ドリカムのボーカルとして、誰もが知る存在の吉田美和さん。
プライベートでは、2012年に19歳年下のミュージシャン・鎌田樹音(かまた じゅおん)さんと結婚し、今も仲睦まじい夫婦生活を送っています。
一方で、吉田美和さんには、最愛のパートナーを病気で亡くした過去があることも、ファンの間では有名な話ですよね。
そんな吉田美和さんの現在の夫・鎌田樹音さんとはどんな人なのか。
そして、亡くなった前夫・末田健さんとはどんな愛の物語があったのか。
この記事では、吉田美和さんの夫・鎌田樹音さんの現在を中心に、前夫・末田健さんとのエピソード、そして吉田美和さんが歩んできた波乱万丈の愛の歴史を詳しくご紹介していきます。
吉田美和の夫・鎌田樹音の現在!音楽活動や夫婦仲を徹底調査
吉田美和さんの旦那さん、鎌田樹音(かまた じゅおん)さん。
2012年に結婚してから、もう10年以上経ちますが、実は今でもラブラブな夫婦として知られてるんです。
19歳という年齢差や、超有名アーティストと若手ミュージシャンの結婚ということで、最初は「すぐ離婚するんじゃ…」なんて声もあったみたいですけど、そんな予想を完全にひっくり返して、今も仲良し夫婦を続けてるんですよね。
しかも、樹音さんは現在もミュージシャンとして活動中。
ドリカムのサポートメンバーをきっかけに吉田美和さんと出会ったわけですが、そこからの音楽キャリアもちゃんと積み上げてきてるんです。
この見出しでは、鎌田樹音さんのプロフィールや現在の音楽活動、夫婦のリアルな関係について、たっぷりご紹介していきます。
ありがとうございます!
では、次の見出し【鎌田樹音のプロフィール|音楽一家に生まれた実力派ミュージシャン】の内容を作成いたします。
以下、ご確認ください。
鎌田樹音のプロフィール|音楽一家に生まれたミュージシャン
まずは、吉田美和さんの旦那さん、鎌田樹音さんのプロフィールをチェックしていきましょう。
- 名前:鎌田樹音(かまた じゅおん)
- 生年月日:1985年3月8日
- 年齢:39歳(2024年時点)
- 出身地:沖縄県生まれ・東京都育ち
- 血液型:AB型
- 職業:ミュージシャン・ギタリスト・ボーカリスト・作曲家
音楽ファンの間では、「JUON(ジュオン)」という名前の方がピンとくるかもしれませんね。
鎌田樹音さんのすごいところは、生まれながらにして音楽のDNAを受け継いでいるという点。
お母さんは、1970年代に「私は泣いています」の大ヒットで知られる伝説のシンガーソングライター、りりィさん。
さらに、お父さんは沖縄出身のギタリスト糸数元治(いとかず もとはる)さん。
まさに音楽一家で育ったサラブレッドなんです。
そんな環境もあって、幼い頃から音楽に囲まれて育ち、自然とギターを手に取るようになったんだとか。
その後、2003年にバンド「FUZZY CONTROL(ファジーコントロール)」を結成。ボーカル&ギターを担当し、バンド活動を本格スタートさせます。
実は、このFUZZY CONTROLがドリカムと深~い縁があって、後に吉田美和さんとの運命の出会いにもつながっていくんです。
しかも、樹音さんの音楽の実力は折り紙付き。B’zの稲葉浩志さんやスガシカオさんなど、超大物アーティストのサポートギタリストも務めるほどの実力派。
ギターの腕前だけじゃなく、作曲センスも高く評価されてるんです。
音楽一家に生まれ、プロとして活躍し続ける実力派ミュージシャン、それが鎌田樹音さんなんですね。
現在はソロ活動やサポートギタリストとして活躍
鎌田樹音さんは、現在もミュージシャンとして精力的に活動中です。
もともとボーカル&ギターを担当していたバンド「FUZZY CONTROL」は、2015年に活動休止していますが、その後も音楽への情熱は変わらず、ソロアーティストとしての活動をスタート。
自身のライブや楽曲制作はもちろん、有名アーティストのサポートギタリストとしても引っ張りだこなんです。
これまでにサポートしてきたアーティストも超豪華で、B’zの稲葉浩志さん、スガシカオさん、絢香さんなど、日本を代表するトップミュージシャンたちと一緒にステージに立ってきました。
さらに、ドリカムのライブサポートも現在進行形で続けていて、ファンの間でもすっかりおなじみの存在になっています。
しかも、ただ演奏するだけじゃなく、楽曲提供や舞台音楽の制作など、活動の幅もどんどん広がってるんですよね。
お母さんのりりィさんから受け継いだアーティスト魂を胸に、音楽一筋の人生を歩み続けているのが、今の鎌田樹音さんなんです。
12年目でも仲良し!夫婦の日常エピソード
吉田美和さんと鎌田樹音さん、結婚から12年が経った今でも「仲良し夫婦」として有名なんです。
芸能界のビッグカップルって、どうしても「すれ違い」「離婚危機」なんて噂が出がちなんですけど、この2人に関してはそんな気配ゼロ。
むしろ、年々絆が深まってるって言われるくらいなんですよね。
特にファンの間で有名なのが、2人で朝ごはんを作る時間。
樹音さんがキッチンに立ってると、吉田美和さんが「何作ってるのー?」って声をかけたり、逆に美和さんが料理してるときは樹音さんが「味見係」になったり、そんな微笑ましいエピソードがたくさんあるんです。
さらに、CMソングを2人でハモるなんて可愛すぎる日常も話題に。
テレビCMで流れる曲に合わせて、自然とハモっちゃうっていうエピソードが、「まるでミュージカルみたい!」ってファンの間でも大盛り上がりだったんですよね。
そして、2024年には人気番組「モニタリング」に2人で出演。
その時も、終始ラブラブな空気感で、「こんな夫婦になりたい!」って声が殺到しました。
長年連れ添っても、お互いをリスペクトして、ちゃんと向き合ってる。
そんな2人だからこそ、今も変わらず素敵な関係を続けてるんだなぁって感じますよね。
子供はいる?夫婦のこれからと現在の考え
吉田美和さんと鎌田樹音さんの間に、子供はいるの?って気になる方も多いと思います。
結論から言うと、2人の間にお子さんはいません。
結婚から12年経っているので、「もしかして隠し子がいる?」なんて噂が流れたこともありましたが、そういった事実は一切ありません。
なぜ子供を持たなかったのか、明確に2人が語ったことはありませんが、年齢や仕事の忙しさが大きな理由と言われています。
特に吉田美和さんは、結婚した時点で40代後半。
年齢的なハードルもあったでしょうし、ドリカムとして全国ツアーや楽曲制作に追われる毎日で、なかなか子供を持つタイミングがなかったのかもしれません。
とはいえ、夫婦2人の関係はとっても良好。
音楽や日常を一緒に楽しんで、夫婦2人だけの時間を大切にしているようです。
ファンからも「子供がいなくても素敵な夫婦」「2人の関係が理想」なんて声が多くて、無理に子供を作るよりも、2人らしい夫婦の形を選んだんじゃないかなって感じます。
今後についても、特に「子供が欲しい」といった発言はなく、2人らしいペースで、音楽と夫婦の時間を楽しんでいくんじゃないでしょうか。
波乱万丈の愛の歴史!吉田美和と前夫・末田健の関係とは
現在の旦那さん・鎌田樹音さんと幸せな日々を送っている吉田美和さんですが、実はその前に「最愛のパートナー」と呼ばれた男性がいました。
それが、映像ディレクターの末田健(すえだ けん)さんです。
2人は正式に入籍はしていませんが、事実婚という形で夫婦同然の生活を送っていました。
でも、その幸せは長くは続きませんでした。
最愛のパートナーだった末田健さんは、33歳という若さで急逝。吉田美和さんは、「愛する人を失う」という壮絶な経験を乗り越えて、今の幸せを掴んでいるんです。
この見出しでは、そんな吉田美和さんと末田健さんの出会いから、波乱に満ちた愛の歴史を振り返っていきます。
略奪愛から始まった2人の関係と世間の反応
吉田美和さんと末田健さんの関係は、ちょっとドロドロしたスタートだったことでも有名です。
2人が出会ったのは2001年頃で、きっかけはドリカムの楽曲「好きだけじゃだめなんだ」のミュージックビデオ撮影でした。
末田健さんは、当時すでに既婚者だったんですが、仕事を通じて吉田美和さんと急接近。
その後、不倫関係に発展していったと言われています。
この事実が週刊誌に報じられると、世間の反応は当然ながら大荒れ。
「吉田美和が略奪愛!」というセンセーショナルな見出しが踊り、クリーンなイメージだった吉田美和さんに対するバッシングもかなり激しかったんです。
でも、吉田美和さん自身は一貫して末田健さんへの愛を貫いたんですよね。
その結果、末田健さんは離婚。そして、吉田美和さんとの事実婚という形を選びました。
当時は「不倫」「略奪」というネガティブなイメージが先行してしまいましたが、周囲の声に流されず、2人の愛を信じ続けた姿勢には、心打たれたファンも少なくありませんでした。
今振り返ると、この波乱のスタートも、吉田美和さんの「本気の愛」を象徴するエピソードだったのかもしれませんね。
最愛の夫・末田健を襲った「胚細胞腫瘍」とは
吉田美和さんが最愛のパートナー・末田健さんを亡くしたのは、2007年9月26日のこと。
当時、末田健さんは33歳という若さでした。
亡くなるまでの経緯を辿ると、あまりにも突然で、あまりにも切ない出来事だったんです。
末田健さんを襲った病気は、「胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)」という病気。
簡単に言うと、生殖細胞が起源となる腫瘍で、悪性になると全身に転移しやすいという特徴があります。
元々は男性の精巣や女性の卵巣にできやすい腫瘍なんですが、末田さんの場合は「胸部」に発症していました。
発覚したのは、ドリカムのツアー真っ最中。
体調不良を訴えて病院で検査を受けたところ、すでに病状はかなり進行していたそうです。
それでも、吉田美和さんはツアーを中断せず、「健さんが一番見たい景色だから」と、末田さんの願いを叶えるためにステージに立ち続けました。
そして、ツアーが終わるとすぐ病院に駆けつけ、最期の瞬間まで寄り添ったと言われています。
33歳という若さでの急逝は、本当に言葉にならないほど悲しい出来事。
でも、吉田美和さんは「最後の最後まで2人で闘い抜いた」という強い想いを胸に、歌い続ける道を選んだんです。
最期を看取った吉田美和の壮絶な日々
最愛のパートナー・末田健さんが「胚細胞腫瘍」と診断されたのは、ドリカムの全国ツアー真っ最中のことでした。
普通なら、すぐにでもツアーをキャンセルして、そばに付き添いたくなるところですが、吉田美和さんはツアーを最後までやり抜くことを選びます。
その理由は、「健さんが一番見たかった景色を見せてあげたい」から。
健さんにとって、ステージで歌う吉田美和さんの姿こそ、最高のエネルギーだったんです。
それでも、ステージ裏では病院と連絡を取り合いながら、健さんの容態を気にかける毎日。
ファンの前では笑顔を見せながら、心の中では常に不安と闘っていたんですよね。
ツアー終了後は、ほとんど病院に泊まり込み、仕事と看病を両立する日々が続きました。
そして、2007年9月26日。吉田美和さんに見守られながら、健さんは静かに息を引き取りました。33歳という若さでした。
最愛の人を失った直後の吉田美和さんは、しばらくの間、放心状態だったと言われています。
それでも、「健さんのために歌い続ける」という強い想いを胸に、少しずつ前を向き始めました。
あの頃の吉田美和さんを知るファンからは、「あんなに辛い経験をして、それでも歌い続けるなんて、本当に強い人」という声が今も絶えません。
亡き夫への想いを込めた「AND I LOVE YOU」誕生秘話
吉田美和さんが最愛のパートナー・末田健さんを亡くしてから、初めてリリースしたアルバム『AND I LOVE YOU』。
実はこの作品には、健さんへの深い愛と感謝の気持ちが込められているんです。
アルバムタイトルの『AND I LOVE YOU』は、健さんが亡くなる直前、吉田美和さんに向けて最後に伝えた言葉だと言われています。
たった一言に、2人が歩んできた日々や、どんな時も支え合ってきた愛情が全部詰まってるんですよね。
吉田美和さんは、健さんが旅立った後も「健さんと一緒に音楽を作っている」という気持ちを持ち続けているそうです。
実際、アルバム制作中は何度も涙が溢れて、レコーディングが中断することもあったとか。
それでも、「健さんがくれた言葉を形にするんだ」という強い想いで、一音一音に気持ちを込めて作り上げたんです。
ファンからも「聴くだけで涙が出る」「こんなに想いのこもったアルバムは他にない」と絶賛の声が相次ぎました。
『AND I LOVE YOU』は、ただのアルバムではなく、吉田美和さんにとって、健さんとの愛の証そのもの。
そして今も、健さんへの愛を胸に、吉田美和さんは歌い続けています。
鎌田樹音と吉田美和の馴れ初めから再婚までの感動ストーリー
最愛のパートナーを亡くした吉田美和さんが、再び愛を見つけるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
そんな吉田美和さんに、そっと寄り添い続けたのが、19歳年下のミュージシャン・鎌田樹音さんだったんです。
2人の出会いは2009年。
ドリカムのサポートメンバーとして、樹音さんがギターを担当することになったのがきっかけでした。
音楽を通じて距離が縮まり、いつしか仕事仲間から特別な存在へと変わっていったんですよね。
でも、吉田美和さんの中には、亡き健さんへの想いがずっと残っていて、なかなか新しい一歩を踏み出せなかったと言われています。
そんな吉田美和さんの心を動かしたのが、2011年の東日本大震災でした。
震災をきっかけに「大切な人と過ごす時間がどれだけ貴重なものか」を改めて感じた吉田美和さん。
そして、樹音さんも「僕が美和さんを支えていく」という強い決意を固めます。
プロポーズの時には、「僕が美和って名前を一生守ります」と、鎌田ではなく「吉田」の姓を選ぶことまで決断したんです。
こうして、2012年3月8日。
2人は19歳の年の差を乗り越えて、夫婦という新たな一歩を踏み出しました。
「最愛の人を失った悲しみ」と「新しい愛への戸惑い」。
それを全部抱えたうえで、音楽と愛で結ばれた2人の絆は、今も強く輝き続けています。
2009年の出会いから音楽を通じて深まった絆
吉田美和さんと鎌田樹音さんが初めて出会ったのは、2009年。
きっかけは、ドリカムの全国ツアーで、FUZZY CONTROLがサポートメンバーに抜擢されたことでした。
当時、FUZZY CONTROLは3人組の実力派バンドとして注目されていましたが、その中でもボーカル&ギターを担当していた樹音さんは、特に存在感を放っていたんですよね。
ツアーを通して、一緒に音楽を作り上げる時間が増えるうちに、吉田美和さんと樹音さんの間には、自然と特別な絆が生まれていったと言われています。
最愛のパートナーを亡くしてまだ日が浅かった吉田美和さんにとって、音楽に真っ直ぐ向き合う樹音さんの姿は、どこか救いにも似た存在だったのかもしれません。
年齢は19歳差とかなり離れていましたが、音楽に対する情熱や、まっすぐな優しさが吉田美和さんの心にじんわり染み込んでいったんですよね。
それでも、最初はただの信頼できる音楽仲間。
そこから、お互いに少しずつ距離を縮めていって、気づけば唯一無二のパートナーになっていた。
まさに、音楽が結んだ運命の出会いだったんです。
震災がきっかけ!「美和の名前を守る」と決意しプロポーズ
吉田美和さんと鎌田樹音さんが夫婦になる大きなきっかけになったのが、2011年に起きた東日本大震災でした。
震災後、被災地でのボランティア活動やチャリティーライブなどに積極的に参加する中で、「大切な人と過ごせる時間がどれだけ尊いものか」を痛感したと言います。
その想いが、亡き末田健さんへの愛情と、そばで支えてくれていた樹音さんへの感謝や信頼をつなぎ合わせるきっかけになったんですね。
でも、吉田美和さんにとって、再婚へのハードルはとても高かったはずです。
最愛の人を亡くした悲しみや、「健さんへの申し訳なさ」、ファンや世間からの目も気になったと思います。
そんな吉田美和さんの気持ちをすべて受け止めたうえで、樹音さんは覚悟を決めたプロポーズをします。
その時の言葉が、ファンの間でも語り継がれている「僕が美和という名前を一生守ります」。
名字を「鎌田」から「吉田」に変えて、美和さんの人生を一緒に背負っていくという、樹音さんの真っすぐな愛情と覚悟が詰まった言葉でした。
19歳年下の若さで、ここまでの覚悟を決められるって、本当にすごいことですよね。
こうして、2人は2012年3月8日に結婚。
震災という辛い出来事をきっかけに、新しい愛の形を見つけた2人は、今も夫婦としてお互いを支え合いながら歩んでいます。
まとめ
吉田美和さんには、2人の大切なパートナーがいました。
1人目は、最愛のパートナーとして事実婚の関係を築いた映像ディレクター・末田健さん。
出会いは略奪愛という波乱のスタートでしたが、それでも2人は強い絆で結ばれ、健さんが33歳の若さで亡くなるまで、深い愛情を育んできました。
そして2人目が、現在の夫であるミュージシャン・鎌田樹音さん。
19歳年下という年齢差や、ビッグアーティスト・吉田美和さんの夫になるプレッシャーを抱えながらも、美和さんを支え続ける真っすぐな愛情で、新しい幸せを築いてきました。
亡き夫への想いを胸に抱きながら、樹音さんという新しいパートナーと共に歩んでいる吉田美和さん。
波乱万丈な愛の歴史を乗り越えて、音楽と愛に包まれた毎日を送る姿は、多くのファンにとっても大きな勇気を与えています。
これからも、吉田美和さんと鎌田樹音さんの夫婦としての幸せ、そしてドリカムとしての音楽活動から目が離せませんね。
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