大谷翔平の両親の2024年現在!母親は焼肉店のパートを継続!

日本を代表する、世界のスーパースター大谷翔平選手。その圧倒的な実力や礼儀正しい愛すべきキャラクターは、野球に興味がなくても知らない人はいませんよね。

ドジャースと10年契約を結び、総収入額は7億ドル(1,000億円)にも上るそうですよ!

そんな大谷選手がいったいどんな風に育ってきたのか、ご両親はどんな人たちなのか、すごく気になります!

ということで今回は、大谷翔平選手のご両親や育て方について、調査してみました。

大谷翔平の両親の画像を公開

まずはじめに、大谷家の家族構成をご紹介しますね。

  • 父:徹さん/元社会人野球選手
  • 母:加代子さん/元バドミントン選手
  • 長男:龍太さん/元社会人野球選手
  • 長女:結香さん/元バレー部
  • 次男:翔平選手/メジャーリーガー

ご両親、7歳上のお兄さん、2歳上のお姉さんの5人家族で、大谷選手は3兄弟の末っ子なんですね。

やっぱり末っ子気質の甘えん坊なんでしょうか。

あの愛すべきキャラクター、なんだかわかる気がしますね。

それにしても、みなさんスポーツに関わっていて見事なスポーツ一家ですね!

まずは一家の大黒柱、お父さんの徹さんはどんな方なのか見ていきましょう。

父親 大谷徹(おおたにとおる)

  • 名前:大谷徹(おおたにとおる)
  • 生年月日:1962年
  • 出身地:岩手県北上市
  • 身長:182cm
  • 職歴:自動車ボディメーカー勤務(2016年退社)
  • 現在:少年野球チーム監督

お父さんの徹さんは、元社会人野球選手です。

徹さんが野球を始めたのは中学2年生からですが、最初は陸上部に入ったそうです。

理由は「坊主頭にするのがどうしても嫌だったから」。

地元の中学に進んだ徹は坊主頭になるのが嫌で野球部ではなく、陸上部に入った。しかし、結局、2年生から野球部でプレーすることになりました。

実際に陸上部に入ってみて、徹さんなりにいろいろと感じたことがあったようですね。

「コンマ数秒でも、結局、相手の背中を見て走ることになるわけじゃないですか。それが嫌で嫌で負けるのが嫌いだったんです」と徹さんは言います。(中略)野球は陸上ほど明確に個人の優劣がつくわけではない。しかし、個人の活躍がときに勝敗を左右します。

ものすごく負けず嫌いな性格だったんですね。

結局2年生から始めた野球ですが、それも元々好きで始めた訳ではなく、徹さんの父親からの勧めでした。

にも関わらず、エースで4番、県内の強豪チームからも注目されるほどの実力ある選手だったようです。

そして岩手県立黒沢尻工業高校で甲子園を目指し、卒業後は「三菱重工横浜」で社会人野球選手としてプレーしていました。

当時はプロ野球選手を目指していましたが、肩を壊してしまいプロの道は断念。

その後、当時住んでいた横浜から地元の岩手に戻ることになりました。

それから、会社員だった徹さんは、大谷選手が小学2年生で入団した「水沢リトル」でコーチを務めます

徹は大谷が小学校2年の秋、水沢リトルに入ると同時に、「自分も勉強させてください」とチームのコーチを買って出ました。

大谷選手が中学校に上がってからも、今度は「一関リトルシニア」でコーチを務め、大谷選手を支えてきました。

7年間大谷選手を支えてきた徹さんですが、長男の龍太さんが野球を始めた時は、多忙で何もしてあげられなかったそうです。

どうしてもそれが心残りで、そのぶん大谷選手に熱心に指導していたんですね。

大谷選手も「バッティングなど基本的なことは、すべて父に教わった」とコメントしています。

お父さんの支えがあったからこそ、大谷選手の今の活躍があるんですね!

では続いて、お母さんの加代子さんについて見ていきましょう。

母親 大谷加代子(おおたにかよこ)

  • 名前:大谷加代子(おおたにかよこ)
  • 生年月日:1963年
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 身長:170cm
  • 職歴:三菱重工横浜製作所(バドミントン部)
  • 現在:パート

お母さんの加代子さんは、あの陣内貴美子さんと対戦したこともある、元バドミントン選手です。

女性で身長が170cm!徹さんが182cmなので、大谷選手の193cmという高身長、それから身体能力の高さも、見事にお二人から受け継いだものですね!

加代子さんは小学5年生からバドミントンを始め、中学3年生で全国大会に出場しました。

この大会では準優勝でしたが、決勝での対戦相手が陣内貴美子さんでした。

中学時代はバドミントン部に所属。3年時、神奈川県代表のメンバーに選ばれ、全国大会へ。団体女子の部で準優勝しました。

このとき敗れた相手は後に92年のバルセロナ五輪に出場した陣内貴美子のいた熊本県だった。全国大会決勝も含め、同学年だった陣内とはこの後も何度か対戦することになります。

加代子さんも、やっぱりすごい実力の持ち主だったんですね!

その後、高校に入ってからも国体や総体に出場しています。

そして高校卒業後「三菱重工横浜」に就職、ここで徹さんと出会いました。

ここでの徹さんとの出会いが、まさに運命の出会いになったんですね!

お二人は1986年に結婚、3人の子供たちに恵まれました。

幼い頃の大谷選手は、野球を始める前にバドミントンをやっていたそうです。

野球と出会う前は、二つのスポーツに親しんだ。まず、バドミントン。これは、高校総体や国体に出場経験がある加代子さんの影響が大きいです。

ちなみに、二つのスポーツのもう1つは水泳だそうです。

徹さんと加代子さんの運命の出会いのおかげで、日本の宝である大谷翔平選手が存在している訳ですね。これには本当に感謝しかありません。

大谷翔平の両親の現在。母親は今でもパートを継続

大谷翔平選手のご両親である元社会人野球選手の徹さん、そして元バドミントン選手の加代子さんが、現在何をされているのかを調べました。

現在、お父さんの徹さんは、岩手県を拠点とする中学生の硬式野球チーム「金ケ崎リトルシニア」の監督を務めています。

「金ケ崎リトルシニア」は、2014年に徹さんが有志とともに立ち上げました。

お母さんの加代子さんは、現在もパートを続けているそうです。

「加代子さんは焼き肉店でパートをしていましたが、翔平くんが2018年にエンゼルス入りしたのをきっかけにお店を辞め、息子をサポートする体制を整えました。」

↑の情報もあったので調べてみましたが、まだ仕事を続けている情報も出ていましたし、恐らくパートを続けている可能性の方が高いでしょう。

メジャーリーガーの大谷選手の総収入額は1,000億円にも上ります。一生遊んで暮らせますね!!

これだけの活躍をしている息子にいろいろと甘えてしまいそうなのに、加代子さんはパートを続け、お二人ともすごく謙虚な人たちで本当に頭が下がります。

普通の一軒家に住み、リフォームなども自分たちのお金で済ませ、経済面に関して大谷選手にはまったく頼ってないそうです。

ある時、大谷選手が加代子さんに“いつまで働くの?”と聞いたことがあったそうです。すると加代子さんは“あなたに、おんぶに抱っこというわけにはいかないでしょ?”と、笑って返したのだとか。

今でも水沢市内の飲食店(噂によると焼肉店)で週に4日~6日程度で働き続けているようです。その根底には、「自分たちの生活は、自分たちで」という考えがあるからです。

「子供は翔平だけではありません。お兄ちゃん(龍太さん)、お姉ちゃん(結香さん)は自分で働いたおカネで生活しているし、これからしていくわけです。なのに、わたしたちが翔平におんぶにだっこというのは、お兄ちゃん、お姉ちゃんの目から見たらどうだろうと。やっぱり自分たちの暮らしは自分たちで……」

本当にあの子供にしてこの親ありという事が分かります。

父の徹さんも“息子が活躍するようになったからといって、子供に飯を食わせてくれとは言いづらいよ”と冗談めかして話していたことがあります。

息子は息子、自分たちは自分たちなりにやっていけているんだから、それで充分ということなんでしょう。大谷選手のお金には、現在も“手出しゼロ”のままだそうです。

ご家族のみなさんもなんてすばらしい考え方なんでしょう!全然おんぶに抱っこでいいですよ!飯を食わせてくれって言ってください!だって今年87億円稼いでるんですよ!?

と、庶民の私なら思ってしまうんですが…(笑)

そうはならないのが、やっぱり大谷選手のご両親の凄いところです。

お二人の責任感や謙虚な姿勢、大谷選手の人柄はこういうお二人からしっかりと学んだものなんですね。

現在、大谷翔平選手はロサンゼルス・ドジャースに所属しています。となると、両親もアメリカに住んでる?と思うかもしれませんね。

ご両親は現在、大谷選手の地元である岩手県で「普通の一軒家」に住んでいます。意外ですよね。大谷選手がドドーンと大豪邸を建てていてもおかしくないですからね。

これまでに外壁や内装のリフォームなども、お二人は自分たちのお金でまかなったそうです。

日頃マスコミに声をかけられたりしても「遠いところご苦労さまです」とねぎらってくれてるんですって!

お二人とも、思いやり溢れるすばらしい人たちですね。

大谷翔平の両親の8つの育て方が凄い

世界中から愛される大谷翔平選手が、いったいどんな育て方をされたのか、すごく気になりますよね!

ここからは、大谷家の8つのルールについて、ひとつずつ探っていきたいと思います。

子供の前で夫婦ケンカをしない

大谷選手のご両親は、子供の前で夫婦喧嘩をしないことを誓いました。子供がなんでも、話したいことを話せる環境を作りたかったそうです。

そんな環境のおかげで、大谷選手は幼い頃から「160kmを投げる」とか「メジャーに行く」と話していました。

親が喧嘩をすれば、居心地が悪くなり、顔色を窺うようになる。ご両親は家庭の雰囲気をいつも朗らかにして、子供たちが話したいことをなんでも話せる空気を作っていた。

お陰で、大谷選手は反抗期もなく、中学2年生までお父さんとお風呂に入っていたそうです。

大谷選手は、親の顔色をうかがう必要のない、安心できる家族の中で育ったんですね。

やりたいことを楽しくやらせる

「やりたいことを楽しくやらせる」これは、お父さんである徹さんのモットーでした。

大谷の父・徹さんは、息子に「野球の練習をしろ」と注意することは一切なかったとのことです。

誰かに強要されるのではなく、大谷選手自身が野球をやりたい、楽しみたいと思う気持ちを徹さんは大事にしたかったんですね。

交換日記

7年間、コーチとして大谷選手を支えた徹さんは、息子と交換日記をしていました。

大谷選手がその日の反省や課題などを書き、徹さんがアドバイスをしたり褒めてあげたりしていたそうです。

「書くことによって頭に入る。褒めるのも、本人を目の前にして褒めたくない。文章的に褒めるのが、良いんじゃないかと思った。」

さらにノートに何度も書いてある言葉があります。

徹さんがいう「野球で本当に大切な3つのポイント」だそうです。

  • 「一生けんめい元気に声を出すこと」
  • 「一生けんめい走ること」
  • 「一生けんめいキャッチボールをすること」

交換日記を使うというのは、すばらしい方法ですね!

真剣に子供と向き合って、大事なポイントを何度も伝える。

しっかりと大谷選手に伝わっているはずです。

自宅へ野球を持ち込まない

徹さんは、野球に関してはコーチとして厳しい一面もあったと思いますが、家には野球を持ち込まなかったそうです。

翔平が小学生の頃は、練習が終わってから一緒に風呂に入ったものだったが、そこではその日の練習を少しだけ振り返る程度。

風呂上がりはいつもの父と息子に戻り、他愛もない話をするだけだった。

この頃の子供の体は成長段階にあるため、無理をさせすぎないよう気遣っていたそうです。外では厳しく、でも家に帰ると優しいお父さんとして接していたんですね。

大谷選手にとってはそのメリハリがあるからこそ、家の中では安心して過ごすことができたんだと思います。

家族でできるだけ長く時間を過ごす

お母さんの加代子さんは「家族でできるだけ長く同じ時間を過ごしたい」と思っていたようです。

夕飯は、お父さんの帰りを待って家族みんなで一緒に食べるのが当たり前。

そして1台のテレビでみんなで同じ番組を観る、という風になるべく家族一緒に過ごしていました。

大谷家にはテレビが1階のリビングに1台だけ。夕食は父の帰りを待って5人家族全員が食卓を囲むのが当たり前でした。

間違いなくそのおかげですね。子供たち3人の誰ひとりとして、反抗期がなかったそうです。

それぞれが自分の部屋にこもる、なんてこともなかったんですって!

理想的な温かい家庭、うらやましいですね。

怒らない

ご両親は大谷選手をほとんど怒らなかったそうです。

お父さんから怒られたのは、グラウンドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ。

大谷選手本人も、怒られた記憶はあまりないようですね。

これに関して、お母さんの加代子さんはこう話しています。

たとえばお姉ちゃんが怒られている姿を見ると、翔平はその怒られたことをやらなかったりするんです。

周りを見て何かを感じ取ることが上手だったので、あまり怒られるようなことはしなかったのかなあと思いますね。

大谷選手も、幼いながらに観察力の鋭い子供だったんですね。

両親の教育で育まれた『根拠のない自信』が二刀流の原点でしょう。逆境に強く、ポジティブに捉えられる発想は、幼少期に両親から肯定されて育てられた場合に発達することがあるんです。

親からネガティブな叱責を受けていない子供は、自分の考えを信じて成長できるそうです。

ご両親が子供を信じて優しく見守っていたおかげで、大谷選手はのびのびと育ったんですね。

一生懸命な親の背中を見せる

お父さんの徹さんは、仕事の夜勤明けでも大谷選手と試合に向かいました。

お母さんの加代子さんも、大谷選手が小学生になるとパートに出たそうです。

身を粉にして働きながら見守ってくれる両親の背中を見て、大谷選手は親に頼るのではなく『自分で努力をしなければ』という自覚を持ったのではないでしょうか。

子供って本当に親の背中をよく見てますよね。

大谷選手もご両親の一生懸命な姿を見て、自分で努力する大切さを学んだということですね。

自分で考えさせる

大谷選手は、学生時代からピッチャーとして剛速球を投げていました。

高校3年生でアマチュア史上初の160キロという記録を出しています。

ただ、コントロールについて悩んだ時期があり、その時にお母さんの加代子さんはこう言ったそうです。

「この弱点を踏まえて、次の目標や改善点を具体的にどうするべきか考えなさい」

冷静に自分の頭で考えさせるために、こんな風にアドバイスができるなんて、本当に素敵なお母さんですね。

まとめ

大谷翔平選手のご両親や育て方についてまとめてきました。

元社会人野球選手の徹さん元バドミントン選手の加代子さんの元で、大谷選手は3兄弟の末っ子として育ちました。

ご両親は子供たちの育て方にとても熱心で、大谷家にはすばらしい8つのルールがあります

  • 子供の前で夫婦ケンカをしない
  • やりたいことを楽しくやらせる
  • 交換日記
  • 自宅へ野球を持ち込まない
  • 家族でできるだけ長く時間を過ごす
  • 怒らない
  • 一生懸命な親の姿を見せる
  • 自分で考えさせる

子供に真剣に向き合い、子供自身の考えを尊重し優しく見守る、そんな温かい家庭で大谷選手は育ちました。

そして大谷選手はご両親の思いに応えるように、礼儀正しく思いやりのある人柄で、誰からも愛されています。

ご両親は現在、大谷選手の地元である岩手県で、徹さんは少年野球チームの監督として、加代子さんはパートを続けています。

メジャーリーガーである息子に甘え過ぎず、お二人はこれからも謙虚な姿勢で大谷選手を支えていってくれるでしょう。

ご家族に支えられながら今後も活躍してくれる大谷翔平選手を、これからも応援していきたいと思います!

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