2003年に起こった『プチエンジェル事件』をご存じですか?
デートクラブに関わる小学6年生の少女たちが誘拐・監禁された事件で、当時かなり世間を騒がせました。
プチエンジェル事件について調べてみたところ、
- 犯人は吉里弘太郎29歳
- 犯人はデートクラブ『プチエンジェル』を経営
- 事件後の警察やマスコミの動きが不可解
- デートクラブには顧客リストや顧客名簿があり、皇族や大物政治家の実名が載っていた
ということがわかりました。
上からの圧力で事件が葬られたという噂もあり、気になりますよね。
そこで今回は、『プチエンジェル事件』の概要や、顧客リストや顧客名簿に名前のあがっていた人物について調査してみました。
『プチエンジェル事件』の闇を一緒に見ていきましょう。
プチエンジェル事件を時系列で整理
プチエンジェル事件は、2003年7月に東京都赤坂で起きた児童誘拐事件です。
児童買春デートクラブ『プチエンジェル』を経営していた29歳の男・吉里弘太郎容疑者によって、当時小学6年生の少女4人が誘拐・監禁されました。
事件の背景には援助交際と2,000名以上が名を連ねる顧客名簿の存在があり、当時は大変な騒ぎに…。
顧客名簿には、皇族や日本政財界の大物、医師、弁護士の実名があがっていたことが明らかになっています。
ところが、事件発覚当初は、ショッキングな児童誘拐事件を連日報道していたマスコミが、ある時点からぱったりと報道を止めたのです。
様々な証言や証拠があり、組織ぐるみの犯罪の可能性もあると追究されていましたが、警察は単独犯による犯行と断定。
顧客名簿については大半が偽名だったとして、警察の捜査は早々に打ち切りとなっています。
このことから、プチエンジェル事件には裏社会や大物政治家が関わっている可能性が高く、事件に圧力がかかったのは明らかで…
事件から20年が経った現在でもSNSでは真相究明が叫ばれています。
ここからは、そんなプチエンジェル事件の流れを時系列で見ていきましょう。
2003年7月上旬:犯人が少女を勧誘
吉里弘太郎容疑者はまず、7月上旬に渋谷に1人でいた小学6年生の少女を勧誘。
この少女はプチエンジェル事件の被害者の1人で、”会ってくれたお礼”として1万円を吉里容疑者から受け取っています。
そして、「いつでもおいで」と言われた少女は連絡先を交換。
事件当日まで、吉里容疑者はこの少女と頻繁に連絡をとっていたようです。
2003年7月11日:犯行現場のマンションを犯人が契約
吉里容疑者は、この日、所有していたフェラーリ2台を売却しています。
2台のうちの1台は約2,500万円もする超高級車だったんだとか。
吉里容疑者は、児童買春デートクラブでかなり稼いでいたとのことなので、高級車は余裕で買えたのでしょう。
それにしても、フェラーリを2台も売却したということは、相当な金額が必要だったということですね。
さらに同日、吉里容疑者は、事件の犯行現場となる赤坂のウィークリーマンション『インターナショナルプラザ赤坂No.1』の1101号室を契約。
この部屋の契約金は吉里容疑者が支払っていますが、契約自体は「ヤマザキ」と名乗る男性が行っていたんだとか。
「ヤマザキ」が誰なのか、事件とどう関わっていたのかは不明ですが、六本木の大物クラブ経営者との情報もあります。
その繋がりから、事件の裏には関東連合が関係しているという噂もあるようですが、確証はありません。
2003年7月12日:犯人が監禁や自殺に使う物を購入
マンション契約の翌日、吉里容疑者は、都内の量販店でポリタンクや鉄アレイなど、事件で少女たちを拘束するためと思われる物品を購入しています。
また、自殺に使用した練炭や七輪も購入していたようで、この時すでに自殺を考えていたのかもしれません。
2003年7月13日:犯人が少女を呼び出し・監禁
事件当日の2003年7月13日。
吉里容疑者は、7月上旬に渋谷で勧誘した少女に友人を誘わせて、渋谷駅前に呼び出します。
少女は全員小学6年生で、合わせて4人。
「1万円をあげるから、部屋の掃除をしてほしい」という言葉に誘われ、渋谷から赤坂のマンションまでタクシーで移動し…
マンションの部屋に入ったところで、「ここに来た意味わかるよね」と言って、吉里容疑者は豹変。
手錠と目隠しで拘束されたようです。
4人のうち2人が逃げようとするも失敗し、スタンガンで負傷。
少女4人は、吉里容疑者が前日に購入したポリタンクと鉄アレイで重しをつけられ、監禁されます。
そしてこの日の深夜、帰宅しない娘を心配して、少女たちの家族が警察に捜索願を出すのです。
2003年7月15日:マスコミが事件を報道
事件から2日後、マスコミが少女4人が行方不明であることを報道し、初めて事件が明るみになります。
この時、行方不明の少女たちが未成年、かつデートクラブが関係していて性犯罪被害者の可能性もあることから、少女たちの実名は一切報道されていません。
2003年7月16日:犯人自殺
事件の報道翌日、捜査は急展開します。
この日の午前中に、警視庁が吉里容疑者の逮捕状を請求。
ただし、これは2002年3月の中学2年生の少女を買春した容疑の逮捕状でした。
ちなみにこの時点で、警察はプチエンジェル事件の犯人は吉里容疑者と特定し、自宅付近での聞き込みも始めていたようです。
その一方で、同日午前11時~12時頃、吉里容疑者は都内の風俗店に電話をかけています。
女性を派遣してほしいという電話でしたが、その理由は「少女たちに”行為”をしているところを見せたいから」というものでした。
電話に出た店長は、内容が内容だけにもちろん断りますが、1時間ごとに吉里容疑者から「なんとかならないか」と連絡が来ていたそうです。
それでも断り続ける店長に、吉里容疑者は「今日しかないんだ」と言っていたんだとか。
結局、風俗店の女性は派遣されませんでした。
その日の深夜には、吉里容疑者はマンションのリビングで、7月12日に購入していた練炭と七輪を使って自殺を図ります。
ビニールシートと椅子を使ってテントのような空間をつくり、練炭が入った七輪を椅子の下に置いて火をつける自殺方法でした。
こうして、翌日未明、吉里容疑者は死亡に至ります。
2003年7月17日:少女がマンションから逃げ出し、警察が保護
マンション内での物音がしなくなったことに気づいた1人の少女が手錠を外して部屋を出て、亡くなっている吉里容疑者を発見します。
そしてそのままマンションの隣の花屋に助けを求め、駆けつけた警察官が少女4人を保護。
さらにリビングで亡くなっている吉里容疑者を確認し、事件はいったん終わります。
プチエンジェル事件の容疑者・吉里弘太郎とは
プチエンジェル事件は、吉里弘太郎容疑者による単独犯だと警察は断定しています。
ではそんな吉里容疑者について詳しく見ていきましょう。
吉里容疑者の父親は、もともとは警視庁詰めの新聞記者でしたが、その後朝日新聞に転職し西部本社の社会部長になるほどのエリートだったようです。
裕福な家庭で育った吉里容疑者は、東京藝術大学に進学。
大学時代は複数の女性と付き合い、ヒモのような生活をしていたんだとか。
卒業後はデザイナーとなりますが、同時にアルバイトでホストを2年ほど経験。
昔からロリータ趣味があったとかで…
ホストをしながら、稼いだお金でロリータデートクラブに入り浸っていたようです。
やがて、吉里容疑者は非合法の買春斡旋を始めます。
最初は人妻などの斡旋で稼ぎ、資金を集めてからはロリータクラブ『プチエンジェル』を開業。
『プチエンジェル』は無店舗型のデートクラブで、未成年者を利用した非合法なもの。
女の子たちを勧誘する際は、警戒心を抱かせないように女子高生にスカウトをやらせ、渋谷や新宿を中心に声をかけていたようです。
女の子たちが斡旋された内容は、
- カラオケ 5千円
- 下着提供 1万円
- 裸体撮影 1万円
というもの。
顧客には高い入会金を設けたため、利用者は主に富裕層で有名企業の経営者、医者、弁護士などが多かったようです。
事件後に吉里容疑者の自宅から押収されたものの中には、1,000本以上ものビデオテープと、2,000名にも及ぶ顧客名簿があったと言われています。
また、吉里容疑者はデートクラブだけでなく、猥褻なビデオも販売するなどして莫大なお金を稼ぐようになっていました。
事件前までは都内の高級ホテルで暮らし、フェラーリは2台所有するほど。
事件後に発覚した吉里容疑者の預金総額はなんと35億だったと言われています。
ちなみに、吉里容疑者は過去に売春での逮捕歴があり、事件当時は執行猶予中の身だったとのことです。
そんな吉里容疑者は、両親と兄、弟の5人家族で裕福に育ちましたが、大学時代は立て続けに父と兄が自殺します。
父親は朝日新聞社記者時代の1993年に、頭頸部ジストニアという難病を患い、将来を悲観してか1996年に自殺。
兄も理由は不明ですが、1999年に自殺。
家族が2人も自殺し悲嘆にくれた母親も、2001年に自殺を図りますが未遂に終わります。
また弟は精神疾患を患っており、吉里容疑者本人も酷いアトピー性皮膚炎に悩まされ続けていたんだとか。
身内に不幸が多く、吉里容疑者も「死にたい」と周囲によく漏らしていたといいます。
プチエンジェル事件の不可解な点
プチエンジェル事件には不可解な点が多く、闇の深い事件とされています。
どんな不可解な点があるのか見ていきましょう。
不可解な点①:犯人は自殺ではなく他殺だった可能性あり
吉里容疑者は、少女たちを監禁する前に、フェラーリ2台を売却しています。
これは事件発覚後の逃走資金を確保するためと考えられますが、その一方で翌日には自殺用の七輪と練炭を購入。
逃げようとしていたのか、この事件で死のうと考えていたのか、ちょっとわからないですよね…。
実は、七輪と練炭を購入したという情報は、自殺と見せかけるための後付けとも言われています。
そう。吉里容疑者は、自殺ではなく他殺だった可能性もあるということです。
ただ、プチエンジェルの顧客名簿に載っている政財界の大物や裏社会の権力者がもみ消しを図ったとするならば、あえて自殺に見せかける必要はありません。
その筋の人を雇って殺害させることは容易いからです。
しかしながら、吉里容疑者の死因は練炭自殺とされています。
報道では、椅子にビニールシートを張ってテント状にし、周囲をしっかりと目張りした上で椅子の下に七輪を置いて練炭を燃やした、とのことですが…。
この自殺方法では、練炭から出る高熱で、テント内部が1,000度を超えることもあり、ビニールシートが溶けて自殺にならない、と情報番組『真相報道 バンキシャ!』が実験の上、報道しています。
また、ビニールシートが溶けなかったとしても、密閉されたビニールシート内部はかなりの高温になるはず。
当然火傷のあとが残ると思われますが、そんな形跡はなく、監禁されていた少女たちも焦げるようなにおいはなかったと証言しています。
実はこの数日後の『バンキシャ!』では、なぜか再度検証がされ、前回の検証結果を訂正しているのです。
番組の再検証では、気絶寸前か睡眠薬で意識が混濁している状態の時に、ビニールテントの内側から目張りを確実に行い、練炭の熱を直接浴びない位置にいれば、火傷せずに自殺できるとのこと。
しかし、意識が混濁している時に、目張りをしっかりできるのでしょうか。
番組に何かしらの圧力がかかった可能性も考えられます。
吉里容疑者の死には不可思議な点が多いですが、司法解剖もされないまま、早々に自殺と断定されたのでした。
不可解な点②:少女と少女を助けた女性の証言が違う
プチエンジェル事件では、マスコミが報道した内容と警察が発表した内容に食い違いがいくつかあります。
これには、事件の隠ぺい工作の統制がとれていなかったからという噂も。
特に、被害者少女の証言と、少女が助けを求めた花屋の店員の証言に食い違いが見られます。
マスコミの報道では、4人の少女の中には1人”世話役”の少女がいて、その子だけは手錠が掛けられていなかったというのに対して…
警察は「脱出の際に手錠が外れた」と発表。
また、花屋の店員は「少女が窓から助けを求めていた」と証言したのに対して…
警察は「裸足で花屋に駆け込んできた」と発表。
さらに、少女たちを脅すために吉里容疑者が使ったスタンガンについて、警察は当初「押収していない」と発表していましたが、数日後には「押収した」と発表。
警察の発表内容が真実なのか、とても気になりますよね。
不可解な点③:世話役の少女にATMでお金を引き出させた理由
監禁された4人の少女のうち、1人は”世話役”を任されていて、その少女は監禁中に吉里容疑者に代わってATMでお金を引き出していたようです。
この情報はアメリカのニュース番組CNNによるもので、世話役の少女が銀行のATMカメラに記録されていることは確認済み。
そのため、かなり確証のある話なのですが、吉里容疑者はなぜ危険を冒してまで、ATMでお金をおろさせたのかが不思議ですよね。
不可解な点④:早々に犯人を単独犯と決めつけた警察
被害者少女たちの証言から吉里容疑者以外にも数人の共犯者がいたようですが…
警察は早々に吉里容疑者1人の単独犯と断定しています。
犯行現場となったウィークリーマンションの契約は、吉里容疑者ではなく「ヤマザキ」と名乗る人物が行っています。
そのため本来ならば、操作の手がいくべき対象ですが、警察はあくまで吉里容疑者ただ1人による犯行と判断。
また、吉里容疑者が借りていた埼玉県のアパートからは、1,000本以上のビデオテープと2,000人以上の顧客名簿が押収されています。
それにもかかわらず、警察は「顧客リストの大半は偽名だった」として、早々に捜査を打ち切り。
他にも、当日マンションに出入りしていた2人の男女が目撃されていますが、そのうちの男性のほうは警視庁幹部の息子だったという情報もあり…
プチエンジェル事件の捜査が早急に打ち切りとなったのは、その警視庁幹部の圧力によるものとも言われています。
不可解な点⑤:犯行現場に大物政治家が絡んでいる
吉里容疑者が監禁場所として利用するため、犯行直前に契約したといわれる赤坂のウィークリーマンションの『インターナショナルプラザ赤坂No.1』ですが…
実は、衆議院議員を務める小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」が所有する物件だったようです。
これに関して、小沢一郎さんは一切発言していませんが、警察に圧力をかけたのは小沢一郎氏という可能性もなきにしもあらずですね。
プチエンジェル事件の顧客名簿に載っていたと噂の大物たち
プチエンジェル事件の顧客名簿に実名が載っていたとされる政治家や皇族の関係者たちについて詳しく説明します。
顧客①:秋篠宮文仁親王
非常に衝撃的ですが、顧客名簿には「秋篠宮文仁親王」の名前が載っていたと言われています。
秋篠宮文仁親王の名前は、皇族の大物がいるという情報から噂にあがったようですが…
実際に、名簿に名前が載っていた確証はありません。
ただ、皇族が犯罪を犯したとなると厄介なため、当時の警視庁長官が隠蔽したと囁かれているようです。
顧客②:高円宮憲仁親王
続いても皇族ですが、「高円宮憲仁親王」の名前もあったと言われています。
また、高円宮憲仁親王と秋篠宮文仁親王、そして小室眞子さん又は高円宮承子女王の3人での近親相姦を撮影したビデオが流出したという噂があるようです。
ビデオの内容はというと、
- 赤い絨毯が敷かれた40~50畳くらいの部屋の奥にキングサイズのベッドが映っている
- ビデオの撮影は秋篠宮文仁親王と高円宮憲仁親王が行っている
- 2人の親王のどちらかが小学3~5年生くらいの少女に「パパのこと好き?」と尋ねると「パパだ~いすき」と答える姿が見える
というもの。
このような内容から、「パパだ~いすき」というタイトルで動画が出回ったとされており…
話が大きくならないうちに、”スケープゴート”としてインパクトの強いプチエンジェル事件を起こした、との驚きの情報もあります。
よって、動画問題の火消しが終わった時点で、プチエンジェル事件を話題にする必要がなくなり、早々にメディアで騒がれなくなったという噂も。
本当にスケープゴートであったならば、事件の背後には壮大なバックがいたことになりますよね。
顧客③:小沢一郎
顧客名簿には立憲民主党所属の「小沢一郎」氏の名前もあったとされています。
前述したように、吉里容疑者が犯行現場として契約したウィークリーマンションは、小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」が所有していました。
プチエンジェルの顧客だったかは不明ですが、何かしらの関連はあるのかもしれませんね。
顧客④:糸山英太郎
顧客名簿には、日本の大富豪である「糸山英太郎」氏の名前も挙がっていたとされています。
自民党の大物フィクサーとしても知られ、投資家であり実業家の糸山英太郎氏はかなりの女性好きとして有名で、「変態エロじじい」と揶揄されるほど。
実は、プチエンジェル事件が起きた前日の2003年7月12日に、糸山英太郎氏は16歳の少女に現金15万円を渡し買春していたことがわかっています。
となれば、プチエンジェルの顧客名簿に糸山英太郎氏の名前があった可能性はかなり高いでしょうね。
ちなみに、16歳の少女への買春は元暴力団組長に紹介されたそうで、この方は児童福祉法違反で逮捕されていますが…
糸山英太郎氏は18歳未満だとは知らなかったとして、逮捕されていません。
ですが、警察は糸山英太郎氏だからこそ逮捕しなかったのでしょう。
プチエンジェルの顧客名簿には政財界の大物の名前が数多く出てきたと言われています。
このため警察は早々に捜査をストップさせ、事件の真相を闇に葬った可能性が高いですね。
顧客⑤:キャノン役員
顧客名簿には、キャノンの取締役の名前も記されていたようです。
その人物はなんと、未成年を含む300人以上の買春を行っていたことを元妻に離婚裁判で暴露されたとかで…
その時に、”プチエンジェル事件には関与していない”と大きくアピールしていたことから、逆にプチエンジェルの顧客だったのでは、と噂されるようになったようです。
顧客⑥:加藤良三
顧客名簿には、当時の外交官である「加山良三」氏の名前もあったとされています。
加山良三氏は、政治家だけでなく、三菱商事特別顧問や日本プロ野球機構コミッショナーまで幅広く活躍していました。
もし名簿に名前が載っていたのなら、証拠を隠滅させることは容易いですよね。
顧客⑦:秋元康
顧客名簿には、芸能界の超大物有名プロデューサー「秋元康」氏の名前もあったとされています。
AKB48を始め、若い女性アイドルをプロデュースしていることから…
幼女趣味なのではとみられているようですが、真偽のほどは不明です。
というわけで、ここまで顧客名簿に名前が挙げられていたと噂されている7名の方をご紹介しましたが、証拠はなく憶測の域を出ません。
プチエンジェル事件のその後
プチエンジェル事件が起きたその後は、どんな展開になっていったのか見てみましょう。
渋谷での少年少女の一斉補導
プチエンジェル事件を受けて、翌日には渋谷・新宿で一斉補導が行われています。
なんと補導された少年少女は1,500人以上。
プチエンジェルに関わりがあった少女たちがその中にどれくらいいたのかはわかりませんが…
顧客リストには約2,000名の名前が載っていたとのことなので、相当数の少女たちがプチエンジェルに関係していたと考えられます。
プチエンジェルには紹介制度があり、中高生を勧誘すれば1万円、小学生だと3万円をもらえる仕組みだったようです。
お小遣い稼ぎで友達をどんどん勧誘して、芋づる式にメンバーを増やしていったのでしょうね。
ジャーナリスト染谷悟の死
2003年9月12日、プチエンジェル事件を追っていたフリージャーナリストの染谷悟さんが亡くなっています。
両手は鎖、両足は紐で縛られた上に、背中に8箇所の刺し傷、頭には2箇所の打撲痕があるというなんとも凄惨な姿で東京湾に浮かんでいたんだそうです。
事件前には「中国人に命を狙われている」と周囲に漏らしていたんだとか。
空き巣に入られ私物も盗難されていましたが、後日、染谷悟さん殺害の疑いで3人が逮捕。
仕事によるトラブルとされていますが…。
染谷悟さんは、「柏原蔵書」のペンネームを使用し、裏社会に関わる記事を多く手掛けていました。
プチエンジェル事件についても、マスコミが報道を止めた後もずっと取材活動を続けていたようで…
なんらかのトラブルに巻き込まれた可能性もなくはないですよね。
このようなこともあり、「プチエンジェル事件を追うと消される」という噂がうまれたようです。
こうして事件の内容を追究するマスコミはいなくなり、真相は闇の中に葬られてしまったのでしょうね。
被害者の少女たちのその後
監禁されていた被害者の少女たち4人は、事件当時小学6年生であり、性犯罪に巻き込まれている可能性もあることから、実名報道は一切されていません。
しかしネット掲示板2チャンネルには、被害者少女の画像ととに実名も載ったようです。
ただそれは一瞬のことで、すかさず法務省から削除命令が出て、今では確認できないようになっています。
被害者少女たちがその後どうなったかのは不明ですが、プチエンジェル事件から数年の間に、被害者少女たち4人全員が死亡したという噂もあります。
1人は肺炎で死亡、1人は自殺、1人はひき逃げ、1人は性感染症による死と言われていますが、何の証拠もありません。
信憑性は低いですが、口封じに消されてしまったという可能性もありえなくはないですよね。
まとめ
今回は、プチエンジェル事件の顧客リストについてお伝えしました。
調べてみたところ、
- 犯人は吉里弘太郎
- 児童買春デートクラブ『プチエンジェル』が関わっている
- 事件の背景には援助交際と2,000名を超える顧客リストの存在がある
- 顧客名簿には、皇族や日本政財界の大物、医師、弁護士などの実名があがっていた
- 警察は早々に吉里容疑者1人のの単独犯による犯行と判断し、捜査を打ち切り
- 事件に圧力がかかった可能性が高い
- プチエンジェル事件には不可解な点が多い
- 事件後には、事件を追っていたジャーナリストが殺害された
- 被害者少女たちは全員口封じで消されたという噂がある
ということがわかりました。
プチエンジェル事件の顧客名簿には、多くの大物が載っていたようですね。
上からの圧力で操作が打ち切りとなった可能性は限りなく近いように思います。
今後はこのような事件がなくなるといいですね。
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