2023年に放送された大河ドラマと言えば、『どうする家康』でした。
誰もが学校の授業で一度は聞く歴史上の偉人のTOPに挙げられる、徳川家康の一生を描いた大河ドラマでした。
主人公の徳川家康は松本潤さんが演じられました。
大河ドラマの王道中の王道と言える戦国モノでしたが、ファンタジー要素を入れすぎた為か、視聴率や評判はイマイチでした。
出典:NHK
このドラマで徳川家の家臣である酒井忠次を演じられたのが、大森南朋さんです。
西島秀俊さん、阿部寛さん、藤木直人さん等と並ぶ、50代イケオジ俳優の1人ですよね。
時代劇はもちろん、現代劇でも様々な役柄で出演されています。
出典:インスタグラム
そんな大森南朋さんの父親と言えば、舞踏家で俳優活動もされている麿赤児さんですが、母親についてはあまり見聞きした事がありません。
という事で今回の記事では大森南朋さんの母親について紹介します。
大森南朋の母親は『風月堂の女王』と呼ばれた小林百枝
出典:ペンギンハウス
大森南朋さんの母親を紹介する前に、大森南朋さんの家族構成について簡単に紹介しておきます。
まず冒頭でも紹介しましたが、父親は麿赤児さん(本名:大森宏 1943年2月23日)です。
母親が百枝さん(旧姓:小林百枝)で詳細は後述します。
出典:デイリー新潮
大森南朋さんのお兄さんが大森立嗣さんで映画監督として知られています。(1970年9月4日生まれ)
ちなみに大森南朋さんの奥様も元女優の小野ゆり子さんだったりと、実は兄弟家族に芸能関係が多い、芸能一家と呼ばれる家庭なのですが、唯一母親の百枝さんだけが、そういった世界とは縁が無い人物です。
ただ芸能関係ではありませんが、若かりし頃はかなりの有名人だった様です。
名曲喫茶:風月堂の常連客で、愛称はダダと呼ばれていた
出典:X
上記は白黒写真で少し分かり難いですが、風月堂の店内の画像です。
このお店はかつて、東京都新宿区に存在した喫茶店で、1946年にクラシックレコードを聞かせるお店としたスタートしました。(戦時中はクラッシクは禁止されていた)
1973年に惜しまれつつも閉店していますが、戦後の新宿の文化を象徴する名曲喫茶と言われていました。
1960年代の風月堂には若かりし頃の著名な文化人、芸能人、演劇人等が多く集う伝説の場所でもありました。
ほんの一部を紹介すると、天本英世さん(俳優)、三國連太郎さん(俳優・佐藤浩市さんの父)、ビートたけしさん(芸人・映画監督)、岡本太郎さん(芸術家)、岸田今日子さん(俳優)、唐十郎さん(劇作家・大鶴義丹さんの父)、安藤忠雄さん(建築家)、寺山修司(劇作家)、蛭子能収さん(タレント・漫画家)。
ほんの一部ですが、これだけの著名人が通うお店だった様です。
出典:X
そして、同じくこのお店の常連客だったのが、大森南朋さんの母親である、小林百枝さんでした。(上記画像左側の人物)
さらに父親である麿赤児さんもこのお店に通う常連客の1人でした。
出典:X
当時の麿赤児さんの画像が上記です。
後に夫婦となる二人がこのお店で出会う事になりました。(百枝さんからの逆ナンパだとか)
出典:X
小林百枝さんの詳細な生年月日は不明ですが、昭和20年7月生まれ(1945年)だそうで、麿赤児さんの2歳下となります。
喫茶店の常連客の1人だったようですが、当時は風月堂の女王と呼ばれる程にお店のアイドル的存在であり、ボス的な存在でもあったそうです。
ちなみに何故小林百枝さんがこのお店の常連になったかですが、当時東京で暮らしていた小林百枝さんは、義理の母(生母は5歳の時に病死)と折り合いが悪く、何かと衝突していたそうです。
出典:X
そして高校2年生の時に高校を中退して、家出していまいます。
当然、行く当てなど無かったようですが、新宿にあった風月堂が居心地が良く、入り浸る様になったそうです。
当時の独特の服装をしていた事から、『ダダイズム』からとったあだ名の『ダダ』と呼ばれていたそうです。
出典:Abemaブログ
10代から20代前半の若さで、周囲から一目置かれる存在だった様なので、余程貫禄や威厳があったのかも知れませんね。
結婚後は母親が家計を支えていた
麿赤児さんとは、昭和45年(1970年)に当時24歳で結婚されています。
ただ、長男の大森立嗣さんが1970年(昭和45年)生まれなので、出来ちゃった結婚になるようです。
家出した当時は高校2年生の未成年だったので、6年から7年間交際していた事になります。
当時の麿赤児さんは唐十郎さんと劇団を起ち上げたばかりで、演劇の内容も『アングラ』と呼ばれるとても一般受けするような内容ではありませんでした。
当然、売れない劇団という事になり、稼ぎという点では全くあてにならなかった様です。
その為、家計を支えるのは母親となり、結婚する前の23歳の時にバー『ダダ』を開業していました。
結婚しましたが、麿赤児さんは益々演劇にのめり込むようになり、とても家庭を顧みる人物ではなかったそうです。
その為、父親の役目も母親の百枝さんが担う様になっていたそうです。
父親の役目を放棄した様な麿赤児さんですが、実は両親を幼い頃に亡くしており、両親をほぼ知らずに育った事も大きく影響しているそうです。
親からの愛情を受けられず、親としての振舞い方が分からない事が大きな理由の様です。
後に長男の大森立嗣さんもインタビューで父親には親らしいことはほとんどしてもらった記憶が無いと言うような内容の発言をされています。
といっても母親も未成年で家出すような人物なので、常識人という人でも無かった様です。
一般的には素行の悪い人(当時の言い方では不良)との付き合いは親から禁じられる事が普通でしたが、百枝さんはむしろそういった人たちとの交流を薦めたのだとか。
この様な夫婦生活でしたが、後に夫婦は離婚する事になります。
離婚した時期は不明の様です。
なお、これらのエピソードは過去にNHKで放送された『ファミリーヒストリー』で紹介された内容ですが、この番組には母親の百枝さんは出演されていませんので、現在の姿を確認する事は出来ません。(2022年放送)
離婚後もお店を経営しながら子供を育てた
出典:Abemaブログ
離婚後は二人の子供は母親の百枝さんが引き取り育てられたようです。
結婚前には新宿でバーを経営していたと紹介しましたが、離婚後もお店を経営していた様です。
上記は小林百枝さんとゆかりのある人物のブログに掲載されていた、小林百枝さんの画像です。
時代的には1989年頃で、インド雑貨店を経営してた時の小林百枝さんで45歳頃の画像だそうです。
出典:Abemaブログ
出典:Abemaブログ
どうやら小林百枝さんの兄がいろいろとお店を経営されていたそうで、お兄さんのサポートもあった様です。
上記の2枚の画像も同じ方のブログに掲載されていた画像で、小林百枝さんと一緒に1991年頃にベトナム旅行に行った時の画像だそうです。
出典:Abemaブログ
他にも大森南朋さんと一緒に写った写真も投稿されていました。
写真の日付からも分かるように1994年10月17日に撮られた事が分かります。
ちなみに母親の百枝さんが抱っこしているのはブログ投稿主の娘さんで、真ん中の人物が投稿主さんです。
出典:Abemaブログ
ブログの投稿主さんは現在も小林百枝さんとは交流がある様で、2019年に自宅を訪れた時の画像も掲載されています。
流石にこの頃にはかなりの高齢になられているので、顔写真は掲載されていませんが、上記の様な画像は掲載されていました。(左側の手の人物が百枝さんと思われます)
麿赤児さんの2歳下ですが、80歳を越える高齢になられています。
亡くなられたとの報道はありませんので、お元気に暮らされていると思われます。
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