辻菜摘(ネバダたん)の現在は?改名や結婚の噂・家族のその後を徹底調査

著名人

2004年に日本中を震撼させた佐世保小6女児同級生殺害事件。加害者である辻菜摘さん(通称・ネバダたん)は当時わずか11歳でした。事件から22年が経った今、辻菜摘さんは一体どこで何をしているのか、気になっている方も多いですよね。

改名して社会復帰したという噂や、結婚しているという情報まで飛び交っていますが、実際のところはどうなのでしょうか。辻菜摘さんの現在の消息から事件の背景、家族のその後まで、確認できる情報をもとに詳しく見ていきましょう。

辻菜摘(ネバダたん)の現在は?消息や結婚の噂を検証

  • 辻菜摘は2008年に児童自立支援施設を退所し社会復帰済み。2026年現在33歳だが、具体的な消息は不明
  • 改名(養子縁組)した可能性が高いが、現在の名前は特定されていない
  • 結婚しているかどうかも含め、確定情報は一切公表されていない
  • 多発性骨髄腫で闘病中という噂は2ちゃんねる発のデマと考えられている
  • ネット上に出回る顔画像はコスプレイヤーや別人のものがほとんど
名前 辻菜摘(つじ なつみ)
生年月日 1992年11月21日
出身地 長崎県佐世保市
通称 ネバダたん(事件当時着ていたNEVADAロゴのトレーナーに由来)
事件名 佐世保小6女児同級生殺害事件(2004年6月1日)
処遇 国立きぬ川学院(児童自立支援施設)に送致 → 2008年退所・社会復帰

辻菜摘さんが現在どこでどう暮らしているのか。結論から言うと、2026年3月時点で確かな情報は一切出ていません。事件後に児童自立支援施設・国立きぬ川学院に送致され、2008年春に退所して社会復帰を果たしたところまでは分かっていますが、それ以降の足取りは完全に途絶えています。

ネット上では「名前を変えて生活している」「結婚している」「SNSで近況を発信している」などさまざまな噂が飛び交っています。なぜこれほど多くの人が辻菜摘さんの現在を気にするのか、その理由は大きく2つあるようです。

1つ目は、小学生にして同級生を殺害した人物が自分の生活圏にいるかもしれないという恐怖心。特に幼い子どもを持つ家庭では不安を感じる方も少なくありません。

2つ目は、社会復帰後の姿を見たいという好奇心です。事件直後にクラスの集合写真が流出・拡散され、ネット上では「犯罪史上最もかわいい殺人鬼」と呼ばれたり、当時着ていたNEVADAロゴのトレーナーから「ネバダたん」というあだ名が付けられるなど、まるでアイドルのような扱いをする層が一定数存在しました。

2018年には佐世保小6女児同級生殺害事件がモデルになったとされる映画「サニー/32」が上映されるなど、事件から年月が経っても世間の関心は薄れていません。

社会復帰後に改名?現在の名前は?

辻菜摘さんが社会復帰後に養子縁組によって改名した可能性は高いと言われています。前例として、1997年の神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の加害者・元少年Aも社会復帰後に養子縁組で改名しています。

ネット上では法務省関係者と養子縁組を組み「安倍希美(あべのぞみ)」という名前に改名したという噂が流れたこともありました。しかし、元々「辻菜摘」という名前がモーニング娘。の安倍なつみさんと辻希美さんを連想させることから、名字と名前を入れ替えただけの単調な作りであり、信憑性は極めて低いと考えられています。

名前も戸籍も変わって完全に別人として生きている場合、本人が明かさない限り特定はほぼ不可能でしょう。一部では名古屋で暮らしているという情報も流れていますが、裏付けのある情報ではありません。

結婚してる?一般人として暮らしている?

辻菜摘さんは1992年生まれで、2026年現在は33歳になります。結婚しているかどうかについても、確定情報は一切ありません

もし養子縁組で名字を変え、さらに結婚していたとすれば、二重に名前が変わっていることになります。33歳という年齢を考えれば、結婚して子どもがいても不思議ではない年齢です。

ネット上では「被害者の未来を奪っておきながら、自分だけ幸せな家庭を築いているのか」という複雑な感情を持つ声も少なくありません。しかし、本人が公表しない限りプライベートの詳細を知る術はなく、あくまで推測の域を出ません。

国立きぬ川学院退所後の辻菜摘さんについては、社会復帰を妨げないよう一切の個人情報が伏せられた状態です。被害者である御手洗怜美さんの遺族でさえコンタクトが取れない状況とのことで、相当厳重にガードされていることがうかがえます。

ネバダたんの顔画像はどれが本物?

「ネバダたん 顔」で検索すると多数の画像が出てきますが、そのほとんどはコスプレイヤーや別人の写真です。

辻菜摘さんの事件当時の写真が流出して以降、NEVADAのロゴ入りの服を着てコスプレした姿をネットに投稿する人が続出しました。血のりがついたパーカーを着た少女やカッターの刃をくわえた少女の写真も出回っていますが、いずれもコスプレイヤーによるものと考えられています。

特に誤解されやすいのが、ダンスボーカルグループ・フェアリーズで活躍していた林田真尋さんの写真です。辻菜摘さんと検索するとよく表示される画像の1つですが、全くの別人です。

社会復帰後の辻菜摘さんとされる画像もネット上に出回っていますが、確かな証拠はなく、ショートカットで黒髪の若い女性という小学生時代のイメージに近い人物が次々と「辻菜摘では?」と騒がれているのが実情です。

韓国で暮らしてるという噂の真相

辻菜摘さんが日本を離れて韓国で暮らしているという噂もありました。この噂の発端は、辻菜摘さんが小学生時代に描いたイラストにハングル文字が書かれていたことです。

ただし、辻菜摘さんが住んでいた長崎県は韓国から最も近い都道府県の1つであり、小学校の課外授業で他国の文化や言葉に触れる機会があった可能性があります。2000年代前半の韓流ドラマブームとの関連も指摘されましたが、当時の韓流ブームの中心は40〜50代の女性層であり、小学生の辻菜摘さんが韓流ドラマに影響を受けたとは考えにくいでしょう。

韓国在住説を裏付ける確かな情報は見つかっておらず、あくまでハングル文字から派生した推測の域を出ません

SNSは利用してる?InstagramやFacebookの検証

辻菜摘さんを名乗るSNSアカウントはいくつか確認されていますが、いずれも本人である可能性は極めて低いと思われます。

Instagramでは「nevada1121」というアカウントが見つかっています。1121は辻菜摘さんの誕生日(11月21日)を指していると思われますが、あまりにもあからさまで、投稿内容もネットで集めた画像を貼っただけのもの。話題作りやいたずら目的のアカウントと見るのが自然です。

Facebookでも辻菜摘の名前でアカウントが作成されていたという情報がありました。しかし、改名している可能性が高い人物が本名でSNSアカウントを作成するのは身バレのリスクが大きすぎます。

結局のところ、辻菜摘さん本人がSNSを利用しているという確証は得られていません。仮に利用していたとしても、改名後の別名義で運用しているはずであり、特定は困難です。

辻菜摘の病気の噂とは?多発性骨髄腫はデマ?

辻菜摘さんの現在をめぐっては、健康面に関する噂も広まっていました。ここでは病気説の真相を検証します。

辻菜摘さんが多発性骨髄腫(血液のがん)を患い闘病生活を送っているという噂がネット上で流れたことがあります。多発性骨髄腫は骨髄内の形質細胞ががん化する病気で、進行すると骨の痛みや骨折、腎障害、貧血など深刻な症状が出ると言われています。

しかし、この情報の出どころは2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)の書き込みであり、信頼できるソースは一切ありません。噂が流れたのは2017年頃とされ、それから9年以上が経過していますが、辻菜摘さんが死亡したというニュースは報じられていません。

もし辻菜摘さんが病気で亡くなった場合、名前は伏せられていても「当時11歳の加害者児童」として報道される可能性が高いと考えられています。そうした報道がない以上、多発性骨髄腫の噂は事実無根のデマだった可能性が極めて高いです。

一部では、辻菜摘さんの両親や関係者が「辻菜摘は大病を患っている」という噂を意図的に流したのではないかと考察する人もいます。闘病の末に亡くなったことにすれば、好奇心で居場所を探し回る人がいなくなるという狙いがあったのかもしれないという見方です。真相は不明ですが、社会復帰後のプライバシー保護という観点では一理あるとも言えます。

辻菜摘が起こした佐世保小6女児同級生殺害事件とは

辻菜摘さんの名前が広く知られるきっかけとなった事件について、経緯を振り返ります。

事件の経緯と犯行の詳細

2004年6月1日、長崎県佐世保市立大久保小学校で事件は起きました。午前中の授業が終わり、ちょうど給食の時間帯のことです。

辻菜摘さんは同級生で友人だった御手洗怜美さんを学習ルームに呼び出しました。カーテンを閉めて床に座らせ、自分の手で御手洗さんの目を隠した後、背後から首と左手をカッターナイフで切りつけ、失血死させたのです。

御手洗怜美さんの首の傷は深さ約10cm、長さも約10cmに及び、左手の甲には骨が見えるほどの深い傷が残っていたと報じられています。

犯行後、辻菜摘さんは約15分間その場に留まり、御手洗さんが亡くなったことを見届けてから、返り血を浴びた血まみれの姿のまま教室に戻ったと言われています。そして担任教師らを学習ルームに行くよう呼び寄せたのでした。

事件後の処遇ときぬ川学院での生活

事件翌日からの辻菜摘さんの処遇は以下の通りです。

2004年6月2日に長崎家庭裁判所により観護措置処分が決定し、長崎少年鑑別所に移送されました。同年6月8日の少年審判で61日間の鑑定留置が決定。9月15日には2年間の強制的措置をとれる保護処分が決まり、翌16日に栃木県にある国立きぬ川学院へ送致されています。

辻菜摘さんは2005年3月にきぬ川学院の分校で小学校を卒業し、2008年3月に施設内の中学校を卒業すると同時に退所、社会復帰を果たしました。事件からわずか4年での社会復帰でした。

辻菜摘の生い立ちと家庭環境

事件の背景を理解するうえで、辻菜摘さんがどのような環境で育ったのかは重要なポイントです。幼少期から事件直前までの生い立ちを見ていきます。

小学校では優等生?二面性のある性格

辻菜摘さんは長崎県佐世保市の山の中腹に位置する住宅地で生まれ育ちました。自宅周辺は高い木々に囲まれ、日中でも車がライトを点けて走るほど暗い道だったそうです。

祖母・両親・姉の5人家族で暮らしており、父親は婿養子でした。父親は辻菜摘さんが2歳頃に脳梗塞を患い半身不随となり、その後はリハビリをしながら保険代理店やおしぼり配達のアルバイトをしていたと言われています。

母親も父親の発病をきっかけにショッピングセンターへパートに出て家計を支えるようになり、幼い辻菜摘さんの面倒は主に母方の祖母が見ていたそうです。

小学校での評価は真面目で遅刻もせず授業にも積極的と優秀でした。跳び箱が苦手でも何度も練習するなど粘り強さを見せる一方、他人が間違っていると思うと反論し正そうとする面もあったとのこと。

辻菜摘さん自身もプロフィールに「性格は表と裏があるらしい…。」と書いており、周囲からも二面性を指摘されていたことがうかがえます。

父親は辻菜摘さんについて、自身が脳梗塞で倒れた際に幼い娘に勇気づけられたと語り、「この子がいたから立ち直れた。とてもかわいい子」と振り返っています。事件後も「なぜ娘が事件を起こしたのか分からない」と疑問を口にしたそうです。

辻菜摘さんの姉は高校生と年が離れており、近所に同年代の遊び相手もいませんでした。自宅にはパソコンが2台あり、そのうち1台が辻菜摘さん専用だったとのこと。2000年代前半当時、小学生が自分専用のパソコンを持っているのはかなりのレアケースで、父親が孤独な娘を不憫に思い買い与えたのではないかと言われています。

しかし、このパソコンでインターネットが自由に使える環境が、辻菜摘さんのその後の人生にとって良い影響を与えたとは言い難い状況でした。

ミニバスクラブ退部後に荒れていった辻菜摘

辻菜摘さんは地域のミニバスケットボールクラブに入っており、熱心に練習していました。レギュラーにも選ばれるほどの実力だったそうです。

しかし2004年2月、母親の判断でミニバスクラブを退部させられてしまいます。表向きの理由は「成績が下がったから」とされていましたが、当時の担任教師によると成績が下がった事実はなかったとのこと。

父親が語った本当の理由は、自宅から学校が遠かったことでした。バス通学をしていた辻菜摘さんの帰りのバスの最終時刻は18時で、バスケの練習で遅くなると乗り遅れてしまう。自宅までの山道は夏場でも徒歩1時間、冬の雪の日は2〜3時間もかかる道のりで、少女1人で歩かせるわけにはいかないという事情でした。

クラブの顧問と両親の話し合いで退部が決まりましたが、辻菜摘さん本人はこの経緯を全く知りませんでした。母親に成績の件を詰められたことで辞めることになったと思い込んでおり、大人の事情で大切な居場所を奪われた形です。

退部後のブログには「昼食を食べてから何をしたか記憶がない」「ため息が出るほど暇」「山の頂上でさけびたくなる」といった荒んだ思いがつづられていました。それまでバスケのことばかりだった内容とは一変しています。

退部後の辻菜摘さんは明らかに精神的に不安定になっていきました。人の目を見て話さなくなり、授業中に居眠りしたり、ストレートパーマをかけて登校するなど、これまでの行動とは大きく変化。些細なことで逆上して暴言を吐いたり、男子生徒を追いかけ回して叩くこともあったそうです。

当時の辻菜摘さんのクラスはいじめが蔓延し学級崩壊の状態にあり、担任教師はその日その日をこなすのがやっとで、辻菜摘さん1人を注視する余裕がないまま月日が過ぎていったのでした。

辻菜摘の家族は現在どうしてる?

辻菜摘さんの事件は家族の人生も大きく変えました。事件後の家族の状況と現在について触れていきます。

事件後、辻菜摘さんの家族は一家離散の状態となりました。佐世保市内に残ったのは父親だけで、その理由は辻菜摘さんの学歴のためだったと言われています。

辻菜摘さんは大久保小学校の6年生でしたが、事件後に栃木県の国立きぬ川学院に入所しています。大久保小学校の卒業証書をもらうためには学籍を残す必要があり、そのために佐世保市の住所を残しておく必要がありました。父親だけがその役割を担ったのです。

しかしその父親も、仕事が続けられなくなったことを理由に佐世保を離れることになりました。ジャーナリストの川名壮志氏が父親に取材した記事の日付が2005年12月24日だったことから、父親が佐世保を離れたのは2005年頃と推測されています。2005年以降の父親の消息は分かっていません。

一方、辻菜摘さんの母親・姉・祖母は、きぬ川学院のある栃木県に引っ越したという情報があります。事件当時、地元の商業高校に通っていた姉は退学を余儀なくされ、高卒認定試験のための勉強をしていたと言われています。妹が起こした事件によって、姉の人生も大きく変わってしまいました。

辻菜摘さんの両親は事件後、毎月遺族である御手洗怜美さんの家族へ謝罪の手紙を送っていましたが、辻菜摘さんが2008年春に施設を退所して以降、手紙は途絶えたといいます。

2024年の長崎新聞の報道によると、被害者の御手洗怜美さんの次兄は、いまだ一度も直接の謝罪がない辻菜摘さんに対して「謝るならいつでもおいで」と思いを語っています。事件から22年が経過した今も、事件の傷跡は癒えていません。

辻菜摘さんが通っていた大久保小学校では毎年6月1日に「いのちを見つめる集会」が開かれ、全校生徒が御手洗怜美さんに黙とうを捧げ続けています。

まとめ

小学生が同級生を殺害するという前代未聞の事件を起こした辻菜摘さんですが、2026年現在も消息は不明のままです。どこで何をしているのか、結婚しているのか、全く手がかりがありません。

何も情報がないからこそ、改名説・結婚説・韓国在住説・病気説とさまざまな憶測が飛び交い続けているのでしょう。ネット上に出回る顔写真もほとんどが別人やコスプレイヤーのものであり、確かな情報とは程遠い状況です。

事件から22年が経ち、辻菜摘さんは33歳になりました。当時の自分と同じ年頃の子どもがいてもおかしくない年齢です。かつての学び舎ではまだ事件の爪痕が色濃く残っていることを、辻菜摘さんはどこかで感じているのでしょうか。

今回の事件で亡くなられた御手洗怜美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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