「宝石箱や〜!」でおなじみのグルメリポーター彦摩呂さん。
現在はぽっちゃりとした体型が特徴的ですが、若い頃はスリムでイケメンだったと話題になっています。
今回はそんな彦摩呂さんの若い頃についてまとめていきたいと思います!
彦摩呂の昔:若い頃の画像
彦摩呂さんの若い頃の前に、まずプロフィールを見ていきましょう。
生年月日:1966年9月15日
出身地:大阪府東大阪市
身長:172センチ
血液型:A型
出身高校:此花学院高等学校、
趣味・特技:料理、書道、アクアリウム、
本名:原吉彦(はら よしひこ)
趣味は料理なんですね!さすがグルメリポーター(#^^#)
現在はグルメリポーターとして活躍されているぽっちゃり体型の彦摩呂さんですが、若い頃はスリムでイケメンだったそうなんです。
こちらが若い頃の彦摩呂さんです!
え、イケメン、、イケメンすぎて笑ってしまうのですが。
それにしても今と違いすぎではありませんか。
本当にこの方は彦摩呂さんなのでしょうか?(笑)
あ、どうやら本当に彦摩呂さんのようです(笑)
なんと、昔はモデル・アイドル活動をされていたようです!
そんな彦麿呂さんは、高校を卒業すると、百貨店に勤務していたのですが、ほどなくして退職。
モデル活動は高校時代からしていたようです。
彦摩呂さんは、モデル活動と並行して原宿でストリートパフォーマンスをしており、その中から有志でアイドルグループ「幕末塾」が結成されました!
1988年から1990年ごろまで『幕末塾』と言うアイドルグループのリーダーとして活躍されていたと言う彦摩呂さん
このルックスでアイドルとか、さぞかしモテたでしょう。
彦摩呂さんにモデルやアイドル時代があったなんでびっくりしました。
現在の彦摩呂さんを知っているからか、余計にイケメンに見えます(笑)
「幕末塾」としてアイドル活動
彦摩呂さんは昔、「幕末塾」というグループでアイドル活動をしていました!
左鈴気(さすけ)、彦摩呂 (ひこまろ)、雅 (みやび )、新兵衛 (しんべえ)、黒之助 (くろのすけ)、剣介 (けんすけ)、鼓太郎 (こたろう)、咲輝 (さかき)、小次郎 (こじろう)、尚舞 (なお)と10人で構成されていました。
このメンバーは、原宿でストリートパフォーマンスをしていた人たちの中から結成されたメンバーです!
彦摩呂さんはグループ人数10人という大所帯グループの2代目リーダーをしていました。
メンバーの名前は全員本名をもじった名前だそうで、「彦摩呂」は本名:原吉彦(はら よしひこ)から一文字とった芸名です。
彦摩呂さんの名前が一番変わってますね。
「幕末塾」は演劇パフォーマンスユニットで、哀川翔さんや柳葉敏郎さんが所属していた「一世風靡セピア」のようなグループを目指していたみたいです!
グループ結成年1988年の5月には、「ナイスガイ・コンテスト」に「幕末塾」として参加され、見事、準優勝に輝かれています。
ちなみに、この時の優勝者は吉田栄作さんです。
吉田栄作さんは当時4万円の風呂なしアパートに住んでいたそうなのですが、優勝賞金の100万円で風呂付きマンションに引っ越したそうです!
一方、ナイスガイ・コンテストで準グランプリに輝いた幕末塾はというと、、
このコンテストで司会をされていた片岡鶴太郎さんに、「太田プロダクション」を紹介してもらうと、「幕末塾」として芸能活動を開始。
下北沢駅前劇場で、月1回、お芝居をしたりアイドル雑誌に登場しました。
1989年には、秋元康さんのプロデュースにより、ファーストシングル「Come on Let’s Dance」で、アイドル歌手デビュー。
1990年には日本青年館で単独ライブをするなどの活動をされていたようです!
幕末塾は、アイドルグループではありますが、一人一人が単独で活動をしている事もあり、解散したわけではありませんが、次第にグループでの活動をしなくなっていきました。
アイドルとして活躍されていた彦摩呂さんですが、幕末塾は残念ながら1991年に活動停止となってしまったそうです。
活動停止となった後は、俳優としてテレビドラマや映画に出演していました。
俳優としてドラマに出演
彦摩呂さんは、幕末塾の活動が停止してからは、俳優として活躍されていました!
私の中で彦摩呂さんと言えば、1995年放送で、松雪泰子さん主演のドラマ『白鳥麗子でございます!』
彦摩呂さんは役者として力を発揮し、ドラマ「白鳥麗子でございます」では、哲也の友達である高田君役を演じました。
当時彦摩呂さんは、たぬちゃん役で大人気だったそうです!
安達祐実さん主演の「家なき子」では、小柳ルミ子さんの浮気相手役を演じていました。
こちらは映画「ミナミの帝王」での彦摩呂さん。渋いですね〜。
他にも様々なテレビドラマや映画に出演し、俳優として活躍されていました!
彦摩呂さんは当時、貪欲に仕事を頑張っていたそうで、活動の幅を広げて情報番組のリポーターを始めたことがきっかけで、グルメリポーターとしても活動されるようになりました!
グルメリポーターとして活動
彦摩呂さんは、情報番組のリポーターとしての活動をきっかけに、グルメリポーターとしての地位を確立していきました。
次第に自分のキャクターを活かし、活動の場を広げたいと思われるようになったそうで、事務所に相談されると、当時、山田邦子さんが司会を務められていた情報番組でリポーターに起用されます。
その番組での初仕事は、当時西日暮里にあった「日暮里菓子玩具問屋街」でのレポートだったそう。
彦摩呂さんはその後番組レギュラー出演となりました!
この番組がきっかけで旅番組での温泉レポート・芸能人の豪邸訪問・グルメリポートなど、タレント・リポーターとしての活動が中心となっていきました。
こちらはグルメリポーターを始められた当初の彦摩呂さんです。
彦摩呂さんは、当時を振り返りこのようにおっしゃっていたそうです。
「最初に山田邦子さんの番組で、お試しで使ってくれた時に、『駄菓子屋横丁』に行ったんです。
エンゼルパイみたいなお菓子を手に取って、半分に割って、『うわぁ、クリーム、見て~』ってカメラに見せたりして、割と最初から上手だった(笑)
テレビの向こうで、視聴者によだれが出るように工夫しようというのが、自分の中に染みついているみたいで。」
グルメリポーターを始めた当初から食レポがうまかったみたいですね!
彦摩呂さんといえば「宝石箱や〜」というフレーズでおなじみですが、このフレーズはどのようにして生まれたのでしょうか?
リポーターを始めて10年ほどたった頃、北海道の市場からのリポートで海鮮丼を紹介した際に、特に深い考えもなく「うわぁ、海の宝石箱や〜!」と口走ってしまったそうです。
これをきっかけに、「の……や〜!」等の比喩を積極的に使うようになりました。
口走ってしまった言葉が「海の宝石箱や〜」なんてすごいですね(笑)
美味しいものを口にすると「宝石箱や〜!」を真似するタレントがたくさんいるほど有名なフレーズとなり、「グルメリポーターといえば彦摩呂」と言われるほどの地位を確立しました。
彦摩呂の昔と今の写真を比較!
昔はイケメンアイドルでしたが、現在はぽっちゃり体型のグルメリポーター彦摩呂さん。
昔と今でかなり違いが見られます。
ということで、彦摩呂さんの昔と今を比較して見たいと思います!
こちらは22歳の時の彦摩呂さんです。イケメンですね〜
「(幕末塾の)デビュー当時、ミニコンサートをやったんですよ。キャンペーンで。アンパンマンショーの後だった。
当時はまだ『常磐ハワイアンセンター』だったんですよ。フラガールはいいにおいがしたな。僕、58キロだったんですよ」
この当時の体重56kgだったそうで、かなりスリムでした!
しかし、現在の彦摩呂さんの体重は、
2014年10月時点で、彦摩呂さんの体重は、120キロにも達していたのです!
なんと120キロ!!
昔の画像と比較しても顔から首回りがパンパンでかなり太ったことがわかります。
こちらは食レポを始めた頃の彦摩呂さんです。体重は70〜80kgだと思われます。でも今よりは痩せています。
彦摩呂さんはこのようにおっしゃていました。
「食レポで美味しいものを食べていても、それは仕事なんです。自分のプライベートの食事じゃない。だからロケが終わると、『一杯行こうか』となり、また食べる。
ものすごい摂取カロリーだったと思いますね。で、太るとね、楽しいんですよ。
おばちゃんたちに、親しみをもってパチパチ肩をたたかれたり、丸っこいから子どもたちがワーっと寄ってきてお腹さすられたり。ゆるキャラですねん。
ほんで、デブタレントの集まりにも呼んでもらえるようになって。ま、太った太ったと言われていても、まだその頃は、70~80kgくらいの小デブでしたが……。」
食レポという仕事をしているので太ってしまうのは仕方がないことだと思いますが、ロケが終わってからも食事に行っていたなんて驚きです。
しかし驚きのエピソードはこれだけではありません。なんと彦摩呂さんは、ロケ先のお店で出された食事は全て完食するそうなんです!!
彦摩呂の仕事は、おいしい店で食べて、レポートをするというものがほとんどです。それに彼は、行った店では全部を完食するのが信念です。それがプロという自負があるようです。
取材したお店で出されたものを完食した上に、ロケ後に食事に行っているわけですから、120キロ超えも納得ですね(笑)
また、彦摩呂さんはロケの休憩時間に間食をすることもあるみたいです!
―おやつ代わりにカツ丼を食べてるって書き込みもありましたが。都市伝説ですか?
彦摩呂 「合間にね(笑)。食べてる時ありました。でもほんま太りすぎて、膝にコラーゲン打ってますからね。女のコは目元に打つでしょ?
僕らデブは膝に打つんですよ。今、だいぶマシになりましたけど。前は2週間に1回打ってましたから。」
膝にコラーゲンを打つなんて話、初めて聞きました!コラーゲンって膝にも打てるものなんですね(笑)
こんな生活を続けてきた彦摩呂さんですが、40歳を超えた頃からさらにやばくなり始めたみたいです。
40歳から激太りが始まった
「40になった頃からデブの快進撃がはじまったんです。とめどもなく太っていきましたね。
年齢的に代謝がすごい勢いで落ちていたんだと思います。それでも食べる量は同じ。飲んだ後は、〆のラーメンも食べて。10年間で一気に40kg太りました。」
ご覧のようにものすごく太ってしまった彦摩呂さん…なんだか苦しそうで心配です。
このままでは健康に悪いと彦摩呂さん自身も思ったのか、ダイエットを決行しました。
そのダイエットとは、「低糖質ダイエット」といい、ご飯やパン、イモ類、果物を減らし、きのこ、鶏肉、大豆、お魚などの、タンパク質を中心に食べるというものだそうです。
彦摩呂さんは、このダイエットに挑戦し、見事、3ヶ月で21キロの減量に成功されたのでした。
21キロの減量ということは、100キロになったということですね!
100キロもかなりのおデブさんだとは思いますが、21キロもの減量に成功してよかったです。
低糖質ダイエットを選んだ理由
ところで、様々なダイエット方法がある中で、なぜ彦摩呂さんは低糖質ダイエットを選んだのでしょうか?
彦摩呂さんは過去に番組を通して何回かダイエットをしたことがあったのですが、毎回リバウンドしてしまっていたそうです。
彦摩呂 「二十数社かな。テレビ番組や雑誌の企画、補助サプリメント、スポーツジムなどなどで。『彦摩呂を痩せさせると10億円産業になる』って言われたこともありますし。」
テリー 「彦摩呂さんはもともと男前だから、痩せた時の見栄えがいいっていうこともあるだろうね。」
彦摩呂 「でもそういうオファーは、全部丁重にお断りして。」
テリー 「どうして?」
彦摩呂 「僕はこれまで、食べないダイエットや異常なまでに体に負荷をかけるトレーニングを何回か番組でやっているんです。」
テリー 「ふむふむ。」
彦摩呂 「目標値を達成して『成功しました!』となって番組が終わると、次の日からトレーナーがつかない日常に戻る。すると、ダイエット前よりリバウンドしてしまう。」
リバウンドの経験から、リバウンドする可能性の低いダイエット方法である低糖質ダイエットを選んだようです!
「今回は、リバウンドするダイエットはやめようと、3つの条件を決めました。
それは、(1)続けられるダイエット、(2)自分ひとりでできるダイエット、(3)食べないダイエットはしない。この3つ。そこで出会ったのが、低糖質ダイエットだったのです。
糖質が肥満の第一原因だから、摂取量をゆるやかに制限することで痩せようと。これなら運動が苦手な僕にもできる。」
この低糖質ダイエットで、彦摩呂さんは21キロもの減量に成功しました!
しかしここで安心せず、体のためにもこのままダイエットを続けて食レポを始めた頃の体重まで落として欲しいです。
このように、イケメンなモデル・アイドル時代を経て、グルメリポーターに転身した彦摩呂さん。
ゆるキャラのようなふくよかなルックスと好感度溢れるキャラクターで、今や「グルメリポーターといえば彦摩呂」と言われるほど有名なグルメリポーターとなりました。
食べ過ぎには注意して、これからもグルメリポーターとして活躍して欲しいです!(^^)!
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