツアーをやり切った吉田美和さん。

しかし運命とは残酷なもので、

ツアーが終了した3日後の2007年9月26日、吉田に見守られながら末田さんは息をひきとった。

病院の廊下には、別れを受け入れられない吉田の絶叫が響きわたったという。

この時の吉田さんの悲しみは筆者にははかり知れません。

ドリカムのメンバー:中村正人さんも、ブログで次のように語っています。

ご両親や吉田の昼夜ない必死の看病のもと、末田監督は、強い意志と強靭な精神力で病気と闘いました。

吉田がこのような状況で国立競技場公演までやり通せたのも、「ドリカムワンダーランドの最終公演まで、どんなことがあってもステージをしっかり勤め上げる」という末田監督と吉田の約束があったからでした。

吉田も、末田監督の回復を強く信じて、一公演一公演、渾身の力を振り絞って歌い、踊り、走りました。

それに対して僕は、ただふたりを見守ることしかできない自分の無力さに、打ちのめされる日々でした。

それは、たった今も。

長年共に歩んできたメンバーだからこそ、悲しみも共有できてしまうのでしょうね。

この後3ヶ月間、吉田さんは立ち直れませんでした。

そして末田さんが亡くなられてから3ヶ月後、ようやく吉田さんはもう一度、前を向いて歩き出す事を決意されました。

「メソメソしていても彼(末田さん)は喜ばない。

歌っている私が好きだと思うから。

歌えるってすごいことだと思うもん。」

悲しみを乗り越え、また歩みだす決意を固めた吉田さん。

ここからドリカムはまた躍進を続けることになります。

【旦那の急死】歌に込めた想い

吉田美和さんが活動再開してからすぐに、ドリカムは14枚目のアルバムを発売しました。

そのアルバムに、末田さんを追悼する歌が収録されています。

2006年にドリカムと末田はプロモーションビデオの撮影のため世界中を旅行、その際に完成していた曲を収録したアルバムを07年のクリスマスまでに発売しようと話し合っていた。

その予定していたアルバムに、夫を追悼する「予想外」の新曲が加わった形だ。

曲のタイトルは「AND I LOVE YOU」

1分52秒の短めの曲だが、吉田は収録時、歌詞を1行歌うごとに涙をあふれさせていたという。

以下に歌詞全文を載せます。

「遅くなるよ」の電話は もう来ないけれど
長い旅にでも出たと 思っています

何日も会えないことも 多かったから
わたしたちはきっと ね、大丈夫だよね

これまでは ふたりで乗り越えたいろんなこと
たとえばまさに「今」みたいなことを

これからはひとりで乗り越えていかなきゃ
それがほんとはいちばん 心細い

この歌を人前で歌うことは ないだろうけど
私情をみんなに聞かせて 申し訳ないけど

いつかあなたのところへ わたしが行く時
しわしわでもぜったいに すぐに見つけてよ

ありがとうって言えるまで どこかで見ててね
ありがとうって言ってるから どこかで見ててね

亡くなった末田さんに対する、吉田さんの想いが痛いほど伝わってきます。

この想いはファンの方にも伝わったようです。

ドリカムの and i love youって曲知ってる人いる?あれほんと泣ける。グッとくる。

私も数年前に大好きな祖父を病気で亡くしました。

悲しみにくれていた時、ドリカムの「AND I LOVE YOU」という曲に出会い、吉田美和さんも旦那様を亡くされた悲しみを乗り越えたと知り、自分も前を向こうと決めました。

辛い時は思い切り涙を流していいと思います。

お祖父様のご冥福をお祈りします。

「AND I LOVE YOU」 私が大好きな曲です。

ドリカムの吉田美和さんが事実婚の夫が亡くなった時に作られた曲です。

歌詞を見ただけでボロボロ泣けちゃうけど、本当に素敵な曲なので是非聴いて欲しいです。

この歌に励まされた人もいたようです。

天国にいる末田さんにも、この声はきっと届いたでしょう。

吉田美和の現在の旦那はどんな人?

末田さんとの死別から5年後、吉田美和さんはある1人の男性と再婚をはたします。

末田さんとの死別を乗り越え再び前を向いて走り出した吉田美和さんでしたが、その5年後の2012年3月にロックバンド・FUZZY CONTROLのボーカルを務めるJUONさんとの再婚を発表しました。

鎌田樹音さんがドリカムのサポートメンバーとして活動していたことがキッカケでした。

再び幸せを手に入れた吉田さん。

末田さんとは事実婚だったので、今回は法律的には初婚ということになります。

この時の吉田さんのブログには、とても前向きな思いが綴られていました。

ファジーコントロールの樹音くんと3月8日に入籍しました。

ふたりで開けるこのドアが どこに通じているかはわからないけれど共に愛する音楽をますます大切にしながら家族や友達、まささん、そしてもちろんみんなから貰った勇気と愛をしっかりたっぷり抱えて一歩踏み出してみます。

さらにこの後、ドリカムファンにとって嬉しいイベントを開催しました。

夫と大阪ライブ!ファンも歓喜!

大阪市内でライブを開き、3月に婚姻届を提出したボーカルの吉田美和(47)とロックバンド「FUZZY CONTROL」のJUONこと、鎌田樹音(27)の2ショットを結婚発表後、初めて来場したファンに披露した。

夫と共にライブ出演をはたした吉田さん。

この時は、吉田さんの50歳記念ライブでもありました。

そしてライブ後、吉田さんは親族を集め、彼らに語りかけました。

「二度と歌えないと思ったけど、皆さんの支えのお陰でまたステージに立てました。

ありがとう」

周囲の人たちの暖かい応援のおかげもあって、ライブは大成功に終わりました。

【年齢差】実は年下好き?

2012年に再婚した吉田美和さんですが、お相手の鎌田樹音さんは吉田美和さんより20歳年下の年の差婚だったことで知られています。

鎌田樹音さんとは、実は相当な年の差婚でした。

しかし、

「年の差婚で、鎌田くんとは19歳の差がありますが、まったく気にしていないようです。

鎌田くんは、若さに似合わず父性的な包容力がある男ですから」

どうやらお互いそれほど気にしていない様子。

とはいえ、前の夫である末田さんとも9歳の差があったので、

前回が9歳下、今回は20歳下とあれば、吉田美和はさすがに生粋の年下好きなんだと確信できちゃいますね。

という世間の声もあるようです。

確かに吉田さんは、頼れるお姉さんという感じですしね(^_^)

夫:鎌田樹音の母がスゴイ人!

夫の鎌田さんの母親が、実は有名人だったということをご存知でしたか?

母親は女優でシンガーソングライターの「りりィ」

若い人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、昔は一世を風靡した大スターでした。

1972年、東芝EMIより歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで一世を風靡。

’74年にはシングル「私は泣いています」が、100万枚越える驚異的なセールスを上げ、「心が痛い」、「ジュン」などの名作が入ったセカンドアルバム「ダルシマ」、サードアルバム「タエコ」が大ヒットを記録する。

近年も、ドラマに出演なさっていたので知っている人も多いのではないでしょうか。

テレビドラマ「3年B組金八先生」では、女優の上戸彩さんが演じた性同一性障害に悩む生徒の母親役で公演されています。

大ヒットドラマ「半沢直樹」に出演された堺雅人の母親、半沢美千子役だった人。

このように数多くの作品で活躍されていたりりィさんですが、吉田美和さんとも深い繋がりがありました。

りりィさんは1974年「私は泣いています」をはじめとしてヒット曲をいくつも待ち、吉田美和さんは同じミュージシャンとして尊敬していました。

しかし、やはり病には勝てませんでした。

2016年11月11日末期の肺がんが死因で、64才でりりィさんは亡くなりました。

晩年もライブ活動を続け、吉田美和さんは何度も訪れていたそうです。

64歳という、早すぎるお別れでしたが、りりィさんはきっと幸せだったと思います。

なぜなら…

「亡くなる3日前にお見舞いに行った時も、JUONと吉田さんがいました。

りりィの足を揉んであげたり、かいがいしく看病していましたよ。

あの時、吉田さん夫婦は近くに泊まり込んでいて、3日間看病に当たっていたそうです。

彼女はもう物が食べられないのですが、野菜や果物をすりつぶして凍らせたものを口に含ませてあげると、喉が爽やかになるんだそうです。

驚いたのはその氷を吉田さんが手作りしていたこと。

りりィ、見たこともないほど幸せで安らかな顔していました」

かいがいしくりりィさんの看病を続けた吉田さん夫妻がいたからです。

そして最期の瞬間も、

「吉田さんとJUONさん、その足でタクシーに飛び乗って、深夜にUターンしてまた鴨川に戻ってきたんです。

なんとか間に合って、ふたりで最期を看取ることができたといいます」

愛する人との死別は悲しいですが、リリィさんとは理想的なお別れができたのだと思います。

葬儀のときも吉田さん夫妻は後悔はなかったようで、

ふたりの表情に悲壮感はなく、時折、笑顔も見られた。

りりィさんについて、心よりご冥福をお祈りいたします。

旦那と沖縄の意外な繋がり?

最後に、ちょっとした豆知識で締めたいと思います。

ドリカムの二人の配偶者は、ともにうんと年下で、ともに沖縄出身という偶然。

どういう事かというと。

吉田美和さんの現在の夫である鎌田樹音さんは沖縄出身です。

そしてドリカムのもう一人のメンバーである中村正人さんの妻:中村麻紀さんの出身も沖縄なんです!

ちなみに麻紀さんは、2000年代に活躍した「HIGH and MIGHTY COLOR」のボーカルを務めていました。

何やら沖縄での運命的な繋がりを感じてしまいますが、ドリカムを結成してからもう30年近くたちます。

私たちの目に見えない、強い絆で結ばれているのかもしれませんね。

コメント

  1. よしこ より:

    りりィさんが亡くなったのは、2016年です。
    りりィさんの息子と吉田美和の結婚が2012年で、息子夫婦で看病した話も載せていますよね。
    その上で、りりィさんが亡くなったのを2006年として、「亡くなったのは10年以上前ですが…」とは、どれだけ適当なんですか。