岡田有希子の真面目過ぎる性格と峰岸徹や神田正輝との悲恋や枕営業の真相!

アイドルとして1982年に芸能界にデビューし人気絶頂だった岡田有希子さん。

18歳の若さ、芸能活動わずか2年で、投身自殺…。

この人が岡田有希子さんかぁ。可愛いじゃない!昭和のアイドルって感じですね。

濁りがなく透き通った、透明感ってやつが半端ないなぁ。どうして自殺なんて…と思わずにはいられません…。

今回は、今でも沢山の人々の心の中で絶対的なアイドルとして生き続けている岡田有希子さんの自殺の真相に迫ってみたいと思います。

  • 岡田さんが自殺をした日に何があったのか?
  • どうして自殺しちゃったのか?
  • 峯岸徹さんとの関係は?
  • 神田正輝さんとの噂の真相は?
  • 遺書はあったのか?
  • 新事実は?

などを中心に調査してみました。できる限り沢山の事実を掘り下げていますので是非お読み下さい!

天使のようなアイドル、岡田有希子さん。ユッコは永遠だ!!

まずは、あまり岡田さんを知らない人達のために岡田さんのプロフィールと芸能界での活躍ぶりなどをここで簡単にご紹介します!

「知っている!同世代なの!」、「大ファンだった!」という方は、遠慮なく次の見出しへお進みくださいね。まぁ、でも写真もありますのでよかったら見て下さい。

「希望が有する」から「有希子」・岡田有希子のプロフィール

まずはプロフィールから始めましょう。

  • 芸名:岡田有希子
  • 「希望が有する」ということで「有希子」になったとか。イイね!
  • 愛称:ユッコ
  • 本名:佐藤佳代
  • 生年月日:1967年8月22 日
  • 没:1986年4月8日(享年18歳)
  • 血液型:O型
  • 出生地:愛知県一宮市(育ちは名古屋市熱田地区)
  • 学歴:名古屋市立向陽高等学校入学⇒堀越高等学校へ編入・卒業
  • 所属事務所:サンミュージック

これから売り出すアイドルって感じですね~。事務所も大きいし、本人は可愛いし?

しかし!そんな岡田さんの芸能界入りは簡単ではなかったのですよ。岡田さんは大きな壁を乗り越え、芸能界入りしていたのです!岡田さんの驚きの頑張りを続けてどうぞ。

やっとやっとで芸能界へ。岡田有希子の性格はかなりの努力家だった!

もともと岡田さんは、歌う事、演じる事が大好き。芸能界に強い憧れを持つようになるのも自然な成り行きだったのかな?

中学生になると「ホリプロスカウトキャラバン」などテレビのオーディションに応募するようになっていきます。

あどけない感じが可愛い~。中学生の頃からは、色々と出ていたようですよ。

  • 名古屋を舞台とした「中学生日記」でエキストラ。
  • 「ニコン フレッシュギャルコンテスト」準優勝。(中学2年生)
  • 「写楽」(小学館)の1983年3月号に写真が掲載され、特大ポスターが全国に貼られる。
  • 「ニコン 中・高生のためのカメラ教室」の写真モデルとなる。(中学3年生)

いずれも芸能界入りにはつながらなかったとはいえ、中学生がただ個人で応募して行うには、なかなかの活躍かな~と思いますね。

岡田さん中2の頃、「スター誕生」に応募、見事、予選会の通知が届きます。名古屋地区予選に出場し、決戦大会に進むこともできました。

しかし、ここでお母さんは、芸能界入りに猛反対。まぁ、こちらも当然っちゃ当然ですね。

そこで、岡田さんはどうしたのか?と言いますと、食事もせずに部屋に閉じこもり、ハンストを決行!って顔に似合わず、結構勝気?(笑)

いやいや、こうでもしないと芸能界入りなんて大きな夢はかなわないよね。とうとうお母さま、芸能界入りの条件を出しました。これがまたスゴイのですよ。

  • 学内テストで学年1位。
  • 中部統一模擬試験で学内5位以内。
  • 第一志望の向陽高校合格。

ってどんだけ?

岡田さんは、成績優秀。だけど、この条件は流石に…って、クリアしちゃったらしい。名古屋の向陽高校と言えば、優秀ですよ~。

有名名門校が数ある愛知県でも向陽高校はトップ10入りしています。偏差値は69-71。高い!!!

上記の条件クリアするために、かなり集中し勉強したことでしょう。岡田有希子さんは可愛いだけでなかった!かなりの頑張り屋さんだったのか!

ここで、サンミュージックの専務と番組プロデューサーがご両親の説得に当たります。これも、専務とプロデューサーが直々にってすごいのでは?

条件もクリアしたということで、やっとご両親のお許しがでました!1983年に決勝大会に出場。その時の画像がこちらです。

初々しいなぁ。可愛いですが、まだ芸能界による磨きは入ってない感じですね。歌ったのは、中森明菜さんの「スローモーション」で、もちろん見事合格。

スゴイですね~。岡田さん、あの見た目でガッツあるな~なんて。

向陽高校には入学したものの、高校1年生で堀越高等学校に編入し、芸能活動をスタートするために上京したのです。岡田さんの可愛い堀越姿はこちら。

およよ…、これまた可愛いですね。

このストーリーだけでも、岡田さんは、とても一途、真面目、頑張り屋さんだったことが分かりますね。

ますます、どうして…と気になる…。次に行きたいと思います。

岡田有希子、夢のデビュー!その後の活躍はシンデレラガール

やっとのことで芸能界入りまでこぎつけた岡田さん。

1984年4月に「ファーストデイト」で歌手デビューを果たしています。

そのジャケットがこちらです。

「ジャケット」って昭和語!分からない人、若いです~。

昔はレコードが発売されていて、このようなジャケットの中にレコードが入っていたのです。CDなんてなかったし、データーをどうこうする話なんかも未来の話。懐かしいな~。

デビュー告知ポスターはこちら。これがまた可愛いの。

キャッチフレーズは、「いつまでも、一緒にいてね。素敵の国からやってきたリトル・プリンセス。」

フフっとなってしまう、今聞くとね。時は令和、昭和がレトロになってきている~。

下の写真を観て下さい。「ボクらのスウィート・プリンセス」だって。こちらもちょっとフフっとなりますね。

人気も少しずつ上がってきて、デビュー曲「ファーストデイト」は「ザ・トップテン」で10位入りを果たし、同じ年には見事に「Dreaming Girl 恋はじめまして」で最優秀新人賞を受賞し、その他の賞も総なめにしてしまったらしい。

おぉっ!この新人賞は、吉川晃司さんや荻野目洋子さんと争ったらしい。すごい顔ぶれ。

1895年は、歌だけでなく、ドラマでも大活躍。大河ドラマ「真田太平記」に、真田昌幸の五女、真田信之と信繁(幸村)の妹役の菊姫で出演しています。(左は信繁役の草刈正雄さん)

また、「禁じられたマリコ」では、超能力少女、杉浦真理子、主役を演じています。

ほとんどNGなしだったとか。セリフもきっちり覚える、ここでも頭の良さ、頑張り屋さんが出てますね。

まぁ、ここで峰岸徹さんと出会ってしまうのですが…。その件はまた後ほど…。

順調な芸能生活、同じ事務所の先輩の松田聖子さんと髪型も同じ感じで、「ポスト聖子」とも言われるくらい。

聖子さんは、ちょうど結婚・妊娠という時期でしたので…サンミュージックとしても「次は岡田有希子だ!」となっていたのでしょう。

そんな時(1986年)にこれです。「くちびるNetwork」がリリース。

作詞:SEIKO(松田聖子さん)、作曲:坂本龍一さん、異例の組み合わせ。しかも大ヒット!オリコン1位を獲得しています。

「順調なうえに、事務所は売り出す気満々だった」というわけです。

この人も。

そして、この人も。岡田さんの命日を覚えていて、岡田さんを大好きだったことを思い出していますね。岡田さんの人気、本物だったようです。

「自殺する理由なんてない。」誰もが自殺の報道の際に思っていたことでしょう…。

でも、岡田さんは、本当に逝ってしまったのです…。

事故写真がヤバい!岡田有希子の遺体と脳ミソ写真。自殺の真相を徹底調査!

1986年4月8日、ニュースをみて凍り付くとはこのこと。

「歌手岡田有希子さん投身自殺。」誰もが耳を疑ったはず。私もその一人。

「一体何があったの?」

ファンであれば「間違いであって欲しい。」と思いながら、それから「一体どうして?」と思いながら皆、ニュースを聞き入ったことでしょう。

あまりに衝撃的な画像なので、気になる方はコチラをクリックしてご覧ください。

いくつもショッキングな事が調べて分かりましたが、その中でも実は投身自殺の前に、「岡田さんは自宅でガス自殺未遂を図っていた」というのです…。

岡田さんは、自宅にガスを充満させ、左手首を刃物で切ってしまいます。

幸い、同じビルの住人がガスの匂いに気づき、管理人に報告。岡田さんは、いち早く北青山の病院へ搬送されます。4針縫っただけで一命を取り止めました。

知らせを受け、急いで駆けつけたのは、サンミュージックの福田元専務。

その朝、創業者の故・相澤(秀禎)から「有希子が大変だ。北青山病院に迎えにすぐ行ってくれ」と電話が入ったんです。駆けつけると、カーテンの奥で手首に包帯を巻かれた有希子が泣いていた。

ワーッと声を出して泣くのではなく、シクシクという感じで。幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。

「どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?」と尋ねると、事務所がいいと言うので、四谷へ向かったのです。

引用元:こいもうさぎのブログ

事務所に到着してしばらくして、岡田さんは「トイレ」と言って席を立ったとも、福田元専務が電話のため席を外したとも言われています。

どちらにしろ、その一瞬の隙に、岡田さんは階段を屋上まで駆け上がり、ビル屋上7Fから飛び降りてしまったのです。下の写真は、現場のビルの写真です。

飛び降りによる強度の全身打撲で即死。岡田有希子さんは、自らその命を絶ってしまった…これがその日の出来事だったのです。

岡田さんは、投身自殺の前にも自殺を図っていたのです。そんなに、何を思い詰めていたのか、どうして思いとどめることができなかったのでしょうか?

なぜ岡田有希子は自殺を選んだのか?ネット上の憶測を総まとめ!

岡田さんの自殺の後、その理由については色々な噂や憶測が飛び交っています。

ネット上やメディアではどんな事が理由として取り上げられているのでしょう?一つずつ見ていきたいと思います。

峰岸徹と大失恋&妊娠。ショックが大きすぎて立ち直れなかった説

一番噂になったのは、俳優の峰岸徹さんとの仲。皆さん、ご存じですね。本当に大騒ぎになっていました。

岡田さんとは、「禁じられたマリコ」で共演していますね。

私は大騒ぎするテレビでの報道を横目で見ながら、「お父さんみたい…。ありなのかな…。」と思っていたのを覚えています。

峰岸さん、当時42歳。岡田さんは何度も言っていますが18歳、歳の差24歳。

まぁ、でも俳優さんってダンディでカッコイイからな。その辺の24歳上とか42歳じゃないもんな。それでも、どうみても親子って感じ。

峰岸さんは、すぐに岡田さんとの交際を否定しています。峰岸さんと岡田さんに関する噂を簡単にまとめると、

  • 「岡田さんは気禁じられたマリコで共演した峰岸徹さんに弄ばれて捨てられた」
  • 「峰岸さんの子どもを妊娠している」

となります。

これは全く根拠がなくて…どうしたらこうなる???と思えて腹立たしくなってしまいましたね~。

その頃の峰岸さんは離婚直後でしたので…あまり知らない人々は、上記のように尾ひれをつけて噂を流したり、信じたりしちゃったのかな?

峰岸さんは離婚後、子どもを引き取って育てていらっしゃったようで…。大変ですよ、シングルファーザー。

でもしっかり子育ても頑張っていた峰岸さん。「峰岸さんとその子どもを知っている人達は、絶対違うと確信が持てていた」というのです。

そうなんだ!そんな新事実!!!ちゃんと報道してよーって感じです。

峰岸さんは、岡田さんとの関係を問われた際、次のように答えているんです。

「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。」

(報道陣から男として責任を感じるかと問われると)彼女にとっての初恋のようなものだったんだと思う。年も離れていますし、(峰岸さんからは)あまり好意を見せないように気を付けていたくらいでしたが、彼女からのそれが愛だったとすれば責任はあると思います。」

引用元:こいもうさぎのブログ

「自分が接し方をもう少し気を付けてあげていれば」という気持ちがあるように思えますね。何しろ相手は芸能界若手の18歳、自分が気を付けるべきだったと言う事でしょうか?

峰岸さん、誠実のように思えますが…。皆さんはいかがですか?

また、岡田さんのお母さんが、「岡田さんが峰岸さんに一方的に思いを寄せていたようで、峰岸さんには本当に申し訳なかった」と語っているとも聞いています。

「岡田さんが、峰岸さんを想っていた、でもかなわない恋に絶望していた」と言うのが本当みたいです。

実は、自殺の前日深夜、世田谷区成城にある峰岸さんの自宅に岡田さんが行った、そして泣きながら帰宅したという話も。

峰岸さんは、当時、婚約者の方もいらっしゃったそうですので、そんな話になったのかもしれませんね…。

当時のサンミュージック社長の相澤秀禎氏も次のように語っていたようです。

彼女が残していた1冊の日記風のノートが発見されて、それを読んで自殺の真相が理解できました。有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです。

引用元:こいもうさぎのブログ

実際、峰岸さんにとっても辛い出来事だったのではないでしょうか?

岡田さんは、峰岸さんに片思いをしており、実らない恋が辛すぎて自殺したのでは?というのが本命のような感じですね。

その峰岸徹さんは、2008年肺癌のため、帰らぬ人となってしまいました。

峰岸徹ではなくて神田正輝?岡田有希子の自殺の裏にもっと何かがあった説

いやいや、嘘ー!!!信じられない。この説を聞いたときにそう思ったけど…。それは裏の誰かが潔白だと思ったわけではない。芸能界ってここまで汚れてるの???と思っただけ…。

何と!裏に石原軍団がいるらしいという噂…。

えぇー!!!しかも、この写真、辛うじて警察の中だと分かりますが、なんだかヤクザのオフィスとも見える…。迫力あるね…。

まずは、岡田さんのお相手は実は神田正輝さんだった説。聖子ちゃんの旦那さんだったよね?ってこちらも仮面夫婦の噂ありーの、結局離婚でしたが。

しかも、聖子さんの紹介で知り合った?

しかも、しかも、ここでは妊娠説も浮上しているんです。

神田さんは、女癖がとても悪く、あちこちで遊び放題。岡田さんにも手を出し、妊娠させてしまった…というのが噂です。

しかし、神田さんは聖子さんとの結婚を選んでしまう。すぐに沙也加ちゃんも生まれる。それでは困ると裕次郎さん。どうにかしようか…となったとかなんとか。

本当なのかな?

神田さんと聖子さんの結婚は、1985年6月24日。沙也加さん誕生が86年10月1日。

妊娠に気が付くのは86年2月ごろ頃でしょうか。

でも公表するのは安定期に入る3月末ごろと考えると、神田さんと聖子さんの間に子どもが生まれるのがショックで…という話、時期はピッタリはまりますね。(岡田さんが自殺した日は、1986年4月8日)

自分だって妊娠しているのに…。これはかなりショックですね…。

ただ、この話はネット上の噂であり、真相はわかりません。

そして、神田さんではなくて、舘ひろしさんっていう話もあるんですよ。舘ひろしさんも、若い頃はモテてたでしょうからね。

しかも岡田さんは実は舘ひろしさんの大ファンだったんです。「あこがれの人は舘ひろしさん」とありますね。

「ザ・トップテン」でもご対面。岡田さんの嬉しそうな顔が可愛いですね。

ちょっと歳の離れたお兄さんがいたら嬉しい=年上の人が好みなんですって事なのかな~。

こんなやり取りがあったせいなのかは分かりませんが、「お相手は舘さんでは?」とも言われています。後は、上に同じ。岡田さんを妊娠させて、裕次郎さんがね、「えー、ひろし!ダメだろう…。」と。

で、峰岸さんにその風を受けてもらって、収めてもらおうという…。峰岸さんには、お仕事が回ってくるという見返り付で。

峰岸さんは、歳を重ねると少しダンディな感じで渋い役をやってましたし、全く仕事がないという訳ではなかったように思えます。

でも、当時の石原プロダクションは強力ですからね~。うんって言っちゃうよね。逆に嫌って言えないのかな…。頼まれれば、ですが…。

ちなみに、岡田さん、妊娠はしていなかったでしょう。この情報は、「司法解剖の結果、妊娠していた」とあるのですが、岡田さんの遺体は解剖されておらず、デマの可能性が高いですね。

サンミュージック元社長の相澤さん、岡田さんの件について取材されると辛そうだったと言います。

(ある時、お酒の席で相澤社長に突っ込んで聞いてみたが)どんなに酔っていても、その話になると「その話はやめてくれ」の一点張りで、教えてもらえなかった。

引用元:こいもうさぎのブログ

これは単純に岡田さんの自殺を止められなかったからなのか、石原プロの巨大な力に屈して、口をつぐむしかなかったのか…どちらとも取れますね。

石原裕次郎さん、渡さん、相澤元社長も、峰岸さんも、もう他界されているので、真相を知っているのは、当人だけ、神田さんと聖子さん、もしくは舘さんだけ、となりますね。

まさか、本当の事を言ってくれるわけもなく…お蔵入りとなってしまっているのです。

清純派アイドル岡田有希子が枕営業?サンミュージックの闇が原因説

「当時のサンミュージックのアイドル達は、石原軍団に枕営業をしたいた」と噂があります。

えー!!!ですよ…。

岡田さんは、神田さんと聖子さんに舘さんを紹介され、恋愛ではなく枕営業をしていた。妊娠もしていたとか。

最近、サンミュージックの相沢会長が岡田有希子さんの日記について少し語っていましたが、 昔TBSの朝のワイドショー番組のアシスタントのアルバイトをしていた姉が番組のスタッフから聞いてきた話しによると…

当時 松田聖子さんと神田正輝さん夫妻に舘ひろしさんを紹介されたことがきっかけで(元々舘ひろしのファンだったらしい?)岡田有希子さんは舘ひろしさんの子供を妊娠してしまい、その事で悩んで自殺をしてしまったということが事実だそうです。

しかし、石原プロとサンミュージックの圧力で マスコミはみんな事実は知っていても報道できなかったそうです。

(投稿者 影丸さん)

引用元:エントピ

「番組のアシスタントのアルバイトをしていた姉が番組のスタッフから聞いてきた話し」って、本当の話のパターン???

それから、「舘さんは、岡田さんが妊娠したら邪魔になり、「いなくなればいい。」と言ってしまった」と噂されています。でもって、岡田さんは、本当に傷つき、いなくなっちゃったと…。

これはいくらなんでもなさそうですけどね…。舘さん、私の勝手な印象ですが、女たらしでも女性には嫌なこと直では言わなそうな…。

しかし、噂は75日で廃れるのではなかったのか?怖い…。噂が廃れないのも怖いし、スキャンダルもみ消し、枕営業…。芸能界、怖すぎです…。

岡田有希子は実はもともと死にたい願望がある子だった?

岡田さん、かなり思い詰める性格だったと言うことが分かっています。中学2年生の頃にも一度自殺まがいの行動をしていたと言うのです。

母親の留守中に、自宅にガスを充満させた岡田さん。ガスの匂いもするし、元栓が緩んでいる。お母さんは、岡田さんを問い詰めました。

「途中でニオイに気づいて消した。だけどあのままでいたら自殺じゃなく、自然に死ねたのにね。」と答えたと言うのです。

岡田さんは、あの容姿で勉強ができる真面目な子。当然ながら先生のお気に入り。

それを良く思わない子達もいたでしょう。コンテストへの応募は周りに反対されるし、不安定な時期だったらしい…。岡田さんがこの頃、「人間が怖い」と言っていたこともあるそうで。

お母さんは自殺未遂を直感、母親の直感って何よりも当てになります。もしかしたら、この時、岡田さんは、プチ自殺を図ったのかもしれません…。

更には、こんな出来事もあったようです。サンミュージックには、岡田さんの先輩に聖子(右上)さん、後輩に酒井法子(左上)さんがいましたね。(岡田さんは右下)

サンミュージックの相澤社長が次のように語っています。

有希子は、デビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで、一人暮らしを始めた。

その3日後に有希子の住んでいた部屋に、のりピー(酒井法子)が入ってきたんです。そして、自殺する3日前に、僕の家に有希子が食事に来た。

なんとなく元気がないから、”おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ”というと、“私なんかもう、だめだから””あとにいい子(=酒井法子のこと)がいるじゃない”という暗い話をしだしたんです。

引用元:exite news

これは、自殺を考えていた感じですね…。

「わたしなんかもうだめだから」が失恋のショックからか、仕事のプレッシャーからか、もしくは両方かも。かなり思い悩んでいた様子。

岡田さんは、かなり思い詰めるタイプのようですね。さらには、何か嫌な事や辛い事があると「死んでしまえば…」と思うタイプだったのかもしれません…。

真実は本人のみぞ知る!公開された遺書から明らかになった新事実とは?

岡田さんが書いた遺書。実はあったようなんです。

ここには、「勝手なことをしてごめんなさい。」とだけありますが、実際は、次のようなものだったとか。

男優の峰岸徹さんにふられた…あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい……勝手なことをしてごめんなさい…

峰岸さんの名前がはっきり書かれていますね。「弄ばれた」ではなく「フラれた」とあります。

それから、岡田さんの遺書の検索結果をご覧ください。下記のものが出てきます。

これって、大人の男性に恋している感じですね。背伸びするけど無理している、子ども扱いされている、つり合わないと思い悲しくなっているみたいな?

愛してほしい、かなわぬ夢ってありますね。「自分の気持ちを知っているのに」は、「知ってて中途半端に優しくしたよね?」って言っているような…。

忘れられないあなたへの想いを海に流してしまいたい…。でも忘れられる気がしない、いつか忘れられるのかな…といったところでしょうか?

これって遺書なのか?読んでいると詩集???とも思えるような感じですね。

岡田さんは、このようにノートに日記のようなものを書いていたと言われていますので、これらは、詩的な日記の一部なのかもしれません。

遺書のありかなのですが、サンミュージックの事務所の金庫に保管されているとも、お母さまに渡されたとも言われています。

一度、サンミュージックの元社員、オーストラリア人のリチャード・ノースコットさんが金庫から持ち出した話も有名ですね。彼は、今で言うアイドルオタクの外国人。日本人から日本のアイドルを知り、岡田さんの大ファンになったとか。

もともとファンであった早見優さんと上智大学で知り合い、彼女の伝手でサンミュージックに就職。当時は、松田聖子さんのアメリカ進出もありスコットさんは通訳を務めていました。

ある時、「岡田さんの資料、もう使わないだろうね…。とりあえず金庫に入れておいて。」と言う会話をスコットさんは耳にしてしまいます。

岡田さんの大ファンだったスコットさんは、「このままでは死蔵されてしまう!!!」と資料をごっそり持って行ってしまったらしいのです。

って美談みたいだけど、立派な窃盗。もしくは業務上横領罪。中身は、大切な資料類が149点、フィルムや音源、プライベート写真などなど。

まぁ、もう時効ですけどね。岡田さんへの愛ゆえに行ってしまった事ということでお咎めなしとなったらしい。民事でも時効なのかな?

サンミュージックが返してもらったとは聞いていないので、恐らくこれは岡田さんの使われない資料ではないかと思われます。

こんな感じのもの。

なるほど。写っているのは、堀越高校で一緒に過ごしたお友達の田中久美さん、南きよみさん、森奈みはるさんなどですね。

リチャードさんが持って行ったのは、遺書ではなさそう。でもかなり貴重な岡田さんのお宝ともいえるものばかり。よっぽどのファンだったのでしょう。

実は、遺書は、お母さまに返されたとも言われています。それをもとにお母さまは本「愛をください」を出版(1988年)。この本では、未公開の日記や、ノートも公開されています。

それが、これですね。残念ですが、現在は廃刊となっていますので手に入れることはできません。

そうかぁ。遺書はやっぱりあったのでしょうね。サンミュージックの金庫から消えた資料の中にはなかったようですので、恐らくお母さまに返されたというのが本当かなと思います。

ユッコ、どうして?岡田有希子が自殺した本当の理由を考察してみた

自殺の詳細、ネット上での自殺の理由、遺書の有無、色々と調べてみました結果、どうして岡田さんが自殺してしまったのかが、大体わかったような気がします。

個人的な見解も含みますが、考察していきたいと思います。

まず一番の原因として挙げられるのが、岡田さんの性格。本当に可愛らしいだけでなく、真面目で一途、純粋な岡田有希子さん。

思い悩み始めたら永遠…。

歌手になりたい、芸能界に入りたいと思えば、どんなに厳しい条件を出されても猛勉強をしてやり遂げてしまうほど。

やり遂げられればいいのですが、恋心となると自分の頑張りだけではどうにもならないこともありますよね…。

親しくはなったものの…失恋…。

本当なら時間が経てば忘れられるのに。普通なら、美味しいものを食べたり、友達と気晴らししたり、べたに髪を切ってみたり、色々と手があるはず。

でも岡田さんは一途すぎて、次の恋を考えられなかったのかな…。次の角を曲がったらもっといい人がいる!なんて思えなかったのかな…。

実際、あなたならすぐにいい人が表れるよ…と優しく言ってあげたい…。

それから、芸能界では、特にアイドルにとっては、恋なんてスキャンダルですし、誰にも気軽に相談できないというネックもありますね。実際、すごい記事の数でした…。

マスコミも恐ろしや…。

加えて、仕事の重圧。「ポスト聖子ちゃん」として事務所の期待を一身に背負う日々。事務所も押してはくれていましたが、多忙からの疲労とプレッシャーはかなりのものだったと思います。

「爆報!THEフライデー」(TBS系2016年12月2日放送)に、サンミュージックの福田元専務とタレントの田原俊彦さんが出演。

田原さんは、

岡田さんが亡くなった)当時の芸能界は隔離された社会だった。18歳の女の子には悩みを打ち明ける場面、同業者にも言えなかったと思う。原因は謎なところがあるけれど、本当に素敵な女の子だったので、頑張って今(生きて)いたらどうだっただろうと思います。

引用元:livedoor NEWS

と残念そうに語ったと言われています。

真面目で一途な性格の人が、こんなに誰にも相談できない環境で悩みだしてしまっては、それは思い詰めてしまいます…。

この番組で福田元専務は、岡田さんの自殺の原因は一つ、つまりは失恋だけではなく、二つあると告白しています。

最初の自殺未遂(ガスとリストカット)の原因は、峰岸さんを想って。

二回目の自殺は、自責の念から。

自殺未遂などを起こしてしまい、パニックになり、これからどうしよう、マスコミにも騒がれるだろう…。会社にもかなりの迷惑をかけることとなる…。

真面目な岡田さんならあり得ますね…。真面目過ぎですよ…。

とても悲しい失恋、加えて、仕事が原因で過度のストレスを抱えていた、更には死にたい願望を持ちやすい性格だったら、もう死にたいとなってもおかしくはないでしょう。

これまでの様々な事実からも、その日岡田さんのすぐ隣にいた福田元専務の考えが正しそうですね。

まとめ

80年代、トップアイドルに上りつめた岡田有希子さん。調べていくうちに、彼女がなぜ人気だったのか分かったような気がします。

可愛いのですが、それだけでなく不思議な魅力の持ち主ですね。癖になるといいますか。

本当に惜しい!!!

なんだか悲しいのですが、ここから、まとめに入りたいと思います。

  • 岡田さんは、本当に真面目で頑張り屋さんだった。アイドルを夢見て、母親から出された芸能界入りの厳しい条件も見事にクリア!
  • デビュー後、色々な賞を総なめにし、2年でトップアイドルに。
  • ドラマの共演で知り合った24歳年上の「峰岸徹さん」に恋をして失恋してしまう。
  • 失恋が悲しすぎて、ガスを使い、手首を切り、自殺を図ったものの失敗。
  • ガス自殺未遂のその日に事務所ビルの屋上から投身自殺。
  • 全身打撲、強打による即死。
  • 自殺の原因は色々な憶測あり。
  • 一番有力な理由は、峰岸徹さんに失恋して、失意のあまり自殺。自殺が未遂に終わり、これからどうしていいかわからい、自責の念にも囚われ、投身自殺というもの。これが、岡田さんの自殺の際に一番近くにいたサンミュージックの元専務福田さんの見解。
  • 証拠のない憶測その①:岡田さんが神田さんの子供を妊娠しており、神田さんと聖子さんの結婚、聖子さんの出産を悔やみ自殺。
  • 証拠のない憶測その②:舘ひろしさんの恋人であり、妊娠して捨てられ自殺。
  • 証拠のない憶測その③:岡田有希子さんが、石原軍団に枕営業をしており、舘ひろしさんと関係を持ち、妊娠していたかも。あげくに捨てられ、悩んで自殺。
  • 遺書には、「峰岸さんにフラれてしまって悲しい、勝手なことをしてごめんなさい」と記載されていた。
  • 岡田さんの大ファン、リチャードは岡田さんの遺品をサンミュージックから盗んだが、そこには遺書はなかった様子、恐らく遺書はお母さまに返されたと考えるのが自然。
  • 岡田さんは、今でも多くの人に愛されている永遠のアイドルである。

いかがでしたでしょうか?岡田さん、本当に素敵なアイドルでしたね。歌声とか演技とか見てみたかったなぁ。

勿体なーい!!!ホント残念でしかない…。

岡田さんが素敵過ぎて、歳を重ねた今現在の岡田さんに会いたいなぁと思えました。

岡田さん、生きていたら56歳。(2023年現在)

岡田さんの心の中で起こっていた本当の事って想像することしかできませんが、もう今は安らかに眠っているんですね。あの18歳の純粋なユッコのままで。

岡田さんのご冥福をお祈りしながら終わりにしたいと思います。お読み頂き、ありがとうございました。

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