ヒカルと師匠の井川拓哉の現在の関係や反社のヤクザに絡まれた過去!

2023年現在、チャンネル登録者数約500万人を超える超人気YouTuberであり、複数の会社を経営する実業家でもあるヒカルさん。

良い意味でも悪い意味でも何かと世間を騒がせているので、ヒカルさんの動画は見たことがなくても彼の名前は知っている、という方も多いのではないでしょうか。

当たりがでるまで商品を買い続けるといった検証企画や、親交のあるYouTuberの誕生日に300万円以上する車をプレゼントしたりと、惜しみなくお金を使う姿が人気を呼び、今ではYouTubeだけで年収約10億事業での年商は合計約50億と明かしている圧倒的成功者です!!

そんなヒカルさんは決して楽にここまで上り詰めたのではなく、苦労したどん底の昔があってこその今があるんです。

ということで今回は、ヒカルさんがYouTuberとして成功するまでの経歴についてご紹介していきます!

昔から才能の片鱗を見せていた!田舎町で生まれたヒカルの経歴

  • 名前:ヒカル
  • 本名:前田圭太(まえだけいた)
  • 生年月日:1991年5月29日
  • 出身地:兵庫県神崎郡市川町
  • 最終学歴:高校卒業

2023年で32歳になるヒカルさん。本名は「ヒカル」ではなく「前田圭太」さんなんですね。

名前の由来についてヒカルさんは「なんとなく」と話していたようですが、昔から金髪にしていることから「金=光る=ヒカル」なのではとも言われています。

名前のとおりに光り輝く大人気YouTuberとなったヒカルさんですが、どのような人生を送ってきたのか、幼少期から順を追って経歴を辿っていきます。

1995年 市川町立鶴居幼稚園 入園

1991年に兵庫県神崎郡市川町に生まれたヒカルさんは、1995年に『市川町立鶴居幼稚園』に入園、1998年に卒園しました。

これはヒカルさん本人がTwitterに投稿したことから明らかになったようです。

この幼稚園は、以前は100人以上の園児が通っていた時代もあったそうですが、田舎町であることや少子化により2017年度には8人にまで園児が減ってしまったことから、2018年3月に閉園しています。

幼い頃のヒカルさんは、好きな女の子によくちょっかいを出していたそうですよ。

男の子あるあるで可愛いですね(笑)

1998年 市川町立鶴居小学校 入学

小学校は鶴居幼稚園が併設されていた『市川町立鶴居小学校』に1998年に入学、2004年に卒業しました。

ヒカルさんが通っていたころから子供が少なかったそうで、小学校と中学校は1学年に1クラスのみ、同級生は40人ほどしかいなかったそうです。

ヒカルさんは小学生の頃から口が達者で、先生さえも言い負かしていたんだとか。

おとなしそうな子に見えますが、この時点で大人を論破するトークスキルをすでに備えていたとは恐ろしい子供です(笑)

また、ゲームや漫画が大好きでたくさん買ってもらっていたそうですよ。

ヒカルさんは親に「貧乏な家に生みやがって。金持ちの家に生まれたかった」と暴言を吐いたこともあったと語っているのであまり裕福な家庭ではなかったと思われますが、それでも好きなゲームや漫画を買ってくれる優しいご両親だったんですね。

子供のころから多くのゲームや漫画に触れてきたこともヒカルさんの豊かな発想力の元になっているのかもしれません。

2004年 市川町立鶴居中学校 入学

中学校は2004年に『市川町立鶴居中学校』に入学し、2007年に卒業しています。

鶴居中学校は『市川町立市川中学校』と統合したことにより、2022年3月末で閉校となりました。

中学時代は野球部と卓球部を兼部していたヒカルさんですが、野球部が嫌いだったため中学最後の大会で初戦敗退したことが嬉しく、「やっと終わった…」と思ったそうです。

そんなに嫌だったのに最後まで辞めなかったんですね(笑)

なんと野球部だったのに長髪にしていたそうで、学生時代から自分を貫く性格だったことがわかります。

また、好きな女の子に近づきたいという理由で、その子が通っている塾に入ったこともあったそうですよΣ(゚Д゚)

好きな子がいるからという理由で塾に入るなんて、普通そこまでしませんよねw

すぐにこういったことができる決断力と行動力はさすがヒカルさんだなあと思います。

ただ、その女の子とは一緒に授業を受けることができなかったため塾はすぐに辞めたそうですが、ヒカルさんの想いが届いて見事初彼女になったそうです♡

費用を払ったご両親からしたら残念な話でしょうが…(*_*;

2007年 兵庫県立神崎高等学校 入学

中学を卒業したヒカルさんは2007年、『兵庫県立神崎高等学校』に入学し、2010年に卒業しました。

ヒカルさんが以前投稿したこちらの動画でも少し触れられています。

神崎高校の偏差値は45で、全国的には中の下といったところでしょうか。大学に進学する生徒はクラスの約1/4、ほかの生徒は専門学校か就職を選ぶようです。

ヒカルさんは頭の回転が速い印象ですが、特別勉強ができるタイプではなかったようですね。

高校では中学に引き続き野球部へ入部しましたが、1ヵ月後に顧問の先生から「坊主にしてこい」と言われたために退部したそうです(笑)

その後は部活には入らず、彼女や友達と遊ぶなど自由に高校生活を満喫したヒカルさん。

ヤンキーだったそうですが、ケンカに明け暮れるようなわかりやすいヤンキーではなく、「頭の悪いヤンキーを陰で操ってうまく利用していた」という、黒幕タイプの頭脳派ヤンキーだったようです(笑)

スクールカーストのトップで女子にもモテモテ、他校の女子生徒の間でもヒカルさんのことが噂になるほどで、高校時代が「女遊びの全盛期」だったと高校生活を振り返っています。

ここまで特に何かに努力をしてきたことがなく、頑張っている同級生を馬鹿にすることで自分を肯定していたというヒカルさんですが、高校3年生の時にその考え方が変わるきっかけがありました。

当時、同い年のプロゴルファー・石川遼選手が賞金王に輝いたというニュースを見たヒカルさんは、同じ高校生なのに別次元の人だと感じ「この人はどれくらい努力してきたんだろう」と考え、毎日遊んでいる自分と比べて「このままじゃだめだ」と思ったのだそうです。

石川遼選手がいなかったら「YouTuberヒカル」は誕生していなかったかも…?

しかし、急に自分を変えることは当然難しく、それまでどおり過ごしていたヒカルさん。

やがて進路を決める時期になりますが、神崎高校の評判はあまりよくなく、進路の選択肢が少なかったそうです。

担任の先生から「工場へ就職するかニートになるか選んでください」と二択を迫られたそうです。

さすがにニートはまずいと思ったヒカルさんは地元の工場へ就職することを決めました。

2010年 地元の工場へ就職するもすぐに退職

高校を卒業し、2010年に地元の工場へ就職したヒカルさん。

就職先は現在の日本製鉄株式会社(旧・新日鉄住金株式会社)が合併する前の会社だったと言われていますが定かではありません。

手際良く仕事ができてコミュニケーション能力も高いヒカルさんはすぐに先輩達に気に入られましたが、入社から4ヵ月ほどで退職を決めます

その理由のひとつは、係長と気が合わないことでした。

係長はとても頭が固く年功序列を重んじる人で、ヒカルさんが効率の良い方法を提言しても聞いてもらえない環境だったため、納得がいかず揉めることもあり、「こいつにはついていきたくない」と思っていたそうです。

さらに、退職の意思を決定的にしたのはヒカルさんにとって初めてのボーナス支給日のことでした。

ボーナスを手渡すために高級車で工場へやって来た社長が社員達を集め、その場で工場を辞めていった人達のことを批判したそうなのです。

その話を聞いて「ここはやばい」と感じ、退職を決意。

子供のころから“俺はいつか社長になるんだろうな”と漠然と思っていたというヒカルさんは、元々工場で長く働くつもりではなかったこともあり、ボーナスを貰った直後に退職しました。

ここでもヒカルさんの決断は早いです(笑)

師匠・井川拓哉と出会い人生が変わるも現在は袂を分かつ

工場を退職後やりたいことが見つからずにいたヒカルさんは、高校の同級生でのちに一緒にYouTubeで活動するようになるりょうまさんのお兄さんである井川拓哉さんと出会います

中古品の呉服販売などを行う小さな会社を経営していた井川拓哉さんの話に感銘を受けたヒカルさんは自分も人生を変えたいと思い、井川さんの元で働きながら経営のノウハウを学びました

髪を黒くし、営業マンとして働き始めたヒカルさんはここでもすぐに才能を発揮し、常に営業成績トップを取るようになります。

そのころからヒカルさんは再び髪を金髪にし、スーツに金のゴツいネックレスという、見た目は完全な反社スタイルで仕事をするようになったそうですw

井川拓哉さんから「営業マンは身なりや誠実さが大事なんだ」と注意を受けますが、ヒカルさんはやはり自分のスタイルを貫き、その翌月には前月の倍の売り上げを叩き出したことで井川さんを黙らせました(笑)

ただ自分のやりたいことを押し通すだけでなく、ちゃんと結果を出してしまうからすごいですよね!

入社して1年ほど経ったころには、会社の売り上げの約半分をヒカルさんが担っていたんだそうです。

そこでヒカルさんは独立を決め、自ら会社を立ち上げることになります。

この時ヒカルさんはまだ19歳でしたΣ(゚Д゚)

ちなみにこの井川さんですが、ヒカルさんと共同で行ったあの有名なVALU事件で大炎上し、今では完全に袂を分けたようです。

というのも、井川さんはこのVALU詐欺事件後に「めざせ年収1億!動画配信で稼ぐ方法」という本を発刊する予定でした。

しかし現在この本について調べてみると生産中止に…一体何があったのでしょうか?

調べてみたところ、どうやらヒカルさんと本の表紙を巡って揉めたことが原因のようでした。

当初発売予定の本の表紙↓

現在の表紙↓(生産中止)

帯からヒカルさんがいなくなっていますよね。

どうやらヒカルさんに無断で帯に画像を使用してしまったようで、ヒカルさんの事務所から本の発売にSTOPがかかり、表紙の内容が変更になったようです。

その当時公開された動画内で、

「僕がYouTubeのノウハウを誰かに教えているだとか、そのノウハウを使ってお金儲けをしているだとか、っていうのは一切ない。」

と発言していることからも、井川さんに対する不信感が見て取れますね。

こうした事件以降も井川さん側はヒカルさんと今まで通り付き合っていけると思っていたみたいですが、実際はそう上手く行かなかった事を明らかにしています。

「姫路に帰った時に飲みに行こうぜみたいなLINEをしたんですよ。そのときに本のこと言おうかなぁって。(中略)意外に溝が深かったんかなって。」

飲みに行くことも断られ、今後の関係を見直す様な事を示唆されたようですね。

こうしてヒカルさんとの関係も切れてしまった井川さん。その後は『株式会社i-Media』に在籍し、新たなYouTuber育成をしたり、色々な所で講演をしているようです。

細々と活動を続けていることが分かりました。

19歳~ 人材派遣業を営むがヤクザに絡まれ800万円取られる

19歳で井川拓哉さんの会社から独立したヒカルさんは、実の兄で現在一緒にYouTubeで活動しているまえっさんを誘って会社を立ち上げることにしました。

この時まえっさんは大学生でしたが、ヒカルさんは「俺は100%成功する」と言ってまえっさんを説得し、反対する親にも「俺は勝たせる自信がある」と説き伏せて大学を中退させ、一緒に人材派遣会社を設立しました。

設立当初は順調に経営していたようですが、2011年3月に発生した東日本大震災による福島原発事故の除染作業員を派遣するビジネスに目を付け、井川拓哉さんから紹介された人物と仕事をすることにしましたが、ここでトラブルが起こります。

危険な仕事のため、日当数十万という高額報酬で募集しても人がなかなか集まらず、さらには作業員が当日現場に来なかったことでヒカルさんは管理責任を問われ、滋賀県のガストに呼び出されました

ヒカルさんは「謝ればすぐに終わるだろう」と軽く考えていたそうですが、井川拓哉さんに紹介された人物が実はヤクザと関わりのある人だったのです(;゚Д゚)

ガストに着いたヒカルさんはヤクザ2人と対面し、さらに車の中にも手下が2人待機しているという状況の中で、何度も謝罪しました。

しかしヤクザからは、今回の件で損害が出ていることを繰り返し主張され、「どうケジメをつける気だ?」の一点張りで、まったく話が進まなかったそうです。

ヤクザは恐喝に当たらないよう、はっきりと金銭の要求はしません。ヒカルさんから「お金を払います」と言うのを待っていると察してヒカルさんもその言葉を口にしませんでしたが、いつまでも終わらないことから我慢の限界に達し、この場から逃げようと考えました。

するとそれに気付いたヤクザからこう言われます。

おい、なんで車内にあの2人がいるかわかるか?お前が逃げたら刺すためや!

この言葉に心が折れたヒカルさんが「お金を払います」と言うと、

800万や

と、1日作業員を派遣できなかったことへの損失としてはありえない金額を要求されたため、払えるわけがないとヒカルさんが拒否すると今度は

お前、指何本ある?1本で300万保険降りるわ

と言って、ヤクザがバッグから指詰めに使う刃物を出そうとしたのを見て、ヒカルさんは仕方なく800万円支払うことに同意しました。

指は10本あるのが前提じゃない聞き方がこわすぎます。

映画やドラマだけの世界かと思いきや、現実でも一般人をこんな風に脅すことがあるんですね…(((;°Д°;)))

当時を振り返ってヒカルさんはこのように話しています。

「まだ右も左もわからない世間知らずだった。下心を出して見返りを求めて、良い思いをしたくて乗っかってしまった。人を見極める能力がなかったから、騙されたのも自分のせい。派遣ビジネスが悪いわけじゃないし、それをやっている人がみんな悪ということでもない。」

その後もヒカルさんはヤクザから目を付けられ、深夜に何度も電話が鳴る日々が続きました。

「今から来れるよな?」と強制的に呼び出され、キャバクラなどでヤクザ達を接待し、朝方に解放されそのまま仕事に行くことも多く、またある時は山奥の工場まで呼び出され、砂利道で意味もなく土下座を強要されたこともあったそうです。

こんな辛い生活が3ヵ月ほど続き、ヒカルさんは周りから驚かれるほど老けてしまったのだそう…。

しかしこの経験があったからこそ強くなり、今ではどんなことがあっても「あの時と比べたらなんてことない」と思えるようになったと語っています。

借金返済のために働きながらFXに手を出すも失敗

人材派遣業で失敗し、1200万の借金を抱えていたヒカルさんは、派遣の仕事やデリヘルのドライバー、テレアポなど様々な仕事をしながら、その日暮らしの生活をしていました。

それでもヒカルさんは、これまで辛い経験や失敗をしたことで「レベルアップしている」と前向きに捉え、「諦める」という選択肢はなかったそうです。

これも、自分は100%成功するんだという揺るぎない自信があったからなんでしょうね。

 

一時期は象牙を売る仕事をしていたこともあったようですが、象牙はワシントン条約により販売や取引が禁止されているため、また危ない人と仕事をしていたのでは…?との声もあります。

働いて借金を地道に返済しつつ、インターネットで稼ごうと思いついたヒカルさんが次に始めたのがFXでした。

「楽に稼げそう」という理由で、ロレックスなど私物を売り払って200万円の元手を作りFXを始めたものの、少しずつお金は減っていく一方…。

たった1ヵ月で200万円が無くなってしまったそうです(゚ω゚)チーン

20歳~ アフィリエイトで成功し情報商材ビジネスを始める

FXは初心者が簡単に稼げる世界ではないことを知ったヒカルさんは、楽に稼ぎたいという考えを捨て、最初はまったくお金が入ってこなくてもいいから地道に積み上げていけることをしようと思い、今度はアフィリエイトを始めました

派遣の仕事で夕方まで工場で働き、夜はアフィリエイトをするという生活を続けていると、しばらくは全く成果がでませんでしたが、4ヵ月経って徐々に収益が増え始め、半年後には月収200万を達成

最大で1200万稼いだ月もあったそうですΣ(゚Д゚)Σ(゚Д゚)

アフィリエイトで稼いで借金を完済したヒカルさんは『金髪起業家』として、ネットで稼ぐためのスキルを有料で提供する「情報商材ビジネス」を始めました。

このビジネスで成功した人といえば、“秒速で1億円稼ぐ男”として脚光を浴びた与沢翼さんが有名ですね。

そんなに簡単に稼げるワケないでしょ…と思ってしまうんですが、ヒカルさんの情報商材は売れに売れ、生徒数は1000人を超えていたそうです。

また、ヒカキンさんの動画に広告を出すことで、メールマガジンの新規登録者を1日で2万人獲得したこともあり、そこから商材の購入に繋げることもできたようです。

商材は1万円のものから18万円するものまであり、このビジネスでヒカルさんは最高月収2000万円まで到達しました。

しかし、ヒカルさんの教えたことをすべて実行できる人は100人中3人ほどしかおらず、多くの人が実践できる内容ではありませんでした

さらに、商材購入後にはヒカルさんからのサポートを受けられるはずでしたが、いざサポートを受けようと思ってもヒカルさんと連絡が取れず、購入者からは「詐欺だ」との声もあがるようになっていたようです。

ヒカルさんは「法に触れてないからいいでしょ?」という気持ちでこの仕事をしていましたが、高額でありながら成果を出すことが難しい商材を売ることに徐々に罪悪感を抱くようになり、人に誇れる仕事ではないと感じて半年ほどでスパッとやめたそうです。

YouTuberヒカルとして活動を開始し大人気となる

情報商材ビジネスをやめたヒカルさんは、YouTubeで人気だったゲーム実況者の動画を見て「このクオリティで100万再生いくんや。俺でもできるんじゃないか」と思い、2013年6月、22歳の時にYouTubeで『Hikaru Games』を開設しました。

毎度このポジティブ思考と自信、本当に羨ましいです(笑)

当時世界一のYouTuberがゲーム実況者だったこともあり、いずれ日本一のYouTuberもゲーム実況者になる、ゲーム実況にはまだまだ先があるとも考えていたそうです。

何の知識もないままに始め、最初はテレビ画面をビデオカメラで映して撮影していたのだとか。

ほかの実況者と被らないゲームを選んである程度注目が集まったころから人気ゲームや新作ゲームをプレイし、毎日のように動画を投稿しているうちにチャンネル登録者数が10万人を突破しました。

このころにはもう今のヒカルさんのトレードマークである金と黒のツートンカラーの髪になっていたんですね。

ほかにもトークメインのチャンネルを作り、ゲーム実況以外の動画も投稿していたようです。

しかし、このまま続けていっても登録者数が100万人、200万人になるまでどのくらいかかるんだろうと考えた時に限界を感じたヒカルさんは、2016年3月に現在のメインチャンネル『Hikaru Channel』を開設。

はじめしゃちょーなどの人気YouTuberを参考にしながらも、“自販機で売り切れるまで買い続けたらいくらになるのか?”や、“1万円が当たる1000円ガチャを当たるまで引く”といった、時間と労力を費やし、ヒカルさんらしくお金をバンバン使う動画が人気となり、中でもゲーム&トレカショップ『遊楽舎』のおもしろ店長が登場する動画は名物企画となりました。

なんと、ヒカルさんと店長がタッグを組み、秋葉原に『遊楽舎ヒカル店』もオープンしましたが、コロナの影響により、残念ながら2022年5月をもって閉店してしまいました。

オープン当初はヒカルさんが来店してイベントを行う計画もしていたそうですが、それもコロナ禍でできなかったそうです。

YouTuber事務所『Next Stage』設立

事務所に所属せずフリーで活動していたヒカルさんは2016年11月、YouTuberなどのクリエイターが多く所属する『株式会社VAZ』から声をかけられ、事務所に入る代わりに3つの条件を提示します。

【自由に活動させてほしい】

ヒカルさんのやりたいように自由に活動ができること。そして事務所はできる限り支援をすること。

【大きなプロモーションをしたい】

VAZの名前では弱いので、新しく事務所を立ち上げたい。事務所は派手に宣伝をしてほしい。

【ほかのYouTuberも入れたい】

勢いのあるYouTuberを引き抜いてくるので、そのみんなも新事務所に所属させて一緒に活動がしたい。

といったものでした。かなり強気な交渉ですね。

これらの条件をVAZが受け入れ、管理はVAZが行い、ヒカルさんの師匠・井川拓哉さんが顧問を務める形で、新事務所『Next Stage』を設立しました。

しかし、のちに炎上騒動や事務所とのトラブルにより、ヒカルさんは2018年11月にVAZとの契約を解除しています。

祭りくじ動画が大バズりしテレビでも取り上げられる

チャンネル開設から9ヵ月後の2016年12月には登録者数100万人を突破しました。

開設から271日での100万人突破は、2018年に本田翼さんが実質18日で達成するまでは日本最速記録でした。

そして2017年4月に投稿した祭りくじ検証動画でヒカルさんの知名度はネットを飛び出し、世間にも広まります。

この動画は、お祭りの出店にあるくじをひたすら引き続け、Nintendo Switchなどの豪華景品が本当に当たるのかを検証するという企画。

しかし15万円以上使ってもハズレばかりで、景品が置いてあるにも関わらず「もう当たりが出たのかもしれない」と苦しい言い訳をする店主にヒカルさんは「おかしいでしょ!」と詰め寄り、揉めています。

この動画が大バズりし、当時の国内YouTube動画の高評価数ランキング1位を獲得。

テレビでも取り上げられ、ヒカルさんは一躍有名人になりました!

その後もヒカルさんの人気は留まることなく、いくつもの炎上や活動休止などがありながらも、現在も日本のトップYouTuberの1人として活躍を続けています。

ヒカルの努力を称賛する声が多いが詐欺師のイメージも強く残っている

ちょっとやんちゃではあったものの、ごく普通に学生時代を過ごしてきたヒカルさん。

しかし、社会に出てからの凄まじい経験や努力で、今や年収10億円以上稼ぐ大金持ちに成り上がったヒカルさんを称賛する声がネット上にはたくさんありました。

私はヒカルさんのことを、ただ口がうまくて調子良く世間を渡り歩いてきただけの人なのかと思ってしまっていたので、全力で謝りたいです…。

才能に恵まれたのも確かですが、その才能を無駄にせず努力を続けた結果が現在の成功に繋がっていたんですね!

一方、情報商材を売っていた時代のヒカルさんのマイナスイメージや、ビットコインを使って個人の価値を売買できるサービス『VALU』で、ヒカルさんがインサイダー取引を行ったのではと疑われる騒動が起きたことも根強く印象に残っているようで、「詐欺師」だという声も見られました。

正確には情報商材もVALUも詐欺“まがい”なのでしょうが、一度ついてしまった悪いイメージを回復させるのは簡単なことではありませんね。

まとめ

今回はヒカルさんの幼少期からYouTuberとして有名になるまでの経歴をご紹介しました。

  • 田舎町で生まれ、地元の高校卒業後は工場へ就職
  • 工場退職後、恩師の元で経営を学び独立
  • ヤクザに脅され事業は失敗、借金を抱える
  • 試行錯誤しながらも、ネットビジネスで大成功
  • YouTuberに転身し持ち前の発想力とトークスキルで人気者になる

ヒカルさんは決してトントン拍子でここまで上り詰めたのではなく、壮絶な経験をし、失敗や苦労をたくさん重ねたことで成功を勝ち取った努力の人でした。

思い立ったらすぐ実行に移すヒカルさんの行動力は素晴らしいです。ただ、それでとんでもない失敗もしているので必ずしも正解だとは思いませんが…(笑)

ヒカルさんは、これまで挑戦と失敗をずっと繰り返した人生だったと振り返り、「成功している人はほとんどそう」だと語っています。

やる前から「自分にできるはずがない」とすぐに諦めて生きてきた私にはとても突き刺さる言葉です…。

今後もヒカルさんならではの面白い動画をたくさん見せてもらえると思うと楽しみですね!

そんなヒカルの整形疑惑について気になる方はこちらの記事をご覧ください。

ヒカルの顔が変わった?整形前の画像は?口が変で顔変わり過ぎ?
今やYouTubeだけではなく実業家であり、歌手として活躍していたり、アパレルブランドReZARDを立ち上げて売れに売れてるヒカルさん。 昔の顔は近所にいるちょっとヤンキーなお兄ちゃんみたいな感じですが、最近ではアイドル顔負けのツルツルの肌...
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