草刈正雄の息子の草刈雄士(YUSHI)死因は薬の副作用による転落死?

俳優

『おやじ(草刈)と一緒に俳優みたいな仕事、したいかな』

俳優・草刈正雄さんの長男であり、伝説的なカリスマ性を誇ったアーティスト、YUSHI(雄士)さん。

彼は2015年2月14日、23歳というあまりにも早い若さでこの世を去りました。あの日、渋谷の空に響き渡った父の悲痛な叫びは、10年以上が経過した2026年現在も、関係者の胸に深く刻まれています。

今回は、KANDYTOWNの「終演」を経てもなお語り継がれるYUSHIさんの転落死の真相と、父・正雄さんが抱えた後悔について、当時の情景を交えてまとめていきます。

草刈正雄の息子のYUSHI(草刈雄士)2015年2月に転落死

草刈正雄さんの長男であり、類まれなる才能を持ったミュージシャン、YUSHIさん。

彼は2009年まで、ハマ・オカモトさんらと共に伝説のロックバンド『ズットズレテルズ』のMCとして活動。その後は、総勢16名の大所帯ヒップホップクルーKANDYTOWN(キャンディタウン)の中心人物として、シーンに多大な影響を与えました。

KANDYTOWNは2023年3月の日本武道館公演をもってその活動を「終演」しましたが、最後のステージでもYUSHIさんの存在は別格でした。メンバーのIO(イオ)さんは、生前彼についてこう語っています。

KANDYTOWNにはリーダーはいないが、しいて中心人物をあげるとしたらYUSHIがいる。

2015年2月に惜しくも帰らぬ人となりましたが、メンバー全員が彼を「キング」と呼ぶ絶対的なカリスマであり、彼がいなければ現在のKANDYTOWNの成功はあり得なかったと言われています。

2023年のラストライブでは、YUSHIさんの遺した歌声がステージ上のメンバーと共に響き渡り、「彼は最後までクルーの精神的支柱であり続けた」ことを証明しました。

そんな彼に悲劇が訪れたのは、2015年2月14日のこと。
渋谷区にある草刈正雄さんの個人事務所(マンションの7階)から転落死した状態で発見されました。

当時23歳だったYUSHIさんは、音楽活動の傍ら絵画制作にも没頭しており、感性を研ぎ澄ますために度々この事務所へ泊まり込み、創作活動に没頭する日々を送っていたといいます。

現場に響いた「なんで死んだんだ!」という父の絶叫

YUSHIさんが転落した現場は、渋谷区の青山エリア。人通りも多い都心の一等地で起きた悲劇でした。

119番通報があったのは2月14日の20時26分頃。
偶然現場を目撃した通行人は、「救急車で運ばれる直前までは、まだ微かに息をしていたように見えた」と、当時の緊迫した様子を語っています。

しかし、最も周囲の胸を締め付けたのは、事故から約2時間後の光景でした。

連絡を受け、現場に駆けつけた草刈正雄さん。
冷たい雨が降りしきる中、アスファルトにひれ伏すように崩れ落ち、「なんで死んだんだあぁぁ!」と獣のように泣き叫ぶ姿が近隣住民に目撃されています。

その叫び声は、単なる悲しみだけでなく、深い「後悔」が混じったものだったのかもしれません。

草刈正雄さんは後年、NHK『ファミリーヒストリー』などで自身の生い立ち(父の顔を知らずに育った過去)を明かしていますが、かつてはYUSHIさんとの関係に悩んだ時期もありました。

《長女と長男が小さかった頃は、僕はいい父親じゃなかった。仕事の悩みがまだ続いていたのでイライラして、感情的になって叱ることがよくありました》

YUSHIさんが多感な時期、草刈さんは俳優としてのスランプに陥っており、息子に対して厳しく当たってしまうこともあったそうです。

雨の中で響いた絶叫は、取り返しのつかない喪失感と、父としての無念が溢れ出した瞬間だったと言えるでしょう。

草刈正雄の息子のYUSHI(草刈雄士)転落死の真相

マンションの7階から転落し、若くして命を落としたYUSHIさん。

あまりに突然の出来事に、当時は様々な憶測が飛び交いました。
しかし、結論から言えば警察は「事件性はなく、事故死である可能性が高い」と結論づけています。

では、なぜ彼は窓から転落してしまったのでしょうか?
そこには、彼の繊細な内面や当時の状況を巡る「2つの説」が存在します。

説①:「薬」の影響に関する噂と真相

事故直後からネット上や一部週刊誌で囁かれたのが、「精神的な不調や、服用していた薬の影響ではないか」という説です。

アーティスト気質で繊細な一面を持っていたYUSHIさんは、創作の苦悩から心身のバランスを崩すことがあり、精神科に通院していたという報道もありました。

また、一般的に考えて「窓枠に腰掛ける」という行為自体が危険であることから、
「強い薬の副作用で意識が朦朧とし、足元がおぼつかない状態だったのではないか」
という見方が広まりました。

警察も捜査の過程で、何らかの薬の影響で平衡感覚を失い、誤って転落した可能性を視野に入れていたと言われていますが、これらはあくまで状況証拠からの推測に過ぎません。

説②:生への執着を示す「窓枠の爪痕」

もう一つの、そして最も有力な説が「窓辺での不慮の事故」です。

警察の現場検証によると、YUSHIさんが転落したと見られる窓の周辺には、不可解な痕跡が残されていました。
それは、転落する直前、必死にベランダの手すりや窓枠にしがみつこうとした「爪痕」のような跡です。

もし自ら命を絶とうとしたのであれば、そのような抵抗の痕跡は残らないはずです。

  • 換気のために窓を開け、縁に腰掛けていた
  •  創作活動の合間に外の空気を吸おうとして身を乗り出した

その一瞬の隙にバランスを崩し、「落ちたくない!」と最期まで生にしがみつこうとしたのが、悲しい真実である可能性が高いのです。

一部では「ベランダの手すりが外れたのではないか」「老朽化が原因ではないか」という噂もありましたが、建物の構造的な欠陥に関する具体的な報道はありません。

やはり、薬の影響があったにせよ無かったにせよ、「本人は死ぬつもりなど微塵もなく、不運にも足を滑らせてしまった」というのが、警察の見解であり、最も可能性の高い真相だと言えるでしょう。

草刈正雄の息子の転落死に「羽賀研二」の名前が浮上した怪情報の正体

YUSHIさんの転落死について調査を進めると、なぜか検索候補や関連ワードに元タレントの羽賀研二さんの名前が浮上することがあります。

一見すると「事件に彼が関与していたのか?」と勘ぐってしまうような不穏な噂ですが、結論から言えば、両者の間に直接的な接点は一切なく、完全なるデマです。

では、なぜこのような不可解な噂が立ち、未だに語られることがあるのでしょうか?
そこには、ネット特有の「こじつけ」と、父親同士の奇妙な共通点が関係していました。

「父親同士が似すぎている」という都市伝説

この噂の発端は、YUSHIさん本人ではなく、父である草刈正雄さんと羽賀研二さんの「生い立ちと容姿の酷似」にあります。

  • 共に父親がアメリカ兵のハーフであり、彫りの深い日本人離れしたルックス。
  • 幼少期は極貧で、家計を支えるために「新聞配達」や「牛乳配達」に明け暮れた苦労人であること。

ネット上では、このあまりの共通点の多さから「実は兄弟ではないか?」「隠し子説があるのでは?」という都市伝説がまことしやかに囁かれていました。

そこへ来て、YUSHIさんの悲劇的な転落死が起きた際、一部の野次馬たちが

「同じハーフタレントの血筋なのに、なぜこうも人生の明暗が分かれるのか」

という文脈で羽賀研二さんの名前を引き合いに出したのです。

それが情報の伝言ゲームの中で歪められ、いつしか「YUSHIさんの死に羽賀研二が関係している」という悪質なデマへと変貌してしまったのが真相でしょう。

「あいつは大っ嫌いだった」盟友・ハマオカモトが吐露した愛と悲鳴

YUSHIさんの訃報が届いた直後、幼馴染であり『ズットズレテルズ』で共に青春を駆け抜けた盟友・ハマ・オカモトさんのSNSは、悲痛な叫びで埋め尽くされました。

彼は当時、YUSHIさんに対して「嫌いだった」という衝撃的な言葉を使っています。しかし、その文脈から滲み出ていたのは、憎しみではなく、才能への強烈な嫉妬と、それを失った深い絶望でした。

「全然言うこと聞かないし、やる事やらないし、ワガママで、めんどくさいから大っ嫌いだった。けど、死んじまうなんてあんまりだよ。どこまで人騒がせなんだよ。また変なラップ聴かせてよ。 黒いレコード教えてよ。 な…」

ハマ・オカモトさんは後の動画インタビューでも、YUSHIさんを「毎日が漫画の主人公みたいな奴だった」と回顧しています。

「ミュージシャンとしては恩人だが、幼馴染としては最悪で最高の友達」。

この言葉には、破天荒で危なっかしく、誰よりも魅力的だったYUSHIさんの「人間臭さ」が凝縮されています。

サンボマスターの山口隆さんなど、多くの著名人が追悼コメントを寄せたことからも、彼がいかに愛され、その才能を惜しまれていたかが分かります。

父・草刈正雄が棺の前で絞り出した「4つの言葉」

息子の死から数日後。四十九日の法要、そして納骨の際、父・草刈正雄さんはYUSHIさんの遺影に向かって、魂を削るような4つの言葉を贈ったといいます。

  • 「ごめんな」
  • 「許してくれ」
  • 「愛してるよ」
  • 「ありがとう」

「ごめんな」という謝罪は、かつてスランプの時期に厳しく当たってしまった自分への責め苦だったのでしょうか。

草刈さんはその後、NHK大河ドラマ『真田丸』で真田昌幸役を怪演し、再ブレイクを果たします。その際、インタビューで息子への想いをこう語りました。

「(息子が生きていたら)『真田丸』の芝居を『おやじ、良かったよ』って、言うかもしれませんね。男同士ですからね。息子もちゃんと見ていてくれたと思いますよ」

実は、YUSHIさんが亡くなった翌日も、草刈さんは仕事を休むことなく撮影現場に向かっています。

顔を腫らし、心は血を流していたはずですが、「プロとして穴は空けられない」という凄まじい役者魂が、彼を現場へと立たせたのです。

まとめ

今回は、2015年に23歳の若さでこの世を去った草刈正雄さんの長男・YUSHIさんの転落死の真相と、その後の物語についてまとめました。

当時の報道や状況証拠から、転落の原因は「心身の不調や薬の影響による、不慮の事故」である可能性が高いと考えられます。

しかし、彼の人生はその「死に方」だけで語られるものではありません。

彼が率いたヒップホップクルーKANDYTOWNは、2023年3月の日本武道館ライブをもってその歴史に幕を下ろしました(終演)。

その最後のステージで、メンバーたちは亡きYUSHIさんの声を響かせ、「俺たちの中心には常にYUSHIがいた」ことを証明しました。

そして父・草刈正雄さんもまた、息子の死をきっかけに生き方を大きく変えました。

「そんなにガツガツ仕事しなくてもいいんじゃないか。仕事の前に家族じゃないか」

かつての「仕事人間」は、家族との時間を何よりも大切にする「父親」へと戻りました。

現在は娘の紅蘭さんの子供(お孫さん)を溺愛し、穏やかな表情を見せる草刈さん。その笑顔の裏には、常にYUSHIさんへの想いがあるはずです。

10年以上の時が過ぎてもなお、音楽シーンや家族の絆の中で生き続けるYUSHIさん。その短くも鮮烈な人生は、決して色褪せることはありません。

コメント

芸能人の裏ニュースについて

芸能人の裏ニュースはユーザー参加型まとめサイトです。

サイトでは、芸能人の最新ニュース・噂や裏話などのゴシップ、そして事件などのニュースのまとめをライターが記事にしています。

当サイトで掲載している記事・画像・動画の著作権や肖像権等は各権利所有者様に帰属します。

権利を侵害する目的は一切ありません。

ライターが書いた記事の内容や掲載画像等に問題がございましたら、各権利所有者様本人が直接メールでご連絡下さい。

管理者が確認後、対応させて頂きます。