オウム真理教の教祖・麻原彰晃には「ダーキニー」と呼ばれる愛人が多数存在していたことをご存知でしょうか。ダーキニーには美人揃いだったとも言われており、ネット上では「かわいい」と話題になることもあります。
麻原は「修行」と称して女性信者に性的行為を強要し、100人以上の女性と関係を持っていたとされています。気になりますよね、いったいどんな女性たちがダーキニーに選ばれたのか。
麻原彰晃の性的修行の実態やダーキニーたちの素顔、そして逮捕後の彼女たちのその後まで、確認できる事実をもとにまるっと見ていきましょう。
オウム真理教・麻原彰晃の性的修行がヤバすぎる
まずは麻原彰晃の性的修行について、わかっていることを整理します。
- 麻原彰晃は「左道タントライニシエーション」と称し、女性信者への性的行為を「修行」として正当化していた
- ダーキニー(愛人)は100人以上おり、処女の信者は特に重用された
- ダーキニーにはかわいい・美人と評判の女性が多く、石井久子が最も溺愛されていた
- 麻原彰晃は2018年7月6日に死刑が執行され、63歳で亡くなった
| 名前 | 麻原彰晃(本名:松本智津夫) |
|---|---|
| 生年月日 | 1955年3月2日 |
| 没年月日 | 2018年7月6日(死刑執行・63歳没) |
| 出身地 | 熊本県八代市 |
| 肩書き | オウム真理教 教祖 |
| 主な事件 | 地下鉄サリン事件、松本サリン事件ほか |
麻原彰晃は、気に入った女性信者に対して性的行為を強要していました。この行為は「左道タントライニシエーション」と呼ばれていたそうです。
左道タントラとは「性力」を意味し、イニシエーションとは「解脱者(つまり麻原彰晃)のエネルギーを伝授すること」を指します。
驚くことに、信者の多くはこの性的修行を喜んで受け入れていたとされています。むしろ名誉と感じていた信者もいたそうで、これも麻原による洗脳の影響と考えられます。
麻原自身は「最終解脱者」、つまり神に近い存在を自称していました。若い女性を高い次元に導くために性行為が必要だという理屈を展開していたのです。
具体的な性的修行の内容としては、自身の血液を混ぜた水を信者に飲ませる、体液を飲ませる、女性の体毛を収集して試験管に名前を書いて保管するなど、常軌を逸した行為だったことが裁判資料等から明らかになっています。
さらに麻原は、仙道の「房中術」を引き合いに出し、「若い女からエネルギーをもらうことが人類救済に必要だ」とも語っていたとされます。25歳以上の女性は「逆にエネルギーを吸い取られる」と退けていたというのですから、身勝手な理屈としか言いようがありません。
一方で、麻原以外の男性信者には性行為やオナニーなどの行為が一切禁止されていました。妻との行為さえも禁じられていたそうです。
教団の教義では、セックスは「破戒」、性欲は「邪悪なもの」と定義づけられていました。教祖だけが例外的に許されるという、極めて歪んだルールが敷かれていたわけです。
こうした性的修行は、富士山総本部の大浴場や40帖の居間で行われていたことがわかっています。
そして処女の女性信者は「ダーキニー」(愛人)として特別な地位に昇進するという制度がありました。
実は麻原は自らを徳川家光の生まれ変わりと称し、教団内に大奥のような制度を導入していたとされています。ダーキニーの昇進もこの制度に関連していたと見られます。
なお「オウム真理教 AV」「オウム真理教 AV女優」といった検索がネット上で見られますが、オウム真理教の信者がAV業界と関わっていたという事実は確認されていません。こうした検索が多いのは、教団の性的修行の内容があまりにも衝撃的だったためと思われます。
麻原彰晃のダーキニー(愛人)がかわいいと話題!お気に入りは誰?
麻原が関わった女性やダーキニーたちは100人以上にのぼるとされています。ここからは、その中でも特にお気に入りだったとされる女性たちを見ていきましょう。
オウム真理教に入団する際、事前に写真を教団に送らせ、その中から麻原の好みの女性を選別していたそうです。面接後すぐに性的行為を行うという流れだったとされています。
ちなみに麻原の好みのタイプはロングヘアーの女性だったらしく、性行為を避けたい女性は髪を短く切っていたという話もあります。芸能人で例えると、女優の秋吉久美子さんのような雰囲気の美人がタイプだったそうです。
ダーキニーに選ばれると、教団内でさまざまな特権が与えられました。麻原と同じテーブルで食事ができる、苦行が免除される、私服の購入が許される、運転手付きのベンツに乗れる、食事の配給順が優遇される…といった具合です。
もっとも若いダーキニーは15歳だったというのですから、本当に許しがたい話です。
なお「ダーキニー 写真」と検索される方も多いようですが、ダーキニーたちの写真は裁判記録や一部のメディア報道で公開されたものがあるものの、プライバシーの観点からここでは掲載していません。当時の裁判報道や関連書籍に詳しい情報が残されています。
石井久子(いしいひさこ)
石井久子は、麻原が最も溺愛していた愛人と言われている女性です。黒髪ロングの清楚な美人で、まさに麻原の好みにドンピシャだったようですね。
美人と評判があり知的な女性で、教団内の管理番号が00001というのが彼女の立場の高さを物語っています。オウム真理教の幹部として、教団の運営にも深く関わっていました。
石井久子と麻原との間には3人の子供がいるとされています。ただし当時、子供たちが麻原の子供であることは教団内で隠されていたそうです。
表向きの理由は麻原の正妻・松本知子への配慮とされていましたが、実際には松本知子も事実を知っていたようです。そのことで妻は麻原を殴ったり包丁を振り回したりするなど、激しい衝突があったと伝えられています。
木田裕貴子(きだゆきこ)
木田裕貴子はホーリーネーム「スメーダ師」として教団に属していた女性です。10代の若さで入団し、麻原のお気に入りの美人愛人の1人だったとされています。
愛人としてのお気に入りだったこともあってか、木田裕貴子も教団の幹部を務めていたそうです。
そして18歳という若さで、麻原との間に娘を1人出産しています。まだ10代で教団に入り、教祖の子供を産むことになったという経緯は、洗脳の恐ろしさを感じさせます。
飯田エリ子(いいだえりこ)
飯田エリ子もダーキニーの1人で、教団内でも高い地位にいた女性です。麻原のお気に入りの女性は、ほぼ例外なく幹部クラスの地位に就いていたようですね。
飯田エリ子がオウム真理教に入った経緯は、健康のために麻原のヨガ教室に通い始めたことがきっかけでした。ヨガ教室への入会をきっかけに、そのまま教団に出家したとされています。
教団内では信者を集める役割を担い、1か月で2億円もの資金を集めていたというのですから、相当な手腕の持ち主だったことがうかがえます。
麻原彰晃の逮捕後、ダーキニーたちのその後は?
麻原彰晃の逮捕後、ダーキニーたちはどうなったのでしょうか。それぞれのその後を見ていきます。
石井久子は1996年に逮捕され、犯人隠避などの罪で懲役刑を受けました。2000年11月に出所し、その際の会見でオウム真理教への信仰を捨てたことを発表しています。
会見では「3人の子供と静かに暮らしたい」と語っていたそうです。2011年頃の情報では、父親と2人暮らしをしながら訪問介護の仕事をしていたと伝えられています。
木田裕貴子の現在の情報は限られていますが、同じく2011年頃の情報によると、母親と娘の3人で暮らしていたとされています。
飯田エリ子はその後逮捕され、2002年に出所しています。しかし出所の数か月前に脳出血で倒れたそうです。
現在は脳出血の後遺症で右半身に麻痺が残っており、実家でリハビリ生活を送っていると伝えられています。
ダーキニーたちの多くは一般社会に復帰しているとされますが、教団の影響から完全には抜け出せていない人もいるという指摘もあります。洗脳の後遺症は、想像以上に根深いものなのかもしれません。
まとめ
麻原彰晃は「修行」と称してさまざまな異常行為を行ってきましたが、性的修行はその中でも特に女性信者への人権侵害が甚だしいものでした。
洗脳によって信者を従わせ、100人以上の女性と関係を持ち、ダーキニーと呼ばれる愛人制度まで作り上げた麻原。その行為は修行でも何でもなく、ただの性的搾取だったと言わざるを得ません。
麻原彰晃は2018年7月6日に死刑が執行されました。しかし事件の影響は今なお残り続けており、被害を受けた女性たちの人生にも大きな傷を残しています。
二度とこのような悲劇が繰り返されないよう、事実を正しく知ることが大切ではないでしょうか。



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