宮沢賢治の死因は肺炎の病気でほぼ確定!亡くなるまでの経緯も解説!

宮沢賢治と言えば、ほとんどの皆さんが小学校時代に名前を聞いた事がある人物かも知れません。

筆者も小学校時代の国語の授業で、宮沢賢治の名前を聞いた記憶があります。

大正時代から昭和初期の詩人、童話作家で、童話作品としては『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』。

詩集では『雨ニモマケズ』が特に有名かも知れません。

作品の詳細は知らなくてもこれらの作品名を聞いた事がある人は多いでしょう。

さらに教科書で紹介されていたと思うので、白黒の作者の写真を見た人も多いかと思います。

上記の様な写真をほとんどの人が一度は見た記憶があるかと思います。

『銀河鉄道の夜』はアニメ化もされていますし、何かと作品に触れる機会が現在でも多いのかも知れません。

人気漫画の『文豪ストレイドッグス』にも登場しているので、また違った宮沢賢治像もありますが。

他にも宮沢賢治を題材にした映画も数多く制作されており、2023年にも宮沢賢治に関する作品が映画公開されたりもしています。

宮沢賢治の作品や、上記の作者の写真は見た記憶が多いかと思いますが、彼の生い立ちまで知っている人となると、かなり少ないのでは無いでしょうか?

ということで、今回の記事では宮沢賢治の死因について紹介していきます。

宮沢賢治は37歳の若さで亡くなっている

上記の画像は昭和8年9月22日付け岩手日報の紙面の画像で、宮沢賢治の訃報を伝える記事が掲載されているのが分かります。

亡くなったのは昭和8年9月21日でした。

当時の新聞には以下の様に書かれています。

詩人宮澤賢治氏きのふ永眠す 日本詩壇の輝しい巨星墜つ 葬儀はあす執行

花巻町豊沢町宮澤政治郎氏長男宮澤賢治氏かねて病気中のところ最近小康の状態にあった廿一日午後一時半病あらたまり遂に永眠したが享年二十八

引用元:宮澤賢治の里より

見出しでの宮沢賢治の紹介文に『日本詩壇の輝しい巨星墜つ』と書かれていますが、生前の宮沢賢治の知名度はほぼ無い状態で、地元の岩手ではちょっと有名だった程度らしいので、大分盛られている様ですね。

またこの内容では病死した事は推測できますが、詳しい病名までは不明です。

さらに享年が28歳となっていますが、これは全くの出鱈目です。

宮沢賢治の生年は1896年(明治29年)で、亡くなった昭和8年は西暦では1933年になりますので、正しい宮沢賢治の没年齢は満37歳になります。

他にも父親の名前が宮澤政治郎となっていますが、正しくは宮澤政次郎です。

さらに翌日の葬儀を伝える記事でも見出しの名前が『故宮沢賢治』ではなく『故宮沢賢河』になっているなど、地方紙とはいえ、新聞でここまで間違った情報で掲載されていたのには驚きですね。

正確な死因は不明だが肺炎でほぼ確定

先ほど紹介した当時の新聞記事では病気で亡くなった事は報じられていますが、何の病気だったかは分かりませんでした。

ですが、亡くなる数日前に往診した医者急性肺炎の疑いと診断されています。

また亡くなる5年程前の1928年8月10日に高熱で倒れます。

病院での診断の結果、両側肺浸潤(はいしんじゅん)と診断され、以降は実家での療養生活となります。

肺浸潤という言葉は、何かというと肺のレントゲン写真を撮った時に、白い影が映る状態の事を表します。

またこの当時は、肺浸潤と診断された場合肺結核と考えられる事が多かった様です。

ただ、宮沢賢治の場合は結核ではなく、肺炎であったようです。

当時の宮沢賢治は1926年(大正15年)に教師を辞職し、岩手県花巻市に後に『羅須地人協会(らすちじんきょうかい)』と呼ばれる私塾を設立しています。

ここで畑や花壇を開墾し、野菜や花を育てる生活を始めています。

さらに農学校の卒業生や近在の篤農家を集め、農業や肥料の講習レコードコンサートや音楽楽団の練習を行っています。

この他にも肥料設計事務所を開設して、無料で肥料計算の相談を受ける用になります。

一応畑で作った野菜を売っていた様ですが、自分の生活と私塾運営費を賄えるとは思えないので、パトロン的な存在やあちこちに借金をしていたと思われます。

この様な生活を送る中で、1928年8月10日に高熱を出して倒れた時に肺炎を患う事になりましたが、この直前に伊豆大島を訪問しており、不特定多数の人間に接触した事が原因で、感染した可能性がある様です。

最初の肺炎発症から2年後の1930年頃には体調も回復していました。

1931年(昭和6年)2月21日、東北砕石工場花巻出張所が開設されます。

この工場で扱う石灰石を使って安価な農業用肥料が製造可能な事から、療養中の頃から手伝っていた様ですが、体調が回復してきた事もあり、この工場で技師となり働き始める事になります。

製品開発、広報活動、営業や販売活動まで多岐にわたる仕事を行っていました。

そして、農閑期の9月19日、肥料が売れなくなるので、石炭を壁材料に転用する事を思いつき、40キロの製品見本を持って上京します。

ところが翌日の20日に神田駿河台の旅館「八幡館」で再び高熱を出し倒れます。

恐らくそれまでのハードワーク状態で上京し、さらに不特定多数の人間に接触した結果、また肺炎に感染したと思われます。

旅館で死を覚悟し、遺書を書いたり、最後の別れのつもりで27日に父親に電話を掛けています。

なんとか父親が東京の知人を頼り、宮沢賢治は岩手の実家に戻る事ができましたが、再び療養生活を送る事になりました。

この年の11月に『雨ニモマケズ』を手帳に書き記したと言われています。

ちなみに療養生活を送っていましたが、この時には医者にはかからず薬はビール酵母竹の皮を煎じたもの自前で用意して飲んでいた様です。

亡くなる直前の1933年(昭和8年)9月17日から19日まで地元の神社のお祭りを自宅の入り口辺りに椅子を置いて、神輿や山車を見学しています。

それを見かけた農家の人が肥料に関する相談に訪れ、その対応をした後にまた呼吸が荒くなり、往診に来た医者に診断してもらった結果、急性肺炎と診断されます。

これが亡くなる前日頃になるようです。

同日の夜別の農民が相談に来たため、わざわざ着物を着換えて、相談に応じています。

ですが、それが終わると倒れ込んでしまった様で、2階の病室に運ばれています。

翌日の9月21日午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」の声に驚いた家族が病室に向かうと、喀血して顔が真っ青の状態になっていました。

いよいよ最期かも知れないと悟った家族と、いろいろと会話したり、片づけが一段落した午後1時30分頃に息を引き取ったそうです。

最終的に亡くなった原因は肺炎でしたが、子供時代から病気がちで、あまり体が丈夫ではありませんでした。

そんな体にも関わらず、働きだすと体の事を顧みず、過労で体が衰弱しきったところに、肺炎に掛かってしまったのでしょう。

またこの記事では肺炎が死因として紹介していますが、結核だったという説もあります。

先ほども触れましたが、亡くなる頃には医者には掛かっておらず死後に解剖された訳でもありませんので、正確な死因は分かっていません。

(急性肺炎を診断した医者も自宅に往診に来て、患者の状態から推測した見立ての診断に過ぎない。)

肺の病気が原因なのは間違い無いと思われるので、結核の可能性も十分にあると思われます。

当時は肺炎、結核どちらも不治の病であったので、助かる見込みは低かったと思われます。

まとめ

今回の記事では宮沢賢治の死因について紹介しました。

個人的な見解ですが、明治から昭和初期の歴史上の偉人病気で短命だった人が多かった様な印象がします。

今回の記事で紹介した宮沢賢治の他には、音楽家の滝廉太郎(結核で23歳で死去)、歌人の石川啄木(結核で26歳で死去)、5000円札の肖像でもお馴染みの樋口一葉も24歳で亡くなっています。

紹介したのはほんの一部ですが、やはり当時は不治の病とされた事が大きいのでしょう。

宮沢賢治の創作活動に大きな影響を与えたと言われている、すぐ下の妹の宮澤トシ24歳という若さで、同じく結核でこの世を去っているのも有名な話ですよね。

その一方で、この2人以外の宮沢家の人間全体的に長寿を全うした人が多かった様です。

宮沢賢治の死因についてのまとめです。

  • 宮沢賢治は1896年に生まれ、1933年に37歳の若さで亡くなっている
  • 亡くなる5年程前から、肺炎になり療養生活を送っていたが、体調が回復してきた事で、東北砕石工場技師として働きだすが、無理をした影響で再び肺炎に掛かってしまう
  • 1933年9月21日に肺炎で亡くなったとされているが、死後に司法解剖されたわけでは無いので、本当の死因ははっきりしていない
  • 亡くなる前の療養生活では医者に掛かっておらず、亡くなる直前に往診した医者の見立てで急性肺炎と診断された事で、肺炎で亡くなったと解釈されている可能性が高い
  • 肺の病気が原因であるので、結核で亡くなった可能性もある

宮沢賢治は何かとメディアで取り上げられる機会が多い人物でしたが、2023年は没後90年にあたる事もあり、特に取り上げられる機会が多くなっている様です。

学校で習った事で名前だけはほとんどの人が知っている人物ですが、作品を読んだことが無い人もまだまだいるでしょう。

これを機会に宮沢賢治の作品を読んでみては如何でしょうか。

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