俳優やミュージシャンとして活動されている寺尾聰さん。
1947年5月18日生まれで、2025年で78歳となります。
演出家や俳優として活躍した宇野重吉さんを父に持ち、数々のテレビドラマに出演しています。
出典:産経新聞
当初は父が劇団を運営している環境に反発し音楽の道へ進みますが、石原裕次郎さんが製作・主演を務めた映画「黒部の太陽」で俳優デビューし、石原軍団へ。
1981年に発表した「ルビーの指環」は大ヒットし、レコード大賞など数々の賞を受賞しました。
本記事ではそんな寺尾聰さんの子供について、深堀りしたいと思います。
寺尾聰と星野真弓の3人の子供について
出典:ナタリー
寺尾聰さんは2度の結婚歴があり、子供は3人います。
最初の妻は范文雀さんで、1973年に結婚しましたが翌年離婚。僅か1年半の結婚生活でした。
そして1981年、現在の妻である星野真弓さんと結婚します。
寺尾聰さんは孫もいるそうです。
星野真弓との子供は息子1人と娘2人
寺尾聰さんの子供たちは一般人のため、生年月日などの詳しいプロフィールは明かされていません。
しかし、1番目の子供である長女については生年月日や名前が明らかになっています。
寺尾聰さんと星野真弓さんはできちゃった婚で、1982年3月7日に生まれています。
名前は「志重(しえ)」さんです。
出産には寺尾聰さんも立ち会ったそうですよ。
寺尾聰さんは34歳、星野真弓さんは20歳でした。
志重さんに対する思いは、当時のツアーのパンフレットにも記載されています。
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もしかしたらこれからの時代は生きにくい時代かもしれない、それでも「この子の生きざまを、そして成長をおおらかに見守ってやりたい」とメッセージに記した寺尾聰さん。
どんな子供に育てたいか友達に聞かれたとき、「”お父さん大好き”って言ってくれる子供に育てるんだ」と答えたことも書かれていました。
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志重さんは鈴木杏さんと似ているんだとか。
鈴木杏さんとスペシャルドラマで親子役で共演した際、「杏ちゃんは実の娘とほぼ同い年で、最初会った時の第一声が『長女に似てる』だった。顔が似てるんだよな」と語っていました。
娘が可愛くて仕方ないのか、鈴木杏さんに対してもデレデレだったようです。
出典:ORICON NEWS
鈴木杏さんは1987年生まれで、志重さんとは5歳差となります。
寺尾聰さんの中では5歳差ぐらいはほぼ同い年という感覚だったと考えることもできますが、顔は長女に似ているけれど年齢は次女とほぼ同い年という意味で言ったのではと捉えることもできますよね。
もし、次女のことを指していたのなら2歳前後違うと考えて1985年~1990年あたりに誕生したのかもしれません。
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第2子以降については情報がほとんどないのですが、長男は松坂桃李さんよりも2~3個上という情報がありました。
松坂桃李さんは1988年生まれなので、1986年か1985年生まれということになりますね。
息子さんについての情報は他にもあります。
2005年に行われた映画「博士の愛した数式」の披露試写会で、寺尾聡さんが役作りのために「自分自身は数学は全くの苦手なので、理工科に通っている大学2年の息子に数学を教わりました」と語っています。
出典:映画.com
- 長女:1982年3月7日
- 次女:1985年~1990年
- 長男:1986年か1985年
長男と次女は年子の可能性があり、どちらが末っ子なのかは判断がつかないのですが…。
年齢的な近さで次女と鈴木杏さんを重ねていたのなら、次女が末っ子ではと思います。
末っ子は可愛いというので、末っ子と同い年である鈴木杏さんにデレデレになったのではないでしょうか。
息子や娘の画像はあるのか?
寺尾聰さんには、息子さんと娘さんがいると報じられています。俳優や歌手としての活動が知られる一方で、ご家族の存在はずっと静かに語られてきました。これは間違いのない事実で、結婚して家庭を築いていること自体は公にされています。気になるのは「ではその家族の姿を実際に見られるのか?」という点ですよね。
実際のところ、ご家族は芸能活動をしていません。そのため、雑誌やテレビといったメディアに登場することはほとんどなく、画像として広く公開されているものもほぼ見られません。寺尾聰さん自身も、プライベートを積極的に表に出さないスタイルを貫いており、仕事と家庭をきっちり分ける姿勢がうかがえます。だからこそ「息子さんや娘さんって今どんな姿なの?」とファンの関心が高まるのも自然なことです。
芸能人の中には、子どもとの写真を度々公開する方もいますが、寺尾聰さんはその真逆で、家族のプライバシーを大切にしてきました。この背景には、子どもたちが芸能界の注目を避け、一般の生活を守るためという考えがあったと推測できます。まさに「家庭は家庭、仕事は仕事」という線引きが徹底されている印象です。ファンからすると少し残念に思えるかもしれませんが、家族を第一に考える父親像が伝わってくる気がしますよね。
そのため、現在に至るまで息子さんや娘さんの画像はほとんど公開されておらず、唯一わかっているのは「存在が報じられている」という事実に留まっています。これが逆に想像を膨らませる要因となっていて、「父親に似ているのかな?」「音楽や演技の才能を受け継いでいるのでは?」といった声も広がっているのです。実際の姿が分からないからこそ、ミステリアスで魅力的に感じられる部分でもあります。
ファンにとっては「せめて一枚でも見たい!」という気持ちが募りますが、それだけ大切に守られているということなのでしょう。公の場で画像や映像が見られないという事実そのものが、家族を大切にする寺尾聰さんの姿勢を表しているように思えます。「公開されていない」こと自体が一つのメッセージになっているとも言えるのではないでしょうか。
元妻・范文雀との間に子供はいない
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寺尾聡さんと范文雀さんの結婚生活は1年程で、お2人の間には子供はいません。
しかし、シシド・カフカさんが范文雀さんの娘ではという噂があります。
出典:X_
若い頃の范文雀さんとシシド・カフカさんは目元などが似ており、そのため親子だという噂が流れたようです。
シシド・カフカさんの本名は「宍戸 佑名」なので、苗字を見てもお2人が親子ではないということがわかりますね。
孫が5人いるって本当なの?
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寺尾聰さんの子供たちは40代を過ぎているので結婚して子供がいても不思議ではないですよね。
2016年7月に放送された「A-studio」で、孫が5人いると話していたようです。
一番上の孫は2016年当時小学校4年生。2025年現在、18~19歳となるので大学生か社会人として働いているのでしょう。
孫が6人いるという噂もありますが、放送されてから9年経っているので6人いても不思議ではないですよね。
子育て方針には父の教えがある
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インタビューなどで子供のことについて触れることはありますが、子育て方針については語っている情報が見つかりませんでした。
しかし、父である宇野重吉さんの教えがご自身の子育てにも反映されているのではと思います。
テレビやインタビューで宇野重吉さんのことを語ることがあり、それらからは父親を尊敬していることが伝わります。
出典:日刊スポーツ
宇野重吉さんは寺尾聡さんに俳優のイロハをいろいろと教えてくれたんだとか。
「100%、父である宇野重吉から教わった。外に出て教わった事はありません。」とインタビューで語っていました。
俳優を目指すにあたって宇野重吉さんの劇団に入ろうと思った寺尾聰さんですが、宇野重吉さんは石原裕次郎さんに託します。
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「研修生でも世間は親の七光りと見るだろう」と、寺尾聰さんのことを考えての決断でした。
「必要なことは教え、守るべきところでは守る」、それが宇野重吉さんの教えではと思います。
子供のことを必要以上に公表しない点においては、「子供を守る」という宇野重吉さんの考えと通じるものを感じますね。
父・宇野重吉から受け継いだ教え
出典:デイリー
宇野重吉さんの育児論は、著書「新劇・愉し哀し」に綴られています。
その著書からは子供を信じ、自由に育てたいという考えが伝わってきます。
ギターを楽しそうに弾く寺尾聰さんの姿を見るのが楽しみだったという宇野重吉さん。
それに対し、母親は「お父さんは甘すぎる」と言っていたようです。
その背景には子供に無理強いをしたくない、自分でわかるまで待つべきだという宇野重吉さんの考えがありました。
寺尾聰さんが高校生の頃のエピソードですが、その時代を考えるとかなり先進的な考え方ですよね。
出典:Yahoo!ニュース
ルビーの指環がヒットしたとき、宇野重吉さんの反応は薄かったそうです。
しかし、その陰ではザベストテンを「毎週見てて、旅先では、今週何位だった?」と聞いていたんだとか。
寺尾聰さんのことを心配していることが伝わってきますね。
そんな宇野重吉さんのもとで育っているので、寺尾聰さんも子供たちを信じて見守る子育てをしているのではと思います。
家庭のことを話さない理由とは?
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寺尾聰さんはあまりご自身のプライベートについては語ることがありません。
その背景には、マスコミや世間の目からご自身の家族を守りたいという考えがあるのでしょう。
しかし、それだけではなく、マスコミに対する不信感もあるためではと思います。
ルビーの指環がヒットした翌1982年、寺尾聰さんはファンヘ感謝を伝えるためにツアーを行います。
出典:iza
「取材席は不要」と決めていたのにマスコミ用の席が設けられ、「貯金をはたいてチケットを買いにきたのに入場できない子供がいた」そうです。
マスコミ用の席は空席もあり、寺尾聰さんが憤慨。さらにこの件が、石原プロと手を切るきっかけにもなります。
出典:iza
ルビーの指環を「お経のような曲」と言われるなど、不信感を募らせていた中での今回の騒動。
一方的に寺尾聰さんが悪いとは言い切れないと思いますが、世間では「所属俳優のコントロールができていない」と映り、石原プロは寺尾聰さんを解雇します。
石原プロはアクションをメインにしている事務所だったため、寺尾聰さんの今後のためというのもあったようですが…。
こうした背景があるため、マスコミにプライベートを公表したくないのでしょう。
寺尾聰と星野真弓の子供に関連する情報
- 現在の妻・星野真弓の様子について
- 范文雀との馴れ初めから結婚まで
- 范文雀の結婚の裏には恋人との別れも
- 范文雀の離婚原因は性格の不一致
- 二人の出逢いのきっかけは西部警察
- 寺尾聰と星野真弓の子供に関するまとめ
現在の妻・星野真弓の様子について
現在の妻である星野真弓さんについても、多くの注目が集まっています。まず事実として、寺尾聰さんと星野真弓さんの結婚は大きな話題を呼びました。女優として活躍していた彼女が家庭に入ったことで、ファンからは驚きと祝福の声が広がったのです。
その時の様子は「スクリーンの中の存在が、現実の伴侶になるなんて!」という驚嘆とともに、多くのメディアで取り上げられました。結婚当初の二人はイベントなどで仲睦まじい様子を見せ、報道陣からも「理想のカップル」と評されていました。
その後の星野真弓さんは、公の場に出ることを控え、家庭を大切にしてきたと紹介されています。家族との時間を優先する姿勢が見られ、「芸能界での華やかな活躍」から「家庭を守る温かな存在」へと役割を変えていったのです。この転身には多くのファンが感動し、「支える妻の姿が素敵」といった感想も相次ぎました。特に子育てに専念していた時期には、母親としての一面がクローズアップされ、その穏やかな笑顔が印象に残ったと伝えられています。
現在の様子として注目されるのは、夫婦の関係が長年にわたり安定している点です。寺尾聰さんが俳優や音楽活動で多忙な中でも、家庭をしっかりと支え続けてきた姿が語られています。この結果、二人は「お互いを理解し合う関係」を築いてきたとされ、その信頼関係が今日の穏やかな生活に繋がっていると見られています。まさに、長年連れ添った夫婦だからこその落ち着きと安心感が漂っているのです。
また、周囲からは「若い頃の女優としての華やかさは今も健在」との声も聞かれます。家庭に入った後もその存在感を失わず、夫婦で並ぶ姿には今でもオーラを感じると紹介されています。「まるで映画のラストシーンみたい!」と例えられる場面もあり、見ている人を惹きつけてやまないのです。こうした印象は、かつての女優としてのキャリアと、現在の妻としての穏やかな立ち位置が絶妙に重なり合っているからこそ生まれているのでしょう。
ファンからは「どんな日常を過ごしているの?」といった関心も高まっています。実際の詳細な生活ぶりは公表されていませんが、寺尾聰さんの活動を支える姿を思い浮かべる人は少なくありません。「舞台裏にはいつも真弓さんがいるのでは?」と想像してしまうほど、夫婦の絆がしっかりと感じられるのです。そう考えると、星野真弓さんの現在の姿は、家庭の温もりを象徴する存在とも言えるでしょう。

范文雀との馴れ初めから結婚まで
出典:zakzak
范文雀さんは台湾国籍でありながら、日本生まれ日本育ちの女優さんです。
1998年に54歳という若さで、心不全により亡くなっています。
1970年に放送された「サインはV」で人気を博し、「アテンションプリーズ」でその人気を不動のものにします。
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そんな人気絶頂の1973年にドラマ「2丁目3番地」で共演した寺尾聰さんと結婚します。
当時、寺尾聰さんが26歳、范文雀さんが25歳でした。
「2丁目3番地」は1971年に放送されたいたドラマで、当時人気だった石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんが初共演するということで話題になり、高視聴率を記録しています。
范文雀さんは浅丘ルリ子さん演じる主人公の妹役、寺尾聰さんはその恋人役を演じました。
今となってはベテラン俳優の寺尾聰さんですが、当時は石原軍団に入る前でホリプロ所属の若手で、一方の范文雀さんは所属する渡辺プロのドル箱ともいえる看板女優。
そのためか、「参列者に業界人の姿は少なく、祝ったのはほとんどが友人連中」だったそうです。
出典:zakzak
挙式場所も挙式日も公表しなかったため、取材記者も少なかったんだとか。
范文雀さんは「私はこれから専業主婦になります」と宣言し、芸能界を引退。しかし、1974年に離婚し芸能界に復帰します。
范文雀の結婚の裏には恋人との別れも
ドラマでの共演がきっかけとなり結婚した寺尾聰さんと范文雀さんですが、その背景には恋人との別れがありました。
寺尾聰さんはジュディ・オングさんと交際していて結婚も考えていたそうですが、「結婚後は引退して家庭に入ってほしい」という寺尾聰さんとの考えにあわず破局します。
当時のジュディ・オングさんは自身の家族を支えており、仕事を辞めるという選択肢はなかったのです。
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詳細は不明なのですが、ルビーの指環はジュディ・オングさんとの破局を歌ったものという噂も当時は流れたようですね。
一方の范文雀さんは萩原健一さんと半同棲状態だったそうですが、萩原健一さんが別の女性に気移りして破局します。
お互いに恋人と別れ寂しい思いをしているときに出会い、結婚に至ったようです。
范文雀の離婚原因は性格の不一致
出典:新昭和
離婚会見で寺尾聰さんは、「石原夫妻を見て男としてああいう家庭を作りたいと思い、僕なりに一生懸命仕事をした」結果、ほとんど家にいなかったそうです。
范文雀さんは「性格の不一致というか、最初から相容れない部分があった」と語っています。
寺尾聰さんが仕事に力を入れ過ぎた結果、すれ違いが生じたのでしょう。
「最初から相容れない部分があった」という言葉からは、お互いのことをきちんと理解できないまま勢いで結婚したのではということも考えられます。
大切なパートナーと別れた寂しさをただ埋めたかっただけのような、そんな印象を受けますね。
出典:東スポ
離婚してから6年後の1976年に、范文雀さんは当時の結婚と離婚について、「後悔はしてません」「いい経験をしました」と語っています。
離婚後、芸能界に復活した范文雀さんはさまざまドラマに出演します。
しかし、1998年に悪性リンパ腫を患い、2002年11月に54歳という若さで心不全により亡くなりました。
寺尾聡さんと離婚後、生涯独身でした。
出典:NHK
離婚後に寺尾聡さんと范文雀さんの交流があったのかは不明ですが、情報がないのでほとんど交流はなかったのでしょう。
范文雀さんと離婚後、寺尾聡さんは黒澤明監督作品に出演したり、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、躍進を続けます。
ちなみにですが、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞と日本レコード大賞両方の受賞経験を持つのは寺尾聡さんだけのようです。
二人の出逢いのきっかけは西部警察
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星野真弓さんは1979年、資生堂のCM「微笑みの法則」のイメージガールとして登場。これからの活躍を期待されていたそうです。
そんな中、西部警察にゲスト出演し寺尾聰さんと出逢います。
寺尾聰さんはロケ先の博多で、14歳年下で当時19歳だった星野真弓さんを口説き落とします。
出典:iza
妊娠がわかると星野真弓さんは芸能界を引退。
週刊誌によると、お2人の交際期間は9ヶ月で挙式はなかったようです。
できちゃった婚だったので、体調なども考慮して式は挙げなかったのでしょう。
「早く子供が欲しくって」という言葉もあり、14歳という年齢差がありながらもお互いに運命の相手だったのかもしれませんね。
ちなみに、時価400万円のルビーの指輪をプレゼントしたんだとか。
希少価値の高いルビーだったのか、それともかなりの大きな石だったのか、気になりますよね。
それにしても、結婚指輪が400万とは驚きです。
お2人の結婚生活に関しての情報はありませんが、星野真弓さんは寺尾聰さんの個人事務所の社長を務めており、公私にわたってサポートしています。
寺尾聰と星野真弓の子供に関するまとめ
出典:スポーツ報知
寺尾聡さんは必要以上にプライベートを公開しないため、家族についても詳細な情報はありません。
しかし、これまでのインタビューなどから娘2人と息子1人の3人の子供がいることがわかっています。
孫も5人いて、私生活も充実していることがわかりますね。
出典:スポニチ
シティポップの流行により、寺尾聡さんのルビーの指環も再注目されています。
これからも第一線での活躍を期待したいですね。

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