坂東英二さんといえば「ゆで卵」のイメージが定着していますよね。
芸人の人が「ぼくはねぇ〜ゆで卵が大好きやねん」と坂東さんのモノマネをする時にも必ずゆで卵が使われています。
しかしいくら好きな食べ物でも、同じものを食べ続けると飽きてきちゃいますよね。
そこでどうして坂東さんがゆで卵を好きになったのか?と気になったので調べてみると、驚きの理由があったので見ていきたいと思います。
坂東英二の「ゆで卵愛」は過去の貧しい経験がきっかけ
坂東さんは「毎日必ず3個〜5個はゆで卵を食べる」ぐらい大好きで、東京〜新大阪の移動中には最高9個のゆで卵を食べたこともあるそうです。
ゆで卵が売っているとつい買ってしまい、地下鉄で食べた時はさすがに怒られたそうですけどね。
バラエティー番組でも常々「毎日、ゆで卵が食べられることが贅沢です」と発言するほどゆで卵が大好きです。
そんな坂東さんがゆで卵を好きになったキッカケは、幼少期にとても貧しい経験をされたことが関係していました。
それでは見ていきましょう。
日本は1932年〜1945年の間、すべての都道府県から農業開拓移民として27万人を現在の中国東北部(満州)へ送り出していました。
主な理由としては
- 昭和の大恐慌対策
- 過剰人口を減らすため
- 軍事政策
これらを日本は実現するために満州へ送り出していました。
そして坂東さんはちょうどその時に満州で生まれていました。
そして坂東さんが5歳の時に、日本が敗戦国となり日本人は帰国することになります。
しかしそこから日本に帰れるようになるまでの間、地獄の生活がまっていました。。。
敗戦後、満州に送り込まれていた約20万人の方がソ連や現地の暴徒による虐殺や病気、集団自決などで命を落とされています。
そして多くの人が子供を連れて帰れず、満州に置き去りにされ「日本人孤児」になってしまった子供達が大勢いたそうです。
満州人が「女の子は500円、男の子は300円」と、日本人の子どもを買いに来て、手放すしか生きる方法がない人も中にはいました。。。
そして坂東さんもまた置き去りにされそうになりますが、泣きもせず親が乗っている汽車を走り追いかけたそうです。
その姿を見た母親が「この子はきっと大物になる」と予感し連れて帰ることを決意したそうです。
坂東さんの母親は兄弟と末っ子だった坂東さんを背負いながら、山を越え平原を進み、出発から1年半かけてようやく日本に帰国することができました。
坂東さんは空腹のあまり夜中に中国人の農家の鶏小屋から卵を盗み飢えをしのいでいたそうです。
しかし見つかることを恐れ、火を焚くことができず、生の卵のまま食べていたことから、当時食べたくても食べれなかった「ゆで卵」に特別な思い入れがあるのだそうです。
坂東さんは厳しい寒さと飢えに耐えることができたのは道中で数回手に入った卵と母親の愛だったと振り返っています。
坂東さんはまだ5歳で、そこで生き残ることがどれだけ過酷だったか想像を絶しますよね。。。
母親はこの引き揚げの時の貧しさから「ひもじい思いさせて、すまなかったねえ。ごめんね」が口癖で、板東さんがプロ野球選手として稼げるようになっても、実家では「オコワとゆで卵」を用意して迎えてくれたそうです。
坂東さんは2011年のラジオ番組で亡き母親に「母ちゃん、ありがとうね。英二は、なんとか食べてるよ。いまは、ゆで卵を好きなだけ食べてるよ」と伝えていたそうです。
私は生まれてから当たり前にスーパーもあったし、コンビニもありました。
しかし戦争当時は「毎日食べるものがない」という日常が当たり前で、それがどれほど残酷なことなのか、坂東さんは経験されていました。
そういった経験から「ゆで卵」に対する特別な思い入れがあるのでしょうね。
板東英二は貧しい経験からお金にかなり執着している
坂東さんは、幼少期に貧しい経験をしたことから、お金にもかなり執着していました。
ライオンごきげんようのテレビ番組に出演された際に「好きな言葉は?」と聞かれ「人生は金」と答えたそうです。
そして小堺さんからその理由を聞かれると「貧乏は犯罪ですよ」とまで言い切りました。
坂東さんは「お金がないと困るし、人間というものは貧乏な状態になると卑屈になり、とんでもないことを考えるしやってしまう」と続けて発言しました。
もしかしたら卵を盗んでしまった当時を思い出しての発言かもしれませんね。。。
坂東さんがお金に執着するのは、やはり貧しい経験からきていると思います。
坂東さんは徳島商業高校に入り野球の才能が恵まれ甲子園に出場しています。
実は坂東さんは「1試合25奪三振」「大会通算83奪三振」というスゴすぎる記録保持者なんです!
そして甲子園での功績がプロの目にとまり中日ドラゴンズにスカウトされます。
坂東さんは小学校の先生を目指していましたが、父親が契約金に目当てにプロ入りの話を勝手に進めてしまい、貧しい家計を支えるためにプロ野球選手になることを決意します。
坂東さんはプロ野球選手になるつもりはなかったとは驚きですね。
しかし父親はその契約金で株をはじめ、なんと全額スッてしまいます。。。
坂東さんはそれを聞いた時に、怒りよりも逆に「株で負けた分は株で取り返したる」と決意しプロ野球選手の傍らで副業を始めます。
副業始めた理由は他にもあったみたいで「化けモンみたいな選手がゴロゴロいるこの世界で、自分が一生野球を続けていけるわけがない。本業以外でしっかりした収入を確保できる別の仕事を見つけなければ、すぐに金に困る生活になる」と悟り色々な商売に手を出します。
そして坂東さんは現役時代にサウナ、ナイトクラブ、牛乳販売店、日本料理店、マージャン荘などを経営していました。
その中でも最も力を入れていたのが株投資で、値上がりすると思えばどんな株でも次々と買っていたそうです。
しかしバブルが崩壊し株価が暴落してしまい借金は一時期17億円にまで膨らんでしまいます。
その後坂東さんは、俳優業や執筆業などで稼いだお金で10年かけて返済したそうです。
とにかく坂東さんは貧しい経験から「人生は金」「貧乏は犯罪」の精神で稼ぐことを求め続けていました。
お金がなく惨めな思いをしてきた坂東さんだからこそ、お金を追い続けることができたのかもしれません。
ゆで卵愛からYouTubeチャンネル「boiled egg」を開設
坂東さんはゆで卵が好き過ぎて「76歳のYouTuber」としてデビューしています。
「マイネーム イズ ボイルドエッグ」と片言で喋り出して体当たり企画にもチャレンジしていました。
デビュー動画は「本能寺の変」を完コピする内容になっており、視聴回数は約49万回も再生されていました。
ただただ踊る動画で、ゆで卵とは全く関係なかったですが。。。
他にもゆで卵に合うマヨネーズを検証してみたり、ゆで卵に合うシロップグランプリなど色々な企画にチャレンジしていました。
そもそもシロップがゆで卵に合うのか?という疑問はありますが、ゆで卵に関する動画もいくつかアップされています。
まとめ
坂東さんは幼少期に貧しい経験をしたことから「食べ物を常に携帯しておきたい」気持ちが強く、持ち歩きやすい「ゆで卵」はそういった意味でも重宝していたそうです。
坂東さんがゆで卵を好きな理由を調べていくと、ゆで卵愛は本物だといことがわかりました。
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