「コシノジュンコ」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?世界で活躍するファッションデザイナー、独創的なヘアスタイル、そしてバラエティ番組での飾らないトーク…いろんな顔が思い浮かぶ人ですよね。
でも実は、そんなジュンコさんには“家族”にまつわる驚きのエピソードが満載なんです。
40歳での出産、100年ぶりの男児誕生、孫からのまさかの呼び方、そして朝ドラ出演のひ孫まで…知れば知るほど「そんなことある!?」と思わずツッコみたくなる話ばかり。
この記事では、そんなコシノジュンコさんの“母として”“祖母として”の一面を中心に、子どもや孫との関係、家族の素顔にじっくり迫っていきます。
いつものジュンコさんとはまた違った、ちょっと親近感のある表情を、ぜひ楽しんでみてくださいね。
コシノジュンコ 子供は何人?息子・孫と築く唯一無二の家族関係
カリスマデザイナーとして知られるコシノジュンコさん。ですが、家族の顔をのぞくとさらに面白い一面が見えてくるんです。
出産や子育て、そして孫との関係まで、驚きのエピソードが盛りだくさんですよ。
40歳での出産と“100年ぶりの男児”誕生エピソード
「えっ、40歳で出産!?」って思った人、多いですよね。私も最初に知ったとき、思わず声出ました(笑)。ファッション界のレジェンド、コシノジュンコさんが息子の順之(よりゆき)さんを出産したのは、なんと40歳のときなんです。
出典元:産経新聞:産経ニュース
しかもこの出産、ただの“高齢出産”ではありません。実はコシノ家、なんと100年ぶりの男児誕生というレアすぎるドラマがあったんです!
女系家族として知られるコシノ家では、それまで男の子がなかなか生まれなかったそうで…。
しかも、過去には誕生してもすぐに亡くなってしまうケースがあったとか。そんな中で無事に誕生した順之さんの存在は、まさに“奇跡の男児”。
当時、ジュンコさんはパリコレの真っ最中。仕事に全力投球していたある日、香港出張先で体調の異変を感じたことが、妊娠発覚のきっかけだったそうです。「海外に行くと元気になるはずなのに…おかしいなぁ」って、病院行ったらまさかの「おめでたです」宣告。
そこからのエピソードもさすがジュンコさん。ラマーズ法の講習会に行く時間がなくて、なんとベビーシッターさんが代理で出席したという伝説まで残っています(笑)。普通そんなことある!?って思わず突っ込みたくなりますよね。
でも、そんな超多忙な中でも母になったジュンコさんは、子どもを“命そのもの”と捉え、自分の身体の変化すらデザインのヒントにしてしまうんですから、やっぱりタダ者じゃないなって思わされます。
息子・順之は何をしている?経歴・現在の職業まとめ
さてさて、そんな“奇跡の男児”として生まれた順之さん、今どうしてるの?って気になりませんか?実は現在は母ジュンコさんのブランドをガッツリ支える経営のキーマンなんです。
職業は「JUNKO KOSHINO株式会社」の常務取締役。お母さんが「デザインは得意だけど経営は苦手」と語るほどだったので、順之さんはまさに頼れる右腕。ジュンコさんのブランドを裏からしっかり支える存在として、展示会やイベントの運営などを手がけています。
出典元:家庭画報
でもこれ、家業だからってだけじゃないんですよ。順之さん、ちゃんとキャリアを積んでてすごいんです。高校は青山学院、その後はロンドン芸術大学チェルシー・アート&デザインに進学して、空間デザインを学んだ本格派。帰国後はPUMA JAPANのクリエイティブディレクターとして活躍し、独立して「bisq inc.」というエージェンシーまで設立。完全に“ジュンコの息子”を超えて、自分の道をしっかり歩んできたタイプですね。
そんな順之さん、今はジュンコさんと毎日ぶつかり合いながら(笑)仕事をしてるそうです。テレビ番組では「毎日困ってます」とぶっちゃける場面も。でも、毎週日曜には家族そろって食事するのが恒例っていうのが、なんともほっこり。仕事では衝突しても、家では家族の絆がちゃんとあるってステキですよね。
ちなみに、順之さんは明治大学商学部でファッションビジネスの特任講師としても教壇に立ってるんです。教える立場でも活躍しているって、かなりのやり手。いや〜、まさに“育てた人も育った人もスゴすぎる”親子です!
孫の之くんは“ジュンコ呼び”?祖母との個性的な関係性
「おばあちゃん」じゃなくて「ジュンコ」って呼ぶ孫、聞いたことありますか?(笑)これ、冗談じゃなくて本当にそうなんです。世界的ファッションデザイナーのコシノジュンコさん、実はお孫さんから名前呼び捨てで“ジュンコ”って呼ばれてるんですよ。しかも本人もまったく気にしてないというか、むしろ気に入ってるっぽいです。
そのお孫さんの名前は「之(ゆき)」くん。2022年のテレビ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』にも登場して、初のテレビ出演ながら“韓流風イケメン”と話題になりました。高校三年生で、進学先も一流大学に決まっていたとか。しかも、めちゃくちゃキレイ好きで、片付けが趣味というギャップもまた良いんです。
じゃあ、どうして“ジュンコ呼び”なのかっていうと、小さい頃からそう呼んでたからっていう、なんとも自然な理由。でもそれって、逆に言うと、それくらいジュンコさんと孫の之くんが“フラットで自由な関係”ってことですよね。親子ですら敬語や距離感ある家庭もあるのに、孫とここまで仲良く対等ってすごい。
しかも、2人で出かけることも多いらしくて、之くんが「自分の知らない場所に行くのが好きで、ジュンコと一緒にいるといい経験ができる」と語っていたのが印象的でした。完全に“仲良し冒険コンビ”じゃないですか。
ちなみに、ジュンコさんの片付けスタイルには之くんからのダメ出しも(笑)。「ひたすら積むんですよ」と、孫がツッコミを入れるほど。そんな微笑ましいやり取りをテレビで見ると、ファッション界のカリスマというイメージを超えて、「あ、ジュンコさんも普通のおばあちゃん(?)なんだな〜」って思わされますよね。
孫娘は朝ドラ出演経験も!三世代に受け継がれる才能
実はもうひとり、コシノジュンコさんの孫で注目された存在がいるんです。それが孫娘の鈴木紗良(さら)さん。何がすごいって、まだ幼い頃にすでにNHKの朝ドラ『カーネーション』で子役デビューしてたってところ!いや〜、さすがコシノファミリー、芸能界デビューまで早い(笑)。
『カーネーション』といえば、ジュンコさんのお母さんである小篠綾子さんの生涯がモデルになっているドラマで、コシノ三姉妹を描いた作品としても有名ですよね。その作品で、まさか本物の“ひ孫”が出演していたとは…!知らずに見てた人、けっこう多いんじゃないでしょうか。
出演時の紗良さんは、まだ2~3歳だったそうで、もちろんセリフがバリバリあるような役ではなかったんですが、それでも“本物の血を引いた子役”が出演するって胸アツですよね。しかも、あの朝ドラの場に立ったってだけでも将来が期待されてしまうのは当然。
ただ、今は芸能活動はしていないようで、おそらく学生生活に集中しているんじゃないかと思います。とはいえ、これだけのファミリーに生まれたら、どこかのタイミングでまた表舞台に出てくる可能性、大いにありますよね。むしろ、出てきてくれたらうれしい(笑)。
そして面白いのは、順之さん(ジュンコさんの息子)→之くん(その息子)→紗良さん(その妹)というように、もう家族3世代にわたって「創造力がDNAレベルで引き継がれてる」感じがバシバシ伝わってくること。ファッションだけでなく、テレビ・アート・教育と、ジャンルを超えてクリエイティブな才能が流れてるんだな~って実感します。
この家系、ほんとにどこまで広がっていくのか、ちょっと目が離せませんよね!
幼少期の爆笑伝説…文化祭に置き去り事件とは
こんな“置き去り事件”、聞いたことあります?いやほんと、笑っちゃいけないけど笑っちゃうんです(笑)。主役はもちろん、ジュンコさんと息子の順之(よりゆき)さん。今では母子で一緒にブランドを支えるビジネスパートナーですが、実はこんな伝説的なエピソードがあるんです。
その昔、順之さんが幼稚園の頃の話。文化祭があって、当然ながら親子で参加する行事なわけなんですが…そこでジュンコさん、まさかの“本人だけ会場に行って息子を家に置いてきてしまう”という大ハプニングをやらかします。
何があったのかというと、ジュンコさん、文化祭の飾りつけに全力投球しすぎて、完全に順之さんの存在が頭から吹っ飛んじゃったんです。しかも、飾り付けとかも全部自分でやっちゃうくらい気合い入りまくってて、「うちの子だけ来てないわ」って気づいたときにはもうイベントが始まってたとか…!これはもう、伝説すぎますよね。
この話、後にテレビで順之さん本人が暴露していて、スタジオでも爆笑。ジュンコさんも「偏った親でごめんなさい」と苦笑いしてたんですが、いやいや、もはやアートに魂を捧げた者の生き様として、逆にかっこいいまであります(笑)。
でもこれって、ちょっとわかる気もしません?何かに集中してるときって、つい周りのこと忘れちゃうこと、誰にでもあるじゃないですか。もちろん規模は違いますけど(笑)。ファッションという“作品”に向き合う情熱が、それだけ本気だったってことなんでしょうね。
コシノジュンコ 子供時代と家系図から読み解く創造一家の原点
どうしてジュンコさんは、あんなに個性的でパワフルなのか。気になったことありませんか?
その答えは子供時代の環境や、才能あふれる家系の中にヒントがありそうです。
幼少期に育まれた創作の芽と母・綾子の影響
ところで、ジュンコさんってなんであんなにぶっ飛んだ(褒めてます)発想を持ってるんだろう?って気になったことありませんか?実はそれ、幼少期の環境と、母・小篠綾子さんの存在が大きく影響しているみたいなんです。
出典元:NHK
ジュンコさんが育ったのは、大阪・岸和田にある「コシノ洋装店」。そこで暮らしながら、毎日お針子さんたちの仕事やミシンの音、布の感触と一緒に過ごしてきたわけです。もう生活の一部が“ものづくり”って感じで、それが自然と身についたというわけなんですね。
さらに、母の綾子さんもまた肝っ玉母ちゃん系のすごい人。戦後、女手一つで三姉妹を育てながら洋装店を切り盛りし、自らもファッションデザイナーとしてブランドを立ち上げた超パワフルな女性だったんです。
そんな綾子さんは、娘たちに芸術や感性を無理に押し付けるわけじゃなくて、「あんたは才能を伸ばし」って言いながら、ちゃんとその芽を応援してくれる存在だったそう。ジュンコさんに高級な絵の具セットを買ってくれた話なんかも、胸アツすぎてじんわりきますよね。
あと面白いのが、三姉妹を「うるさいから」と言って、いろんな習い事に送り出してたってエピソード。三味線に日本舞踊、そろばんにピアノ…とにかくいろんなことをやらされてたらしいんですが、それが全部、今の創作の引き出しになってるっていうから驚きです。
なんだかんだで、日常が全部“デザインの種”になる暮らしをしていたジュンコさん。感性は天性のものって言われるけど、それを育ててくれた母と環境が、実は何よりの原点だったのかもしれませんね~。
姉ヒロコ・妹ミチコとの“コシノ三姉妹”それぞれの道
「コシノ三姉妹」って聞いたことありますか?もうこの響きだけでなんだか強そうというか、華やかすぎる匂いしかしないんですけど(笑)、実際そのイメージ、間違ってません。長女ヒロコ、次女ジュンコ、三女ミチコの三姉妹、全員がファッション業界で世界的に活躍しているという、すごすぎる姉妹なんです。
出典元:PR TIMES
でもこの三人、ただ「デザイナー三姉妹」ってだけじゃなくて、それぞれのキャラも個性も仕事スタイルもバラバラ。というか、むしろ“正反対”レベルで違うってところが面白いんです。
まず、長女のヒロコさん。彼女はシンプルかつ洗練されたモード感が持ち味で、いわゆる“東京ファッション”の代表格みたいな人です。日本発のデザイナーブランドとしての先駆者的存在で、ミラノでも活躍していたんですよ。
一方、三女のミチコさんはストリート感あふれるカジュアル系。ロンドンに拠点を置き、スポーツウェアやアートっぽいグラフィックを取り入れたスタイルが特徴です。MICHIKO LONDONってブランド、聞いたことある人も多いはず。当時は若者の憧れブランドだったんです。
で、真ん中のジュンコさんは…もうおなじみですよね。舞台やオペラ衣装、和と洋をミックスした前衛的デザインが有名で、とにかく独自の世界観がすごい。「デザイナー界の異端児」とも言われたりしてます。
三人とも「母・綾子さんの影響でデザイナーになった」という共通点はあるけれど、進んだ道や美意識はそれぞれまったく違う。それでも、不思議と「全員が自分のスタイルを確立していて成功してる」っていうのが、ほんとにすごいなと思います。
ちなみに、ジュンコさんいわく、三姉妹の関係は「特別ベタベタするわけじゃないけど、どこかでつながってる感じ」らしくて、なんかその距離感もリアルでいいですよね。まさに“大人の姉妹”って感じです。
夫・弘之との出会いは教習所?支え合うパートナーシップ
さて、ここでちょっと恋バナ的な話も。コシノジュンコさんと夫・弘之さんの出会いが意外すぎる場所だったって知ってますか?なんと、出会いの場は教習所だったんです!デザイナーと自動車学校って、なかなか結びつかないんですけど、運命の出会いってどこに転がってるかわからないものですね。
出典元:日本経済新聞
弘之さんは、教習所でインストラクターをしていた人物で、そこでジュンコさんと知り合って交際に発展したそう。ジュンコさん、車の運転を学びに行ったのに、人生のパートナーまで見つけて帰ってきたってわけです(笑)。
でもこのお二人、ただの“職場恋愛”って話では終わりません。弘之さんはその後、ジュンコさんのビジネスを全面的にサポートする存在に。イベントや展示の裏方として支える立場に回り、表に出ることは少ないけれど、ジュンコさんにとっては欠かせない存在だったようです。
特に、順之さんを出産したあと、ジュンコさんが仕事で海外に行くときには、家で子育てをサポートしていたのが弘之さん。家庭と仕事の両立を陰で支えてくれた“縁の下の力持ち”ってやつですね。なかなか口数が少なくて、シャイなタイプだったそうですが、それもまた頼もしさを感じるポイントだったのかも。
今はすでにお別れしているようですが、ジュンコさんは「再婚はしていない」と明言しています。なので、弘之さんが唯一の夫ということになりますね。
あのパワフルなジュンコさんを支えられる人って、どんな人なんだろう?ってずっと気になってたんですが、こうして知ると納得。「影で支える」って、やっぱり一番カッコいいかも…って思っちゃいました!
子供服ブランドに宿る“母のまなざし”と日常美学
「コシノジュンコって子供服もやってたの!?」って驚いた人、多いと思います。なんとなく、舞台衣装とかハイファッションのイメージが強いから、子供服ってちょっと意外なジャンルかも。でも実はこれ、ジュンコさんならではの“視点”が詰まったお仕事なんです。
ジュンコさんが手がけた子供服ブランドのひとつが「キムラタン」などとのコラボライン。これ、ただの可愛いベビー服じゃないんですよ。「日常の中の美しさ」をテーマに、子どもたちの“自由な感性”を大切にする服を目指して作られているんです。
ジュンコさん自身、40歳で出産してから、母としての目線を初めて手に入れたわけですが、そこからは“命をデザインするような感覚”が芽生えたそうです。赤ちゃんの肌触り、動きやすさ、表情まで、全部がインスピレーションの源になるって語ってたのが印象的でした。
それともうひとつ、“日常”へのこだわり。「特別な日より、毎日の中にある“ちょっといいもの”を大事にしたい」っていう考えがあって、着やすくて、でもちゃんとオシャレ。そんな“毎日の中にある上質さ”を届けるのが、ジュンコさん流の子供服なんです。
ファッションって、どうしても「誰かに見せるため」みたいなイメージになりがちだけど、ジュンコさんはそこを“暮らしの中で自分が気持ちよくなるためのもの”として捉えてるのが、ほんと素敵。子供服にそれを落とし込んでるのも、愛情たっぷりでじんわりきますよね。
ちなみに、息子の順之さんや孫たちとの日常でも、ジュンコさんは洋服の着こなしをアドバイスすることがあるみたいです。さすが、母でもありデザイナーでもあるって感じです!
家系図で見る、クリエイティブ一家の驚きの血筋
そうそう、ここまで読んできて「この一家、どうなってんの!?」って思った方、正解です(笑)。だってジュンコさんの家系、“才能が遺伝する”ってレベルじゃないんです。ちょっと家系図風に整理すると、その凄さがよくわかります。
まず、スタート地点は母の小篠綾子さん。戦後の大阪で洋装店を立ち上げ、自らデザイン・制作・販売までこなしていた“パワフルすぎるお母ちゃん”です。この方がいたからこそ、あの三姉妹が育ったと言っても過言じゃありません。
その三姉妹とは、もちろんおなじみのヒロコ・ジュンコ・ミチコ。それぞれ全然違うジャンルで世界に飛び出し、日本のファッション界に確かな足跡を残しました。家の中でファッションショーでも開いてたんじゃないかって思っちゃうレベルの才能の密度ですよね。
で、次の世代がまたすごい。ジュンコさんの息子、順之さんはアートディレクターとして活躍しつつ、ジュンコブランドを経営面から支える存在に。そして、その子どもたち、つまりジュンコさんの孫たちもテレビや芸術の世界に足を踏み入れはじめているんです。
たとえば、孫の之くんは“ジュンコ呼び”で話題になっただけでなく、ビジュアルも知性も備えたイケメン高校生。孫娘の紗良ちゃんは朝ドラ『カーネーション』に出演経験があるというサプライズまで。もうね、遺伝子どうなってるんだって話です(笑)。
こうして見ると、「創造力って環境でも育つし、血筋でも引き継がれるものなんだな」って思っちゃいますよね。普通の家庭じゃまず生まれない、異次元の“表現一家”。この一族、今後も何かしらの分野でどんどん話題になりそうな気がしてなりません!
コシノジュンコの子供や家族構成が気になる方へ
- コシノジュンコは40歳で第一子を出産し、話題になった
- 出産した息子・順之さんは、コシノ家100年ぶりの男児だった
- 順之さんは現在、「JUNKO KOSHINO株式会社」の常務取締役を務めている
- 青山学院からロンドン芸術大学へ進学し、空間デザインを学んだ
- 帰国後はPUMA JAPANのディレクターや自身の会社を設立して活躍
- ジュンコさんと順之さんは親子でブランドを支えるビジネスパートナー
- 孫の之くんは“ジュンコ”と名前で呼ぶ、仲良しな関係性
- 之くんはテレビ出演も果たしたイケメン高校生で話題に
- 孫娘の紗良さんは、幼少期に朝ドラ『カーネーション』で子役デビューしている
- ジュンコさんは文化祭で息子を置き去りにした伝説を持っている
- 幼少期から洋裁店で育ち、日常の中で感性を磨いた
- 母・綾子さんは戦後に洋装店を立ち上げた名物デザイナー
- 姉・ヒロコはモード系、妹・ミチコはストリート系のファッションで活躍
- ジュンコさんの子供服デザインには“母の目線”が反映されている
- 家系図を見ると、三世代にわたりクリエイティブな才能が受け継がれている
コメント