【幼少期からの暴力】東山紀之の生い立ちが本当に壮絶で苦労の連続!

2023年9月7日ジャニーズ事務所による記者会見が開かれました。

この会見では、ジャニーズ事務所の前社長であり、創業者である故ジャニー喜多川氏による長きに渡る性加害の事実があった事を認める内容でした。

そして、今後は被害に遭われた方達への賠償やサポートに最善を尽くす事を発表し、経営陣も刷新する事が発表されました。

新たに社長に就任するのは、長らくジャニーズ事務所所属のタレントとして活躍し、現在では所属タレントでは最年長となっていた、東山紀之さんが就任する事が発表されました。

今回は新社長に就任した東山紀之さんの生い立ちについて紹介する記事となります。

デビューする前の東山紀之の生活はかなり波乱万丈だった件

東山紀之さんは1966年9月30日生まれで、出身は神奈川県川崎市です。

川崎で生まれていますが、その後は岡山県や愛知県名古屋を転々とし、3歳で両親が離婚した以降は、生まれ故郷の川崎市で過ごされています。

1979年の13歳の時にジャニーズ事務所に入所していますが、それまでの人生も中々波乱万丈でした。

といっても東山さん本人はまだ子供だったので、親を含めた周囲の環境がかなり壮絶だった様です。

上記が現在の東山さんですが、既に50代後半になられていますが、顔を見る限りでは40代でも通用するような若々しさです。

また端正な顔立ちで、1987年頃に流行した顔のタイプを呼ぶ流行語でソース顔、しょうゆ顔というのがありましたが、東山さんはしょうゆ顔の代表として挙げられる程でした。

これだけ端正な顔立ちですので、調べてみるとやはり外国人の血が入っている事が分かりました。

東山さんの祖父がロシア人のハーフであり、父親がクォーターでした。

東山さんにはロシア人の血が1/8入っている事になり、端正な顔立ちの理由にも納得です。

祖父、父親は大酒のみのギャンブル好きで3歳の時に離婚している

東山さんの祖父、父親はどちらもかなりの酒好きギャンブル好きだったらしく、まあ家族を養う立場の人間としての役目はほとんど果たせていなかった様です。

また酒癖も悪く暴力も振るわれる事も日常的だったそうです。

この酒癖の悪さが原因で、東山さんは生後8か月の時に、祖父が暴れた拍子に倒したポットをひっくり返し、熱湯が東山さんの左足に掛かり大やけどを負わされています。

またその影響で、足が変形してしまい、その後の発育にも大きく影響したそうです。

今でも時代劇などで草履を履くと古傷が痛むほどだそうです。

さらにギャンブル好きとくれば、借金もしていたらしく、相当貧乏だったようです。

借金の取り立てで怪しい男たちが自宅に来る事も度々で、母親が借金取りに土下座して謝っている光景をなんと1歳頃から目撃していたそうです。

上記画像では真ん中あたりに包丁が付きたてられていますが、実際の記憶に残っている光景なのだそうです。

この様な状態で満足に生活が送れる訳もなく、東山さんが3歳の時に両親が離婚しています。

当然、母親が子供を引き取っていますが、この時代のシングルマザーでの生活は現在よりも遥かに厳しいものでした。

(ちなみに東山さんには3歳下の妹がおり、親子3人での暮らしとなりました。)

その様な家庭環境だった事もあり、幼少期の東山さんは自分の実の父親の顔や名前も知らなかった事を後に告白されています。

離婚後は川崎市のコリアンタウンで過ごされたそうです。

しかし、当時はアパートを借りる事も出来なかったそうで、コリアンタウンに住む在日朝鮮人の方が所有する離れの様な部屋を借りて生活していたそうです。

母親は朝から晩まで働きっぱなしで、離婚後も相当貧しかったそうですが、コリアンタウンの人達には随分と助けられたと語られています。

特に育ち盛りの東山さんと妹にとっては食事事情が厳しかった様ですが、コリアンタウンでは焼き肉店を経営している人が多く、そこでの残り物などを分けてもらって空腹をしのいでいたそうです。

大変貧しい状況の3人生活だったそうですが、母親のしつけは相当厳しかったそうです。

特に食事マナーに関しては特に厳しかったそうで、トラウマになる程だったと語っています。

間違った時には鉄拳制裁もあったそうです。

ですが、その厳しい躾けが後に役立つことになったそうです。

小学校4年の時に母が再婚するが、義父も暴力をふるう様になる

東山さんが小学校4年生の時に、母親が再婚します。

再婚相手は4歳年下で、トラック運転手をされていました。

また再婚時に東山姓が変わってしまう事を嫌がった子供達の意志を汲んで、婿入りという形での結婚となりました。

再婚当初は良好な親子関係だった様ですが、義父も酒好きだったそうで、こちらも酒癖が悪く徐々に暴力を振るわれる様になったそうです。

ところが、この時の母親は父親に味方する様になっていた様で、暴力を振るわれる事に対して、お前が悪いと言われたそうです。

次第に東山さんは自宅での居場所が無くなっていく事になり、この頃から自立を考えるまでになっていたそうです。

ちなみに最初の離婚時に、母親は東山さんに

  • 「男の人は結婚したら変わる」
  • 「大人になってもお酒は飲んではいけない」
  • 「ギャンブルもしてはいけない」

上記の様な家訓的な事を度々口にしていたそうですが、再婚時の義父の正体を見抜くことが出来なかった様で、同じようなタイプの男と再婚してしまいました。

結局再婚相手の男性とは、東山さんが25歳になる頃に離婚されているそうです。

再婚相手との間には子供は生まれなかった様です。

小学6年生の時ジャニー喜多川氏にスカウトされる

貧しいだけでなく、家庭環境的にも決して幸せな家庭とは言えなかった幼少期の東山さん。

そんな東山さんの人生が大きく変わったのが、小学校6年生の時でした。

この当時の母親はNHKセンター内の理髪店で働いていたそうです。

その伝手でNHKの公開番組の観覧チケットが手に入った事で、番組観覧に友達含め3人で行っています。

その時の帰り道に信号待ちをしている時に、ジャニー喜多川氏に声を掛けられた事が、ジャニーズに入るきっかけとなったそうです。

東山さんが観覧した番組に当時のジャニーズ所属だった川崎麻世さんが出演しており、そこにジャニー喜多川氏が同行していた様です。

そして交差点で信号待ちしていた東山さんを見つけ、車を止めて声を掛けたと言われています。

(電話を掛ける為に交差点に止まった時に、そこにたまたま東山さんが居たと言う説もあり)

どちらにしても東山さんはジャニー喜多川氏に声を掛けられたそうですが、その内容が・・・・。

『You、金八先生、見てる?』と声をかけ、番組を見ていると答えると、次のセリフが『じゃあ、電話番号教えて』だったそうです。

ナンパよりも怪しい勧誘の内容ですよね。

スカウトされましたが、当初の東山さんには芸能界には興味は全く無く、次に連絡が来た時には丁重に断ろうと考えていた様です。

後日、ジャニー喜多川氏に食事に誘われ、妹も一緒に車でお店に向かっていた時に、車に酔った妹車中で嘔吐してしまいます。

結局、その日は東山さんの自宅にジャニー喜多川氏を招いてお寿司を食べたそうです。

粗相のお詫びで事務所を訪れた事がキッカケで入所する事になる

前述した妹の粗相のお詫びとして菓子折りをもって事務所を訪れます。

まだこの時も芸能界に入る気は無く、断りを入れるつもりでの事務所来訪だったそうです。

そこで、ジャニー喜多川氏から踊ってみる様に言われた東山さんですが、今までダンスなんてまったく経験がありませんから、まともに踊れるわけがなく手と足が同時に前に出る様な無様な状態だったそうです。

そして、踊れない悔しさから、ステップが踏めるようになるまでという条件で、事務所のレッスンに通う様になります。(レッスン自体は無料で受けれた)

もちろん、事務所で提供される豪華な食事なども、魅力的だったそうですが。

これが事務所入所のキッカケとなり、後の1979年5月にジャニーズ事務所に正式に入所する事になり、それが現在まで続いていると言う状態になります。

前述で、義父との関係が上手く行っていない事で、自立を目指していた事や、当時のジャニーズ事務所は合宿所があった事もあり、このタイミングで自宅を出ています。

もちろん当時のジャニーズ事務所も入所時はジュニアからのスタートなのは同じで、東山さんもジャニーズジュニアの1人としてキャリアをスタートしています。

当時のデビュー済みの先輩の後ろでダンサーとして踊っていたそうです。

1982年にジュニア内グループの少年隊のメンバーとなります。

ちなみに当時はジュニアといっても20~30人程度の人数しかおらず、少年隊という名前そのものが当時のジュニア全体を指す愛称になっていたのが始まりだそうです。

1985年に『仮面舞踏会』でメジャーデビュー

結成当初の少年隊は4人体制だった時もあったそうですが、最終的に上記の3人体制となり、1985年に『仮面舞踏会』でレコードデビューしています。

東山さん以外のメンバーは左から、植草克秀さん。

真ん中がリーダーの錦織一清(にしきおりかずきよ)さんです。

現在はテニスプレイヤーの錦織圭(にしこりけい)さんが有名なので、『にしこり』と読んでしまいそうですが、こちらの読み方は本来の読み方になる『にしきおり』が正しい読みです。

少年隊が1982年に結成され、85年にレコードデビューとなっていますが、ジュニア時代からTVをはじめ、各種メディアへの露出は積極的に行われていました。

今でもデビュー前のジュニア内グループであっても、ファンを中心に広く知られていますが、当時から同じ手法で売り込みされていたのをよく覚えています。

TVや雑誌には頻繁に出演するけど、いわゆる歌番組にはデビューしていないから出演できないという状態を長く続け、ァンの飢餓感を煽っていた様な気がします。

ただし、結成当初の82年6月に当時のフジテレビの生放送の歌番組に少年隊として出演しています。

いまにして思えば、当時からも事務所によるパワープレイはあちこちにあったようですね。

そうして、十分にデビューまで時間を掛けて、ファンの期待を貯め込んでから、やっとデビューし、一気に人気グループに押し上げるというのが、いまも変わらない常套手段ですよね。

少年隊としての活動は2008年を最後にほぼ無くなる

上記がデビューシングルとなった『仮面舞踏会』東山さんが18歳の時でした。

ただ、錦織さんは既に20歳となっていたので、当時の筆者は既にメンバーが18歳以上しかいないのに、『少年隊』は無理がある名前だなぁと感じたのを今でも覚えています。

満を持してデビューした事もあり、デビュー曲から大ヒットし、85年の新人賞関連は少年隊が総ナメにする無双状態でした。

もちろん、この年から紅白歌合戦にも出場しており、この後8年連続で出演する事になります。

そして、『仮面舞踏会』で紅白に初出演した時に、当時の白組のキャプテンだった加山雄三さんが曲紹介で、おもいっきり『仮面ライダー』とどうやったらその間違いになるの?と首をかしげたくなる曲紹介したのは有名な話ですね。

その後の少年隊は、ジャニーズを代表する人気グループとなり、1990年頃までは精力的に楽曲のリリースが行われましたが、徐々に個々の活動が増えていくようになります。

錦織さんはミュージカル方面植草さんと東山さんは舞台や俳優としての活動が顕著に。

1990年代以降は楽曲のリリースも数年単位になり、2006年7月9日発売の26枚目シングルが最後となっています。

また2008年には1986年から毎年行われていた少年隊のミュージカル『PLAYZONE公演』が閉幕し、少年隊としての活動もファンクラブや周年記念以外にはほとんど行われなくなります。

母親が不動産投資に失敗し、多額の負債を抱えた事もあった

少年隊としての人気が一段落した1990年代、世間ではバブル景気の終焉を迎えていました。

東山さんは順風満帆な芸能生活を送っていましたが、東山さんの母親が生活の安定の為に、自分の美容院を開いたり、将来の為にとマンションを購入していたそうです。

ところがバブル崩壊の影響をもろに受けてしまい、多額の借金を背負う事になったそうです。

詳細な額までは明らかになっていませんが、この借金は東山さんが7~8年かけて完済する程の大きな金額だったようです。

こういった母親の失敗から、その血を引く自分も商才は無いと考えており、タレント以外の仕事には手を出さないと誓っていたそうです。

結成から35年の節目に錦織、植草がジャニーズを退所し事実上の解散

その後も解散はしないものの、活動は相変わらず個々の活動が続いていた2020年9月20日錦織一清さんと植草克秀さんが同年一杯でジャニーズ事務所を退所する事を発表しました。

丁度少年隊が結成されて35年目となる年でした。

これで事実上の少年隊の解散となった訳ですが、少年隊は解散する事無くジャニーズに残る事になった東山さんが背負い続ける様な形となりました。

全員50代なのに、『少年隊』もあったもんではありませんが(笑)。

歌舞伎の大名跡のような感じで、グループ名が残った『少年隊』でしたが、皆さんもご存じの様に、東山さんはジャニーズ事務所の新社長に就任する事を2023年9月7日の記者会見で発表されました。

その為タレント業は年内いっぱいで引退する事になります。

ですので、40年近く続いた『少年隊』のグループ名も2023年で消える事になりそうです。

まとめ

今回は東山紀之さんの生い立ちについて紹介しました。

ジャニーズの記者会見以降、完全に非難の嵐が続いているジャニーズ事務所。

当初発表した内容にも各方面から非難や批判が殺到しています。

外部からの経営陣に刷新するべきの声も多いですが、どうやら実情はすべて断られ苦渋の選択としての東山さんの就任の様です。

また東山さん自身にも過去のパワハラやセクハラ疑惑が告発されており、矢面に立った時点で追及される事は、東山さん自身も分かっていた筈です。

恐らく東山さんへの追求が本格化すれば、退任する可能性もかなり高いと思います。

受けれる人物が自分しかいない状況という事で、火中の栗を拾った様な気がします。

別に東山さんを擁護するつもりはありませんが、不倫で会社を首になって好き放題している元ジャニーズの長男の人物より、余程ましかと思います。

東山紀之の生い立ちについてのまとめです。

  • 東山紀之さんは1966年9月30日神奈川県川崎市の生まれで、父方の祖父がロシア人のハーフであり、東山さんはロシアの血を1/8引き継いでいる
  • 祖父と父親は酒好きでギャンブル好きだった事で、家族への暴力が絶えず、ギャンブルの借金を抱えている為に相当な苦しい生活だった
  • 東山さんは8カ月の頃に祖父が酔って暴れた時に倒したポットのお湯で左足に大火傷を負い、足が変形する後遺症が残った

  • 余りの素行の悪さから東山さんが3歳の時に両親は離婚し、その後は川崎市に戻りコリアンタウンに住んでいた
  • 母親と東山さん、妹の3人暮らしとなったが、生活状況は相変わらず苦しかった
  • コリアンタウンの人達や近所の人達に何かと食べ物を分けてもらうような生活だった
  • 小学4年生の時に母親が再婚するが、再婚相手も酒癖が悪く、義父から暴力を受ける様になるが、母親は味方してくれなかった
  • 小学校6年生の時に、故ジャニー喜多川氏にスカウトされた事がジャニーズ入所のキッカケとなる
  • 1979年5月にジャニーズ事務所に入所し、自宅を出て合宿所で生活を始めている
  • 1982年に少年隊が結成され、1985年にメジャーデビュー
  • 2020年にメンバーだった錦織一清さん、植草克秀さんがジャニーズ事務所を退所し、事実上の少年隊は解散となるが、グループ名は現在まで消滅せずに存続している

東山さんが社長に就任する事で、改めてその生い立ちが注目されて、上記の様な記事もネットにアップされていますが、マスコミの信用度もまるでないので、提灯記事扱いされています。

ただ、東山さんの生い立ちを知れば、ジャニー喜多川氏を父親と慕っていた気持ちも分からなくはないですが。

まあ今は何をしても批判や非難の意見が出るのは仕方ない状況でしょうね。

ちなみに例の記者会見ではジャニーズ事務所による忖度の話も出ましたが、筆者もその忖度でいつもジャニーズには腹立たしい思いをさせられている事があります。

記者会見で出た忖度は、辞めジャニへの圧力や、同業他社の男性アイドルの共演の圧力に関してでしたが、筆者はもうひとつ大きな忖度があると思っています。

それは『スキャンダル』に関する報道がほとんど無い事です。

特に性絡みの恋愛スキャンダルネットや週刊誌では山の様な報道があるのに、TVはほぼスルー。

実際にこのジャニーズの記者会見の前後に起こっている某な●わ男子メンバーが絡む恋愛スキャンダルは一切報じられていません。

上記の3つの画像は2023年8月に報道されたスキャンダルですが、ジャニーズ本体が存亡の危機に晒されている状況もあり、大手メディアではまた一切報道されませんでした。

というか、会社が危機の時おまえらは何をやっているのかと思いますがね・・・・・。

直近でもこの様な始末ですが、歴代のジャニーズメンバー恋愛絡みのスキャンダルだらしなく、酷いものが多いですよね。

多少マシになったのは滝沢さんが経営陣に入っていた時のほんの一時期だけ。

同じアイドルなのに、平気で女性アイドルに手を出す事例も山程あります。

まあこれももみ消す事実の隠蔽等は、辞めた長男の時からのお家芸だったので、今も健在というところでしょうか。

別に恋愛するなとは言いませんが、もうちょっとファンや自分の立場を考慮した行動をして欲しいものですよね・・・・。

まあ注意できる立場の人間が居なさそうなので、こちらの悪しき習慣も消えないかも知れませんね。

性加害への賠償やサポートも当然ですが、ジャニーズがどれだけ自浄されるのかも注目ですね。

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