伝説のボディビルダーと言われている、マッスル北村さん。
2000年に39歳という若さで亡くなっていますが、死因は餓死だと言われています。
本当なのでしょうか?
亡くなってから20年以上が経ちますが、マッスル北村さんの人気は衰えず伝説や名言が語り継がれています。
今回は、マッスル北村さんの死因とともに、驚愕の伝説や名言もご紹介していきます。
マッスル北村の死因は餓死ではなく急性心不全だった
マッスル北村さんは2000年8月3日、39歳という若さで亡くなりました。
死亡した時の体脂肪率はなんと3%。
体脂肪率の低さから死因は餓死ではないかと言われています。
しかし結論から言うと、マッスル北村さんの死因は餓死ではなく、急性心不全でした。
2000年の初夏に、ボディビルの世界選手権出場が決まったマッスル北村さん。
脂肪を落として完璧な体に仕上げ大会で優勝するため、20kgという過酷な減量を行います。
その結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を起こしたのです。
亡くなる前に行われた群馬の大会で「世界選手権では限界に挑戦して素晴らしい肉体を築きたい」と言っていたマッスル北村さん。
本当に限界に達してしまったようですね。
マッスル北村さんの死因は餓死だったと言う人もいますが、それは違います。
カーボローディングという炭水化物を抜く食生活をしていたのであって、食事を抜いていたわけではないからです。
しかし徹底した食事内容により栄養のバランスが崩れ、命を落としてしまったようですね。
インスリン乱用
マッスル北村さんの死因はインスリンの乱用とも言われていますが、真相は不明です。
以前マッスル北村さんは1986年の大会でドーピング疑惑が出ています。
またボディビル界ではこれまで幾度もインスリンの乱用が問題になっていました。
インスリンは血糖値を下げるとともに筋肉の増加を促進します。
まさにボディビルダーの体作りに必要な要素が入っていますね。
しかしインスリンは過剰摂取すると低血糖症を引き起こし、発作や昏睡、脳の損傷、そして死に至る可能性もあります。
トップクラスのボディビルダーには自己注射までしてインスリンを体に注入する人もいるんだとか。
インスリンを乱用した結果と、マッスル北村さんの亡くなった状態が近しいことから、死因はインスリンの乱用ではないかと言われているようですね。
ストイック過ぎる食生活
マッスル北村さんは一般人では考えられないような食生活を送っていました。
その1つがササミシェイク。(マッスル北村さん曰く、”マッスルシェイク”)
冷凍したササミを加熱しないでそのままミキサーに入れ、少しだけ味付けをして作るシェイクです。
この1回で使うササミは10本ほどで、毎日2回飲むとのこと。
元々、”アゴが疲れて食事したくてもたくさんの量が食べられないから”として発案されたササミシェイク。
たしかにこれなら10本分のササミもグイっと飲めるから簡単にタンパク質を摂取できますが…
生のままで食べるのは食中毒を起こす可能性があるからとても危険ですね。
ちなみに朝は、卵白20個を一気飲みすることが毎日のノルマだったようです!
ノルマとはいえ、マッスル北村さんは「美味しい!」と絶賛していましたが…。
マッスル北村さんが食事で肉体改造をはかってきたのは、ボディビルと出会った大学生当時、体重が55kgしかなく、他のボディビル選手たちと体力や筋肉量に大きな差を感じたからだそう。
そこでマッスル北村さんは、家族と一緒に食べる食事に加えて、以下の食材を毎日摂取することをノルマにします。
- 卵20~30個
- 牛乳2~3リットル
- サバの缶詰3缶
- プロテイン粉末300g
- 消化吸収をよくする大量の消化剤
この食事のかいあってか、マッスル北村さんは1年弱で40kg体重が増え、筋肉も大きくなり、1年後には関東学生ボディビル選手権を制するのです。
マッスル北村さんは亡くなるまで、睡眠時間をけずってまでもタンパク質を摂取することを続けていました。
ストイックというかかなり尋常ではない生活を送っていたんですね。
ちなみに、マッスル北村さんは何度も倒れ病院に搬送されているため、心配した妹さんが「めまいがしたらアメをなめて」とお願いしますが、マッスル北村さんは拒否していたようです。
「アメなんかでカロリーを摂るくらいなら、自然の食べ物でカロリーを摂りたい」と言って断っていたんだとか。
どうしてそこまで…。マッスル北村さんを追い込んでいたものはなんだったのでしょうね。
マッスル北村さんの葬儀では、巨大なマッスル北村さんの遺体を収容できる大きさの棺がなく、特注の棺が用意されたそうです。
過酷なトレーニング
マッスル北村さんは、大学浪人中に漫画『あしたのジョー』に魅了され、ボクシングを始めます。
トレーニング中には、マッスル北村さんのパンチ力が凄すぎて、パンチングマシーンを2台も壊してしまったんだとか。
また、ジムではマシーンの重量では物足りず、さらに数10kgのダンベルをロープでマシーンに縛りつけてトレーニングを行っていたとのこと。
マシーンを超える力の持ち主とは凄すぎますよね。
マッスル北村はトレーニング中に何度も倒れる
マッスル北村さんが急性心不全で倒れているのを発見したのは、マッスル北村さんの妹さんです。
亡くなった当日、自宅にマッスル北村さんあての荷物が届き、届けに行ったところ、マッスル北村さんが倒れていました。
以前から過剰なトレーニングでマッスル北村さんは何回も倒れており、今回も同じかと思っていた妹さん。
ですが、救急隊員の方がマッスル北村さんを病院に運ぼうとした時に心肺停止になったそうです。
マッスル北村さんは最後の最後に妹さんに会うことがでできたんですね。それはよかったけど…。
マッスル北村さんが倒れていた台所のテーブルには、知り合いのおばあさんの病気について調べたメモが整理して置かれていたそうです。
マッスル北村さんはとても優しい方だったんですね。
そんなマッスル北村さんは亡くなる数日前にも倒れて救急搬送されています。
理由は、トレーニングのしすぎで、摂取したカロリーよりも消化したカロリーの方が上回ってしまったから。
その時は処置が早かったために命に別状はなかったようですが、このように倒れる寸前まで自分を追い込むトレーニングをしていたのはいつものことだったようです。
最後の仕事となった群馬でのイベントに向かう際には、新幹線で意識を失ったマッスル北村さん。
病院で点滴を受けていましたが、その点滴を引きちぎってまでイベント会場へ向かったそうです。
プロ意識は高いようですが、なにもそこまでしなくてもいいのに、と思ってしまいます。
マッスル北村が亡くなる3日前の画像が衝撃的過ぎる
マッスル北村さんが亡くなる3日前(2000年7月31日)の深夜の写真がこちらです。
頬が痩せこけてしまっていますね…。
それにしてもすごい筋肉です。
マッスル北村さんは夜中でもこうやって体のチェックをしていたんですね。
次の大会に向け、減量に対してかなり追い込んでいたものと思われます。
マッスル北村の数々の伝説と名言をまとめてみた
マッスル北村さんには多くの伝説や名言があります。
ここでは、5つの伝説と4つの名言をご紹介します。
睡眠時間
日々の睡眠時間は2~5時間でした。
起きている時間は全て、トレーニングと大量のタンパク質の摂取に充てていたそうです。
幼い頃からストイック
マッスル北村さんが人一倍ストイックなのは、幼い頃からです。
「人は何のために生まれてくるのか。僕は、せっかく生まれてきたのだから、何か目標を見つけて、自分の限界まで挑みたい。そうしないと時間がもったいない」という信条を持ち続けていました。
スポーツから勉強まで様々なことを常に熱心に取り組んでいたマッスル北村さん。
一度のめり込んだら絶対に止まらない性格で、何度も家族を困らせていたとのこと。
「ボクには時間がない」が口癖だったそうです。
東京大学中退
マッスル北村さんは、進学校の東京学芸大学教育学部附属高等学校を卒業後、二浪して東京大学理科Ⅱ類に合格し入学しています。
ちなみに、東京大学には二浪していますが、防衛医科大学と早稲田大学には現役合格です。
東京大学で勉学に励むものの、先輩のすすめでボディビルの関東学生選手権に出場します。
そこで他の選手との体格差に愕然とし、筋肉を肥大化することにのめり込んでいくのです。
そしてこの頃から父親との確執が深くなっていきます。
勉強もせずトレーニングにばかり明け暮れるマッスル北村さんに激怒した父親は、ダンベルシャフトで何度もマッスル北村さんの頭を殴ったとのこと。
マッスル北村さんは左目の網膜が剥離し手術するほどの傷を負いますが、それでもボディビルの道は諦めませんでした。
そうして結局、ボディビルに専念するため、せっかく入学した東京大学を中退します。
その後家族と折り合いをつけ「人の役に立ちたいから医者になろう」と決意。
東京医科歯科大学医学部に合格し再入学しますが、やはりボディビルを諦められず、2年で東京医科歯科大学を中退します。
父親との確執はさらに深まり、東京医科歯科大学を中退した際には、ボディビル大会で受賞した数々のトロフィーや盾を窓から投げ捨てられてしまったそう。
後にマッスル北村さんは「克己、ボディビルをやっていて本当によかったなぁ」と父親に言われるのが夢、と語っています。
なんだか悲しく切ない話ですね…。
それにしても軽く最難関大学に受かってしまうマッスル北村さん、体だけでなく頭脳も明晰なんですね。
100kmマラソンで14kg減量
マッスル北村さんは、1985年のアジア選手権前に過酷な減量をしています。
それは山から自宅まで100kmのマラソンを行い2日間で14kgの減量に成功した、というもの。
マッスル北村さんは、1985年に実業団選手権で優勝を果たしますが、その4日後のアジア選手権にも出場するよう急遽オファーが来ます。
通常であれば、大会までの4日間は調整に充てるもの。
ですが、マッスル北村さんは体が疲弊しきっているからと栄養補給に努めたところ、食欲が止まらず2日で14kgも増量してしまったそう。
そこから2日で14kg減量するのは不可能なはずです。
しかしマッスル北村さんは諦めず、100kmマラソンを即実行。
人より筋肉が大きく体重も重いマッスル北村さんが100kmを走るのはかなり大変なことだったでしょう。
実際、マラソン中には足の爪がはがれ靴の中は血で真っ赤に染まるほどだったそうですが、結果120kmを15時間かけて走りきり、2日で14kgの減量に成功します。
そして急遽出場することになったアジア選手権でもライトヘビー級のタイトルを手にするのです。
16時間休憩なしのサイクリング
マッスル北村さんが中学2年生の時、東京都練馬区の自宅から奥多摩までの片道200kmの道のりを休憩なしでサイクリングしています。
アップダウンの険しい山道も「到着までは休憩しない」というルールを自分で決めて臨んだとのこと。
結果、16時間休憩なしで自転車をこぎ続けるものの、帰りの道中で意識を失い奥多摩の病院で目が覚めたそうです。
これが中学2年生の時。
マッスル北村さんは後に、この時の経験から”肉体・精神の限界を極めたい”と心に決めたと語っています。
マッスル北村さんのストイックさは子供のころに身についたものなんですね。
1,000回と1,001回の違い
マッスル北村さんはこんな名言を残しています。
1千回と1千1回とでは天と地ほども隔たりがあった。まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。
その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。
引用:ウェブ石碑
設定した目標よりも1つでもさらに高いところを目指すことに意義があるという考えは、マッスル北村さんの人生そのもののように思えますね。
真に欲する闘いに黙って挑む
マッスル北村さんの名言2つ目はこちらです。
負けや失敗を恐れず自分の心が誠に欲する闘いに黙って挑みたい
引用:名言大学
自分の信念に向かってただただ突き進むという、マッスル北村さんの性格があらわれている名言ですね。
心の医者になりたい
マッスル北村さんの名言3つ目がこちらでです。
僕はボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたい
引用:名言大学
学生の頃、「人の役に立ちたいから医者になろう」と心に決め医学部に入学したマッスル北村さん。
身体を治す医者ではなく、自分の肉体や生き様を見せることでより多くの人を勇気づけたいと思っていたのかもしれませんね。
外部からの制裁は無用
マッスル北村さんの名言4つ目はこちらです。
人は己に嘘をつけぬ心ゆえに自ら裁かれるものである。外部からの制裁は無用である。
引用:ウェブ石碑
常軌を逸したトレーニングには非難の声もあがっていたようですが…
自分を信じていれば他者の目は気にする必要はない、という私たちも勇気づけられる言葉ですね。
マッスル北村の肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける
マッスル北村さんは亡くなってから20年以上たつ今でも大きな影響を与え続けています。
まさにマッスル北村さんが書かれた『ボクの履歴書』の言葉、「肉体は滅んでも、魂は永遠に生き続ける」そのものですよね。
どんな影響を与えているのか見てみましょう。
グラップラー刃牙のモデル
人気マンガ『グラップラー刃牙』に登場する「愚地克己」はマッスル北村さんをイメージして描かれています。
「愚地克己」の下の名前も、マッスル北村さんの本名「北村克己」を使ったとのこと。
ちなみに、『グラップラー刃牙』の中で筋肉を描く時は、マッスル北村さんを参考モデルにしているそうですよ。
シャイニー薊が崇拝
人気YouTuberでフィジーカーのシャイニー薊さん。
自身のYouTubeでマッスル北村さん考案の『伝説の牛すじ丼』を再現しています。
この牛すじ丼はとっても栄養満点で、マッスル北村さんがよく作っていたメニューなんだとか。
シャイニー薊さんはマッスル北村さんの著書『ボクの履歴書』を愛読しずっと崇拝してきたんだそうです。
まとめ
以上、マッスル北村さんの死因についてお伝えしました。
- マッスル北村さんの死因は餓死ではなく急性心不全
- 亡くなるまでストイックな食生活とトレーニングを続けていた
- マッスル北村さんには数々の伝説や名言がある
マッスル北村さんは、ボディビルに肉体と生涯を捧げた人生でしたね。
マッスル北村さんの名言「人は己に嘘をつけぬ心ゆえに自ら裁かれるものである。外部からの制裁は無用である」は、筆者の心にとても響いた言葉でした。
己を信じて、駆け抜けた人生。
マッスル北村さんは、亡くなった今、自分のことをどう思っているのでしょうね。
外部からの制裁は無用であったとしても、父親にだけは認めてもらいたかったですよね。
「ボディビルをやっていてよかったなぁと父親に言われるのが夢」という発言が筆者にはとても切なかったです。
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