フジテレビの歴史を語るうえで欠かせない人物、それが日枝久氏です。
長年にわたりフジサンケイグループの代表を務め、フジテレビの黄金時代を築いた立役者として知られています。彼の名前を聞けば、多くの人が1980年代から2000年代にかけてのフジテレビの隆盛を思い浮かべるでしょう。
しかし、彼の長期政権の裏には、触れてはいけない「3大タブー」が存在すると言われています。
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これらのタブーはフジテレビの運営や内部の文化に深く関わっており、時には批判の的になることもありました。
日枝氏の功績とタブーは表裏一体。彼がフジテレビにもたらした影響を正しく理解するためには、これらのタブーの詳細に迫る必要があります。
本記事では、日枝久氏の「3大タブー」とは何か、それがフジテレビにどのような影響を与えたのかを詳しく解説していきます。
3大タブーの詳細①とんねるずとの特別な関係
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フジテレビの黄金期を支えたお笑いコンビ「とんねるず」。その成功の裏には、当時の編成局長だった日枝久氏の強力なバックアップがありました。
1980年代後半、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が若者の間で大ヒット。この番組で司会を務めたとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)が全国区のスターへと躍進しました。
日枝氏は彼らの才能を高く評価し、さらなる飛躍のために1988年に『とんねるずのみなさんのおかげです』をスタートさせました。
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この番組は当初から高視聴率を誇り、1990年代のフジテレビを代表する人気番組の一つに成長。しかし、裏話として、番組名の候補には「日枝さんのおかげです」もあったとの逸話があり、日枝氏の個人的な愛着の強さを示すエピソードとなっています。
2000年代後半になると、視聴者の嗜好が変化し、フジテレビのバラエティ番組の勢いにも陰りが見え始めます。特に2010年代に入ると、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の視聴率は5%以下に落ち込むことが多くなりました。他の長寿バラエティ番組が次々と終了する中、なぜかこの番組だけは打ち切りを免れ続けたのです。
この背景には、日枝氏の強い意向があったと言われています。
番組制作に関わるスタッフの間では「どんなに視聴率が低迷しても『とんねるずのみなさんのおかげでした』は終わらない」との見方が根強くありました。
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フジテレビ社内では、この「特別扱い」に不満の声が上がっていました。
関係者の間では、とんねるずの番組は「会長案件」とされ、編成会議でもこの番組に手をつけることができない状況が続いたとされています。
また、「日枝氏の意向には逆らえない」という空気が社内に広がり、視聴率が振るわない番組を守ることがフジテレビ全体の番組編成に悪影響を及ぼしていたとの指摘もあります。
結果として、視聴者のニーズとズレた番組作りが続き、フジテレビのバラエティ部門全体の競争力が低下する原因の一つになったとも言われています。
とんねるずはフジテレビの象徴的な存在であり「日枝氏ととんねるずの関係」こそが、フジテレビの栄光と衰退を象徴するタブーの一つとされているのです。
3大タブーの詳細②社内人事の不透明さ(コネ入社・女子アナ問題)
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フジテレビの女子アナウンサーは、長年「花形職業」として多くの視聴者に親しまれてきました。
しかし、社内では彼女たちの採用基準について、ある「タブー」が囁かれていました。それが「女子アナの採用には日枝氏の好みが反映されている」という噂です。
フジテレビOBの証言によると「日枝氏は毎年正月に女子アナを引き連れて社内を歩くのが恒例だった」とされており、まるで江戸時代の「大奥」のような光景だったと言われています。
実際、局内では「日枝氏が面接時に気に入った女性は採用される」という話が当たり前のように語られていました。
出典元:ねとらぼ – ITmedia
このような背景があるため、フジテレビの採用方針に対しては「実力ではなく、特定の基準で選ばれているのでは?」との疑念が向けられてきました。
女子アナは実力主義で選ばれるべきだという声がある一方で、フジテレビでは「特定の意向」が採用に強く影響を与えていると考えられており、これが社内の士気低下や公正な人事評価の妨げとなっているとの批判も根強く存在します。
フジテレビにおける「コネ入社」問題も、日枝氏の長期政権下でタブー視される話題の一つです。
特に、政治家や芸能人、有力スポンサーの子息が次々と採用される状況が続き、社内では「有力者の子供は優遇される」という暗黙のルールが存在していたと言われています。
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実際に名前が挙がっているのは、
- 藤井弘輝(藤井フミヤの息子)
- 高橋真麻(高橋英樹の娘)
- 生田竜聖(生田斗真の弟)
- 岸信千世(安倍晋三の甥)
など、有名人の子供たちが次々とフジテレビに入社した事例が報告されています。
特に、安倍晋三氏の甥や他の政治家の親族が採用されるたびに「フジテレビは政治家との関係を優先しているのでは?」との疑念が世間からも向けられました。
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このような状況が続くことで、一般社員のモチベーションが低下し「努力しても評価されない」という空気が広がったとも言われています。さらに、番組制作においても「実力よりもコネが優先される文化」が根付き、視聴率の低迷につながったとの指摘もあります。
フジテレビの「上納の闇」とは、社員や特定の役職者が上層部の意向に従わざるを得ないという慣行を指す言葉です。
特に女子アナウンサーに関しては、「接待要員化」しているとの批判が後を絶ちません。広告主やスポンサーとの会食に女子アナが頻繁に同席させられるケースがあるとされており「社内での立場よりも、外部との関係が優先される」という風潮が問題視されてきました。
このような文化は、女性社員にとっては不公平であり、実力や努力ではなく「外部の付き合い方」で評価が決まることに対する不満が噴出していました。結果として、実力のある社員が退職を選ぶケースも増え、フジテレビの競争力低下を加速させたとも言われています。
これらの問題の根本には、フジテレビの「閉鎖的な体質」があります。
・人事が特定の人脈に支配される
・実力主義ではなく、関係性で昇進が決まる
・外部の意見を受け入れにくい文化
こうした体質が、視聴率低迷や組織の活性化を妨げる要因となってきました。特に日枝氏の長期政権によって、この閉鎖的な体制が固定化し、フジテレビの変革を阻む大きな障害となっているのです。
フジテレビはかつて「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンのもと、革新的な番組を次々と生み出してきました。しかし、その裏側では、「コネ入社」「不透明な人事」「女子アナの接待要員化」といった問題が積み重なり、組織としての活力を失いつつあると言われています。
3大タブーの詳細③クーデターによる創業家追放
フジテレビの創業家である鹿内家は、長年にわたり経営の中心にいました。
創業者・鹿内信隆が築いたこのメディア王国は、息子の鹿内春雄が受け継ぐ形で維持されていました。しかし、1988年に鹿内春雄が急逝。この突然の出来事が、フジテレビの権力闘争の引き金となります。
後継者として、孫の鹿内宏明が指名されましたが、彼の経営方針はフジテレビ内の勢力と衝突しました。特に、当時フジテレビの実権を握りつつあった日枝久氏との間で対立が激化。
鹿内家がフジテレビを家族経営の路線で続けようとする一方で、日枝氏は「より効率的な企業経営を目指すべき」との考えを持っていたとされます。
出典元:ABEMA TIMES
こうした意見の食い違いは次第に大きくなり、フジテレビ内で権力闘争が勃発。その結果、1992年に歴史的なクーデターが起こることになります。
このクーデターは、フジテレビの歴史の中で最も衝撃的な出来事の一つでした。
1992年、日枝久氏はフジサンケイグループ内で経営陣をまとめ上げ、鹿内宏明を解任。
この決定により、創業家である鹿内家の影響力は完全に排除され、フジテレビの経営権は日枝氏へと移行しました。
クーデター後、鹿内宏明は産経新聞社の取締役会で会長職を解任され、翌日にはニッポン放送、フジテレビ、サンケイビルの会長職とフジサンケイグループ議長の辞任を余儀なくされました。つまり、鹿内家は完全にグループから追放されたのです。
出典元:テレ朝news
これによって、フジテレビは「創業家の経営」から「プロ経営者による経営」へと舵を切ることになりました。一見すると、このクーデターは企業の健全な成長を目的としたものにも見えますが、実際には日枝氏が自身の権力基盤を固めるための動きであったとも言われています。
クーデターを成功させた日枝氏は、その後フジテレビの経営陣を完全に掌握しました。1995年にはフジテレビの会長に就任し、経営のトップとしての影響力を強めていきます。
彼の強大な影響力から、フジテレビ内部では「フジテレビの天皇」とまで呼ばれるようになりました。会長職から退いた後も、「取締役相談役」として経営に関与し続け、今でも「院政」を敷いているとの批判が根強くあります。
出典元:au Webポータル
特に、フジテレビの経営が低迷する中で、日枝氏が長く影響力を持ち続けることが、組織の変革を妨げていると指摘する声も多くなっています。
フジテレビが視聴率低迷や経営不振に直面する中、株主や社員の間では、日枝氏の影響力を排除すべきという意見が高まっていきました。
2022年の株主総会では、「日枝、辞めろ!」といった怒号が飛び交う事態にまで発展。しかし、日枝氏はこれに動じることなく、引き続き経営陣としての影響力を維持しています。
また、2025年1月にはフジテレビの港浩一社長と嘉納修治会長が辞任を発表。しかし、日枝氏自身は表に出てくることなく、影で影響を持ち続けているとの見方が強まっています。
1992年のクーデター以降、フジテレビは日枝氏の影響下で独自の路線を歩んできました。
- バラエティ路線を強化し「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンで黄金時代を築いた
- 政治家や大企業との関係を深め、経営を安定させた
- しかし、その裏で「コネ入社」「女子アナ問題」などの閉鎖的な社内文化が強化される
こうした状況の中で、フジテレビは一時的に業界トップの座を築いたものの、2010年代に入ると視聴率低迷が続き、経営方針に疑問の声が上がるようになりました。
現在、フジテレビの業績が低迷し、社内外からの批判が高まる中、日枝氏がいつまで影響力を維持し続けるのかが注目されています。次世代の経営陣がどのような改革を進められるのか、フジテレビの未来が問われています。
3大タブーがフジテレビに与えた影響と復活の可能性について
出典元:Wikipedia
フジテレビの「3大タブー」は、単なる過去の問題ではなく、現在の経営や組織文化に深刻な影響を与えています。
とんねるずとの特別な関係、社内人事の不透明さ、クーデターによる長期政権化の問題は、組織の硬直化、視聴率低迷、ブランド低下といった形でフジテレビ全体の足かせとなっています。
フジテレビの最大の問題は、経営トップの固定化による組織の硬直化です。
- 経営層の固定化
日枝久氏が1992年のクーデター以来、フジテレビの支配を維持。2007年に取締役相談役となった後も、事実上の「院政」を敷き、影響力を持ち続けています。
- 新陳代謝の停滞
長期政権が続いた結果、若手が台頭しにくい環境が生まれました。新しいアイデアや価値観を持つ人材が活躍できる機会が限られ、業界全体の変化に対応しづらい体質が出来上がっています。
- 既得権益を守るための人事
経営陣は、自分たちの立場を守るために特定の派閥を優遇し、実力よりもコネが重視される人事が横行。これにより、フジテレビ内部での公平な競争が失われ、社員の士気が低下しました。
このような組織の硬直化が、フジテレビ全体の活力を奪い、企業としての成長を阻害しています。
かつて「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンで業界トップの視聴率を誇ったフジテレビ。
しかし、2000年代後半からその勢いは失われ、現在ではゴールデン帯の視聴率が民放最下位に低迷するまでに至っています。
- 2000年代後半から視聴率が下降
1990年代は「めちゃイケ」「SMAP×SMAP」「とんねるずのみなさんのおかげでした」などの人気番組が多かったが、2000年代後半から視聴率が低迷。
ゴールデン帯での視聴率が落ち込み、日テレやテレビ朝日に視聴者を奪われる。
- 新しいスターを生み出せない
他局では新たなスターが次々と登場する中、フジテレビは既存のスターに依存する傾向が強く、世代交代に失敗。
その象徴が「とんねるずへの忖度」であり、視聴率が低迷しても番組が存続したことで、若手の活躍の場が奪われた。
- 社内の空気が閉鎖的
「社内の空気が重い」「新しい企画が通りにくい」との声が社内からも上がっている。
変化を恐れる文化が根付き、新しいチャレンジがしにくい環境となった。
視聴率低迷の根本的な原因は、経営の硬直化と、新しいものを生み出せない組織体質にあります。
長期政権の弊害は、視聴率低迷だけにとどまらず、フジテレビのブランドイメージそのものにも悪影響を及ぼしています。
- 韓流偏重批判
2010年代初頭、フジテレビは韓国ドラマやK-POP番組を積極的に編成。
しかし、「日本のテレビ局なのに韓国を優遇しすぎでは?」という視聴者の反発が強まり、「フジテレビデモ」と呼ばれる抗議行動が発生。
これにより、視聴者の信頼を失い、視聴率低迷がさらに加速。
- 偏向報道疑惑
政治との結びつきが深いフジテレビは、特定の政治的立場を優遇しているとの批判も多い。
「自民党寄りの報道が多い」「公平なニュースを伝えていない」といった声が視聴者から上がっている。
- 社員の士気低下による番組クオリティの低下
組織の硬直化が原因で社員のモチベーションが低下。
番組制作の質が落ち、魅力的なコンテンツが生み出せなくなる悪循環が発生。
フジテレビがかつての栄光を取り戻すためには、3大タブーから脱却し、組織改革を進めることが不可欠です。
- 経営陣の刷新
- 若手の登用と新たなスターの発掘
- 透明性のある人事制度の確立
- 視聴者の信頼回復を意識した報道姿勢
これらの課題をクリアできるかどうかが、フジテレビの未来を左右することになるでしょう。
まとめ
フジテレビを長年支配してきた日枝久氏。
その絶対的な権力のもとで築かれた「3大タブー」は、組織の硬直化や視聴率低迷、さらにはブランドイメージの失墜といった形で大きな影響を及ぼしています。
出典元:日刊ゲンダイDIGITAL
① とんねるずとの蜜月関係
- フジテレビの編成を左右するほどの影響力
- 視聴率低迷にもかかわらず番組が継続された特別扱い
- 「会長案件」として社内でタブー視される存在
出典元:フジテレビ
② コネ入社と女子アナ問題
- 政治家・芸能人の子息の採用が横行し、実力主義が崩壊
- 「日枝氏の好みで女子アナが決まる」との噂
- 「接待要員化」や「上納の闇」などの問題も浮上
出典元:ABEMA TIMES
③ 創業家追放のクーデター
- 1992年、鹿内家を排除し経営権を独占
- その後も「フジテレビの天皇」として長期政権を維持
- 近年は「院政」を敷きながら、影響力を保持し続けている
日枝久氏の支配体制がもたらした「3大タブー」は、フジテレビの凋落を加速させました。
しかし、その影響力は今も続いており、改革が進まない限り、視聴率の回復や社内の活性化は難しいでしょう。
- 若手社員の不満が増大
- 経営陣への批判が噴出
- 「日枝、辞めろ!」の声が株主総会でも上がる
今、フジテレビは大きな岐路に立たされています。
果たして、フジテレビはこの「タブーの呪縛」から解放され、変革を遂げることができるのか?
それとも、このまま停滞し続けるのか?
その答えが出る日は、そう遠くないのかもしれません。
日枝久さんの妻について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
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