メンタルがヤバくて病んでる芸能人や統合失調症の有名人を一覧で紹介!

「心の病」にかかってしまう方が後を絶ちません。

病状自体が苦しいうえに周囲の理解が得られず、多くの方が生きづらい思いを抱えています。

真面目・完璧主義などの性格傾向も関係していて完治が難しいケースも少なくありません。

プレッシャーの多い芸能人・有名人にも、この病と戦っている方が多数います。

今回は「メンタルがヤバい」と噂されている芸能人・有名人についてまとめてみました。

精神病「統合失調症」ってどんな病気?

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統合失調症は、考えや気持ちがまとまらなくなる状態が続く精神疾患で、その原因は脳の機能にあると考えられています。

約100 人に1 人がかかるといわれており、決して特殊な病気ではありません。

思春期から40歳くらいまでに発病しやすい病気です。

引用元:smilenavigator

遺伝や妊娠・出産、性格やストレスなど様々な原因が複雑に絡み合って発症すると言われている統合失調症という病気です。

自分自身の考えや気持ちがまとまらず、コントロール出来ないというのは非常につらいもの。

本人や周りの方にとっても本当に大変な思いをされる病気である事は間違いないでしょう。

約100人に1人がかかると言われているほど身近な病気である事には驚きです。

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何らかの原因でさまざまな情報や刺激に過敏になりすぎてしまうと、脳が対応できなくなり、精神機能のネットワークがうまく働かなくなることがあります。

その為、感情や思考をまとめてあげることができなくなります。

この状態が統合失調症です。

統合失調症とは、このように脳内の統合する(まとめる)機能が失調している状態をいいます。

引用元:mental-navi

また、統合失調症の症状は大きく3つに分ける事が出来ます。

  • 『陽性症状』・・・「妄想」「幻覚」など実際にはないものを現実的な感覚として感じてしまう。
  • 『陰性症状』・・・日常生活において喜怒哀楽が無くなり、自発的に何かをする意欲がなく「引きこもり」になってしまう。
  • 『認知機能障害』・・・「記憶力」「集中力」「判断力」が低下し、物事の判断ができなくなる。

この特徴的な統合失調症の症状は、時として類似した症状の「うつ病」「パニック障害」「PTSD」「自閉症スペクトラム障害」「覚せい剤の使用による精神疾患」など、他の『こころの病気』と混同されることが多いようです。

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統合失調症を抱える方々はそれぞれの症状に悩まされながら、日々の生活と向き合っておられるようです。

今回まとめた芸能人や著名人の方々も、華やかな世界からは想像が出来ないような心の苦悩を抱えている方々ばかりです。

メンタルがヤバいと噂される有名人〔歌手・俳優編〕

華やかな世界で活躍するミュージシャンや俳優。

創造的な職業に就く方々は、感受性が豊かな人という印象を受けます。

その反面とても繊細な感性を持っている方も多いのではないでしょうか?

創作活動の行き詰まりやプレッシャーなどによって大きなストレスを感じてしまうと、繊細な性格が災いし「心の病」にかかってしまう方も多いようで…。

玉置浩二

ミュージシャンとして類い希なる才能をもつ玉置浩二さんは、統合失調症を公表されたことでも有名。

過去に治療の為に入院した事もあるようですが、薬漬けになるのが嫌で病院から3日で脱走したようです。

ステージ上での奇行やドタキャン、メンバーへの悪態などが目立つ時期がありワイドショーなどでも度々取り上げられていました。

それらの行動は過労やストレスから統合失調症を発症していた事が原因のようです。

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過去に行われた福岡サンパレスの公演では、こんな騒動が…。

玉置さんはライブの冒頭から様子がおかしく歌詞でつまづいたりしていました。

さらに「たかが7,800円くらいで怒るな!」と暴言を吐いたり、ステージで倒れて動けなくなったりするなどの異常な行動を見せたのです。

見かねた主催者がステージ上で謝罪し中止する事態になりました。

結果、アーティストとしては不名誉な「チケットの払い戻し」という最悪の事態を招いてしまいました。

その後の大阪公演でも体調不良を理由に途中でライブを打ち切った事があります。

ドラッグ依存説もながれましたが、音楽関係者は玉置さんの病気を理解し否定しています。

玉置さんに体調に波があるのは、皆が承知のこと。

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安全地帯が何度も休止してもすぐグループを再開できるのは、メンバーも玉置さんの病気を理解しているからだそう。

調子が悪い時期は創作活動が全く出来ない事も。

しかし、調子の良い時には際限なく曲が浮かび歌詞が出てくるそうです。

そんな中で、大ヒット曲『田園』を生み出しました。

そんな玉置浩二さんですが、家族のお陰で統合失調症を克服する事ができました。

北海道で母親から、

「お金の事も、メンバーの事もいっさい考えなくていいから。あなたの家族のことも、なんにも考えなくていいから。音楽やってそんなに悩むんだったら音楽やめて、一緒に農家やろう。なんとしてでも飯なんか食っていけるよ。」

引用元:plaza.rakuten

統合失調症以外に躁鬱病にもかかるなど、精神的に大変つらい経験をしている玉置浩二さん。

母親の支えは大きな助けとなりましたが、現在は妻の青田典子さんの献身的なサポートの影響も大きいようで、さらに安定しているようですね。

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大変な経験をしましたが、安全地帯のメンバー・音楽関係者・家族など常に理解者が傍にいてくれて、恵まれていた環境だったのかもしれません。

ASKA

CHAGE and ASKAとしてミリオンヒットを連発し、ソロでも活躍していたASKAさんは2014年に薬物事件による逮捕で日本中に衝撃を与えました。

長い沈黙の後、2016年には約12万字にも及ぶ長文ブログを公開し話題を呼びましたが、その内容の中に謎の集団「ギフハブ」による盗聴・盗撮被害を受けていると告白していました。

気になる方もいらっしゃると思うので、色々調べてみた結果、2017年3月16日のASKAさんの公式ブログに内容が記載されていました。

  • 集団は盗聴盗撮で得た「声」や「画像」を使って、DJが客を楽しませる企画を組んでいる
  • 集団の人数はASKAさんが確認できているだけで92人
  • 集団は過去に殺人を犯しており、犯人をASKAさんにすり替えようとしている
  • 警察もすでにそれを知っている
  • ASKAさんはパソコンの “コンソール” の記録から証拠を特定しようと考えている

ということみたいですね。

盗聴や盗撮が実際に行われていたのかは定かではありませんが、ASUKAさんの話によると…。

  • 携帯電話やパソコンにより盗聴された音声はリアルタイムでネット掲示板にさらされた
  • 盗聴の証拠集めの為に、わざと室内で「自分でも驚くほどの」大声を出すと、その音声を組織がキャッチし、叫び声はサンプリングされて大手ゲーム会社のゲームで使われている
  • 組織には某IT企業の社長が関与している

こうした極限状態を周囲や医師に相談しますが、全員が「精神病」「うつ病」扱いしたといいます。

たしかに盗聴集団は存在するそうで、他人のPCや携帯電話を遠隔操作したり、驚くような方法で個人情報を入手する事が可能だそう。

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しかしASUKAさんの発言から、やはり統合失調症の疑いがある事は否めません。

誰かに監視されているという被害妄想は薬物中毒者に見られる症状ですが、統合失調症にも見られます。

ASUKAさんの場合もともと統合失調症があり、それから逃れるために薬物依存症になったという説と、薬物依存症から統合失調症になったという説があります。

事実は不明ですが、ASUKAさんの様子が統合失調症の陽性症状に当てはまる事は間違いないでしょう。

稲葉浩志

B’zの稲葉浩志さんも統合失調症の噂がありますが、精神疾患を患っていたという情報も見当たらないため、ガセネタと考えて良いでしょう。

「歌詞の世界観がヤバイので」だとか「歌詞が書けずに憂鬱な日々を過ごした」などの記事は見かけますが、さすがにその事と精神疾患を結びつける事は強引かな?と思います。

しかし、ツアー前などは生活の全てを神経質な程に徹底管理するようなので(本人は「ツアー病」と呼んでいる)、今後、神経質で生真面目な性格が災いしない事を願います。

華原朋美

「I’m proud」や「I BELIEVE」など小室哲哉プロデュースによってミリオンヒットを飛ばし、可愛らしいキャラクターで同性を中心に絶大な支持を集めた華原さん。

当時交際していた小室哲哉さんとの破局により精神的に不安定な状態になってしまいました。

そんな華原さんですが統合失調症であったとの公表はしていません。

健康上の理由から芸能活動も休養や復帰を繰り返し、2007年には所属事務所とも契約解除し芸能界の長期活動休止を発表。(2012年より芸能活動再開)

2009年には急性薬物中毒で病院に緊急搬送されますが、これは医師から処方された「精神安定剤」の過剰摂取が原因で、その後も薬物依存はどんどん悪化していったようです。

2017年放送の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)では、当時42歳だった華原さんの言動にネットが騒然としました。

小室哲哉さんとの恋愛事情を包み隠さず話してしまったり、華原さんの日常の様子からネットで心配の声があがりました。

番組で華原さんの部屋にカメラを設置し日常生活の様子を伝えることとなりましたが…。

  • 部屋に帰宅した華原さんは、真っ先にペットの犬たちを「オナマイ」という独自の言葉でかわいがった。
  • 猫なで声で一通り遊び終えると、つぎはそのままのテンションで母親と電話。
  • 日常の他愛もない会話や、ときには掃除機をかけながら2時間ほど話すと、その後は1時間ほどカラオケを楽しむなど…。

華原さんの一連の様子は何ともいえない異質な雰囲気があり、思わず引いてしまう映像でした。

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酔っ払うとコンビニでセクシー本を大量に買っていた過去も告白。

この華原さんの行動には、スタジオもドン引きだったのですが、華原さんの様子に違和感を覚えた視聴者からもこんな声が…。
  • そういう意味不明な行動が、毎回彼女から結婚を遠ざけている気がする
  • この人はいったいどこへ向かっているのだろう
  • もう病んでるとかしか言いようがないw
  • 最近やたらと小室時代の暴露が多い気がする。ともちゃんどうしちゃったんだろう

不安定な面がある事は確かでしたが現在はご家族の懸命なサポートもあり、精神状態も以前とは見違えるくらいまでに回復されたようです。

ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子さんは2020年6月のインスタグラムで華原さんの元気そうな様子を投稿しました。

昨年8月下旬に第1子男児を出産した華原さんは明るく楽しげだったとのこと。

母親となり、さらに良い兆しが見えてきたようですね。

yui

2005年にデビューして以来、数々のヒットソングを作り上げてきたyuiさん。

2012年に制作における摩擦が積み重なっていったことを理由にYUIとしての活動を休止します。

2013年にはロックバンド『FLOWER FLOWER』のボーカルとして活動の再開を発表。

小文字表記の「yui」として再出発をします。

1年後、yuiさんは統合失調症ではなく、パニック障害の診断を受け療養生活に入ります。

医師から精神安定剤などを処方されていましたが、その薬をお酒と一緒に飲んでしまい意識が混濁。

救急搬送されていたとのことです。

自宅には母と彼氏が一緒にいて、2人は救急車に同乗して病院まで付き添いましたが翌日には無事に退院。

yui

療養期間中に一般男性と結婚し2015年には双子の男児を出産しますが、その後に離婚します。

音楽活動も徐々に再開し2018年には再婚し、現在は4児の母でありミュージシャンとしても活動されています。

堂本剛(KinKi Kids)

「KinKi Kids」として見せるアイドルの顔以外にも、役者としてドラマや映画に出演。

時には一人で“お題”に回答する大喜利を芸人さながらに舞台上でこなしたり…。

アーティストとしては様々なデザインを手掛けるなどマルチな才能を発揮。

現在、公表されている病気の症状には「突発性難聴」「過呼吸症候群」「パニック障害」「高所恐怖症」などがあります。

統合失調症を患っているとの公表は無いため、ネット上での噂に過ぎないようです。

「18歳からの5年間は死にたいと思っていたが、音楽が僕を救ってくれた。音楽やギターと出会えていなかったら、僕はもう居ない。」

引用元:wikipedia

過呼吸症候群やパニック障害は若い頃から闘病中であった事を告白されています。

本来は人前が苦手で人見知りな性格であったため、芸能活動による大きなストレスが原因で発症したようです。

ラジオ『堂本 剛とFashion & Music Book』で、自らの健康状態について語ったことも。

10代の時にパニック症になった事や、いまだに急に症状が出る事、精神病というジャンルでややこしいということなどを明らかにしました。

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朝の気分の落ち込みの影響が時間差であらわれ、楽しい時に急に症状が出ることも…。

こうなった場合、自分で体の具合はコントロールできないだけに、やりたいこともできず悔しさ、もどかしさがあるようです。

現在も病気と向き合い続け、ひたむきに生きる姿に勇気づけられている方も多いのではないでしょうか。

Fukase(SEKAI NO OWARI)

4人組バンド「SEKAI NO OWARI」のボーカルとして大人気のFukaseさんは、過去に「パニック障害」を患ってしまい精神病院に入院していた経験があるようです。

高校中退後のアメリカ留学で精神的に不安定になってしまいパニック障害を発症、2週間で帰国。

そして精神病院での強い薬の副作用に相当悩まされることとなりました。

精神病棟に入院した経験から精神科医やカウンセラーなどの道を目指そうとしたのですが…。

病気のために服用していた薬の副作用で、勉強した内容や酷い時には予備校の場所まで忘れてしまう事があったそうです。

その為、精神医療の道は諦めることになりました。

じつは深瀬さん、統合失調症を患ってはいないようですが、ADHDという病気を先天的にもっていたそう。

※ADHDとは?

注意欠陥多動性障害

不注意・落ち着きのなさ・思いついた事をすぐに行動してしまうなどの症状がある

fukase

パニック障害とADHDの二つの病気を抱えていたのです。

現在はどちらの病気も克服。

音楽で成功した事や、思いやりのあるバンドメンバーでもある友達に恵まれたことが克服に繋がったようです。

鬼束ちひろ

19歳でデビューして以来、1stアルバム「インソムニア」でミリオンセールスを達成。

日本レコード大賞・日本ゴールドディスク大賞を受賞した後、急激なハードスケジュールなどが原因で体調不良となり活動を一時休養します。

ヒットソングである「月光」の歌詞の内容が、統合失調症の症状でもある“幻聴”の事を歌っているのでは?と噂になっています。

鬼束さんはビジュアルの激変やTwitterでの暴言などで違法な薬の使用なども疑われましたが、そのような事実は一切ありません。

もともとスタイリストが用意する清楚な服装が「超」がつくほど不満だったそう。

激変ぶりが話題となった当時は派手な服が好きだったようです。

「とうとう気が狂ったんじゃねえか?」と思われるくらいのコーディネートが最高なのだと語っています。

統合失調症とは公表していませんが、じつは別の病気を患っていました。

ご本人のエッセイ『月と破片』の中で「パニック障害」と、睡眠薬や安定剤による自殺未遂の過去がある事を告白しています。

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2002年の全国ツアーのとき、観客の顔が突然悪魔に見え、マイクを持つ手がガタガタと震えたことが。

ライブはなんとかこなしましたが、その後も数回同じことがあり、パニック障害と判明。

そのツアー以来発作は出ていないものの、今でもステージに立つと不安になると書かれています。

そして、活動を休止していたころ自殺未遂をしてしまいました。

死にたくなりウイスキーと一緒に睡眠薬と安定剤を大量に飲んだそう。

ただ死体が腐るのは嫌だったので、母親と知人に「私、もう死ぬから」とメールを送っていたため駆けつけた2人に起こされ病院に運ばれました。

以来、自殺願望はなくなったそうです。

「月と破片」にはその他にも、マネージャーの車のフロントガラスを素足で蹴破ったり、小さいころ生きた金魚の目玉を食べたりといった仰天エピソードが数々書かれています。

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そして問題にとなったTwiiterの投稿の件ですが…。

Twitterを開始した2012年6月22日。

開始早々の投稿は「異常ありぃぃぃい!!!! イィィぃエェェェエ!!!!!!」など、ハイテンション過ぎる内容ばかり。

さらには、「あ~和田アキコ殺してえ」「なんとか紳助も殺してえ」と衝撃的ともいえる呟きをしたのです。

「さすがになりすましなのでは?」と疑う声もありましたが、鬼束さんの公式サイトでもアカウントが告知されており、まぎれもない本物でした。

大問題になり翌日には公式サイト上に謝罪文が掲載され、Twitterのアカウントも非公開になりました。

このTwitter騒動以前から、鬼束さんは度々奇行が指摘されていました。

2011年には夏フェスで”怪演”を見せて話題になったり、ニコニコ生放送で大暴走して運営側が自主規制を行ったりしたこともあります。

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そしてTwitter騒動の翌年には、『アウトデラックス』(フジテレビ系列)に登場。

ここでも、奇抜すぎるファッションやメイクはもちろんのこと、いきなり「this is a pen!」と叫んだり、ご飯を食べずに「スイカバー」を食べていると告白。

しかし2014年、『アウトデラックス』に再び出演したときには、薄化粧でおしとやかな姿を見せたのです。

このころを境に奇抜な容姿や発言は鳴りを潜め、デビュー当時を思い出させるようなナチュラルな印象になっていきました。
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夏バテで14キロ痩せたと報告した鬼束さんにマツコさんは、すかさず「夏バテだけ? 恋してるんじゃないの?」と追及。
鬼束さんは真顔で「秘密です」とのみ答えますが、この表情を見たナインティナインの矢部さんは「してるやん、(隠すの)下手くそ」と指摘。
マツコさんも「恋をしてる女の顔だもん」と続けました。

その表情を見たマツコさんは、鬼束さんに恋人ができたことを確信したよう。

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2015年頃に、鬼束ちひろさんは一般男性と結婚し、2018年7月に結婚していることを発表。

「夫はすごくいい意味でふつうなんです。過剰すぎるあたしのブレーキをかけます」と語っています。

旦那様との出会いは鬼束さんの精神に良い影響を与えた事は間違いないでしょう。

Cocco

Coccoさんは2001年に“歌うことが辛くなった”という理由で活動休止。

くるり岸田とのバンド『SINGER SONGER』での楽曲発表などを経て、2006年に本格的な復活を果たします。

Coccoさんは統合失調症ではなく「パニック障害」や「うつ病」を患っていました。

2007年に写真の勉強をする為にイギリスに留学。

その際に精神疾患の治療をしましたが、症状は回復しなかったようです。

2009年の8月に発売された雑誌「パピルス」の特集で、拒食症と自傷行為・リストカット癖があることを告白れています。

Coccoさんにとってリストカットは日常生活の一部で、疲れた時にはどんな方法よりもリストカットすることで安定出来ていたそうです。

「パピルス」で使用された写真は、いずれもノースリーブのワンピース姿。

雑誌の表紙には、やせ細ったCoccoさんが…。

そして細い腕には無数の傷があり、傷の中には、「Live」と刻まれたものもありました。

自分の病気の事、心の内、すべてを伝えたかったのでしょうか?

拒食症に関しては2008年頃から始まったそうで、ツアー中などはチョコレートや黒糖でカロリーを摂取していたそうです。

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現在のCoccoさんですが、病状も落ち着き活動もされています。

Coccoさんには、未婚で出産した息子のKoto君がいます。

父親が誰なのかは、公表していません。

2018年1月には雑誌『Numero TOKYO』で初共演を果たし、Coccoさんは子供を持つ事に恐れがあったと語っています。

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十代の頃は、私という人間の存在を後に残すことが嫌だったと。

自分みたいな人間が生まれてきたらどうするんだろうと思ったそうですが…。

実際に生まれてきたのは男の子は全然違う生き物だったからビックリしたそう。

性格も違いせっかちで短気なところがあるCoccoさんに対して、Kotoさんはのんびり屋の平和主義者とのこと。

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幼い頃はかなり厳しくしていたそうで、叱られた方のKotoさんはすぐに忘れて鼻歌を歌っていたりして、救われたと言います。

Kotoさんは僕にとって母は、とにかくかっこいい女性。母を超える女の人には、まだ出会えていないですね。」と語っています。

現在、活動ができるのは、息子Kotoさんの存在があるからなのでしょう。

藤圭子

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歌手・宇多田ヒカルさんの母親、藤圭子さんは演歌・歌謡曲・ロックと歌いこなす実力派の歌手でした。

2013年8月22日、62歳の時に東京都新宿区のマンション13階の知人の部屋から飛び降り、自ら命を絶っています。

藤圭子さんが精神障害を患っていたことは、娘の宇多田ヒカルさんがブログ上で公表しています。

統合失調症や、うつ病だったという声もありましたが病名は分からないままです。

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「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。」と綴っています。

長い間、精神の病に苦しめられていた藤圭子さん。

その病の性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しかったよう。

宇多田さんの家族は、どうしたらよいのか、ずっと悩んでいました。

同じブログには藤圭子さんの元夫で、ヒカルさんの父親の宇多田照實さんもコメントを載せていました。

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そのブログによると、出会った頃から感情の不安定さはありましたが類い稀な「気まぐれ」な人と受け止めていたとのこと。

しかし娘のヒカルさんが5歳くらいの時から攻撃的になっていったそう。

ところが感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と藤圭子さん自ら反省する日々が長い間続きました。

適切な治療を受けるようにとアドバイスしますが、このことが逆に宇多田照實さんに対する不信感を抱かせる結果となってしまったのです。

結局、治療が成されないまま年を追うごとに重症化したようです。

思い立ったら旅に出かけるという生活を送っていましたが…。

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ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを頻繁に旅する中、宇多田照實さんとヒカルさんには昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入ったそう。

「元気?」という普通の会話もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じ心配だったようです。

宇多田照實さんとヒカルさんの言葉から、長年にわたり家族みんなが苦しんでいたことを知り、世間の衝撃はかなりのものでした。

藤谷美和子

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女優・歌手として 映画やテレビドラマで活躍した藤谷美和子さん。

元祖プッツン女優と呼ばれていましたが、その持ち前の美貌と高い演技力、そして抜群の歌唱力で多くのファンを魅了しました。

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しかし2012年に小田原市内を徘徊生活しているという報道がながれました。

2005年に女優活動を停止している藤谷さんは、小田原市に在住。

近隣住民の話では「数年前から毎日午後5時半に小田原駅前に必ず現れる」と言い、猫に水を撒いたり、両手にゴミ袋を持ち、時にはキャリーケースを持ちながら毎日同じコースをグルグルと回っているそう。

野良猫に水をかけているのを本人は洗っていると言ったりしているそうです。

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不憫に思ったある関係者が、テレビ各局に『かわいそうだから、取り上げないでくれ』とお願いしたという話もあります。

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過去には皇居坂下門にタクシーで乗り付け、警備員に「紀宮様は私の妹、お会いしてお手紙を渡したいのです」と詰め寄ったそうです。

公表されていないので真相は謎ですが、これも統合失調症による影響だったのではといわれています。

大場久美子

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アイドルとして活躍した大場久美子さんは、信頼していた母親が亡くなってしまったことによるショックからパニック障害を発症。

パニック障害が原因で夫婦関係が破綻してしまい離婚してしまいます。

このとき統合失調症を併発していたという噂もありますが、大場久美子さんが公表しているのは8年のパニック障害による闘病生活に関する内容のみでした。

動悸と息苦しさが主な症状で40歳手前ぐらいから、楽しいときでも苦しくなり、検査を受けますが異常は見つからず…。

数年間苦しみ2003年にパニック障害などの疾患に詳しい医師に巡り合い、ようやく診断されました。

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大場さんが当時、医師から提案されたのは「休養して入院し、お薬を飲みましょう」というもの。

しかし仕事をキャンセルすることは出来なく収入も必要。

軽い精神安定剤を処方された事もありますが薬が効きすぎる体質なのか、めまいで起き上がれなくなったこともあり飲まなかったそう。

何より芝居が大好きだったので、休業して入院するなんて考えられなかったと…。

大場さんは試行錯誤しながら、以下のような事を実戦して自力でパニック障害に向き合いました。

  • 発作が怖くて電車に乗れなくなることが多いが、乗れないと決めつけず、どうやったら乗れるかを考えた
  • 発作が出たときに、誰にも見つからずに座り込めるトイレの場所を把握して安心材料を確保
  • 予期不安(発作を繰り返すと『また発作が起きたら…』と恐怖感を抱くようになる)に襲われた時の為に、誰かとつながれる携帯電話を所持

自分の中の「安心アイテム」を増やすことで『できない』から『できるかもしれない』が増えていくそう。

自然とものの見方を変えていくことをやっていたのだと語っています。

テレビ番組の公開収録中に息苦しくなったときは、自分を思いっきりつねったりして、やり過ごした事も。

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症状が改善されたのは、生きがいである仕事を続けられたこと。

そして事務所の全面的なサポートがあったことだと言います。

テレビで公表する頃には「克服」していたそうです。

しかし、これはあくまでも大場さん個人の体験。

パニック障害の克服には専門家のサポートが不可欠となります。

そして大場さん自身も、闘病経験を生かして心理カウンセラーの資格を2008年に取得。

現在は女優業と並行して、心理カウンセラーの活動もしています。

安西ひろこ

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女優として活躍している安西ひろこさん。

2001年から2008年にかけてパニック障害という病気を患ったことを理由に芸能活動を休業していました。

この当時、統合失調症ではないかと噂もありましたが、これは事実ではありませんでした。

90年代後半は、ほとんど休みがなく朝4~5時から深夜2~3時まで働いていたというから、かなりのハードスケジュールでした。

さらに当時、結婚まで考えた恋人と破局し、多忙と孤独に一気に襲われたのです。

2001年、ドラマの撮影中に倒れ、病院へ緊急搬送されました。

医師からパニック障害の可能性があると告げられたといいます。

それをきっかけに芸能活動を休業して実家に戻ることに。

数カ月はまともに食事がとれずに体重は30キロ台にまで落ちてしまいました。

他にも辛い症状がでました。

  • 「床がゼリー状になっているみたい」と正常に歩くことができなくなった
  • トイレまで、ほふく前進でないと行けなくなった
  • 部屋から一歩も出られなくなり、とうとう「尿とか便とかを全部垂れ流し状態」にまでなった
  • 「いいじゃんもう、死んじゃいなよ」という“悪魔の声”が毎日のように聞こえ、幻聴にも苦しめられた

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母親の支えもあって発症から3年目にはようやく外に出る練習を始められるように。

「人がいると怖くなる」ため、人がいない時間帯に外出したり、あまり人通りのない道を選んだり、めまいに襲われるたびにしゃがんで休むなどしていたそう。

本来なら5分で着く駅まで1時間以上かかりました。

電車に乗る事も大変で、どうしても電車に乗れなくて見送ったり、電車の中で「胸がドキドキし始めて、呼吸が荒くなって」1駅で降りてしまうことも。

2駅離れた母親の職場まで行けるようになるには、どうにか電車に乗れるようになってから2年もかかりました。

2008年にモデルとして芸能界に復帰しましたが、無理をしてまた体調を崩してしまい再び休業状態に戻ることに。

それから数年の時を経て「今は薬もやめていて体調も万全」と復帰を宣言。

完治まで約13年の歳月がかかりましたが、周りのサポートや本人の努力で確実に前へ進んでいったようですね。

メンタルがヤバいと噂される有名人〔タレント・芸人編〕

軽快なトークで私達を愉しませてくれる芸能人の方達も、やはり悩みやストレスから「心の病」を患ってしまう方も多いようです。

岡村隆史(ナインティナイン)

岡村隆史さんは几帳面で仕事に対してとても厳しく真面目な性格。

2010年に体調を崩し仕事を休養する事になった時期も、ナイナイとしての仕事はもちろん、ピンでの仕事も大変忙しかったようで、全ての責任を背負いすぎてしまった岡村さん。

ご本人曰く「頭がパッカーンとなった」という状態になり心身のバランスを崩してしまったようです。

統合失調症やうつ病など病名の公表はされていないので、真相は分かりません。

休養してから復帰するまでの5ヶ月間は「地獄だった」と言う程つらい闘病生活で、様々な症状が入れ替わり現れたそうです。

忙しすぎて常にスイッチがオンになった状態となり、何ヶ月も眠れない日々が続いたよう。

周りから見ていても精神状態がおかしいと見えたため、相方の矢部さんやマネージャーさん等が休養させる事を決断。

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岡村さんは下記のような状況だった事を語っています。

  • 睡眠不足に悩まされた
  • ラジオ番組で使うリスナーからの投稿ハガキを選ぶ際、どれを読むかわからなくなり、気がついたらハガキが散乱するなど、常にパニックみたいな状態だった
  • 自分のサインを忘れてしまい、マネージャーに過去のサインを見せられ、ようやく思い出す始末だった

そんな状態でも岡村さんは自分から休みたいとは申し出ませんでした。

矢部さんが「休め」と言っても「それだけは勘弁してくれ相方」と泣きつき、半ば強制的に休ませる形になったそう。

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矢部さんのフォローだけでなく、芸能界の多くの先輩たちからの励ましやお見舞いが、療養中の大きな支えになったと言います。

芸能界を辞めようと思ってたいましたが、それから半年の休養の間に「スベってもええんかな」と開き直れるようになり、2010年11月に無事復帰を果たしました。

そして高倉健さんとのエピソードは、周囲を驚かせました。

二人の出会いは、2000年の第23回日本アカデミー大賞の授賞式。

この年の話題は、高倉健さんが出演した東映作品「ぽっぽや」で最優秀男優賞を受賞したことでした。

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そしてこの年、岡村さんも香港映画「無問題」の主演で、作品部門の話題賞を受賞しています。

岡村さんは受賞インタビューで、これからどんな俳優になりたいかと聞かれウケ狙いで「高倉健さんのような俳優になりたい」と発言。

高倉さんは自ら席を立って、岡村さんに拍手を送りました。

そして岡村さんが休養に入ると、高倉さんから突然、岡村さんの留守電に励ましの伝言が入っていたのです。

そして岡村さんが復帰すると、高倉さんは遺作となる「あなたへ」の出演を依頼。

撮影の合間、高倉さんは岡村さんと肩を組んで歩きながら、次のような言葉を岡村さんにかけました。

「(仕事を)辞めたら辞めたで終わりだからな。辞めたらダメだ。何があってもやらないと。何があってもやる。続ける。命あるかぎり。辞めたらダメだ。続いているやつが勝ちなんだ」と。

今は亡き高倉健さんの言葉は今後も岡村さんの大きな支えになるでしょう。

中川剛(中川家)

漫才コンビ「中川家」のお兄ちゃんである中川剛さんは、1997年頃にパニック障害と診断され、1年間仕事を休養します。

仕事が増え始めた頃で、さまざまなストレスが重なった事が原因だと考えられます。

パニック障害と診断される前から様々な症状が出ていたよう。

相方で弟でもある礼二さんは、パニック障害と分かる前からの剛さんの異変をこのように語っています。

仕事に行くのを拒否したり、漫才の途中で帰ってしまったり、舞台袖で出番を待っていたはずが突然いなくなったり…。

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剛さんは27歳の時、ご飯を食べていて”急に息ができない”と感じたそう。

そして、電車の急行や特急に乗ると発作が出るようになりました。

その為、各駅停車を何度も乗り降りしながら、それまでは30分で行けた大阪ー京都間を4時間かけて仕事に向かったとのこと。

礼二さんに付き添ってもらいましたが…。

人混みの圧迫感が辛く、各停に乗って2駅で降りて、また次の電車に乗って2駅乗っては降りて、を繰り返したそうです。

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ラジオの仕事でも、スタジオの防音ドアを閉められると苦しくなってしまいました。

食事も調子のいい時ぐらいにとるという状況。

それが1年くらい続きました。

治ったかなと思って、劇場の舞台袖まで行って、やっぱり無理だと家に帰ったことも。

仕事に行けないので休む→仕事がなくなる→もう一つ仕事に行けなくなる→仕事がなくなる

その結果として休むことになったそうです。

パニック障害で苦しんでいた剛さんを救ったのは、担当医からの言葉でした。

「あなたは大丈夫。普通だから」と言われ、胸がすっと軽くなり克服することができたと語っています。

そして剛さんの心を救った人物がもう一人…。

その人物は復帰後に仕事で一緒になった「明石家さんま」さん。

剛さんの体調を心配し「大丈夫?」と気遣ってくれる芸人仲間は沢山いましたが、さんまさんだけが唯一「パニック障害」をいつも通りにイジって来たそうです。

さんまさんは「ええやんけ!黙るのが一番アカンから、何でもエエから言え。俺が何とかするから。何とかできへんかったらごめんな」と言ってくれた。

引用元:デイリー新潮

何事も明るく捉えてくれた、さんまさんに対し、「大丈夫?」と心配されるよりも剛さんとしては気持ちが救われたのだそうです。

長嶋一茂

長嶋一茂さんは偉大すぎる父の影響で期待されすぎたストレスから心を病んでしまったようです。

統合失調症ではなくパニック障害と公表しています。

長嶋さんは1996年、ジャイアンツ1軍選手でしたが、不調のため5月に2軍行きとなりました。

不調の中でうつうつと生活していた時、最初のパニック発作が起こります。

知人のマンションの屋上で花火大会を見物していた際、突然地面が大きく揺れるような強いめまいを感じました。

2度目の時は過呼吸発作を起こし東京女子医大の救命救急センターに担ぎ込まれます。

パニック障害と診断され、安定剤の投与を受けます。

その後、パニック障害に良いという様々な試みをしますが、改善する事はありませんでした。

その年、ジャイアンツより戦力外通告を受け退団。

その後は、芸能活動とスポーツリポーターで生計を立てていきます。

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その後もパニック障害は治まらず、13年後の2008年、自身が企画した映画『ポストマン』の撮影時、最悪な状態に…。

ロケ地が千葉県であったっため、毎回の行き帰りにアクアラインを利用。

毎回、アクアラインに乗る度に長嶋さんは、死ぬような恐怖を感じていました。

そんな過酷な状況の中、うつ状態が悪化し「死にたい」と思うように。

おまけに服用していた抗うつ薬が合わず、「死にたい」という思いが更に強くなったそうです。

ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出るという辛い日々…。

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14年間の闘病生活の後、試行錯誤の結果、生活リズムの改善などからパニック障害を克服。

長嶋さんは闘病の経験から次のような思いが生まれました。

  • 自分の中の自分と対話し、自分で自分の身体をいたわること
  • 孤独と飢えに立ち向かえたら、ほぼパニック障害は克服できる

昔のお坊さんの修行には、食べないで何日も何ヶ月も山の中を歩くなど、必ず『孤独と飢え』があると言います。

それはたぶん、『孤独と飢え』が、人間を一番強くするからだと思ったそう。

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それから、以下の事を実践するようになります。

  • ちょっと調子が悪くなった時には、できる限り、食事は1日1食。
  • 午後3時か4時に食事を摂る→入浴→ストレッチ→夜9時就寝(一番調子が上がるという)
  • 毎日、短時間でもいいから意識的に自分を『孤独にする』

長嶋さんは「人間誰かに繋がっているという安心感が欲しい」それが問題だと言います。

多くの人が、人生の孤独や切なさに対する感覚が麻痺してしまっているのではないかと。

色々なものが供給過多な事から、心のバランスが取れなくなっていると。

長嶋さんがパニック障害から得たものは…。

  • 『読書の習慣』が身に付いた
  • 肉体的に、精神的に、いろいろな事を学んだ
  • 精神障害に苦しむ人たちの気持ちを考えることが出来るようになった

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小さい頃から野球一筋だった長嶋さん。

パニック障害になっていなかったら、世の中の機微がわからない『傲慢な人間』のまま無惨な人生を送っていたか、あるいは、命にかかわる大病を患っていたかもしれないと語っています。

パニック障害はまだ100%は治っていないとのこと。

そのため、年に何度もハワイへ行き、心身ともに休むことを習慣づけているそう。

長嶋さんのハワイ好きは有名ですが、こんなに深い理由があったのですね。

松居一代

松居一代さんは女優として活躍する中、得意の掃除に関するグッズを開発し家事アドバイザーとしても大ブレイク!

しかし、2001年に再婚した船越英一郎さんとの関係性が悪化していった時期から奇行が目立つようになりました。

特に松居さんのブログ内容には不可解な内容のものが多く…。

  • 「あたしの耳にメッセージが聞こえた」
  • 「逃げないと行けないので、1日500km以上愛車で逃げ回った」
  • 「1年5ヶ月にわたって尾行されている」

など幻聴や妄想のような投稿が見られました。

その後もYouTubeにアップした動画では「週刊文春に騙された」という内容や、「恐怖のノート」という船越英一郎さんの全てが記されているという謎のノートの存在を明かします。

エスカレートする奇行の数々はワイドショーを賑わせました。

他にも、さまざまな奇行が…。

  • 船越英一郎さんの携帯を鍋で煮込む
  • 川島なお美さん他界後、船越さんと川島さんの不倫をなぜか、松居さんの口から暴露
  • 法務局に印鑑証明を取りに慌てていったらパジャマ姿の挙句、財布を忘れて知らない人にお金を借りた
  • 船越さんとの間に出来た子供が流産した時の話をブログで唐突に話す
  • お風呂に4日間入らない日があった

これらの言動や行動が非常に統合失調症で見られる陽性症状に近い事から、疑いの声があがっていますが、ご本人は「病気では無い」と説明されているようです。

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このようになってしまった原因は分かりませんが、船越英一郎さんの女性関係を疑い嫉妬したことからではないかと考えられます。

実際に船越さんが浮気していたかどうかはわかりません。

統合失調症は嫉妬して妄想してしまうということもあるようです。

もともとこの病気があり、船越さんの浮気疑惑で一気に悪化したのか…。

はたまた浮気が事実で、それをキッカケに病気が発症したのか…。

いずれにせよ松居さんが病院に行き診断を受けている様子は見えず、真相は分からないままです。

今井メロ

スノーボードハーフパイプでトリノオリンピックに出場経験をもつ今井メロさんも、ブログで統合失調症を告白した有名人の一人です。

過去には、うつ病・多重人格障害・境界性人格障害であったことも公表。

6歳から17歳まで父親からスノボのスパルタ教育を受けましたが、スパルタすぎる特訓に家出を繰り返すように。

トリノ五輪の3年前には児童相談所に保護された事も。

その頃に過呼吸を発症し、うつで精神病棟に入院し、五輪の1年前の17歳の時に離婚していた実母の元へ。

成田メロから今井メロに名前を変えます。

五輪には出場したものの、予選敗退の惨敗。

「税金の無駄使い」などとバッシングを受け、引きこもり状態になりました。

その事がきっかけで統合失調症を発症したようです。

1年後、大阪・ミナミのキャバクラで働き始め、今度はキャバクラでの「ストレス発散」でホストクラブに通うようになります。

五輪のスポンサーから振り込まれていたお金をすべて使い込んだとのこと。

ホストクラブには「500(万円)くらいは使った」と語っています。

2007年6月には週刊誌で“ホテヘル嬢”として働いていることが報じられました。

この報道を認め「お金が底をついた時、友達が結婚パーティをすることになって、『ご祝儀期待してるな』と言われたことがプレッシャーになって。『15万円を包みたい』と思って、3日間、風俗で働きました」と告白。

「見栄とプライド。『(五輪選手)さすが』って言われたかった。お金ないとは言えなかったですね」と明かしました。

デキ婚や離婚、生活保護問題など壮絶な人生を歩んでいる今井さん。

2017年にアダルトビデオに出演しセクシー女優として活躍する一方、同年には11年振りとなるスノーボードの全日本大会に出場し見事優勝!

優勝出来るほどですから、病気の方も落ち着ついてきたのでしょうか?

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現在は2人の子供を育てるシングルマザー。

数々の世間をビックリさせるような話がありましたが、今井さんが抱える病の影響も強かったのではないでしょうか。

子供たちのためにも、今後もますます良い状況に向かうよう祈るばかりです。

卯月妙子

1991年に『タブー』という作品で漫画家デビューした卯月妙子さん。

小学校5年生の頃には精神異常を感じ始め、中学校3年生の時には自殺未遂を図ったようです。

20歳で結婚した元夫との間には一児を授かりましたが、元夫の会社が倒産。

借金返済のためAV女優やストリップ嬢となりますが、ストリップ劇場のステージで自分の喉を切り、またもや自殺未遂を図りましたが一命は取り留めます。

しかし、精神病を患っていた元夫が自殺。

卯月さんが幼少時代から患っていた統合失調症も悪化、自傷行為や薬物の過剰摂取などで精神病院の入退院を繰り返します。

閉鎖病棟に入院中も何度か自殺未遂を繰り返しながらも女優として舞台復帰。

しかし、2007年には再び歩道橋から投身自殺を行い、一命は取り留めますが顔面崩壊と片目を失明しています。

その後、現夫の25歳年上のボビーさんと出会い、実体験を元にしたエッセイ漫画『人間仮免中』を出版。

統合失調症による壮絶な体験や絶望的な出来事などを、ユーモラスに描く作品は話題となりました。

卯月さんは現在でも統合失調症特有の幻聴などと戦いながらも漫画家として大活躍!

歳の離れているボビーさんの年齢的なところや、自身の病気で脳の萎縮がかなり進行しているという不安…。

あとどれぐらい、もつかわからない状態だと言います。

今のうちに印税を貯めて、病院で一生すごせるだけのお金をつくる必要があると。

もし、ボビーさんが亡くなったらショックで大きな症状が出るとも考えています。

とにかく「時間がない」という思いが、お互いにあるそう。

卯月さんはボビーさんの死を、漫画で最後まで描ききりたいと言います。

ボビーさんがあの世で読めるようにお寺で焼けたら御の字だと。

卯月さんの最後のラブレターなんだそうです。

漫画の中の印象的なエピソードに、卯月さんが交通事故で死んだ少年の霊につきまとわれる話があります。

ボビーさんが「いや、それ症状だから」とか冷静にツッコミながらも、最終的にいっしょに弔って成仏させてあげるエピソード。

幽霊が見えることに関してはボビーさんとも、さんざん話しあったそう。

ボビーさんは症状から見えるものだと言いつつも、卯月さんが落ちつくように一緒に供養してくれると…。

卯月さんも現実でも妄想で、どっちでもいいやって思えるようになったとのことです。

ボビーさんの愛に包まれながら、病と自分の人生に向き合う卯月さんの姿は、人々を元気づけてくれています。

IKKO

美容家としての活躍もさることながら、バラエティ番組でも引っ張りだこのIKKOさん。

IKKOさんは統合失調症ではなく「パニック障害」を発症しています。

発症したのは39歳の秋のこと。

当時はタレント活動はしていなく、ヘアメイクの個人事務所「アトリエIKKO」を経営。

メイクを終えタレントを送り出した後、急に後頭部に強い張りを感じたそう。

その後、病院に向かうものの渋滞にはまりパニック状態に陥りました。

血圧は200を超え、脈拍も上がる一方で1週間の入院を余儀なくされました。

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退院後は電話の呼び鈴が鳴ると発作が起きたり、ホテルの2階以上へも行けなくなりました。

雨の高速道の車内では、めまいがして息ができなくなっていき、舌もしびれ、関節に力が入らなくなるという様々な症状に襲われました。

その年の暮れに3時間生放送の番組にヘアメイク担当として参加。

緊張感とともに狭いスタジオで逃げ場のない不安に駆られたIKKOさん。

入院した時にお世話になった女性医師から「大丈夫、大丈夫」と書いてもらった小さなメモを胸ポケットに忍ばせました。

発作が起きそうになると、胸に手を当て「大丈夫、大丈夫」と気持ちを落ち着かせ、なんとか乗り切ったそうです。

完璧主義だったIKKOさんは全力で美容家、経営者として、スタッフの育成に力を注いでいました。

かなりのストレスを感じていたようです。

しかし、41歳のテレビ出演をきっかけに周囲の人間の優しさに触れ、症状が徐々に改善していきました。

発症から1年半余り、TBS系の情報番組で密着取材を受けます。

これが好評で、番組出演が増えていったそう。

「IKKOさん、楽しんでくださいね」

今まではストイックに仕事をしてきましたが、番組スタッフの一言で肩の力が抜けたと言います。

番組の出演者にいじられて笑っている自分…。

「『笑う』ということが付け加えられた人生が始まったんです」

と語っています。

しかし、完璧主義の性格から期待に応えたいという思いが強く、汗が止まらないときも。

あの決まり文句「どんだけぇー」も言葉自体は新宿2丁目で流行していましたが、人さし指を立てて振る動作は緊張で手が震えたことから生まれたそうです。

IKKO

美容家とテレビ出演。

この二つが少しずつ交わったことで心のバランスを取れたとのこと。

そんな中で編み出した対処法とは…。

  • 少し体調が悪いと思ったら「外に出て深呼吸」
  • 肩こりをほぐし、血流をよくする
  • 家はダウンライトにして落ち着ける空間にする

このように自分に合った対処法を見つけることが大事だと。

顔面麻痺やめまい・閉鎖空間の不安など様々な症状に悩まされ精神的に不安定な日々を経験したIKKOさん。

ただ、今でも症状が出ることはあると言います。

薬は頻繁に飲むわけではありませんが、お守り代わりだそう。

穏やかにいられる事を心がけて自分と向き合いながらも、お茶の間を楽しませてくれています。

ハウス加賀谷

90年代のバラエティ番組「タモリのボキャブラ天国」で松本ハウスというコンビ名で活躍していたハウス加賀谷さんですが、彼も統合失調症を公言している有名人の一人です。

ハウス加賀谷さんは中学生の頃に同級生の女の子が下敷きで扇いでいる仕草を見て、「自分が臭いからなのでは?」と思ってしまったことがきっかけで、「自己臭恐怖症」を発症したそうです。

誰も言っていないはずなのに「臭い」という声(幻聴)が聞こえるようになったそう。

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統合失調症の特徴である幻聴や幻覚に悩まされ、16歳の時にグループホームに入所し治療に専念。

病を抱えながらも松本キックさんと1991年にコンビ結成。

しかし、1999年に自殺未遂や幻覚がひどくなり松本ハウスとしての活動を休止します。

2000年に精神科閉鎖病棟に入院した時に、はじめて「統合失調症」という病名を聞いたそう。

その病院の主治医によれば、中学生の頃の「臭い」という幻聴が統合失調症の発症ではないかということでした。

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加賀谷さんを10年間ぐらい診てくれた先生が、「きちんと服薬していれば寛解状態(症状が落ち着いて安定した状態)だから問題ないよ」といってくれたので、きちんと薬を飲むことは守ろうと思っているとのこと。

退院後、当時新しく発売された抗精神病薬と出会って症状が大きく改善されたそうです。

その薬と出会い、世界がクリアになった感じがしたと言います。

「あれもしたい、これもしたい」と、好奇心を取り戻したと。

急に元気さと明るさを取り戻した加賀谷さんをみて、父親は「潤が躁になった」と驚き、母親も「人間らしい心の機微が戻ってきた」と感激。

加賀谷さんは、この薬と出会ったことで「これはいけるぞ」と感じ、そこからは自分なりに芸人に戻るための準備を始めました。

アルバイトやダイエットにも挑戦!

当時105kgも体重がありウォーキングを始め、毎日5時間位、同じルートを歩いていました。

その結果、75kgまで落とすことに成功。

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相方のキックさんは加賀谷さんを焦らないように、うまく距離をとっていたそう。

それは、精神科の先生や福祉関係の方にも距離のとり方を褒められるほど。

症状が悪化した原因が仕事だったので、仕事に直結している人間であるキックさんが連絡することで焦らせてしまうのではないかという心配があったようです。

友だちが入院したら「早く治せよ」とか「早く退院しろよ」というところを加賀谷さんに対しては絶対に「早く」とはいえなかったと。

だから「1年経っても、2年経っても、5年、10年経ってもいい。お前がまたやりたいと思ったらいってこいよ。そしたらまた二人でやればいいじゃないか」と伝えたのです。

自宅での療養中、2009年にキックさんのトークライブに出演したことが復帰への大きなきっかけとなりました。

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小さなライブハウスで、たくさんのお客さんが集まっていて「加賀谷おかえり」といってくれたそうです。

10年も経っていたから、実際の舞台での感覚を忘れていましたが「これだ、これだ」とよみがえったそう。

当初はキックさんが書いてくれた2~3ページの台本も覚えられませんでしたが、その後は簡単なものなら2時間くらい稽古すればできるまでになりました。20代後半からの休養中の10年間は芸人としてとても大事な時期だったと思いますが、「加賀谷潤」の人生にとっては必要な10年間だったと思っているとのこと。今も服薬は続けていて焦ることはない、絶対に腐ったり諦めたりしちゃダメだと…。

「統合失調症がやってきた」という著書も出版。

現在では、お笑い活動と共に統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を行うほどにまでに病状は落ち着いています。

山口達也(元TOKIO)

元TOKIOのメンバー、山口達也さん。

自身が司会を務める『Rの法則』(NHK Eテレ)で知り合った女子高生2人を自宅マンションに呼び出し、強引にキスを迫るという事件をおこします。

事件発覚後はアルコール依存症の疑いがあり療養施設に入院。

実際のところ統合失調症ではなく「躁鬱病」を患っているようで、メンタルクリニックに力を入れる病院に転院し治療を続けています。

5年以上前から躁鬱病で精神的に不安定な状態が続いており、その不安を忘れるためアルコールに頼り、度々トラブルを引き起こしていたようです。

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この事件を起こしてしまうまでに、病状を安定させることはできなっかたのでしょうか?

下記の原因が考えられます。

  • 薬をきちんと飲み続けなかった
  • 躁鬱病の治療薬と併用してはいけないアルコールを飲み続けた
  • 離婚などで周囲のサポートが得られなかった

上記の事がなければ、もしかしたら問題はおこさなかったかもしれません。

精神的に不安定になり、お酒に頼ってしまってトラブルになることもあったようです。

※躁鬱病とは

正式名称は『双極性障害』

躁状態と鬱状態を繰り返すことが特徴

落ち込む時はすごく落ち込み、元気な時はカラ元気でハイになる

一般に躁鬱病にかかりやすいのは、「真面目で人の評価を気にするタイプ」

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山口さんはテレビで農業をしたり、朝の情報番組の司会をしたりして、周囲に良いイメージを与えていました。

他人からの評価を気にするあまり、対外的に良いイメージを無理をして作ろうとしていた可能性も考えられます。

現実の自分と理想の自分とのギャップが大きくなったことが、躁鬱病を発症した一因となったのではないでしょうか。

そして、躁鬱病から回復するためには、周囲のサポートが不可欠。

山口さんは、約2年前に離婚して家族の支えを失ったことが病の進行に大きく影響したと考えられます。

2016年8月、突然の離婚を発表。

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会見では離婚の理由として、「すべてが原因だと思っています。お酒の飲み方だったり…」と語りましたが、この離婚の背景にも、病気が関係していたようです。

精神的に不安定な山口さんが酔っぱらって家庭内でトラブルになる危険性もあり、医師や周囲は“妻と子供と離れて暮らした方がいい”というアドバイスがあったとのこと。

2015年には鎌倉の豪邸を売って都内に引っ越したものの、別居状態になった頃も入院を繰り返していました。

離婚した直接のきっかけも、酒に酔った山口さんが女性とトラブルを起こしたからなどともいわれます。

妻との離婚で愛する子供たちと離れ離れ。

山口さんは深い喪失感を抱き、一層アルコールにする依存するようになったようです。

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躁鬱病が原因で飲酒に走るケースは多いと言われています。

気分が落ち込む→お酒に頼る

しかも山口さんの場合、仕事上、福島でせっせと農業をしたり、朝の情報番組で元気よく振る舞ったりする必要がありました。

鬱状態の身としてはかなり辛かったはず…。

そのため気を晴らすために、お酒を大量に飲んでいた可能性があります。

鬱の症状である不眠から睡眠薬代わりに飲酒を繰り返すのもよくあるケース。

アルコールの大量摂取は多くの問題行動が出てきます。

TOKIOのメンバーも会見で山口さんについて、“飲みすぎで仕事ができなかった”、“いつも酒臭かった”と困り果てていた様子がうかがえました。

病気の辛さからアルコールを飲み過ぎ、問題行動をおこし、孤独になり、病気が辛くなり、また飲み過ぎ…。

山口さんは負のスパイラルに陥っていたのかもしれません。

現在は通院しながらカウンセリングやリハビリを続け、社会復帰に向けて頑張っているようなので、またあの笑顔が見られる日が来る事をファンの方は待ち望んでいる事でしょう。

高木美保

高木美保さんは、ある日電車で発作を起こして「パニック障害」を発症。

その後、またいつどこで発作が起きるか分からない不安を抱えて生活するうちに「うつ病」も発症してしまいます。

高木さんも真面目すぎる性格が災いし、仕事のストレスなどから「パニック障害」や「うつ病」を発症したようです。

思い切って女優を辞めて農業を始めた事で、心のバランスを取り戻すことが出来ました。

電車の中でのパニック発作から…。

「またこの発作が起こるのではないか」という不安が、どんどん自分の中に積み重なり日常のすべてに不安を感じるようになってしまったと語っています。

高木さんは、パニック障害やうつ病について知らなかったため、病気という自覚がなかったそう。

両親に自分の辛さを隠し、家庭も心やすまる場所ではなくなっていきました。

特に父に対して「期待に応えなければいけない」というものをずっと持っていたそう。

病気を自覚しておらず、周囲に助けを求めることや治療を受けることがなかった高木さん。

「今、収入がなくなったら、この先、暮らしていけない」と、今の自分よりも、未来の自分のほうを心配していたと。

うつの状態に陥る人というのは、ある意味、生真面目で心配性だと言います。

「このまま家にこもっていたら、だめになってしまう」と無理して外出し、ストレスを受けてよけい精神的にだめになってしまうという悪循環を繰り返したことも。

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そんな高木さんでしたが、ある日「先のことを心配するほど、わたしは強くない」と気づきます。

「先のことは心配しない」って決め「今を心配しよう」と。

高木さんは自分自身で気づき、前に進むことができました。

じつは女優だった高木さんはセリフがものすごく負担だったと。

いい台本で、ストーリーも素晴らしいのに「わたしはこういう人じゃない」という違和感が、どんどん広がっていったそう。

女優に向いていないと気づき「向いていないんだったら、体も疲れていることだし、やめてみよう」と決心。

自分以外の誰かになることをやめたら、自然と自分が戻ってきたそう。

自分を肯定できて、自分が世界一好きになったと言います。

自分の状況の困難さ、自分そのものの否定を克服して、何とか、きりぬけていけるという意識ができた時に、うつ病は治るとも言われます。

高木さんは無理して一人でうつを乗り越えましたが、人には決して一人で乗り越えることはすすめていません。

一般的には自力だと違う見かたに転換しないままでかえってうつ症状を長引かせてしまう人も。

早い段階で、家族やカウンセラーの支援を受ける事が大切です。

現在は農業に夢中の高木さん。

「自然農法」「自然のサイクル」にこだわった農業スタイルは、化学肥料や農薬はほとんど使わずに行われます。

タレントの有吉弘行さんには『ヒステリック農業』とあだ名をつけられるほど、どっぷりと農業にハマっているようです。

自然な自分に戻れた高木さんだからこその素敵な第二の人生ですね。

丸岡いずみ

丸岡いずみさんは地方の局アナから日本テレビのニュースキャスターへと着実にステップアップ。

そんなある日、突然うつ病を発症し、重度の「うつ地獄」へと転落してしまったようです。

丸岡さんの著書には、『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』や『休むことも生きること 頑張る人ほど気をつけたい12の「うつフラグ」』といった、ご自身の経験を活かしたものがあり反響を呼んでいます。

2011年に起きた「東日本大震災」の取材などによる震災うつ病であった事を2013年に行われた有村昆さんとの挙式の際に告白しています。

またプライベートでもパパラッチに追われて雑誌にゴシップ記事が載る事が増えたことも、うつ病が進行していった原因のようです。

東日本大震災の取材後、湿疹が出る、眠れない、下痢が続くといった事がありました。

「ちょっと疲れているだけだろう」と考え、相変わらず仕事に邁進(まいしん)する毎日を続けていたのです。

丸岡さんの場合、落ち込むといった精神症状はまったくなく、身体にいろんな症状が出るタイプでした。

まさか自分がうつ病だとは思わなかったと。

丸岡さんが、うつ病を悪化させた要因のひとつが薬を拒絶したこと。

精神安定薬や抗うつ薬を飲むと、人格まで変わってしまうのではという思い込みがあったそう。

薬を飲んでいないのに“飲みました”とウソをつき、どんどん病状は悪化。

薬嫌いになった理由は、当時、薬の話は医学書にしか書いてなくて難しく、副作用が恐ろしいイメージがあったからだと。

丸岡さんの本のタイトル「休むことも生きること」は父親が丸岡さんにかけた言葉。

仕事一筋だった丸岡さんは父から言われたこの言葉にはっとさせられました。

うつ病になり、仕事もできないし、私にはもう価値がない”と自信をなくしていたところ、仕事だけが人生ではないことに気づくことができたとのこと。

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夫で映画評論家の有村昆さんにも救われたといいます。

友人関係だった頃、うつ病だと伝えると“誰でもなるもんだよね”と、こっちが拍子抜けするくらいの対応だったそう。

有村さんの家に行くと、うつ病の本がたくさんあり病気を理解しようしてくれていたことがわかり、有り難い気持ちになったとのことです。

昔は仕事中心の生活でしたが今はプライベートな時間が持てるようになり、バランスがとれ自分らしく生きられていると語っています。

幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが不足すると、うつ病にかかりやすくなることがわかっているとのこと。

丸岡さんは温泉や土いじりが好きなので、こういった趣味に没頭する時間を大切にして、セロトニンを分泌することを意識しているそうです。

2014年にメンタルヘルスカウンセラーの資格を取得。

うつ病に関する講演も行い、自らの経験を語り同じように悩んでいる人たちを勇気づけています。

中島知子

お笑いコンビ・元オセロの中島知子さん。

女性占い師との同居・洗脳騒動や本木雅弘・内田也哉子夫妻がオーナーのマンションの家賃滞納問題でワイドショーを賑わせていました。

中島知子さんが統合失調症ではないか?と疑惑を持たれたのは、臨床心理士である矢幡洋氏の発言がきっかけだと言われています。

矢幡洋氏によると、妄想型の統合失調症タイプの特徴と中島さんの行動や言動がよく似ているのだそうです。

このタイプはまず結論を設定し、それを立証するために強引に話を積み重ねていくとのこと。

当然、ウソも言いますが、本人は事実だと信じている。

中島さんは“占い師は善人”という結論のために、自分の意思でお金を使い、自分から同居を申し込ん

と言い張っているのではと矢幡さんは言います。

妄想型の人は感情的にならず、理路整然と話せるのが特徴だそう。

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認知科学者で中島さんをカウンセリングしたと報じられている苫米地英人博士は、3月29日の自身のブログでこのように綴っています。

「日本の最先端の精神心理指導のレベルが提供されます。もちろん、中島知子さんについても同様です。」

病名は明言されていませんが、精神心理指導が必要なことは確かです。

テレビ朝日・ワイドスクランブルでの中島さんの発言では「病名がついて入院したわけではない」
との趣旨でしたが、上記の専門の学者さんのコメントから、何らかの病名はついていると思われます。

2012年先日、自宅と個人事務所の家賃を長期滞納していることが訴訟に発展するとのニュースが流れた時も金銭面よりも精神面を心配する声がありました。

金銭問題より問題な事…その原因となった病気をどうにかしなければ、仕事どころか健全な社会生活が送れないと懸念されました。

そして中島さんは、激太りやブログでの発言がやたらとネガティブになるなどの様子が見られるようになりました。

とうとう仕事に穴を空けるに至った末、休業することになります。

休業理由は公表していませんが、精神的に安定していないのは明らか。

そんな中、女性占い師が中島さん宅で同居していると報道されます。

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心配した中島さんの母親が警察に相談する騒ぎにまで発展。

同じく中島さんが家賃を滞納する向かいの事務所には、霊能者の家族が住んでいるといいます。

事務所関係者によると、中島さんは霊能者に相談を重ねたことで親密になり同居を開始。

以来、私生活で他人との接触が激減したと言います。

連絡が取れなくなった際、自宅に行ったら霊能者の方が出て取り次いでもらえなかったと。

そこで押し問答となったときに、部屋の奥で顔面をセロテープだらけにしている中島さんの姿が見えたそう。

手にもべたべたとテープをつけて無表情で顔を触っていました。

呼びかけても振り向いてくれなかったと…。

中島さんの変貌ぶりが、統合失調症などの精神疾患なのか、霊能者の洗脳なのか?
結局、ハッキリとした事実は公表されませんでしたが、精神不安定な面から霊能者にハマってしまったとも考えられます。
やはり統合失調症などを患っていた可能性が高いのではと推測できます。
nakajima-sennou
しかし、2015年に出演した『ダウンタウンなうSP』では、すべてでっち上げだったと語っています。
ニートの妹さんを養っていたと語り…。
「母親が『知子ちゃん、今回の騒動って、自分とこの妹が言い出したでっち上げなんだけど今更どうしたらいいんや』って言い出したんです」と、妹が騒動の主犯であると家族から告げられたそう。
その事実を発表しなかった事が、この騒動がここまで大きくなった原因の一つであると暴露。
nakajima-hasigozake
この暴露話の世間の反応は…。
  • 「報道や噂はアテにならない」
  • 「中島さんの言ってることは恐らく本当だろう」
  • 「言ってる事は支離滅裂」
  • 「こりゃまだ洗脳されてるな」
など…話の信ぴょう性を疑う声も多く、賛否両論という反応になりました。

鳥居みゆき

鳥居みゆきさんは独特の芸風と個性的な容姿(実は美人!)でブレークしたピン芸人。

公表されている症状として「自律神経失調症」「先端恐怖症」「対人恐怖症」「被害妄想」「見られていると感じる注察妄想」「アンテナ過敏症」などが挙げられます。

統合失調症であるとの噂が立ったのは、鳥居さんのその個性的芸風に関係していると思われます。

実際の所はそのような事実は無く、あくまでも統合失調症は噂だけのようです。

しかし、特技であるフラッシュ暗算や取得している資格も多いことから、興味のある分野に驚異的な集中力を発揮する「アスペルガー症候群」に近いのでは?という意見もあります。

鳥居さんは、リストカットやクスリを投与していたという過去があるようです。

「ネガティブ思考になりすぎた時に出てしまう」と語っていたそう。

手首には、リストカットによる無数の傷跡があるといわれています。

鳥居さんは二人の父親がいたという、複雑な家庭環境だったそう。

発達障害のような雰囲気が漂っていると噂されますが、実は小学校5年生の頃に特殊学級(現在の特別支援学級)に入れられていました。

理由は分かりませんが、コミュニケーションの障害などがあったのでしょうか。

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鳥居さんはマジックハンドを使用した、直接手を触れない握手会をしています。

このような、潔癖症や生い立ちから、かなり繊細な人であることは確かですね。

現在は、埼玉県行田市の観光大使としての活動やドラマ・映画などで女優としての活動など、お笑い以外にも活躍の場を広げています。

繊細なため精神疾患になりやすい傾向もありそうですのでストレス発散などして、ご自身を大切にしてほしいですね。

メンタルがヤバいと噂される有名人〔その他の著名人〕

様々な分野で歴史に名を刻むような著名人の方々には、やはり我々の想像を遙かに超えたストレスやプレッシャーが重くのしかかり、精神的に不安定な状態になってしまうことも多いようです。

夏目漱石

言わずと知れた日本の文豪といえば夏目漱石ですが、様々な病気と闘った生涯であったようです。

実の父からは生まれた頃から厄介者扱いをされ、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を終生引きずることになりました。

3歳で天然痘にかかり、顔に痘痕(あばた)が残りました。

その他にも…。

  • 19歳:「腹膜炎」
  • 20歳:「急性トラホーム」
  • 23歳:「ノイローゼ」を発症→「パニック障害」
  • 43歳:「胃潰瘍」が悪化し一時は危篤状態に陥る
  • 44歳:「胃潰瘍」を再発し入院
  • 46歳:「ノイローゼ」と「胃潰瘍」を再々発
  • 48歳:「リウマチ治療」のため湯ヶ原天野屋で療養

最後は「胃潰瘍」が原因となり亡くなられています。

49歳で永眠されるまで心身共に病魔に蝕まれていたようです。

昔から神経質で、かんしゃく持ちであった夏目漱石さん。

ストレスに耐性が低かったといわれています。

現代の医療技術から考えると、実はうつ病と統合失調症の気があった可能性まで浮上しているほど。

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一流の学校で教鞭を取ることになったのですが、生徒を厳しく叱責してしまいました。

その後、その生徒が自殺してしまったことから、本格的な神経症の症状を表わします。

家では家族にキレて八つ当たり、外でもレストランの客と喧嘩するなどということは日常茶飯事。

夏目漱石さんは非常に神経過敏でした。

そのため、過食や、糖分依存などに陥り、胃腸に負担をかけすぎたようです。

この過食行為の結果、胃の消化機能は、低下の一途をたどることに。

直接の死因は、腹部の膨大な内出血によるものとされていますが、その遠因となったのが胃潰瘍でした。

亡くなるまでに5回以上大きな胃潰瘍を患っています。

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ストレスに弱い性格と神経症とが治療の効果を妨げていたようです。

ストレスを解消するために大食いをし甘いものを食べ、時には、ジャムをそのまま瓶からすくって舐めていたと言います。

晩年は消化機能の衰えた胃の影響で痔を患い、さらに糖尿病まで併発。

医者の助言から伊豆の修善時に療養に赴きますが、そこで800ccにも及ぶ血を吐いてしまいました。

これが俗に言う「修善時の大患」です。

夏目漱石は一命をとりとめたものの、その後ほどなくして腹腔内の大量内出血を引き起こし亡くなります。

やはり、おおもとの原因は精神の不安定さだったことは確かではないでしょうか。

芥川龍之介

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芥川竜之介さんを記念し、1935年(昭和10)文芸春秋社の菊池寛が設けた文学賞の『芥川賞』

年2回すぐれた純文学の作品を発表した新人作家に贈られ、文壇の登竜門とも言われるほど注目を集める賞です。

そんな日本を代表する文豪である芥川竜之介さん「ぼんやりとした不安」にとらわれて、35歳という若さで服毒自殺をします。

芥川さんは片頭痛に相当苦しめられていたようです。

この激しい頭痛には「閃輝暗点(せんきあんてん)」と言われる前触れのような症状があり、視覚異常や嗅覚異常などが現れることがあるそうです。

統合失調症の症状にも幻覚はありますが、芥川さんの場合は片頭痛の前触れである閃輝暗点が原因だったようですね。

芥川さんは、当時電車で相乗りしていた他人の子供に、お化けと怖がられたという話があります。

その余りに繊細な神経を持った芥川さんは、骨に皮がついているように非常に痩せていたからだと思われます。

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常に脳疲労と神経衰弱を患っていたといわれています。

彼の晩年の傑作とされる『歯車』という作品の主人公は、激しい頭痛に悩まされ、半透明の歯車の幻覚を見るという話。

この主人公は芥川さん本人を投影していると言われています。

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晩年には姉の夫が鉄道自殺を遂げ、芥川さんの家に残された姉一家が同居するようになりまた。

彼の細腕で一家八人を養う必要が生じたのです。

その後はさらに、姉の自殺した旦那の遺族の面倒も見たそう。

その上、姉の夫の残した莫大な借金の返済も行わねばならなかったという苦難が続きました。

連日作品を書き上げますが、昭和2年7月24日「将来に対するぼんやりとした不安」という言葉を残して服毒自殺を遂げます。

享年35歳…才能豊かで、本来ならば人生をまだまだ謳歌できたと思うと残念でなりませんね。

繊細すぎる心は、辛い現実に限界を感じてしまったのでしょうか。

皇后 雅子様

皇后雅子様は皇太子妃であった2003年12月に帯状疱疹を発症し、宮内庁病院に入院されます。

翌年7月には、統合失調症ではなく「適応障害」の病名が発表され、長い療養生活が始まりました。

ご公務や宮中行事を欠席されることも多く、長女・愛子様の学校生活の問題なども重なる度に、ご体調の心配も増えていきました。

しかし、当初発表されていた「適応障害」との診断ですが、現在では「産後うつ」だったのではないか?との見方が強くなっているようです。

本来「産後うつ」はここまで長期化する事はないようです。

しかし雅子さまは、世継ぎ問題に対するプレッシャーや完璧主義と言われている性格などがありました。

様々な条件が絡み合い長い闘病生活が続いているのではないかという声があります。

ですが、2017年頃になると雅子様の体調に回復の兆しが見られるようになります。

ご公務に出席される機会も増え「新皇后へのご自覚の現れ」等とささやかれますが、「また無理をすると病状が悪化するのでは?」と心配の声も挙がっています。

ただ、産後うつに関しては正式な発表はなされていないので、憶測だと捉えていた方が良さそうです。

適応障害は、2005年(平成17年)12月、雅子さまのお誕生日にやっと医師からの説明がなされています。

普通、皇室の方々は行事に合わせて数日前から体を調整されますが、適応障害は自分で自分をコントロールできなくなる病。

ご自分が行きたい気持ちはあっても体がついていかず、直前まで行けるかどうか、ご自分にも分からない状態だそう。

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突然ホットフラッシュになったり、起き上がれなくなったり、体が動かなくなったりするという症状が出るのが、適応障害の特徴です。

皇太子妃時代には、当日の朝になって急に地方へのお出かけを取りやめるなど、かなり現地の人たちに驚かれるような事もありました。

この時も病気のために自分で自分をコントロールすることができなかったため。

まわりも『雅子さまの適応障害とはどういう病気なのか』ということを必ずしも把握できていなかったようです。

雅子さまの適応障害に関する説明は…。

  • 慢性のストレス因子が原因で長期化するタイプである
  • 回復はしているが体調に波があり、公務を続けてできるほどではない
  • 雅子さまは公務ができないことを心苦しく感じている
  • 結婚前の知識や経験が生かされるライフワーク的な仕事や研究を公務に生かすのが重要
  • 自由な外出ができないことがストレスだから、私的外出や運動がよい
  • 日常のプライバシー確保が回復には不可欠

と記されています。

以来、毎年お誕生日に文書が出されていますが、2018年(平成30年)12月版を見ても、趣旨はほとんど変わっていません。

雅子さまは「ディスチミア(気分変調)親和型うつ病」に近いものではという見解もあります。

「新しいタイプのうつ」に入るのではと。

旧来のうつ病(メランコリー親和型うつ病)は責任感に押しつぶされたまじめな人に多いそう。

生き延びるためにがんばりすぎて潰れてしまう事から発症。

これに対し、新しいタイプのうつは…。

生きていけるのは当たり前で飽食の世の中で、自分が生きることの価値を見失ったときの苦しみから発症。

1960年代生まれの人のうつでは新しいタイプが主流だそう。

うつで休職していった人達は、「自分が働く意味」を求めて苦しんでいた人が多かったのではないかと考えられます。

会社は休んでいるのにスポーツクラブに行ける人など、仕事には行けなくても私的活動では元気な人が多いのも特徴。

「私的外出や運動がよい」という言葉が雅子さまのご病気の説明に入っていました。

プライベートでの動きは、公務が出来ない時期でも出来ていた事から、新しいタイプに当てはまるとも考えられます。

雅子さまは、皇室の中で自分の生きる意味を見失ってしまった可能性も少なからず感じます。

幼少時から、海外、日本と変わる「環境」に適応し、学業でも職業でも優秀だった雅子さま。

そんな雅子さまでも、やはり皇室という「環境」は難しい場所なのかもしれませんね。

今後も、まずはお身体を大切になさりながら、新たな時代『令和』の皇后雅子様としてご活躍されることを願うばかりです。

草間彌生

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草間彌生さんは1929年に、長野県松本市で種苗業を営む裕福な家に生まれました。

幼い時からスケッチに興味を持っていましたが10歳の頃には、統合失調症の病状が現れてきました。

症状から逃れるために幻覚や幻聴を絵に書き留め始めたと言われています。

視界が水玉で覆われたり、花が話しかけてくるなどの幻覚や幻聴は草間さんの作品に大きな影響を与えていくこととなりました。

草間彌生さんを代表するといっても過言ではない、「水玉」のモチーフの原点とされています。

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この病気からも本来であれば、家族が草間さんを寄り添い支え合う事が必要不可欠でした。

しかし、草間さんの周りの大人は十分な愛情を与えなかったのです。

草間さんの両親は不仲だったそう。

養子婿だった父親は女性関係が派手で、彼の浮気グセは母親だけではなく、子供たちにも悪影響を与えるほどだったと。

夫の度重なる浮気によるストレスや、戦前の封建的な時代が原因で子供たちにヒステリックになっていた母親。

女性が絵を描くことは“よい妻になる”ことに何の役にも立たないと、彼女が描いた絵を破くこともあったそうです。

際限なく水玉や網目を描き反復し、その中に自分を埋めることによって、自己を消し去ってしまうというのが草間さんのアートの過程なのだと言われます。

草間さんは、子供の頃から、自殺への憧れが強くあったそうです。

家庭環境に悩み、幻聴や幻視に苦しみ、その恐怖感から自殺したいと毎日願うほど追いつめられたと。

自殺を思いとどまらせてくれたのは、絵を描いたり、作品を創ったりすることだったと言います。

非合法ながらも史上初めてゲイの同性婚を《ホモセクシャル・ハプニング&ファッション・ショー》で祝福した草間彌生さん。

草間さんの作品が人々を惹きつける理由のひとつとして、女性・人種的・性的マイノリティなど、社会的弱者の解放という願いが含まれているからかもしれません。

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2016年9月28日、東京都港区の国立新美術館の報道陣の前に現れ、同美術館で開催される個展「草間彌生 わが永遠の魂」(2017年2月22日~5月22日)について語りました。

当時87歳だった草間さんは車いすで登場。

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途中涙ぐみながら開催への感謝を述べ、これまでの人生を振り返りながら自らの芸術について…。

「私の人生は、芸術によって磨かれました」「今では車いすを使うことになるほど、昼も夜も芸術に明け暮れておりました」

引用元:www.j-cast

と語り、個展の開催について、美術館や関係者への感謝を述べながら…。

「私が死んだ後も、私の創造への意欲と、芸術への希望と、私の情熱を感じていただければ、それに勝る喜びはありません」

引用元:www.j-cast

と熱い想いをあらわしました。

mizutama-kusama

草間さんの作品や草間さん自身の魅力は、理屈を超えたところにあります。

想像を絶する草間さんの人生の苦悩がエネルギーとなって、それが作品となり、人々の心に強烈に響いているのではないでしょうか。

佐久本庸介

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作家として活躍する佐久本庸介さんは、19歳で統合失調症を発症。

佐久本さんは中学生の頃、いじめの対象となってしまいました。

肌が弱く肩や髪の毛にフケが目立っていたことが原因でした。

この事から友人と距離を置くようになり、高校・大学時代も友人は出来ず…。

19歳の夏、肌に薬を塗っていると「今日も塗ってるね」と誰かの声が聞こえたのですが、見渡しても誰もいません。

「塗るのやめたんだ?」

また声が…今度の声は聞き覚えがありました。

それは、隣りの部屋に住むカップルの男性の声。

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勘違いと思いましたが、別の日に急いで出かけようとした時に…。

「忙しいヤツ」「いつも慌ててるよね」とカップルの声がハッキリと聞こえたのです。

自分が見られていると思い粘着テープでドアの隙間など至る所をふさぎますが、まだ聞こえる…。

監視され自分を笑う声に苦しめられたそうです。

引っ越しをしますが、今度は大学の講義中に自分の事をからかう声が…。

これは、すべて統合失調症からくる幻聴でした。

その症状はどんどんエスカレートしていきます。

  • 常に視線を感じる
  • お風呂やトイレに行くことがストレスになる
  • 電気をつけることが怖い

そして自分だけに聞こえる声に反応するまでになります。

周りから見れば一人で話している状態でした。

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あまりに異常な状態に大学の同級生が両親に連絡し、精神病院に入院することになったのです。

投薬で幻聴や幻覚を抑えてカウンセリングで状態の改善を目指すことに。

退院後も幻聴や薬の副作用に苦しめられ、2ヶ月ほどで再入院となりました。

そんな時、兄から小説をプレゼントされます。

その小説に夢中になり、本に集中している時は病状は治まっていました。

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そしてデイケアに通い始めた佐久本さんに救いの言葉が…。

「病気は庸介君の全てじゃない。一部に過ぎないんだから」

この言葉は薬以上に気持ちを軽くさせたそうです。

そして庸介さんは小説を書いてみようと、まず始めに家族のドタバタ劇を書きました。

少しでしたが読者から嬉しいコメントをもらい、自分を認めてくれる人がいると何よりの喜びとなりました。

その後、小説を書き続け31歳の時…。

第1回CRUNCH NOVELS新人賞で大賞を受賞し「青春ロボット」にて作家デビューを果たします。

自身の体験をもとに自分をロボットだと思い込んだ少年の回復と成長の青春ストーリー。

現在も完治はしていませんが、元気の源となる執筆活動を続けています。

山田花子

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1967年6月10日に東京都に生まれた山田花子さん。

漫画家・歌手として活躍しました。

「いじめ問題」と向き合い世の中の不条理さをマンガにした、山田花子さんの人気は現在も再評価され続けています。

漫画家活動が軌道に乗り、メディアにも登場するなど仕事が順風満帆に思えた中…。

1992年5月24日に24歳という若さでこの世を去りました。

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過去に長く続いたいじめ・仕事の悩みや葛藤などが、彼女の繊細な精神を常に蝕み、やがて統合失調症や精神分裂症となったのです。

この事が自ら死を選ぶ原因になったとされています。

この自殺報道に多くの人が衝撃を受けました。

山田さんは、自閉症だったといいます。

今でこそ引きこもりは当たり前のように社会から認知されていますが、1977年ごろは自閉症は難病として、18歳未満では1万人に2人とされてきました。

yamada-hanako

山田さんは、1979年に多摩市立和田中学校へ入学。

中学2年生のときに激しい、いじめにあいリストカットを繰り返して最終的にはガス自殺も図ります。

なんとか一命はとりとめるのですが、このことが原因で生涯、人間不信におちいっていきます。

山田さんの病気に対して周囲の理解は乏しく、いじめの対象となってしまいました。

小学校の時は成績がよく、観察面にすぐれていたため、自閉症という部分が中学校では見過ごされてしまったようです。

結局、学生時代は、ずっといじめにあい学校生活はうまくいきませんでした。

しかし、漫画家になってからも辛い日々が続きます。

個性派漫画雑誌「ガロ」に没頭していた彼女の漫画スタイルは、話のつじつまが合わないストーリーで一風変わったものでした。

1987年にヤングマガジンに投稿した「神の悪フザケ」が、ちばてつや賞の佳作にエントリーされます。

一般読者からは「意味が分からない、おもしろくない」と酷評を受けて、読者アンケートでも最下位になってしまいます。
その事から編集者からはいじめにも似た辛辣な叱責がくりかえされました。

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担当編集者に怒られてからの漫画の内容は、そのまま雑誌担当者へのあてつけを描くなどギャグ漫画の域を越えるように。

恨み節がそのまま紙面に反映されるようになり、連載は打ち切りとなります。

山田さんはセクハラを受けたという根も葉もない噂や、無言電話を雑誌社にかけてしまうなど周囲を困惑させてしまいます。

1991年ごろからは、数々の異常な行動が目立つように…。

  • 過剰なダイエット
  • 会話の途中で突然消え去る
  • 妹を無視する

といった精神分裂病に見受けられる行動が顕著になっていきます。

1992年には仕事を求めて喫茶店でバイトを始めます。

しかし、注文ミスが多く解雇され精神錯乱状態に…。

緊急入院となりましたが、入院前日の3月3日から「魂のアソコ」を作成。

一時退院のあと5月24日の夕方に山田さんは日野市の団地から飛び降りて亡くなりました。

彼女を救える道は無かったのでしょうか?

今でも山田花子さんを偲ぶ声が寄せられています。

山田花子さんを忘れず、彼女の作品が愛され続けている事が、今となっては唯一の救いなのかもしれません。

羽生理恵(畠田理恵)

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将棋の羽生善治三冠の妻、羽生理恵さんは「中傷報道」などから統合失調症になり、体重も減少してしまいました。

理恵さんは1996年3月に羽生三冠と結婚。

「畠田理恵」の名でアイドル・女優として活躍していた理恵さん。

若き将棋界のプリンス羽生善治さんを手に入れた若きアイドルとして、当時はマスコミや世間から多くの誹謗中傷を受けてしまいます。

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競馬ジョッキーの武豊さんとの事実ではない熱愛報道が流れ、畠田さんの精神状態は極限に達してしまったようです。

とくに漫画家のやくみつるさんの「玉の輿狙いの女」という発言や、放送作家の山田美保子さんの

週刊誌やワイドショーでの攻撃が激しかったそう。

山田美保子さんは週刊現代のコラム『山田の目』で何度も【畠田理恵は金持ち玉の輿狙いの上昇志向の強い女!』と書かれ、ネット上にもその波紋は広がりました。

「中傷報道」「発信力の高い方々からのレッテル」によって総合失調症に悩まされ、結婚式の日までに体重は34キロまで減少したとのこと。

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結婚と同時に芸能界を引退した畠田さん。

現在は病気も克服し、夫の羽生善治さんはもちろん将棋界の広報なども積極的に行なっているとのこと。

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ツイッターの投稿で、当時の辛さを語っています。

お元気になられた今でも過去の誹謗中傷を受けた心の傷は癒えていないようです。

マイケルジャクソン

マイケル・ジャクソンさんも本人からの公表はありませんでしたが、統合失調症を患っていた人物と言われています。

幻覚や不眠症に悩まされ、大量の睡眠薬を摂取するようになっていったようです。

やがて処方薬中毒となってしまい、プロポフォールという強力な麻酔薬までも「自分にとってのミルクなんだ」と言うくらい依存度が増していきました。

また、皮膚の色が抜け落ち白くなってしまう病気『白斑(尋常性白斑)』であったことも公表されています。

黒人であるマイケルさんの肌が次第に白くなっていったのは、この病気をメークで隠していたからと言われています。

「白人になりたかったのでは?」と噂された事もありましたが、マイケルさんは黒人であることに誇りを持っていると語っています。

このように彼の真意でない憶測が多数、常にメディアに取り上げられ彼を苦しめていました。

少年への性的虐待疑惑はマイケルさんの死後も、マイケルさんから「性的虐待を受けていた」と主張する二人の人物のドキュメンタリー映画がつくられ話題となりました。

イギリスの人気歌手エルトン・ジョンさんは、マイケルさんが精神的に病んでいたと自伝『ミー:エルトン・ジョン』で語っています

マイケルさんが13か14歳だった時から知っていたそうで、当時は信じられないくらい可愛らしい少年だったと言います。

しかし、それから数年間の間にマイケルさんは世界から自分を隔離するようになったと、彼の変化を感じていました。

晩年には、会う度に正気を失っていると思ったそう。

「本当に精神的に病んでいた。近くにいるとこちらまで心をかき乱されるような人だった」と綴っています。

マイケルさんをパーティーに招待した際には、気が付くとマイケルさんはその場からいなくなっていたと言います。

エルトンさんの家政婦の息子と遊んでいて「理由は何であれ、彼は大人と一緒にいることができないように見えた」とその時思ったそうです。

ジェイク・ロイド

元俳優、映像作家と活躍したジェイク・ロイドさん。

『ジングル・オール・ザ・ウェイ』や『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で幼年期のアナキン・スカイウォーカーの出演で人気を集めました。

ジェイクさんは統合失調症を患い、ある事件を起こしてしまいます。

2015年6月17日、サウスカロライナ州チャールストン郡で車を運転中に保安官代理に停止を求められたジェイクさん。

しかし、パトカーを撒こうと約25マイル(約40km)に及ぶカーチェイスを強行!

その結果、無謀運転・停止命令の無視・逮捕への抵抗・免許不携帯の罪で逮捕されます。

逮捕時のジェイクさんは、かなり錯乱状態だったよう。

免許証も不携帯で提示せず、なんと名前を問われた際にはジェイク・ロイドと名乗らずに偽名を答えていました。

しかし、既に「スターウォーズ」でアナキン役を演じ有名だった事もあり、あっけなく見破られてしまったそうです。

逮捕以降保釈金を払う事はなく刑務所に収監していましたが、母親は「息子は決して暴力的な人間ではない」と掛け合います。

「統合失調症の症状が出ているジェイク・ロイドに必要なのは刑罰ではなく救いだ」と局も判断してくれ、2016年4月に刑務所から精神病施設に入所が決まります。

この出来事は全米に衝撃を与えました。

10歳で大ヒット作に出演したジェイクさんですが、その後のプライベートでは試練があったとのことです。

学校ではライトセーバーの音を出して、ちょっかいを出されるようになり、ジェイクさんにとって生き地獄だったと。

さらには多い日で1日60件ほどのインタビューもこなさなければならなかったそう。

幼いジェイクさんにとっては大きな負担になっていたのではないでしょうか。

じつは、2015年3月には母親の自宅に押しかけて「お前が俺の人生を台無しにした!」と叫び出し警察が駆けつけるという騒ぎを起こしていました。

ジェイクさんは既に19歳の頃には統合失調症と診断されていたとのことです。

以降しばらくは投薬によって治療を続けていたそうですが、2015年の事件当日は服薬していませんでした。

ジェイクさんは大学入学前には、すでに俳優業を引退し、現在映像作家として活動を行っているようです。

ジェイクさんの母親へのインタビューで現在は統合失調症の症状が良くなっている事が報告されています。

まとめ

様々な分野で活躍されている一見華やかに見える方々も、精神疾患を患い苦しんでいることが分かりました。

精神疾患にも「統合失調症」や「パニック障害」「躁鬱病」など色々な症状があり、社会との調和が難しく生きづらい思いをしています。

誰もが発症する可能性がある病気です。

他人事と思わず、なかなか完治が難しい病気と闘っている方たちに理解を示し、支えていける社会を目指すべきですね。

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