山口組のNo.2で若頭を務める高山清司氏が、刑期を終え、2019年10月に出所しましました。
出所した様子がテレビなどで報道された際、高山清司氏は右目だけ目を閉じており、ネット上では「右目を閉じているのはなぜ?」との声が続出しました。。
ということで今回は、右目を閉じている理由を中心に、高山清司氏についてまとめていきたいと思います。
【山口組No.2の若頭】弘道会の高山清司は何者なの?
高山清司氏は、六代目山口組の若頭で、愛知県名古屋市に本部を置く山口組系暴力団・弘道会の総裁です。
- 本名:高山清志
- 生年月日:1947年9月5日
- 出身地:愛知県津島市
高山清司氏の来歴は以下の通りです↓
- 1967年、20歳の時に弘道会の前身である弘田組傘下の佐々木組の組員となる
- 1975年、六代目山口組組長である司忍氏と出会い、常に司忍氏と共に行動
- 2005年、山口組六代目体制の発足と同時に、山口組若頭に就任
- 2013年、「子分中の子分」である竹内照明を弘道会の三代目会長に就任させると同時に、弘道会の総裁に就任
20歳の時にヤクザになったんですね。
そして現在は山口組のNo.2を務める高山清司氏ですが、2010年に逮捕されています。
高山清司氏は2010年11月18日に、建設業を従事する京都の男性に対して恐喝行為を行い逮捕されています。
この逮捕は山口組組長である司忍氏が服役していた最中の逮捕で、山口組の「事実上の指導者」の歴史的逮捕でした。
この逮捕は、警察による「山口組壊滅作戦」の一環にあたるものだったらしく、高山清司氏逮捕の2週間後には、山口組の第三の有力者とされる入江禎氏が逮捕されています。
逮捕後、高山清司氏は京都拘置所に勾留されていましたが、病気を理由に勾留停止となり、2012年6月には保釈されています。
保釈保証金には15億円が支払われ、異例の高額だったそうです。
その後、2013年3月に京都地裁で恐喝罪で懲役6年の判決が言い渡され、2014年6月に実刑が確定。同年12月に府中刑務所に収監されました。
そして約5年後の2019年10月18日、高山清司氏は出所しました。
山口組若頭の出所ということで、多くの報道陣が駆けつけ高山清司氏の姿が報道されたのですが、その際にネット上では「右目どうした?」との声が続出しました。
高山清司が右目を閉じているのはなぜ?人柄にも迫る
高山清司氏は出所された際、常に閉じられた右目が注目されました。
なぜ常に右目を閉じているのでしょうか?
右目が閉じられている理由を調べたところ、2つの説が浮上しました。
まず一つ目の説として、「刀傷による失明説」というのがあります。
刀傷によるものと伝えられる閉じた片目を外観上の際立った特徴としている。
引用元:wikipedia
ヤクザの若頭という立場上、抗争に巻き込まれ負傷してしまうということはよくあることなのかもしれません。
ですので刀傷によって右目を失明してしまったと言われてもなんら不思議ではありません。
しかし、高山清司氏の目元には刀傷そのものは確認できず、証拠がないため、刀傷による失明説には異論が存在しています。
2つ目の説として、「組長によるイタズラ説」というものがあります。
この説は、直系の上司である司忍氏が若かりし頃、寝ている高山清司氏の目に瞬間接着剤をつけたというのもです。
高山清司氏は接着部分を剥がそうとし、左目は難なく剥がれたらしいのですが、右目の接着剤はなかなか剥がれず、無理やり剥がしたところ、まぶたの筋肉・神経を断裂してしまったみたいです。
それ以来、まぶたの開閉が不能になったそうです。
この説ではまぶたの開閉は不能になったが、失明はしていないとされています。
しかしこの説もあくまで一つの説であり、憶測の域を出ない話となっています。
右目が閉じている理由としていくつかの説がありましたが、その真意は別として、高山清司氏の人柄が分かる右目に関するエピソードがありました。
司忍氏による接着剤イタズラのせいで高山清司氏の右目は開かなくなってしまったため、司忍氏は詫びるために指を落とそうとしましたが、その場にいた高山清司氏は猛烈に反対し制止したそうです。
しかし、司忍氏の高山清司氏に対する懺悔の気持ちは日を追うごとに増し、結局司忍氏は指を落としてしまいました。
そのことを知った高山清司氏は泣き崩れ、司忍氏の前にひざまづいたそうです。
高山清司の息子が一般企業に勤務しているって本当?
高山清司氏の息子は総合物流企業である「フジトランスコーポレーション」に勤めているとの噂があるようです。
しかし、高山清司氏には結婚や息子の存在を裏付けるような情報は一切出ていません。
おそらく高山清司氏は結婚していないのでしょう。
ヤクザという職業は危険が付き物のため、家族は作らず生涯未婚を貫く人が多いようです。
高山清司の自宅は監視カメラが多数で完全に陸の要塞
六代目山口組の若頭の役に就いて以降、高山清司氏は神戸市内の自宅に居住し、平日は午前から夕方頃まで山口組の総本部へ行き、週末だけ名古屋に帰省するという生活を送っていたようです。
こちらが神戸の自宅と言われている場所です↓
名古屋に帰省する際はおそらく弘道会本部に寝泊まりしていたのだと思われます↓
ちなみに、弘道会本部の住所は「愛知県名古屋市南区要町2-1-2」であることが判明しています。
そして、現在は三重県桑名市にも自宅があるようです。
その自宅は新神戸駅近くの高台に位置しており、入り口に防弾仕様と見られるステンレス製の門と監視カメラが四方配置されているようです。
イメージ画像は↓の様な感じでしょうか(-_-;)
さらには、最高幹部の護衛役である組員らの詰め所と見られる4階建てのビルが隣接しており、その内部では接近者の監視を行う10数台ものモニターが稼動している状況にあり、2008年に立ち入った捜査員は、“砦のようであった”と語っています。
こちらが高山清司氏の自宅と言われる場所を上から見た画像です↓
お庭も綺麗に手入れされているようで、立派な日本家屋ですね。
まとめ
今回の記事をざっとまとめると、
- 高山清司の右目が閉じている理由は「刀傷による失明」または「司忍による接着剤イタズラ」
- 高山清司は結婚しておらず息子もいない可能性が高い
- 兵庫県神戸市と三重県桑名市に自宅を持っており、その自宅はまるで”砦”のよう
となりました!
高山清司氏の右目が閉じている理由として挙げられているものは実際のところ事実なのか定かではありませんが、右目に刀傷が見られないことから司忍氏による接着剤イタズラ説が濃厚かもしれません。
それにしても、刀傷による失明よりも接着剤イタズラの方がなんだか恐ろしい気がします(-_-;)
さて山口組No2の高山清司若頭について触れたので、No1の司忍組長の色々な噂についても触れていきたいですよね(笑)
ということで、司忍組長の驚異の年収や人柄が分かるエピソードについては『司忍(篠田健市)優しい人柄や指がない理由や妻や息子の画像を総まとめ!』をご覧ください。
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