平良恵美子の事件の真相!安室奈美恵の母が殺された犯行動機は金銭トラブル?

歌手

安室奈美恵さんの母・平良恵美子さんは、1999年に起きた衝撃的な事件で命を落としました。人気絶頂の娘を持つ母親が、なぜ義弟の手にかかることになったのか。事件の犯行動機には金銭トラブルや婚約破棄など複数の説があり、犯人が直後に自殺したことで真相は闇の中です。

平良恵美子さんとはどんな人物だったのか、そして事件の全容と犯行動機の真相に迫ります。

平良恵美子のプロフィールと壮絶な生い立ち

安室奈美恵さんの母・平良恵美子さんは、沖縄で生まれ育ったハーフの女性でした。波乱に満ちた人生を歩みながらも、3人の子どもを女手一つで育て上げた苦労人です。

  • 平良恵美子さんはイタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、安室奈美恵さんはクォーター
  • 離婚後、昼は保育士・夜はスナック勤務のシングルマザーとして3人の子を育てた
  • 1999年3月17日、義弟の平良譲二に殺害された(享年48歳)
  • 犯行動機は婚約破棄の逆恨みと金銭トラブルが有力とされるが、犯人の自殺で真相は不明
  • 安室奈美恵さんは事件後わずか2週間で復帰し、2018年の引退まで歌い続けた
名前 平良恵美子(たいら えみこ)
生年月日 1950年6月30日
没年月日 1999年3月17日(48歳)
出身地 沖縄県北谷町
国籍 日本(父はイタリア系アメリカ人、母は日本人)
職業 エッセイスト、スナック経営
配偶者 平良辰信(再婚相手)
子ども 3人(長男、長女、安室奈美恵)
著書 「約束~わが娘・安室奈美恵へ~」(1998年)

ハーフとして沖縄で育った平良恵美子の生い立ち

平良恵美子さんは1950年、沖縄県北谷町で生まれました。母・清子さんは最初に地元の歯科医と結婚したものの離婚し、その後イタリア系アメリカ人の軍人と出会って恵美子さんを身ごもります。

しかし、その軍人は恵美子さんが生まれる前にアメリカへ帰国してしまいました。清子さんはシングルマザーとして、昼は米軍基地で、夜はスナックで働きながら恵美子さんを育てています。

1950年代の沖縄でハーフとして生きることは、想像以上に過酷だったようです。恵美子さんは幼い頃から周囲の差別やいじめを経験しながら育ちました。恵美子さん自身は、父親が白人であること以外、詳しいことは何も知らされずに成長したといいます。

北谷町は町の半分が米軍施設で、駐留米軍が多い地域です。外国人が多い土地柄とはいえ、当時のハーフに対する偏見は根強く、清子さんも恵美子さんも相当な苦労を強いられました。

シングルマザーとして3人の子どもを育てた恵美子さん

高校卒業後、恵美子さんは地元のバス会社に就職しました。ところが清子さんには内緒でバス会社を退職し、単身上京。そこで沖縄出身の男性と出会い結婚します。

安室家はもともと商売を営む裕福な家庭で、旦那さんはいわゆるお坊ちゃま育ちでした。3人の子ども(兄、姉、安室奈美恵さん)に恵まれたものの、夫婦仲は悪く、喧嘩が絶えなかったといいます。

幼い安室奈美恵さんも、怒鳴り合う両親の喧嘩に怯えながら過ごしていたそうです。さらに恵美子さんがハーフだったことから、夫側の親戚からも差別的な扱いを受けていたとか。法事に呼んでもらえなかったり、白い目で見られたりしたといいます。

結局、離婚を選んだ恵美子さん。その後は母・清子さんと同じように、昼は保育士として、夜はスナックでホステスとして働くダブルワークの毎日が始まりました。

子ども3人を抱えての生活はとにかく大変で、家賃1万5千円の四畳半の団地暮らし。安室奈美恵さんがダンスや歌の才能を見出されてアクターズスクールにスカウトされた時も、月謝が払えずに一度は断っています。

校長が「この子は絶対ものになる」と特待生として入学させてくれたものの、交通費すら出せない状態でした。安室奈美恵さんは片道1時間半の道のりを歩いて通学していたのです。

娘の上京と大ブレイク、そして著書「約束」

中学卒業と同時に上京を決意した安室奈美恵さんに対して、恵美子さんは反対だったそうです。まだ15歳の娘が単身で東京に行くのは心配だったのでしょう。

デビュー当初はまだあまり売れておらず、安室奈美恵さんはちょくちょく沖縄に帰ってきていました。心配した恵美子さんは「いつでも帰っておいで」と伝えますが、安室奈美恵さんは「3年待って」と芸能活動を続けます。

その結果、1995年に「Try Me ~私を信じて~」が大ヒット。そして翌1996年には「Don’t wanna cry」で日本レコード大賞を受賞し、一躍トップスターの仲間入りを果たしました。

恵美子さんは1998年9月に「約束~わが娘・安室奈美恵へ~」を出版しています。その中には娘への深い愛情がつづられていて、レコード大賞受賞時に人前で涙を見せた娘の姿への感動などが書かれています。

苦労の末にようやく楽になれるはずだった恵美子さんを、あの恐ろしい事件が襲いました。

安室奈美恵実母殺害事件の全容と犯人・平良譲二

1999年3月17日、安室奈美恵さんの人気絶頂期に起きたこの事件は、日本中を震撼させました。犯人は恵美子さんの義弟(再婚相手の実弟)で、その残忍な犯行の様子と犯人の自殺により、多くの謎を残しています。

1999年3月17日に起きた事件の全容と死因

1999年3月17日午前10時40分ごろ、沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉の道路上で事件は起きました。恵美子さんと夫の平良辰信さんが横断歩道を渡っていたところ、1台のスカイラインが猛スピードで恵美子さんに突っ込んできたのです。

辰信さんは恵美子さんを助けようと駆け寄りますが、車はUターンして再び二人に向かってきました。辰信さんも撥ねられてボンネットの上に乗り上げ、なんとか恵美子さんを電柱の影に運びますが、運転手が鉈を持って襲いかかってきます。

その運転手こそ、辰信さんの実弟・平良譲二でした。辰信さんは鉄パイプで応戦し、近所の人々が集まってパニック状態に。譲二はその場から車で逃走します。

午前11時48分、恵美子さんは搬送先の病院で意識が戻らないまま亡くなりました。

死因は頭部打撲によるくも膜下出血でした。享年48歳。安室奈美恵さんがまさに絶頂期を迎えていた矢先のことです。

午後1時45分ごろ、現場から5kmの農道で譲二の車が発見されました。車内には意識不明の譲二がおり、病院に搬送されましたが午後4時10分ごろに死亡が確認。車内からは殺虫剤の粉末が見つかり、平良譲二は殺虫剤を服用して自殺したと断定されました。

事件当日の安室奈美恵さんの行動

1999年3月17日は、安室奈美恵さんにとって新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日でした。さらにCM出演していたアサヒ飲料の発表イベントも予定されており、安室奈美恵さんはイベント会場に入っていた状態だったのです。

午後12時20分ごろ、安室奈美恵さんのもとに「お母さんが事故にあったらしい」という連絡が入ります。この時点ではまだ事件の全容は伝えられていませんでした。姉に電話をかけても繋がらず、落ち着かない時間が続きます。

午後1時10分ごろにようやく事件の概要が届き、すべての仕事をキャンセルして沖縄へ向かう準備を始めますが、留学旅行シーズンと重なりなかなかチケットが取れなかったそうです。

午後3時40分ごろ、当時の夫SAMさんとともに羽田空港に到着した安室奈美恵さんは、殺到する報道陣に囲まれて前に進むことすらできない状態でした。

SAMさんがカメラマンを押しのけたり安室奈美恵さんを支えたりしてなんとか搭乗手続きを済ませましたが、泣き崩れる安室奈美恵さんの姿は翌日、各局で報道されてしまいます。機内でも小型カメラで撮影され、那覇空港にも大勢のマスコミが押しかけていました。

安室奈美恵さんは関係者出口から車に乗り、パトカーに先導されて遺体安置所で母・恵美子さんと対面しています。

事件後も歌い続けた安室奈美恵さん

翌3月18日午前10時30分に恵美子さんの司法解剖が行われ、19日に出棺・火葬、20日に告別式が執り行われました。告別式の後、夫の辰信さんは安室奈美恵さんやきょうだいに涙を流しながら謝罪していたそうです。

仮通夜の際、安室奈美恵さんはまだ傷の残る恵美子さんを眺めながら大粒の涙を流し、自分の涙で恵美子さんの血を拭き取っていたといいます。

ファンの応援もあり、安室奈美恵さんはわずか2週間後の3月29日、「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」で復帰を果たします。

番組冒頭で「ご心配かけました。元気です」と短く語り、涙ぐみながらも新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」を歌い切りました。この時、ダウンタウンの松本人志さんが「俺が助けたる!」と声をかけたことも話題になっています。

安室奈美恵さんは後のインタビューで「母の死は私を地獄に突き落とした」「もう歌うことも”安室奈美恵”でいることもやめたいと思った」と語っています。それでも「一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない」と立ち上がり、2018年9月16日の引退まで歌手として走り続けました。

安室奈美恵さんは左腕に母への想いを込めたタトゥーを入れていたことでも知られています。恵美子さんの誕生日「JUN.30 in 1950」、命日「MAR.17 in 1999」、そして「my mother’s love live with me」「R.I.P」という言葉が刻まれていました(現在は消去済み)。

安室奈美恵の母が殺された犯行動機は?金銭トラブルと義弟の恨み

犯人の平良譲二が事件直後に自殺してしまったため、犯行動機を直接聞くことはできませんでした。そのため、さまざまな噂やデマが飛び交いましたが、夫・辰信さんの証言やメディア報道から、いくつかの有力な説が浮かび上がっています。

婚約破棄の逆恨みで犯行に及んだ説

平良譲二は事件前、婚約を破棄されていました。その原因は、恵美子さんと辰信さんが二人の結婚に反対したことです。反対の理由は主に2つあったとされています。

1つ目は平良譲二に消費者金融からの借金があったこと。2つ目は、その婚約相手の女性が恵美子さんと辰信さんの悪口を言い回っていたことです。結局、女性は身を引いてしまいました。

名護警察はこの「婚約破棄の逆恨み」を公式な犯行動機として発表しています。

ちなみに辰信さんはある日、泡盛を2本飲んで泥酔した際に、その婚約者の女性のことを思い出して譲二の車をゴルフクラブでボコボコにしてしまったことがあったそうです。「弟を思って」の行動だったとはいえ、平良譲二が逆恨みしていてもおかしくはありません。

安室奈美恵のお金が原因?金銭トラブル説

金銭トラブルがあったことは、辰信さん自身も認めています。平良譲二には消費者金融からの借金があり、何度も恵美子さんに借金の申し出をしていました。

安室奈美恵さんが大スターになったことで、恵美子さんにはお金があると思われていたのでしょう。沖縄には「お金がある人がない人に融通するのが当然」という文化的背景もあったといいます。

譲二の立場からすると、「辰信さんの暴力から恵美子さんを自分の家にかくまってあげているのに、自分が困っている時にはお金を貸してくれない」という不満を募らせていた可能性があります。

婚約破棄の恨みと金銭トラブルの恨みが複合的に重なったことが犯行の引き金になった、というのが最も有力な見方です。

兄弟不仲説・三角関係説・無理心中説の信憑性

犯行動機としては他にもいくつかの説がささやかれました。

まず兄弟不仲説です。辰信さんは兄弟仲が良くなかったことを認めていましたが、それは婚約相手の女性が現れてからのことだったといいます。また、犯行時に譲二が真っ先に恵美子さんを狙っていることから、兄への恨みが主な動機とは考えにくいですね。

次に三角関係説。辰信さんは酒に酔うと恵美子さんに暴力をふるうことがあり、そのたびに恵美子さんは隣にある譲二の家に避難していたそうです。その光景を見た周囲が「恵美子さんと譲二さんは関係がある」と噂しましたが、辰信さんは三角関係をきっぱり否定しています。

最後に、一部で指摘されているのが無理心中説です。動かなくなった恵美子さんを何度も車で轢き、さらに鉈で攻撃した後に自殺するという行動は、単なる怨恨以上の感情があったのではないかという見方です。辰信さんはこの説を強く否定していますが、犯人が自殺してしまった以上、真相は闇の中です。

安室奈美恵の母親の写真は公開されている?

平良恵美子さんの写真については、テレビの報道映像や著書「約束~わが娘・安室奈美恵へ~」の中に掲載されたものが知られています。

恵美子さんはイタリア系アメリカ人の父を持つハーフで、色白で彫りの深い顔立ちだったとされています。幼い安室奈美恵さんと並んだ写真では、親子ともに日本人離れした美しい顔立ちが印象的です。

安室奈美恵さんの端正な容姿は、まさに恵美子さんから受け継いだものだということがわかります。著書「約束」は現在も中古市場で流通しており、恵美子さんの写真や娘への想いに触れることができます。

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