2020年9月27日に女優の竹内結子さんが逝去されてから、早いもので5年以上の月日が流れました。
しかし、現在もなお死の真相について様々な憶測が飛び交っています。
自殺と報道されたものの、あまりに唐突な別れに疑念は残ったままで、「実はどこかで生きてるのでは?」という生きてる説が、2025年になった今でも強くささやかれています。
それと同時に自殺ではなく、他殺だったとする説や竹内結子さんが深い闇を抱えていたという話まで。
そこでこの記事では、没後5年を迎えた今だからこそ見えてくる、竹内結子さんの生きてる説や他殺説、そして残されたご家族の現在について検証していきます。
報道では竹内結子は2020年9月27日に自殺している

女優の竹内結子さんは2020年9月27日、自宅クローゼットで首を吊っている状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。
40歳という若さでした。
女優として数多くのドラマや映画に出演し、誰もが憧れる笑顔で功績を残してきた竹内結子さん。

しかし突然亡くなり、警察の捜査により自殺と断定されました。
報道によると、竹内結子さんは当日、家族で夕食をともにした後、自宅内の2階へ1人で向かったとのこと。
その約1時間後に、夫の中林大樹さんが寝室に入ったところ、ウォークインクローゼットの中でぐったりした状態の竹内結子さんを発見します。

すぐに119番通報したものの、搬送先の病院で死亡が確認されました。
前年に再婚した中林大樹さんとの夫婦仲も良く、生後8か月の赤ん坊をも残して、竹内結子さんが突発的に自殺を選択した理由はいまだ判然としないままです。
この「動機のなさ」が、後の様々な憶測を生むことになります。
竹内結子の生きてる説が囁かれる理由

竹内結子さんが亡くなってから5年以上が経過していますが、死の真相に疑問を持つファンは多く、今でもまだ生きてるのでは?とささやかれています。
これは単なる噂というよりも、「あの竹内結子さんが子供を置いていくはずがない」と信じたいファンの切実な願いでもあります。
竹内結子さんが生きてる説には5つの理由があります。
- 海外で暮らしている
- 幼い子供の存在
- 長男の存在
- 遺書がない
- 夫・中林大樹の存在
なぜこれほどまでに生存説が消えないのか、ひとつずつ見てみましょう。
海外で暮らしている

竹内結子さんは、何かの事情で国内にはいられず死を偽装し、海外でひっそりと生きているのでは?とSNSを中心に噂されています。
しかし、亡くなってから現在(2025年)に至るまで、竹内結子さんを海外で目撃したとの信憑性のある情報は一件もありません。
それでもこの説が消えないのは、海外でもどこでもいいからとにかく生きていてほしい、というファンの祈りにも似た願いが背景にあるようです。
幼い子供の存在

竹内結子さんは、亡くなった年の2020年1月に第2子となる男児を出産しています。
自殺が報道された時、その幼い子はまだ生後8ヶ月でした。
竹内結子さんが育児ノイローゼだったという噂もありますが、責任感の強い彼女が赤ちゃんを置いて自殺するのは考えにくく、ましてや家族が在宅中に突発的に行動を起こすのはあまりに不可解です。
この「母親としての本能」と「自殺」の矛盾から、竹内結子さんは生きてるのではないかと考える人が後を絶ちません。
長男の存在

竹内結子さんは、前の夫中村獅童さんとの間に長男を出産しますが、2008年には離婚。
そして翌年2009年に映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』の共演で中林大樹さんと出会います。
その後、所属事務所の先輩後輩として家族同士の付き合いが始まりました。

中林大樹さんとの再婚には、当時思春期だった長男の『三人一緒になればこれから楽しくなるね』という一言が後押しになったというのは有名な話です。
再婚し、4人家族になった幸せは、長男の存在あってこそでした。

中村獅童さんとの離婚後は、シングルマザーとして1人で長男を育ててきた竹内結子さん。
中林大樹さんがいくら優しくて2人の子供を見てくれるとはいえ、長男は自分の連れ子です。
実は竹内結子さん自身も、父親の再婚相手(新しい母親)と暮らした経験があり、「連れ子」としての疎外感や葛藤を知っていました。
かつての自分と同じ境遇になる長男を置いて自殺を選択するとは、彼女の生い立ちを考えると「ありえない」と感じてしまうのです。
遺書がない

自殺と断定されたものの、遺書は見つかっていません。
竹内結子さんには大切な家族や友人もいたのですから、もし計画的なものであれば何かしらのメッセージを残すはず。
遺書がないということは、あまりに突発的だったか、あるいは「本当のことが言えない状況(他殺や事故など)」だったのではないかと推測されています。
夫・中林大樹の存在
竹内結子さんは亡くなる約1年半前に中林大樹さんと再婚しますが、その後も夫婦仲は極めて良好だったといわれています。
亡くなる直前にも、一緒に幼い次男を連れて仲睦まじく買い物をしている姿が目撃されていました。

夫の中林大樹さんは育児に積極的なイクメンとしても知られ、掃除などの家事も率先して行っていたとのこと。
家族4人で幸せに暮らしていた竹内結子さんが、その幸せな自宅で自殺をするというのは、状況だけを見れば確かに考えにくいものです。
しかし、現実として2020年9月30日に公式サイトで家族葬が執り行われたことが報告されています。
その後、中林大樹さんはシングルファザーとして二人の子供を育て上げ、2022年には子供たちの環境を考え、関東近郊の海辺の街へ移住したと報じられています。
2025年現在も、父として、俳優として懸命に生きている中林さんの姿こそが、「竹内さんがもうこの世にはいない」という悲しい事実を物語っています。
竹内結子の他殺説

警察の捜査では「事件性なし(自殺)」と結論づけられていますが、一部では自殺ではなく他殺では?という噂が根強く残っています。
ここでは、なぜ他殺説が消えないのか、その根拠とされる点を取り上げ検証します。
- 空白の1時間
- 119番通報した時間
- ウィキペディアの不可解な書き込み
- 巨大な力(CIA・陰謀論)の噂
それぞれ見てみましょう。
空白の1時間

他殺説の最大の根拠とされているのが、家族団らんの食事から意識不明で発見されるまでの”空白の1時間”です。
竹内結子さんの自宅マンションは室内が2階建て構造のメゾネットタイプでした。
1階の部屋で家族4人で過ごしたあと、竹内結子さんは1人寝室のある2階に向かいました。
10分程しても1階に降りてこないので、夫の中林大樹さんは「疲れて寝たのだろう」と思い、そのまま1階で過ごします。
そして約1時間後、中林大樹さんと長男も寝るために2階へ行ったところ、寝室に姿はなく、クローゼット内でぐったりしている竹内さんを発見しました。

その後ただちに119番通報しますが、搬送先の病院で死亡が確認されます。
たった1時間の間に、家族がいる家の中で、音も立てずに自ら命を絶つことが可能なのか?
この「短すぎる時間」と「突発性」が、何者かが関与したのではないかという疑念を生む要因となっています。
119番通報した時間

報道によると、中林大樹さんが119番通報した時間は「2020年9月27日午前1時57分」とされています。
しかし、SNS上では「近所の住民が夜11時ごろに救急車とパトカーが来ているのを見た」という目撃証言が出回り、情報が錯綜しました。
もし本当に119番通報した時間が前日23時だったとしたら、報道との間に約3時間もの時間のズレが生じます。
この3時間に、何か隠さなくてはならない真実(現場の隠蔽など)があったのではないか?と推測する声が上がりました。

また、もし報道通り午前1時57分に通報したとなると、直前の「家族団らん」は深夜1時頃だったことになります。
中学生の長男がいる家庭で、深夜1時の団らんは少し遅いのでは?という違和感も、憶測を呼ぶ一因となりました。
ただ、翌日は日曜日だったため、家族で夜更かしをしていた可能性も十分にあります。この「時間の違和感」が、警察発表への不信感につながっているようです。
ウィキペディアの不可解な書き込み

亡くなった直後、夫・中林大樹さんのウィキペディアに不可解な記述がなされ、即座に削除されるという騒動がありました。

書き込みには「私の男に手を出した許さない」といった不穏な文言があり、何らかの怨恨や、第三者の関与を示唆しているのでは?とネット上を震撼させました。
しかし、これは誰でも編集できるウィキペディアの特性を悪用した、心無い愉快犯によるイタズラであった可能性が高いと言われています。
CIAや巨大組織による陰謀論

ネット上では「CIAに暗殺されたのではないか」「イルミナティが関与している」といった壮大な陰謀論も囁かれました。
その理由として挙げられたのが、搬送先が日本赤十字病院(広尾)だったことです。
一部の都市伝説では、赤十字社と国際的な組織のつながりが指摘されており、「秘密裏に処理するためにこの病院が選ばれた」という噂が拡散されました。

しかし、冷静に考えれば、広尾の日本赤十字病院は救急救命の拠点であり、渋谷区の自宅で倒れた竹内さんが搬送されるのは医療手順として極めて当然のことです。
2020年はコロナ禍という未曾有の事態に加え、有名人の訃報が相次ぎ、世の中全体が不安に包まれていました。
「なぜ彼女が?」という受け入れがたい現実に対し、「何か巨大な力が働いたせいにしたい」という集団心理が、こうした根拠のない陰謀論を生み出したと言えるでしょう。
映画『残穢』の祟りや呪い
竹内結子さんは、2016年1月に公開された映画『残穢(ざんえ)-住んではいけない部屋-』で主演を務めました。

この作品は「穢れ(けがれ)の連鎖」を描いたホラー映画ですが、ネット上では「映画の呪いではないか?」という噂がまことしやかに囁かれました。
その理由は、作中で描かれる死因の一つに「首吊り」が含まれていたことや、制作関係者に不幸があったという(真偽不明の)噂が広まったためです。

しかし、これらはあくまで「あまりに突然すぎる死に、何かしらの超自然的な理由を見つけないと納得できない」というファンの悲痛な心理が生み出した都市伝説と言えるでしょう。
竹内結子が自殺を選んだ理由と闇

陰謀論やオカルト説を排除し、現実的な視点でなぜ彼女は自ら命を絶つ選択をしてしまったのかを考察します。
没後5年が経過した今、改めて浮かび上がってくるのは、大女優としての「孤独」と「真面目さ」ゆえの苦悩です。
- 夫・中林大樹との不仲説(デマ)
- コロナ禍での「産後うつ」の孤独
- 仕事復帰と将来への強烈な不安
- 完璧主義ゆえの葛藤
ひとつずつ検証していきましょう。
夫・中林大樹との不仲説の嘘

自殺の理由として一部で噂されたのが、夫・中林大樹さんとの不仲説です。
しかし、これは明確に否定できます。
実際に不倫の事実や目撃情報は皆無であり、むしろ亡くなる直前まで家族で仲良く過ごす姿が目撃されています。
何より、竹内さんが亡くなった後、中林大樹さんがシングルファザーとして子供たちを守り抜き、2022年には子供たちのために環境の良い海辺の街へ引っ越した事実が、夫婦の絆の深さを証明しています。
夫との関係に悩みはなく、むしろ夫という支えがありながらも、抗えない精神的な波に飲み込まれてしまったと考えるのが自然です。
深刻な「産後うつ」の可能性

最も可能性が高い原因として挙げられるのが、「産後うつ」です。
竹内結子さんが次男を出産したのは40歳目前の39歳。
長男の出産から14年ぶりの育児であり、体力的な負担は相当なものでした。さらに2020年はコロナ禍の真っ只中。
「外出もままならず、人とも会えない閉鎖的な環境」での高齢育児は、精神をすり減らすのに十分すぎる過酷な状況だったはずです。

亡くなる直前に発売された女性誌「LEE」のインタビューでも、竹内さんは「眠れないし、赤ちゃんのお世話は本当に大変」と育児の苦労を吐露していました。
実は、長男出産の際にも一時期うつのような症状があったと言われており、ホルモンバランスの変化に敏感な体質だった可能性もあります。
「産後うつ」は、愛する家族がいても、直前まで笑顔でいても、ふとした瞬間に「死にたい」という強烈な衝動に襲われる病です。
元日テレアナウンサーの山本真純さんのケース(生後5ヶ月の子を残して自殺)と同様に、論理的な理由ではなく、病的な衝動が彼女を連れ去ってしまったのかもしれません。
仕事復帰と「居場所」への不安

トップ女優であるがゆえの「仕事へのプレッシャー」と「将来への不安」も大きな要因だったと考えられます。
竹内さんは非常にプロ意識が高く、2度目の出産で現場を離れることに、「私の代わりはいくらでもいる」「戻る場所がなくなるのではないか」という強い恐怖を感じていたそうです。

「母親として完璧でありたい」という思いと、「女優として輝き続けなければならない」という思いの板挟み。
周囲からは順風満帆に見えても、繊細なガラス細工のような心を持つ彼女は、人知れず自信を喪失していたのかもしれません。
主演ドラマの不振と給料形態の変化

現実的な経済面の不安も見え隠れします。
2019年の主演ドラマ『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』は視聴率が振るわず、その後、地上波ドラマへの出演が途絶えていました。
さらに、亡くなる直前には事務所との契約が「固定給」から「出来高制」に変更されていたという報道もあります。

折しも2020年はコロナ禍でエンタメ業界全体がストップした時期。
「仕事がない=収入がない」という事実は、家賃100万円とも言われる高級マンションに住む彼女にとって、想像を絶するプレッシャーとなっていたはずです。
同時期に亡くなった女優の芦名星さんも、同様に給与形態の変更があったとされており、「先が見えない」という経済的な恐怖が、精神的な引き金を引いてしまった可能性は否定できません。
連鎖した悲劇とコロナ禍の影
竹内結子さんが亡くなる2020年は、芸能界全体が深い悲しみに包まれた年でもありました。

2020年7月には三浦春馬さん、9月14日には芦名星さんが、いずれも自宅クローゼットで自ら命を絶ったと報道されています。
特に三浦春馬さんとは、映画『コンフィデンスマンJP』シリーズで共演し、ロケ地で仲睦まじく談笑する姿も見られていました。

親しい俳優仲間の突然の死、そしてコロナ禍による社会の閉塞感。
繊細な心を持っていた竹内さんが、仲間の死に影響を受け、死への心理的なハードルが下がってしまった可能性(ウェルテル効果)も指摘されています。
「なぜクローゼットだったのか」という疑問も、先行する悲劇的なニュースが無意識のうちに彼女の行動に影響を与えてしまったと考えれば、悲しいことですが説明がつきます。
子供時代の記憶と「居場所」への渇望

竹内結子さんの心の奥底にあったかもしれない「孤独」を紐解く上で、彼女の生い立ちは無視できません。
彼女は複雑な家庭環境で育ちました。
中学2年生の時に母親を病気で亡くし、その翌年には父親が再婚。
再婚相手には3人の連れ子がおり、竹内さんは多感な時期に突然、大家族の中で自身の「居場所」を探さなければなりませんでした。

竹内さんは20歳の時、小説の解説文で当時の心境を赤裸々に綴っています。
帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。
足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。
晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。 引用:AERA dot.

私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。 引用:AERA dot.
自らを「荷物」と表現するほどの疎外感。
「自分はここにいていいのだろうか」という根源的な問いを、彼女はずっと抱え続けていたのかもしれません。
産後うつや仕事の不安が重なった時、幼少期に形成されたこの「孤独感」がふと顔を出し、彼女を死の世界へと誘ってしまった可能性は否定できません。
親友・イモトアヤコへの反応が消えた日

竹内結子さんの異変を物語る事実として、唯一インスタグラムでフォローしていた親友・イモトアヤコさんへの反応の変化があります。
二人は舞台共演を機に本当の姉妹のように仲良くなり、竹内さんは欠かさずイモトさんの投稿に「いいね」をしていました。
しかし、亡くなる直前の1週間、その「いいね」がピタリと止まりました。

うつ状態になると、スマホを見るのも億劫になったり、親しい人との交流すら遮断したくなったりすることがあります。
律儀な彼女が親友への反応すらできなくなっていたことは、亡くなる1週間前から、すでに彼女の心が限界を迎えていたことを静かに物語っています。
まとめ:永遠の笑顔を忘れないために

以上、没後5年を迎えた竹内結子さんの「生きてる説」や「他殺説」の真相、そして彼女が抱えていたかもしれない苦悩について検証しました。
この記事での検証結果をまとめると・・・
- 「生きてる説」は、彼女の死を悼むファンの切実な願いが生んだもの
- 他殺や陰謀論に確たる証拠はなく、ご家族は懸命に前を向いて生きている
- 産後うつや仕事への不安、幼少期の孤独感が複雑に重なっていた可能性が高い
- 亡くなる直前、親友への連絡も絶つほど精神的に追い詰められていた

竹内結子さんが旅立ってから5年以上の月日が流れましたが、スクリーンの中で見せる彼女の輝くような笑顔や素晴らしい演技は、決して色褪せることがありません。
「なぜ」という疑問を追い求めることも大切かもしれませんが、今は残された中林大樹さんと二人の子供たちが、静かで穏やかな日々を過ごせることを願うことこそが、一番の供養になるのではないでしょうか。

天国にいる竹内結子さんが、安らかな気持ちで、成長する子供たちを見守ってくれていることを心から祈っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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