【32歳のモデル】内田有紀の母親の画像と複雑な生い立ちや家族関係に迫る!

1990年代に数多くのドラマや映画に主演、さらに歌手としても大活躍し一世を風靡した内田有紀さん。

2022年現在46歳ですが、ソニー損保のCMを見るたびに彼女だけ時間が止まっているのかと思うほど、変わらない美しさに毎回驚いています(笑)

10代で大ブレイクした内田有紀さんですが、実はあの明るい笑顔からは想像もつかない複雑な家庭環境で育ったんですΣ(゚Д゚)

今回はそんな内田有紀さんの生い立ちや家族についてまとめてみました!

内田有紀の美貌は母親譲り?裕福な家庭だったが夫婦関係は破綻していた

内田有紀さんの両親は六本木で飲食店を経営しており、東京都渋谷区の高級住宅街・広尾に住む裕福な家庭だったそうです。

母親は元々夜のお店で働いていたらしく、モデルにスカウトされたこともあるそうなのでスタイルの良い綺麗な方なんでしょうね!

結局デビューはしなかったそうなので母親の画像はありませんが、内田有紀さんの整った顔やスタイルは母親に似ているのかもしれません(´∀`*)

父親の年齢は分かっていませんが、母親は20歳で内田有紀さんを出産したそうです。早いΣ(゚Д゚)

しかし内田有紀さんが幼い頃から夫婦の仲は悪く、喧嘩が絶えず時には内田有紀さんが八つ当たりされることもあったそうです。

経済的には余裕があっても、決して幸せな家族ではなかったんですね…。

小さい時から両親の喧嘩を目の当たりにし、顔色を伺いながら過ごす生活はとても辛かっただろうと思います。

そして内田有紀さんが小学2年生の時に両親は離婚しましたが、その際も親権や財産分与のことで相当揉めたようです。

内田有紀の生い立ちが辛すぎる…家を転々としていた子供時代

1975年11月16日に生まれた内田有紀さん。

この名前は本名で、その由来は「世紀を越えても有名な子になるように」という願いを込めて祖母が命名したと言われています。

その願い通り有名人になって、おばあちゃんも嬉しかったでしょうね!

3歳から日本舞踊やクラシックバレエといったお金持ちのお嬢様らしい習い事をしていた一方、男の子と遊んだり取っ組み合いの喧嘩もするような活発な女の子で、女子プロレスラーに憧れていたという内田有紀さん。

小学2年生の時には同級生からトイレの使用料として1回100円を徴収して問題になったこともあったそうで、今とはまったくイメージが違って意外ですΣ(゚Д゚)

小2で人からお金を取ることを思いつくってすごいですよね…(笑)

両親が離婚したのも小学2年生の頃なので、家でのストレスを学校で発散していたのでしょうか。

一般的には離婚した場合子供の親権は母親が持つことが多いですが、何か事情があったのか、それとも内田有紀さんがお父さんと暮らすことを強く望んだのか、父親に引き取られます

しかし、小学5年生の頃に父親が再婚をしたことで家に居づらくなり、母親の元で暮らすことになりました。

小学6年生の時に当時32歳だった母親がモデルにスカウトされ、一緒に撮影所へ行ったことがきっかけで中学2年生からモデルとして活動を始め、CM出演もしていたそうです。

母親と暮らすようになってからタイミングよく芸能界へ入るきっかけが訪れるとは、運命的なものを感じます…!

ところが母親もほどなくして再婚。このころから母親と衝突することも増え、再び家に居場所がなくなった内田有紀さんは中学2年生の時に母親の元を離れ、今度は祖父母と暮らし始めました

多感な時期だったこともあり、中学3年生の時には“どこにも帰りたくない”という思いから家出をして停学になったこともあるそうです。

そばにいてほしい人はいなくなる」と思うようになっていた内田有紀さん。

祖父母との仲は良かったものの、両親の離婚や再婚で家を転々とし、安らげる場所がなかったことで精神的に不安定だったのかもしれませんね。

高校を中退し1人暮らしをしながら芸能活動に専念

中高一貫の私立女子校『藤村女子中学・高等学校』に通っていた内田有紀さんは体操部に所属していました。

この学校はスポーツの強豪校で、特に体操部はオリンピック選手も多く輩出していることで有名なんだそうです!

小学生の頃から器械体操をしていた内田有紀さんも選手として期待されていたと思いますが、身長が一気に伸びて165cmとなり、体操競技では高身長は不利になることから体操を断念しました。

そこで、高校ではフェンシング部に入部

これがその当時の写真です。ぼやけていてもめちゃくちゃ可愛い(笑)

「競技人口が少ないから大会で勝てるかもしれない」という理由で始めたフェンシングでしたが、都大会で3位に入賞するほどの実力で、オリンピックに出たいという目標を持って頑張っていたそうです。

スポーツ万能だったんですね(゚∀゚)

体育教師になるのが夢だったそうですが、中学2年生からモデルなどの活動をしていた内田有紀さんは17歳の時にドラマ『その時、ハートは盗まれた』で女優デビューし、翌年には『ユニチカ 水着キャンペーンモデル』にも選ばれました。

少しずつ仕事が増え、芸能活動に専念するために高校2年生で中退

祖父母の家も出て1人暮らしをし、芸能活動の傍らアルバイトをして生計を立てていたそうです。

祖父母の家は当時ビートたけしさんも住んでいたマンションだったそうで、祖父母も経済的に余裕があることが伺えますが、親や祖父母に頼らず自力で稼いで頑張っていたんですね。

これには、祖父母の家で生活していることに罪悪感を持っていたからという理由もあったそうです。

両親だけでなく、祖父母にも気を遣って暮らしていたのかと思うと切ないですね…。

先の見えない芸能界で仕事をしていく決意をし、高校を辞めて1人で生活するという決断はずいぶん勇気があるなあと思いますが、後ろめたい気持ちで祖父母と暮らすよりも、苦労してでも早く自立して自分の力で生きていきたいという思いが強かったのでしょう。

女優デビューから2年後にはドラマ『時をかける少女』で主演、さらに『TENCAを取ろう! -内田の野望- 』という曲で歌手としてもデビューしオリコン初登場1位を記録。

当時内田有紀さんのトレードマークだったショートヘアも大流行し、一躍大人気女優となりました。

内田有紀さんは、なぜ芸能界に入ったのか聞かれた際に「人がたくさんいる世界が楽しそうだから」と答えていたそうです。

幼い頃から家を転々とする生活で寂しさを感じていたことから、賑やかな芸能界に居場所を求め、必死で努力したことが成功に繋がったのかもしれませんね!

両親と過ごす時間が短かった内田有紀さんですが、母親に影響された部分もあると語っています。

「冬になるとフェイクファーが付いたようなものが可愛いなと思うし、夏になれば麦わらの素材だったり。子供の頃、母親が持っていたものになんとなく憧れたりしますよね。

私の母は、フェイクファーや麦わらでできているちょっとした小さいかばんを持っていたりして、おしゃれな人だったので、その影響があるのかもしれませんね」と少女時代を振り返っていた。

引用元:毎日キレイ

早くに親元から離れた内田有紀さんですが、短い時間でも一緒に過ごした頃の思い出を大切にしているようですね。

ちなみに、一人っ子だった内田有紀さんですが母親が再婚後40歳で男の子を出産したので、20歳差の弟がいるそうですよ!

内田有紀は美人なだけでなく人柄も良いとの声が多数!

内田有紀さんに対しては綺麗という意見はもちろんですが、人柄や性格が良いという声が驚くほどたくさんありました。

これだけ多くの人から思われているということは本当にそうなんでしょうね(´ω`*)

家庭環境が良くないと子供の性格や行動に影響が出るとも言われていますが、内田有紀さんはまっすぐで誰からも好感を持たれる、外見も内面も素敵な女性のようです!

私にはどちらも足りないので、ただただ憧れます…(笑)

まとめ:内田有紀は壮絶な生い立ちにもめげずに自分の居場所を見つけて活躍しつづけている!

複雑な家庭環境で育った内田有紀さん。

思春期には不安定な時期もあったようですが、辛い時期を乗り越えて自分の力で生きてきた芯の強さは、女優としての演技にも活かされていると感じます。

結婚を機に一度は引退した内田有紀さんですが、母親と同じく離婚を経験し「自分の居場所を見つけたい」という思いから女優業に復帰したそうです。

確かな演技力と人柄でたくさんの人達から愛されている内田有紀さんは、間違いなく芸能界で欠かせない存在となっていると思います(*´▽`*)

そんな内田有紀さんですが、現在は柏原崇さんと事実婚状態を継続しています。

2009年頃から交際をスタートしているにも関わらず、今でも結婚をしていないのは一体なぜなのか気になりますよね。

その理由をまとめてみたので、気になる方は『内田有紀と柏原崇の2022年現在の関係や再婚せず事実婚を継続する理由!』という記事をご覧ください。

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