1997年3月9日に渋谷円山町で起きた、東電OL殺人事件。
被害者の渡邉泰子さんは一流企業の東京電力で働く傍ら、夜は売春婦というかなりセンセーショナルなものでした。
そして、殺人の容疑で逮捕されたネパール人は、15年後に冤罪が認められるというなんとも悲しい結末で、いまだに真犯人が捕まっていない未解決事件です。
そこで今回は、東電OL殺人事件について詳しくまとめてみました。
昼と夜で2つの顔をもつ被害者女性、真犯人の噂や疑惑についてもあわせて解説していますので、ぜひ最後までご覧ください。
東電OL殺人事件の概要
東電OL殺人事件とは、1997年3月9日に渋谷円山町で起きた殺人事件です。
- 被害者:渡邉泰子さん39歳(東京電力エリート社員)
- 死因:絞殺
- 遺体発見場所:渋谷円山町のボロアパート1階の空き室
- 遺体の発見時刻:1997年3月19日、午後17時過ぎ
- 死亡推定時刻:1997年3月8日深夜~3月9日未明
- 財布から現金4万円と定期券が盗まれていた
事件が明らかになったのは、1997年3月19日の夕方。
東京都渋谷区にある古ぼけたアパート「喜寿荘」1階の空き室101号室(下に半地下の居酒屋「まん福亭」がある)で、絞殺死体として発見されます。
発見したのは、このアパートの所有者がオーナーを務めるネパール料理店の店長でした。
警察の調べで、犯行現場の部屋の「鍵」は死体を発見したネパール人がアパートの所有者から預かったままになっていたことが判明します。
このネパール人は、犯行現場のアパート隣にある粕谷ビルで知人たちと一緒に住んでいたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏(30歳)。
↑上の画像の右手が犯行現場「喜寿荘」の裏側、左手がネパール人の住んでいたアパート
遺体発見現場である「喜寿荘」101号室は1996年8月まで違うネパール人が住んでいましたが、その後は空き部屋になっており…
その部屋は隣のアパートに住むネパール人が買春をする際に使われていたんだとか。
合鍵を勝手に作り、いつでも入室できる状態になっていたようです。
アパートに残されていた体毛やトイレに捨てられていたコンドームに残る血液型やDNAが一致し、また顔が似ているという目撃証言から、ネパール人・ゴビンダ氏が最も怪しいとされます。
そこで警察はゴビンダ氏を、遺体発見から4日後に不法残留容疑で逮捕・起訴。
執行猶予付き判決が出た5月20日に渡邉泰子さん殺害容疑で再逮捕・起訴されたのでした。
しかし、一貫して無実を訴えていたゴビンダ氏。
15年という長い月日を経て、ゴビンダ氏は無実であり、冤罪であったことが明らかになりました。
真犯人はいまだ不明のままで、未解決事件となっています。
東電OL殺人事件の被害者・渡邉泰子の当日の行動
事件当日の渡邉泰子さんの行動を時系列で追っていくと以下のようになります。
《昼頃》
五反田にある風俗店『マゾッ娘宅配便』に出勤するも、1人も客がつかなかった。
《17時30分頃》
風俗店を退店し、渋谷に向かう。
《18時40分頃》
常連の初老の男性と渋谷駅前で待ち合わせ、渋谷のラブホテル街に向かう。(代金は35,000円)
《22時20分頃》
ラブホテルを出て、いったん神泉駅に向かうも、また道玄坂に戻り立ちんぼをする。
《23時頃》
黒いジャンパーを着た男性と円山町へ歩いていくのを目撃されている。
《23時45分頃》
黒と白のジャンパーを着た外国人風の男性と一緒にいるところを遺体発見現場のアパート「喜寿荘」前で目撃されている。
そして、渡邉泰子さんは23時45分に目撃されたのを最後に、行方不明に。
そして10日後に遺体が発見されるのです。
東電OL殺人事件で逮捕されたゴビンダ氏とは
東電OL殺人事件で逮捕されたゴビンダ氏はネパール人で、ネパールに妻子を残して日本に出稼ぎに来ていました。
事件当時は、千葉県海浜幕張にあるインド料理店「幕張マハラジャ」で勤務。
ただ、ゴビンダ氏は不法滞在でした。
90日間有効の短期滞在ビザで来日したものの、期限を過ぎてもネパールには帰らず、ビザの延長申請もしていません。
そのまま日本で働き続け、ネパールの家族に送金していたようです。
1994年2月に来日したゴビンダ氏は、3年以上も不法滞在をしていたということになりますね。
そのため、ゴビンダ氏はまず入管難民違反で逮捕・起訴。
そしてその後に、渡邉泰子さんの強盗殺人容疑で逮捕されるのです。
尚、ゴビンダ氏は渡邉泰子さんを複数回買春しており、その場所は犯行現場である喜寿荘101号室でした。
東電OL殺人事件でゴビンダ氏が冤罪に至るまで
東電OL殺人事件で容疑者として逮捕されたゴビンダ氏は服役しながらも再審請求し、無罪を勝ち取りました。
その間、実に15年の月日が経っています。
- 1997年5月:渡邉泰子さん殺人容疑で逮捕・起訴
- 2000年4月:第一審の東京地裁で無罪判決
- 2000年12月:東京高裁で逆転有罪、無期懲役で収監
- 2003年10月:最高裁上告棄却し、刑が確定
- 2012年6月:ゴビンダ氏の再審請求で、被害者の体内等に残されたDNAが別人のものと判明
- 2012年11月:東京高裁が第一審からの控訴を棄却する判決が下され、無罪判決確定
無罪判決となったのは、遺体から採取された体液などがゴビンダ氏のものではないと証明されたからなのですが…
実はこの別人のDNAの件は、刑確定前に警察や検察は認識済みだったんだとか。
それなのに、裁判ではその件を開示しないという、まさに証拠隠しともとれることを警察と検察はしていたのです。
ちょっと考えられないですよね…。
ちなみに、被害者に付着していたものは下の画像の通りです。(”マイナリさん”=ゴビンダ氏)
渡邉泰子さんの体に付着していたものはゴビンダ氏ではない別人のものばかりだったんですね。
検察にはこの他にも不審な点が多くあります。
- 事件当日ゴビンダ氏は千葉県海浜幕張にあるインド料理店「幕張マハラジャ」で勤務。犯行時刻に渋谷・円山町に行くことは不可能。
- 事件当日、「喜寿荘」101号室の鍵は同居者のネパール人(不法滞在者)が持っていたが、仕事の斡旋を条件に「鍵はゴビンダ氏が持っていた」ことにするよう警察が証言させている。
- 殺害現場から無くなった渡邉泰子さんの定期券が巣鴨の民家敷地内で発見されたが、ゴビンダ氏には巣鴨に土地勘がない。
無罪を主張しているゴビンダ氏に対して警察は自白の強要もしていたようです。
2012年6月に、被害者に付着していたDNAが別人のものと判明すると、ゴビンダ氏は刑の執行が停止され、国外退去処分となって18年ぶりにネパールに帰国。
2012年11月にはついに無罪判決が確定し、2013年5月に補償額上限額の6,800万円が支払われています。
その後、ゴビンダ氏は2017年に再来日し、「くりかえすな冤罪!市民集会」にも出席。
拘留し続けていた15年間、ゴビンダ氏はネパールに帰ることも家族に会うこともできませんでした。
そして、ゴビンダ氏の無罪をずっと信じていた父親は5年前に他界しており、ゴビンダ氏と会うことは最後まで叶わなかったとのことです。
東電OL殺人事件の被害者・渡邉泰子は2つの顔をもつ女性
東電OL殺人事件の被害者・渡邉泰子さんは2つの顔をもつ女性だったようです。
2つの顔とは「昼は真面目なOL、夜は娼婦」という常識では考えにくいもの…。
では、そんな渡邉泰子さんの生い立ちから見ていきましょう。
東電OL殺人事件の被害者・渡邉泰子の生い立ち
渡邉泰子さんは、1957(昭和32)年に東京都品川区に生まれます。
子どもの頃からおとなしく勉強のできる優等生。
当時から偏差値の高い慶應義塾女子高等学校に合格し、そこから慶應義塾大学経済学部に進学します。
そして、大学を優秀な成績で卒業後、1980年に東京電力に入社するのです。
渡邉泰子さんは東電初の女性総合職の1人でした。
殺害当時の肩書は、企画部調査課経済調査室の副長。
同期の女性で管理職になったのは当時、渡邉泰子さん1人だけで、かなりのエリートでした。
しかしながら、そんな渡邉泰子さんは仕事終わりに毎日、渋谷円山町で身を売ることになります。
事件当初、テレビでは「昼は真面目なOL、夜は娼婦」とこぞって煽り立てていました。
男性中心の大企業・東京電力で20代を捧げた渡邉泰子さん。
夜の仕事は31~32歳の頃からするようになったようです。
最初は週末にスナックやクラブでホステスとして働く生活でしたが、そのうちにデリヘルやホストルなどの風俗で働くようになります。
さらには平日に”立ちんぼ”をするように…。
いわゆる、店には属さずに路上で男性を誘う売春ですね。
そして、週末はホストルと立ちんぼを掛け持ちし、1日に4人の客をとることを自らに課していたんだとか。
渡邉泰子さんはエリート社員だったため、年収はかるく1,000万円以上と言われています。
ですので、お金がどうしても必要で身をけずっていたわけではありません。
エリート社員だったにも関わらず、売春婦となっていったのには、渡邉泰子さんの育ってきた環境も関係しているようです。
東電OL殺人事件の被害者・渡邉泰子の実家
渡邉泰子さんの父親は東京大学工学部を卒業後に東京電力に就職しており…
母親は有名国立大学の教授の娘で、日本女子大学を卒業しています。
昭和4年生まれの母親が大卒というのは当時はかなり珍しかったので、よっぽどのお嬢様だったのでしょうね。
ちなみに、この母親は渡邉泰子さんが売春婦だったことを知っていたと言われています。
そんなご両親と6歳年下の妹との4人家族だった渡邉泰子さん。
特に父親には溺愛されて育ったんだそうです。
慶應義塾女子高等学校に進学した頃から、才女の渡邉泰子さんを父親は自分の後継者として期待をかけていたんだとか。
そんな真面目だけれどもとっつきにくいわけでもない渡邉泰子さんが変わっていったのは…
大学2年生(20歳)の時に、東電の幹部候補だった父親が52歳という若さでガンで亡くなったことがきっかけだったようです。
渡邉泰子さんはガリガリに痩せていき、だんだん人を寄せ付けない雰囲気になっていきます。
摂食障害にまで陥っていくのです。
そんな渡邉泰子さんが東電に入社した際には、「亡き父の名を汚さぬように頑張ります」と宣言していたんだそうで…
東電初の総合職で父娘2代にわたる社員として、東電に勤めていることに異常なほど誇りを持っていたと言います。
そして、父親が病気で果たせなかった幹部職を目指し力を注いでいったんだとか。
仕事の傍ら、東洋経済新報社主宰の民間経済学者・高橋亀吉賞に論文を応募し佳作に入選するほどでした。
そうして仕事に全力をかけてきた20代。
しかし28歳の時、東電の海外留学生を選ぶ社内選抜に通らず、他の女性社員1人がハーバード大学に行くことに。
31歳になった1988年から約3年は、研鑽を積むためとして、社外のシンクタンク(日本リサーチ総合研究所)に出向させられているのです。
これには上司に率直にものを言うために使いづらいと敬遠されたためという噂もありますが…
結局東電本社に戻ってからは、企画部経済調査室副長に昇進し、東電初の女性管理職にもなっています。
しかしながら東電に自分を捧げてきたのに思い通りにならない、ということが渡邉泰子さんの心に何かの変化をもたらしたもかもしれません。
女性初の総合職として入社したものの、東電はまだ古い体質の会社で、女性が実力を発揮できる場所ではありませんでした。
どれだけ頑張っても男性と同じようには昇進できない。
父親のようにはなれない、会社には居場所がない、父親のように自分を愛してくれる人はもういない、と感じた渡邉泰子さんは、徐々に水商売へ風俗へと流れていったのかもしれません。
渡邉泰子が立ちんぼをしていたのは道玄坂地蔵の前
渡邉泰子さんが仕事終わりに毎日のように立ちんぼをしていたのは、渋谷の道玄坂地蔵の前だったそうです。
仕事を終えると、会社のある新橋から渋谷に向かい、商業施設109のトイレで厚化粧と長髪のカツラで変身し、18時過ぎには道玄坂地蔵の前に立ち、道行く男性だちに声をかけていたんだとか。
終電までの6時間足らずの時間に、毎晩4人の人と売春することを日課にし、杉並区永福の閑静な高級住宅街にある実家に帰っていくのです。
風俗店では、デリヘルで働く女性たちが嫌がる客でも引き受け、また”チェンジ要員”としても扱われていたんだとか。
チェンジ要員とは、客のところに行った時に、渡邉泰子さんのガリガリの体を見て「違う子にして」という客に、料金を釣り上げて他の女性を派遣するという店のやり口のための要員ということ。
チェンジが続けば、渡邉泰子さんのプライドは傷ついたでしょう。
そのことが、自分を直接選んでくれる”立ちんぼ”の世界へ入っていくきっかけだったと言われています。
渡邉泰子さんは1日4回の売春のノルマを達成するために、40,000円で体を売る時もあれば2,000~5,000円の時もあったんだそう。
しかも、ホテルや駐車場の片隅などどこでも構わなかったようです。
事件前には、奇行が目立つようになります。
- 路上で放尿
- 路上に落ちていたビール瓶を拾い、酒屋で1本5円に換金し、その小銭を百円玉~千円札~1万円札といった逆両替をする
- ホテルのベッドで大や小をまき散らし出入り禁止となっても、またそのホテルを利用
- 終電の中で菓子パンやおでんを食べる
などを繰り返していたようです。
そんな渡邉泰子さん、SNSでは「美人」との声がたくさんありました。
本当に綺麗な方ですよね。
ちなみに、渡邉泰子さんの死の前日まで3年間にわたって、月に1~2回会っていたという某大学の経済学部教授は…
渡邉泰子さんのことを売春とは不似合いな「上品な雰囲気」の女性だったと語っています。
クリスマスカードや経済学の資料として新聞記事の切り抜きを贈ってくれるなど、渡邉泰子さんは律儀で生真面目な方だったようです。
クリスマスカードの丁寧で気持ちのこもった文字を見る限り、売春婦とはとても思えない気がします。
東電OL殺人事件の真犯人の噂や疑惑
東電OL殺人事件は、ゴビンダ氏が冤罪となり、その後真犯人は捕まっておらず未解決のままです。
ここでは真犯人の噂や疑惑についてまとめてみました。
東電OL殺人事件の真犯人は売春の客?
東電OL殺人事件の犯人として考えられるのは、当日の売春の客です。
特に、犯行当日の23時45分頃に遺体発見現場のアパート「喜寿荘」前で、渡邉泰子さんと一緒にいた外国人風の男性が気になりますよね。
渡邉泰子さんの遺体には、その日最後に売春したと思われる相手の唾液などが付着していました。
おそらく「喜寿荘」101号室で売春をして、首を絞められ殺害されてしまったものと考えられます。
ただ、渡邉泰子さんは裸で絞殺されたわけではありません。
ブラウスの上にツーピース、その上にはベージュ色のトレンチコートを着用しており、ストッキングや下着もつけていたとのことです。
着替え終わって、帰宅しようとした時に絞殺されたのでしょうか?
ちょっと疑問が残りますね…。
話は戻り、23時45分頃に目撃された外国人風の男性の単独犯、という可能性もあるのですが…
実はこの人物はあくまでも実行犯であり、黒幕がいるとも言われているのです。
黒幕①:巣鴨のヤクザ
東電OL殺人事件の犯人として、巣鴨のヤクザの名前があがっています。
売春は、基本的にヤクザにみかじめ料を払って行われるもの。
渡邉泰子さんはみかじめ料を払わず、風俗店には属さずに、直接男性に声をかける「直引き」を行っていました。
これはヤクザからすると、ルール違反です。
渋谷の円山町は当時巣鴨に住んでいたヤクザが客引きをしていたとのこと。
この客引きとのトラブルで殺害された可能性が考えられます。
ちなみに事件後、渡邉泰子さんの定期券が巣鴨の民家で発見されています。
巣鴨のヤクザが犯人なら、定期券がなぜ巣鴨にあったのか説明できますね。
黒幕②:東京電力
なんと東電OL殺人事件を企てたのは、東京電力の圧力とも噂されています。
渡邉泰子さんは、父親の影響もあり、東電の社員でありながら「原発の危険性を指摘するリポート」を提出していました。
東電にとって、「原発は危険」ということが世間に認知されてしまっては、多額の資金をつぎ込んできた原発から撤退せざるをえなくなります。
また、渡邉泰子さんの売春の客には東電幹部も数名おり、渡邉泰子さんに弱みを握られていたという情報も。
東電としては、渡邉泰子さんの存在が邪魔になり、外国人を使って殺害させたのではないかと推測されているようです。
実は渡邉泰子さんの当時の直属の上司である勝俣恒久氏は、東日本大震災による原発当時の東電の会長にまで出世。
渡邉泰子さんは事件当時、企画部経済調査室副長でしたが…
企画部管理課長をしていた上司・藤原万喜夫氏は、原発事故当時の東電の副社長に出世。
一流会社であれば、部下が世間を騒がせるような事件を起こしたら出世できない可能性のほうが高いと思われますが…
会長や副社長にまで昇りつめていることには少し驚きですよね。
事件に関連した何かを処理した功績として昇進したとも考えられます。
このことから、渡邉泰子さんは”反原発”をとなえる東電の”目の上のたんこぶ”として”もみ消し”にあった可能性が高いとする謀殺説があるようです。
まとめ
今回は、東電OL殺人事件の渡邉泰子さんについてお伝えしました。
調べたところ、
- 東電OL殺人事件の被害者は渡邉泰子さん39歳
- 遺体発見場所は、渋谷円山町のボロアパートの空き室
- 犯人として捕まったのは、ボロアパートの隣に住むネパール人
- ネパール人のゴビンダ氏は服役中に再審請求して無罪となる
- 無罪を勝ち取るのに15年かかった
- 警察はゴビンダ氏を逮捕するため、証拠隠しをしていた
- 被害者・渡邉泰子さんは2つの顔をもつ女性
- 昼は真面目なOLで夜は娼婦だった
- 東電ではエリート社員
- 実家は裕福で、年収はかるく1,000万円を超えるほど
- 31~32歳頃から水商売の仕事もするようになった
- 平日には、仕事終わりに立ちんぼをしていた
- 毎晩4人の男性と売春することを自分に課していた
- 事件前には奇行が目立っていた
- SNSでは渡邉泰子さんは美人という声があがっている
- 東電OL殺人事件は真犯人が捕まっておらず、未解決のまま
- 真犯人は事件当日、最後に売春した男性の可能性が高い
- 渡邉泰子さんは衣服を着た状態で亡くなっていた
- 東電OL殺人事件には巣鴨のヤクザが関係していると言われている
- 東電の謀殺説も噂されている
- 東電OL殺人事件の真犯人は事件のもみ消しのために使われた
ということがわかりました。
いまだ未解決の東電OL殺人事件、真相がとても気になりますね。
被害者・渡邉泰子さんの生き方には色々な憶測が飛び交っていますが、今は最愛の父親と心安らかに過ごせていたらいいですね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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