今は亡き大スター、西城秀樹さん。
病に倒れてからもステージに復帰しようと、ハードなリハビリをする姿は多くの人の心を揺さぶりました。
他界された時は芸能界だけでなく、日本中が深い悲しみに包まれましたね。
西城さんには面倒見の良い姉がいて、西城さんの妻となる女性を紹介したのも姉だったそうです。
その西城さんが信頼を寄せていた姉が、山口組の宅見勝氏の愛人だったと噂されています。
そして現在はステーキハウスを経営しているとのことですが、どんな方なのでしょうか?
気になるので調べてみました。
一世を風靡した大スター・西城秀樹を振り返る
まずは、西城秀樹さんについて振り返ってみたいと思います。
- 本名:木本龍雄
- 生年月日:1955年4月13日(63歳で他界)
- 出身地:広島県
- 家族構成:両親・姉・兄
高校生のときにジャズ喫茶でバンド演奏している際にスカウトされ、芸能界に入ることに。
その後、トップ歌手として大人気となりました。
西城さんは2001年6月30日46歳の時に、一般女性の槙原美紀さんと結婚。
美紀さんは、なんと17歳年下!
秀樹!感激!
あ、この言葉をご存知ない方はこちらの動画をご覧ください。
「秀樹!感激!」が聴けますよ~♪
まさに日本中の男性から、どつかれそうな事態でした(笑)
しかし、そんな幸せいっぱいな西城さんに苦難が訪れます。
2003年と2011年に2度の脳梗塞で闘病生活を余儀なくされることに…。
そして、あきらめずリハビリを続け脳梗塞の後遺症が残る中、ステージ復帰を果たしますが…。
2018年5月16日に急性心不全のため他界されました。
西城秀樹の姉の過去の経歴は?ホステス説が濃厚!
西城さんの姉は一般の方なので、詳細は明らかにされておりません。
明らかになっていない分、様々な噂が飛び交っています。
西城さんの姉の名前は木本絵里子(一部、恵美子さんという情報も有り)さんと言います。
西城さんより9歳年上です。
絵里子さんには、どのような過去の経歴があるのでしょうか?
- 暴力団事務所の下で花屋をやっていたという説
- 昼はステーキハウス「瀬里奈」を経営していて、夜はホステスをしていたという説
一般の方なので、情報が公開されておらず、真実は不明のままです。
しかし一番の有力説では、大阪市南区玉置町にあるクラブ「朱雀」でホステスだったという説です。
週刊文春に「西城秀樹と姐さん」というタイトルで、西城さんの姉のことが詳細に報じられたことがありますので、間違いないと思われます。
西城秀樹の姉は山口組の若頭・宅見勝の愛人だった!
では、一番気になる噂について迫ってみましょう。
絵里子さんは、山口組の若頭だった宅見勝氏の愛人だったという噂があります。
山口組の若頭・宅見勝という人物はどのような人なのか、また絵里子さんとはどのような関係だったのでしょうか。
宅見勝は山口組の金庫番で仕切り役!抗争で射殺される
宅見勝氏は1936年生まれで兵庫県出身。
指定暴力団・山口組の若頭で、宅見組の組長でもありました。
山口組は兵庫県神戸に本部があり、広島・沖縄以外の45都道府県に系列の組織がある大きな組です。
宅見勝氏は、不動産や金融などバブル期にフロント企業を利用して2000億円という豊富な資金を蓄財。
五代目山口組の発足立役者として関与しています。
なんと、山口組組合員(3万6千名)の中のナンバー2でした。
山口組の仕切り役として活躍し、山口組の金庫番とまで呼ばれていた存在です。
しかし、1997年8月28日午後3時20分頃に暴力団抗争に巻き込まれてしまいました。
宅見勝氏は新神戸オリエンタルホテルのティーラウンジで、五代目山口組中野会財津組に指揮された4人組に射殺されます。
この事件を宅見若頭射殺事件と言います。
61歳でこの世を去ることになりました。
西城秀樹の姉と宅見勝氏の馴れ初めは?
宅見勝氏は山口組の直参になる以前には福井組の最高幹部を務めていました。
絵里子さんはその当時、大阪市南区玉置町にあったクラブ「朱雀」でホステスとして働いていたそうです。
そのクラブで二人は出会ったと言われています。
歓楽街ミナミを歩くとネオン街の住人たちは、絵里子さんのことを「宅見ママ」「宅見姐さん」などと親しみを込めて呼ぶそう。
いわゆる大物組長の姐さんという存在でした。
姐さん…極道映画が好きな私には、ちと憧れる響きです…。
極道の妻たちを鑑賞して、映画館を出た時は肩で風をきって歩いたものです。
私の場合は自己満足な世界ですが、やはり本物っていらっしゃるのですね。
絵里子さんを知る人の話によると…。
- 宅見勝氏が福井組若頭の頃に絵里子さんと出会った
- クラブ「朱雀」では、はじめ福井組の組長が絵里子さんのことを気に入って通っていたよう
- いつしか絵里子さんは宅見勝氏の係(担当)になった
- 後に絵里子さんに「朱雀」を辞めさせ、店を持たせた
さらに別の関係者から、このような話も…。
- 絵里子さんは「朱雀」を辞めた後、「十三のナポレオン」というクラブのオーナーに店を任されていた時期があった
- その後、オーナーママとしてクラブ西城という店を出して繁盛した
クラブ西城は西城秀樹の芸名から名付けられました。
“西城秀樹”さんの生みの親である人物に、「店に西城を使っていいかしら」と聞いてきたそう。
絵里子さんは義理堅い人のようですね。
「宅見勝氏の愛人だ」と西城秀樹の姉の自宅に報道陣が押し寄せた!
この事件後に、絵里子さんが宅見勝氏の愛人だったと話題になり、絵里子さんの自宅まで報道される事態となります。
表札には「宅見」と書かれていたことも世間の注目を浴びました。
絵里子さんと宅見勝氏の間には2人の子供がいるとされています。
- 絵里子さんには結婚歴があり、当時4歳の女の子がいた
- 1979年には男の子が誕生
内縁関係になってから宅見勝氏は、枚方に住む本妻の家とミナミの絵里子さん宅を往復してきたといわれています。
もてる男は忙しい…!
大半を絵里子さん宅で過ごしましたが、週のうち一日は本妻の待つ家に戻っていたといいます。
1982年には宅見勝氏の父方の伯母と絵里子さんを養子縁組させ、絵里子さんに宅見姓を名乗らせたのではないかと噂されているようです。
絵里子さんが宅見勝氏に、相当愛されていた事は間違いありません。
大物にそこまで大切にされたという事は、かなり魅力的な女性なのでしょう。
羨ましい限りです…。
西城秀樹の姉は大阪でステーキハウス「瀬里奈」を経営
絵里子さんは現在、大阪市内でステーキハウスを経営しているという噂があります。
週刊文春「西城秀樹と姐さん」の記事の中にも、焼き肉店やステーキハウスなどを経営していたと書かれています。
その記事によると、通称「宅見ビル」の二階に構えていたステーキハウス「瀬里奈」は、50人くらい入れる大きな店だったとのこと。
絵里子さんの誕生日になると、そこへ芸能人・ゼネコン幹部や政治家・大学教授など、さまざまな著名人が招かれました。
さすが大物組長の姐さんだけあって、もの凄い人脈です!
当時の店から移転されている可能性はありますが、「瀬里奈」は健在のようです。
西城さんと親しくしていた前川清さんが「西城秀樹のお姉さんのお店で食べている」とコメントし、話題になりました。
さらに、ネット上でも絵里子さんのステーキハウスの場所について情報提供している人がいます。
「瀬里奈」(大阪市中央区島之内2-11-20)と店名・住所が載せてあり、来店した常連客と思われる女性が「実はまじで、西城秀樹さんのお姉様です!」とコメント。
ローズバスセットをプレゼントして下さったと、その時の画像もありました。
ステーキハウス「瀬里奈」で西城さんのチケットが販売されていた事も分かっています。
その時に絵里子さんは「あの子は宝物」と語っていたようです。
西城秀樹の姉と宅見勝の息子はミュージシャン!押尾学と繋がりがあった
絵里子さんと宅見勝氏の息子は、じつは意外な人物でした!
西城秀樹の姉と宅見勝の息子が押尾学の保釈金を負担した!
「押尾学事件」では、保釈金を払って押尾学が保釈されました。
その時に保釈金を支払ったのは押尾学のバンドのドラマー。
このドラマーは絵里子さんと宅見勝氏との間に生まれた息子だと言われています。
押尾学と西城秀樹さんの姉の息子との意外な繋がりが話題になりました。
姉の息子はミュージシャンの宅見将典・父親によく似た顔立ち
絵里子さんと宅見勝氏の間にできた息子はミュージシャンの、宅見将典さんです。
宅見将典さんは宅見勝氏と、とてもよく似た顔立ちをしています。
宅見将典さんは、3ピース・ロックバンドのsirenでデビュー。
2003年からは作曲家としても活動を始め、プロデューサー活動を中心に活躍中。
宅見将典さんはアイドリング!!!やEXILE、AKB48にDAIGO、私立恵比寿中学、AAAなど数多くのアーティストの作曲・編曲を手掛けています。
西城さんにとって可愛い甥っ子さん♪
西城さんの活動にも関わっていて、西城さんのライブではギターを担当していました。
西城兄弟は在日韓国人で異母兄弟・父親もモテモテだった説
西城秀樹さんと絵里子さんは、どのような家庭だったのでしょうか?
父親は韓国人で西城秀樹兄弟は在日韓国人だった
父親が韓国人という事なので、西城さん兄弟も在日韓国人ということになります。
西城秀樹さんの本名は「木本龍雄」ですが、これは通名であり1975年12月10日の官報で韓国名「李乙龍」から帰化したという情報があります。
そして、1975年12月10日の『官報』にある帰化の記録には、住所が東京都港区となっている以下の姓名の記載がある。
李乙龍(木本龍雄)昭和三十年四月十三日生
引用元:honuryoma
西城さんの生年月日も1955年(昭和30年)4月13日。
官報の情報と一致しており在日韓国人だったことは間違いないでしょう。
西城秀樹と姉は異母兄弟・父親もモテモテだった可能性大!
西城さんは兄と姉の3兄弟でしたが、姉の絵里子さんとは異母兄弟だという噂があがっています。
西城さんのご実家はパチンコ店を経営しており、かなり裕福だったそう。
父親も当然モテモテだったのでは?
お金もありますし…ムフッ♪
西城さんの父親ですからねぇ…ポンコツな訳はないでしょう。
おそらく再婚相手の後妻さんとの間の子供が、秀樹さんだったと推測できます。
西城さんの兄とは異母兄弟なのかは明らかではありません。
しかし兄弟は深い絆で結ばれていたようですね。
西城さんは、お兄さんと一緒にバンドを組んでいましたし、お姉さんには頭が上がらない関係だったようです。
仲の良い兄弟だった事は間違いありません。
西城秀樹さんの結婚相手は姉の絵里子さんの紹介だった
西城さんは絵里子さんの紹介で奥さんと知り合ったそうです。
西城さんが、かなりのモテモテ状態だったのは明らか。
いつまでも落ち着かない西城さんを心配した姉心だったのかもしれません。
絵里子さんと後に西城さんの奥さんとなる美紀さんは、家が近所だったとのこと。
それをきっかけに、2人は仲良くなったようです。
きっと、絵里子さんは美紀さんの人柄をみて、弟のお嫁さんに「この人なら!」とピピっときたのですね。
そして、そのピピっは大正解!
美紀さんは後に、西城さんの闘病生活を支え、子供たちも立派に育てあげました。
最高の妻であり母になったわけです。
西城さんは美紀さんを紹介されて、若く美しく人柄も良い方だったため否定する理由もなかったのでしょう。
何より信頼するお姉様のススメでしたから、即効結婚を決意したのだと思われます。
まとめ:西城秀樹の姉、木本絵里子は山口組の宅見勝の愛人だった!
芸能界入りに反対する父親を説き伏せて、弟の夢を応援した絵里子さん。
絵里子さんは芸能界で彼女の存在を知らぬ者がないほどの有名人だそう。
西城秀樹という大スターを生み出した最大の支援者だったからです。
そんな絵里子さんの情報をまとめてみます。
- 西城秀樹さんと絵里子さんは在日韓国人で異母兄弟
- 西城秀樹さんの芸能界入りを反対した父親を説得した
- 山口組・宅見勝氏の大切な愛人だった
- 現在もステーキハウス「瀬里奈」を経営
- 西城秀樹さんの妻との出会いは、絵里子さんの紹介だった
西城秀樹さんのお墓の隣には宅見勝氏のお墓が立っているそう。
絵里子さんの弟への愛は、とても深いものでした。
そして内縁の夫、山口組伝説の人・宅見勝氏への愛も、もちろん深かったでしょう。
愛する人の射殺による突然の別れ、最愛の弟に先立たれてしまった悲しみ…。
二つの並ぶ墓石をみる絵里子さんの気持ちを想うと切ないものがあります。
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