亡くなってから数十年が経った今もなお、多くのファンに愛され続けるX JAPANのhide。
死因については謎が多く、自殺と報道されてからも他殺や事故死など様々な噂が飛び交っています。
今回はhideの死因の真相や熱狂なファンの後追い自殺の噂、彼の冥福を祈るためのお墓の場所等について徹底的に調べていこうと思います。
【1998年5月2日】X JAPAN hideの突然の訃報に衝撃が走る

1998年5月2日の午前7時30分頃、自宅のマンションのドアノブ掛けたタオルで首を吊った状態のhideを同居していた婚約者の女性が発見。
病院に搬送されたが発見された時点で既に呼吸停止状態だったことから、午前8時52分に死亡が確認されました。
亡くなる前日の1998年5月1日には、音楽番組の収録に参加していたhide。
その後開かれた打ち上げでかなりのお酒を摂取しており、日付が変わってからも飲み続け、泥酔したhideを当時マネージャーを務めていた実の弟、松本裕士さんが車で自宅まで送ったそうです。
ソロ活動も開始し、仕事もこれから!というところですし、婚約者の女性と同棲していたということで、プライベートも充実していたと思われます。
婚約者だったと噂される高橋恵美さん…首を吊った状態のhideさんを見つけた時の心境は想像もつきませんよね。
そして、hideさんが公私ともに順風満帆だったからこそ、現在でも死因について様々な憶測が飛び交っています。
X JAPAN hideの死因の謎!自殺?事故死?それとも他殺?
自殺として処理されたhideの死ですが、当時のマネージャーである弟の松本裕士さんは「自殺」と報じられた死因について、完全否定しています。
hideさんは生前、ひどい肩こりと偏頭痛に悩まされていたようで、整骨医が行う首の牽引によるストレッチをしていたみたいです。
この時もいつものように牽引していましたが、帰国直後の時差ボケと、泥酔状態であったために起こってしまったた事故であり自殺ではないと思います。
X JAPANで一緒に活動していたYOSHIKIも、死因について自殺説を否定しています。
hideのことを一番近くで見ていたであろう2人が、真っ向から否定している自殺説。
特にYoshikiさんについては、
「新しいボーカルを見つけたらまたX JAPANを再結成し、全米デビューを果たそう」と世界進出の約束までしていたというのですから、その衝撃は計り知れなかったと思います。
自殺をするために、柔らかいタオルをドアノブにかけて首を吊る方法を選ぶかは疑問ですよね。
【結論】泥酔時に首ストレッチをした事による事故死
音楽活動やバンド活動のことで悩みが多く、日に日にお酒の量が増えていたと言われていることや、死亡していた状況などから「自殺」と報じられていた死因ですが、遺族や関係者の見解は違ったようです。
- 遺書のようなものがなかったこと
- 周りに自殺をほのめかす発言などはなかったこと
これら2点のことから、遺族や事務所は「不慮の事故によるもの」と発表しました。
私も実際に、同じ方法で首のストレッチを行なってみましたが、確かに首が伸びて気持ちよかったです。
しかし、これをお酒を飲んだ泥酔状態で行っていたとしたら、誤って首を吊ってしまっても仕方がないように感じました。
当時ドアノブにタオルを掛けて首を吊るという状況が珍しかったことから、他殺もしくはトラブルに巻き込まれたために、自殺に追い込まれたのではないかとも噂されました。
実際に亡くなった前日のロケットパンチの打ち上げでは、メンバーのKiyoshiと些細なことで口論になり…かなりの大喧嘩に発展してしまったようです。
弟に自宅マンションまで送ってもらったそうですが、その時も終始機嫌が悪かったようですね。
実弟にもその発言について意見を聞いたみたいですが、「わからないですよ」と発言されたことで「お前(弟)も分かってくれないのか!」と弟に怒鳴って別れてしまったとか…
しかし、これで自殺するなんてありえないですし、著者もSNSなどで徹底的に調べてみましたが、彼が何かのトラブルに巻き込まれていたという情報はありませんでした。
弟・松本裕士氏が著書で明かした「事故死」の根拠
当時の報道では「自殺」という言葉が独り歩きしてしまいましたが、実弟でありマネージャーも務めていた松本裕士さんは、著書『兄弟 追憶のhide』の中で、当時の状況を詳細に語っています。
いわゆる「暴露本」のような興味本位のものではなく、兄の名誉を守るために明かされた「事故死の真相」です。
裕士さんが語る、警察発表とは異なる「医学的な根拠」とはどのようなものだったのでしょうか。
ひどい肩こりと「首の牽引(けんいん)」習慣
hideさんは生前、ギタリストという職業柄もあり、極度の肩こりと偏頭痛に悩まされていたそうです。
そのため、整骨院などで「首の牽引(首を引っ張って骨の間隔を広げる施術)」をよく受けていました。
実は、hideさんはこのストレッチを自宅でも行っていました。
もし自殺をするつもりなら、柔らかいタオルやドアノブといった「失敗する可能性が高い方法」を選ぶでしょうか?
この習慣を知っていた弟さんだからこそ、現場を見た瞬間に「これは自殺ではない」と確信したといいます。
泥酔と不慮の事故が重なってしまった
亡くなった当日、hideさんはかなりの深酒をしており、泥酔状態でした。
さらに帰国直後で時差ボケも重なっていたため、いつものように酔い覚ましとマッサージを兼ねて首を牽引している最中に、そのまま意識を失って(寝て)しまった可能性が高いとされています。
力が抜けたことで自分の体重がかかりすぎ、タオルが気道を塞いでしまった。
これが、遺族が主張する「不慮の事故死」の真相です。
「自殺する動機」が全く見当たらない
また、状況証拠だけでなく、hideさんの精神状態からも自殺説は完全に否定されています。
- 遺書が全く残されていなかった
- 数日後に都内のスタジオを仮押さえしていた
- YOSHIKIと「2000年にX JAPANを再結成しよう」と具体的な未来の約束をしていた
特にYOSHIKIさんとの約束は、hideさん自身が非常に楽しみにしていたプロジェクトでした。
未来に希望を持ち、前向きに活動していたhideさんが自ら命を絶つ理由はどこにもありません。
警察は現場の状況(首を吊っている状態)から形式的に「自殺」として処理しましたが、ファンや関係者の間では、弟さんが明かしたこの「ストレッチ中の事故死」こそが真実であると深く信じられています。
名曲「ピンクスパイダー」は遺書だったのか?
hideさんが亡くなった直後の1998年5月13日に発売されたシングル「ピンクスパイダー」。
この曲の歌詞に登場する「空を飛びたかった蜘蛛」が、最終的に空から墜落するという描写があることから、ファンの間やメディアでは「この曲は自身の死を予言した遺書だったのではないか?」という噂(都市伝説)がまことしやかに囁かれました。
しかし、この説も現在では明確に否定されています。
hideが込めた本当のメッセージ
生前、hideさんはインタビューでこの曲のテーマについて語っていました。
「蜘蛛の糸(ウェブ)」は、しがらみや情報の網(インターネット)を指しており、そこから飛び出して「広い世界(海外など)へ羽ばたきたい」という前向きな野望を歌ったものだったのです。
弟の裕士さんも、著書やインタビューを通じて「歌詞と事故は無関係」「兄は常に先を見ていた」と語っています。
「ピンクスパイダー」は絶望の歌ではなく、未来への希望と決意を込めた応援歌というのが真相です。
X JAPAN hideの告別式が行われた築地本願寺にファンが殺到
hideが亡くなった3日後、1998年5月5日に築地本願寺にて親族やレコード会社の関係者、バンド仲間だけを集めた密葬が行われました。
この翌日1998年5月6日に通夜、5月7日には告別式が行われましたが、ファンからの献花も受け付けていたため多くのファンが押し寄せました。
約10万人が押し寄せた葬儀と告別式

告別式には、かなりのファンが押し寄せ5万人以上集まったのではないかと言われています。
献花をするために集まったファンの列は2キロ以上、築地本願寺から続く列は隅田川の川沿いにまで及んだそうです。
告別式では、X JAPANのメンバーによる、hideを見送る歌として「Forever Love」が演奏されたそうです。
こんなにも悲しい「Forever Love」は聞いたことがありません。
彼らのステージの中で、一番悲しいステージになってしまったのではないでしょうか。
そしてYOSHIKIからファンの方へ向けてのメッセージも、語られたようです。
今回、突然、彼の死を聞いて、とてもショックです。
今もまだ信じられない気持ちです。今、とても綺麗な顔をして眠っています。何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままです。
hideは、XJapanの中でも、一番冷静に物事を考える人でした。リーダーでありながら、短気で衝動的に行動する僕に、いつも冷静で的確な助言をしてくれたのも、彼でした。
バンドの事、音楽の事、友達の事、人生の事、ファンの事。どんな事でも話し合いました。
ファンのみんなの声、気持ちをいつも僕に伝えてくれたのも、hideでした。うまく言葉がまとまりませんが、彼は本当に知的で、冷静に物事を考える人でした。
もちろん様々なプレッシャーの中で、彼が彼自身を見失うこともありました。
でも、そんな時には、必ず僕に電話をかけてきました。時には兄の様に感じられ、時には弟の様でもありました。時にはお酒を飲んで、お互いにケンカもしました。
でも、次の日は必ず 「YOSHIKI、昨日何かしたっけ?ごめんね、何も覚えてなくて」 と、そんな感じでした。
でも今回は、何も言ってこないまま眠りについてしまいました。ファンの方々、友達の方々、みんなとても混乱していると思います。
ただ、自分自身もこの悲しみをとても言葉などでは表現できませんが、 ただ、今、こうなってしまった以上、僕らは現実をしっかり受け止めなければならないと思います。
ご両親をはじめ、家族の方々、友達の方々、今、みんながんばっています。
そして、XJapanのメンバーも、みんながんばっています。だから、ファンのみんなもがんばってください。
いつも、僕らを励まし、支えてくれたhideを今は、僕らやファンのみんなの力で、素敵に送ってあげましょう。
彼の永遠の、永遠への眠りを、あたたかく見守ってあげてください。
XJapan リーダー YOSHIKI
X JAPANのメンバーの悲しみは計り知れません。わたしも好きなアーティストがいるので、ファンの方の気持ちを想像するだけ胸が痛いです。
彼の死を悼むファンが多くいたのでしょう…築地本願寺の周辺の花屋は、花が無くなったそうです。
ファンの後追い自殺が多発しYoshikiがコメント発表
自分の応援していたhideが「自殺」をしたと報道されてから、ファンの「後追い自殺」が後を絶たなかったそうです。
正確な人数は分かっていませんが、50人以上いたのではないかと言われています。
X JAPANのメンバーはhideを失った悲しみの中、警察からの要請を受け、ファンに向けて自殺を思い留まるよう記者会見を開きました。
そういう行動(自殺)は絶対にしないでください。hideが一番悲しむと思います。
今こそファンと一体になってミュージシャンらしい最後を飾ってあげたいと思います。
(自殺などせずに)明日の葬儀に参加してほしい。1人で煮詰まらずに、最後のhideの旅立ちを送ってほしいと思います。
ファンにとっては生き甲斐であったhideが亡くなったことで、自分の人生に生き甲斐が無くなってしまったように感じ、後追い自殺をしてしまうファンが多かったのでしょう。
X JAPAN hideのお墓は神奈川県横須賀市の三浦霊園
hideは現在、出身地である神奈川県横須賀市の隣にある三浦市にある三浦霊園に眠っています。
ここには数十年以上経った今でも、多くのファンが訪れています。
ただ、あまりに多くのファンが訪れるせいなのか、hideの命日の少し前2019年4月11日には、管理事務所を通じて、親族から『お花やお供え物』に関するお願いが発表されました
多くの方に愛されているからこそ、お墓にお花が集まりすぎると管理するのが大変なのではないでしょうか。
現在は多くのファンが訪れることによる環境保全のため、親族と管理事務所から「献花(お花)やお供え物は禁止」とのルールが発表されています。
X JAPAN hideのプロフィールと数々の功績をまとめてみた!
著者はhideの全盛期を見たことがありません。
ですが母や夫に聞いてみたところ、口を揃えて「hideはすごかった。いまだに彼以上にすごいと思えるアーティストに出会ったことがない。」と言っていました。
彼がそこまで思わせる魅力はどこからきているのでしょうか。
- 本名:松本 秀人(まつもと ひでと)
- 愛称:ヒデくん、ヒデちゃん
- 生年月日:1964年12月13日
- 出身地:神奈川県横須賀市
中学生の時に聞いたKISSのレコードをきっかけに、松本少年はロックに目覚めます。
中学生時代に祖母にギブソン製のエレキギターを買ってもらいバンドを組んでいた松本少年ですが、特に活動することなく県内屈指の進学校の高校に入学します。
なんとその高校がエレキギター禁止で、高校でバンドを組むことができなかったそうです。
ですが、紆余曲折があって横須賀のどぶ板通りに通うようになり、
そこで出会った友人たちとサーベルタイガーというバンドを組んで活動を再開します。
そしてhideは、昔からおばあちゃん子だったそうです。
美容院営んでいたおばあちゃんの影響を受け、X JAPANのデビュー当時はおばあちゃんのサリーをステージ衣装として借りていたこともあるほどでした。
サリーとはインド・スリランカ・ネパールなど南アメリカの女性の民族衣装ですね。
おばあちゃんのサリーを着る、hideの写真がこちらです。
女性ものの衣装とは思えないほど、雰囲気に合っていますね。
高校卒業後に、ハリウッドビューティー専門学校に進学します。
そして、卒業後は実際に美容院で働き、サーベルタイガー解散後は音楽業界から足を洗い、美容師として生きていこうと、いくつかのバンドから誘いはあったが全て断っていたそうです。
誘いを断り続けていたhide…しかし、YOSHIKIの誘いでX JAPANに加入することになるのです。
X JAPANに誘われる前から、YOSHIKIとhideは仲が良かったようですし、他のバンドとは違う魅力を感じたのではないでしょうか。
多くの作品を生み出し、たくさんのファンに愛されたX JAPANですが、1997年にTOSHIの脱退をきっかけに解散を発表。
「1997年の12月31日のTHE LAST LIVEをもって解散します。」
X JAPAN解散後ソロ活動を始めたhideですが、 ソロ活動を始めて半年経たずの1998年5月2日、突然の悲報が世間に衝撃を与えます。
本当に惜しい人を亡くしてしまいました…
まとめ
今回はhideの死因について徹底的に調べていきましたが、本当に多くのファンに愛されているんだな、とすごく感じることができました。
TwitterやInstagramなどで調べている最中も、ファンの方の気持ちが痛いほど伝わってきて…
- ファンの方が読んで嫌な気持ちにならないように
- 悲しい気持ちにならないように
考えれば考えるほど記事を書く手が全く進みませんでした。
わたし個人の見解としては、「事故死」で間違いないのかな、と感じました。
こんなにもファンの方に思われ、hide自身もファンの方を思っていたからこそ「自殺」はありえないんじゃないかな、と思います。
本当のことは本人にしか分かりませんが、わたしは「事故死」であると信じています。
これまでもこれからも、多くのファンに愛され続けるhide。
一時代を作ったアーティストの若すぎる死に…ファンの心が癒える日がいつか来ることを祈って、記事を終えたいと思います。




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