ここ数年は音楽の楽しみ方もサブスクリプションが普及した事で、幅広い年代の楽曲が簡単に聴ける時代になりました。
またサブスクだけでなく、TV番組でも過去の音楽を取り扱う事も多くなり、昭和時代のアイドルも再注目される機会が増えてきました。
今回の記事では昭和時代はアイドルとして人気だった小泉今日子さんの昔について紹介します。
小泉今日子は2023年でデビュー41周年を迎えている
小泉今日子さんは現在も芸能活動を続けているのは説明するまでもありませんが、経歴等を改めて紹介しておきます。
- 本名:小泉今日子
- 生年月日:1966年2月4日
- 出身地:神奈川県厚木市
- 身長:153cm
- 職業:女優・歌手・随筆家・プロデューサー
- デビュー年:1982年(81年にスター誕生に出演し、合格した事がキッカケ)
- 所属事務所:バーニングプロダクション(2018年1月31日まで)、株式会社明後日(2018年2月より)
- 1995年から2004年まで俳優の永瀬正敏さんと夫婦だった
小泉今日子さんがデビューしたのは後に花の82年組と言われる1982年です。
昭和の時代には毎年沢山のアイドルがデビューしていましたが、この1982年(昭和57年)は人気となったアイドルが特に多かった事で、花の82年組と呼ばれる様になりました。
小泉今日子さん以外にも中森明菜さん、石川秀美さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん等、現在も芸能界で活躍されている人が同期になっています。
上記がデビュー間もない頃の小泉さんはじめ82年組の画像です。
既に80年にデビューした松田聖子さんがアイドルとして確固たる人気を得ていた時代だったので、女性陣の髪型や見た目が松田聖子さんを意識したルックスになっているのが面白いですね。
デビュー間もない頃で、それぞれのカラーが出る前だったこともあり、余計に似たり寄ったりの髪型に見えますね。
取敢えず無難に最初は松田聖子さんっぽいフォルムなのが、比べると余計に分かりますね。
現在の小泉今日子さんですが、2018年にデビューした時から所属していたバーニング事務所を退所し、個人事務所と株式会社明後日を起ち上げています。
個人事務所を起ち上げたタイミングで、TVや映画出演等の表に出る仕事はセーブし、プロデュース業を中心とした活動にシフトしています。
また2020年には小泉今日子さんの過去の楽曲がサブスクで提供される様になっています。
さらにはYoutubeチャンネルやTiktokを開設したり、上田ケンジさん(スタジオミュージシャン、プロデューサー)と黒猫同盟を結成し、新たな音楽活動を始めたりしています。
俳優やタレントとしてTVに出る事は減っていますが、どちらかと言えばネットを中心に現在は活動されています。
また2023年にはデビュー41周年を迎えています。
アイドル時代の小泉今日子「キョンキョン」の伝説
上記画像がデビュー曲シングルの「私の16才」のジャケット画像です。
昭和のアイドルにはキャッチフレーズが設定されていたのですが、小泉今日子さんにも当然ですがありました。
歌手デビューを知らせる広告が上記画像で、キャッチフレーズは「微笑少女 君の笑顔が好きだ」でした。
また小泉今日子さんの愛称である「キョンキョン」はデビュー前からだったんですねぇ。
筆者の記憶では、ある程度売れた頃に世間で呼ばれてたような記憶がありましたので意外でした。
流石にある程度名が売れるまではニックネームまでは浸透しなかった様です。
ちなみにこちらもデビュー間もない頃の画像ですが、松田聖子さんに似ていますよね。
上記画像内でも書かれていますが、髪型まで完全似せているのが分かりますね。
それだけ、王道アイドルを確立させた松田聖子さんが偉大ということでしょうね。
またスリーサイズも書かれていますねぇ。
これも時代ですねぇ・・・。
そして、上記画像では身長が155cmとなっていますが、本当は153cmなので当時はサバを読んでいたんですね。
デビュー間もない頃のTV出演時の画像です。
衣装もフリフリのワンピースだったので、パッと見た限りだとやっぱり松田聖子さんに見えますよね。
最初は王道アイドルとしてデビューしましたが、レコードセルース的にはイマイチという感じでした。
やはり同時期にデビューした中森明菜さんが歌唱力では圧倒的でしたので、ブレイクするまでには少し時間が掛かる事になります。
ただし、デビュー曲に関しては小泉今日子さんの方がランキングが上だった様です。
中森明菜さんがデビュー曲のランキングは最高30位でしたが、小泉さんは22位でした。
ただ、2曲目のランキングだと小泉さんはほとんど変わらずの19位に対して、中森さんは5位とセールスを伸ばし、3作目以降は1位の常連となり、一気に売れっ子のアイドルになっていきますが。
2作目シングルではなんと水着のジャケットが採用されていました。
まあ7月に発売されたので、夏をイメージからかもしれませんが当時16歳ですから、現在ではアウトですね(笑)。
中森明菜さんは2ndシングルで一気にブレイクする結果となりました。
これ以降は、松田聖子さん、中森明菜さんの2大アイドルが突出し、小泉今日子さんは3番手的なポジションがしばらく続くことになります。
デビュー3年目で早くもドラマにも出演を始める
デビュー後しばらくは、3番手的なポジションに甘んじていましたが、デビューから3年目に転機が訪れます。
5枚目のシングル「真っ赤な女の子」でオリコンランキング10位以内に入る8位にランクインします。
また同時期に『月曜ドラマランド』で「あんみつ姫」を演じた事で俳優としても注目される事になります。
「あんみつ姫」というのは漫画が原作の作品でほぼ70年前に連載された作品です。
これまでアニメ、映画、ドラマ化等もされており、漫画のリメイクも行われています。
2008年には井上真央さんでも実写ドラマが制作されています。
この作品の主題歌に先ほどの「真っ赤な女の子」が採用されていたので、ドラマ、主題歌両方で注目されました。
また『月曜ドラマランド』という番組自体も小泉さんのお陰で人気番組となったそうです。
ちなみに「真っ赤な女の子」のB面(カップリング)に収録された曲の作詞をしているのが秋元康さんでした。
9枚目シングルでオリコン1位、紅白歌合戦にも出場
9枚目のシングルでついにオリコン1位に輝き、売上も33万枚というビックセールスを記録します。
この年には紅白歌合戦に出場しています。
またデビューした頃は、松田聖子さんを思わせる王道アイドルっぽいルックスでしたが、デビュー3年目あたりから当時の小泉さんの特徴でもある、ベリーショートの髪型に変わっています。
この時の経緯については後に糸井重里さんとの対談にて語っているのですが、デビューした当初の自分はやはり、事務所によって作られた小泉今日子だったそうす。
松田聖子さんに寄せた王道アイドル風のルックスは本来の自分では無かった様で、「自分がスカッとする女の子をつくろう」と『中の人』である小泉さん自身が動き出したのだそうです。
そして、会社の方針に逆らう様に髪の毛をバッサリと切ったそうです。
それが4枚目のシングルが出る頃だったそうです。
上記は3枚目、4枚目シングルのジャケット写真ですが、やっぱり松田聖子さんを彷彿とさせるショートカットですよね。
そして、4枚目シングル発売後にTV等で歌唱した姿がこちらです。
御覧の様に見事にバッサリと男の子の様な髪型になりました。
当時事務所の社長には髪の毛を切る事は事前報告していたそうですが、社長さんは恐らく髪の長さを整える程度に考えていたのでしょう。
この髪型で事務所に戻った時に社長が腰を抜かしたそうです(笑)。
小泉今日子さんなりの事務所への反乱だった様ですが、結果的にはこの髪型が他の同期アイドルとは違う独自性を出すこと成功した事になりました。
この頃にはTOPアイドルへと成長し、キョンキョンカットとして髪型も真似される様になります。
1985年には連続ドラマ主演で高視聴率を獲得
1985年には『少女に何が起ったか』で連続ドラマ初主演を果たします。
このドラマは1980年代に多く作られた大映テレビ制作で、当時は人気作品を多く手掛ける制作会社でした。
『スチュワーデス物語』『不良少女とよばれて』『スクール・ウォーズ』等は聞いた事がある人もいるかと思います。
古くは山口百恵さんが出演して人気となった『赤いシリーズ』も出かけていました。
ただ、この大映テレビが制作するドラマはちょっと特徴的で『大映ドラマ』と呼ばれていました。
筆者も何作かリアルタイムで見てましたが、まあクセのあるドラマでしたね。
ストーリーや登場人物、演出面も含めいろいろと(笑)。
同じ82年組同期の堀ちえみさんもこの大映ドラマには数多く出演していましたね。
小泉今日子さんは当時のアイドルとしては俳優業にもウエイトを採った仕事スタイルでしたが、これは事務所の戦略だった様です。
アイドル全盛の時に、ドラマ出演も並行していたのは、小泉今日子さんと先ほども紹介した堀ちえみさんくらいだったと記憶しています。
堀ちえみさんの場合は歌手としてのセールスはイマイチだったので、女優としてブレイクした感が強い気がしますが。
ちなみにこのドラマで小泉さんのライバルや取り巻きを演じていたのが上記の3人です。
左から高橋ひとみさん、賀来千香子さん、高木美保さんです。
3人共綺麗ですよねぇ。
昭和世代には賀来千香子さんの甥っ子が賀来賢人さんの認識ですが、令和の現在では賀来賢人さんの叔母さんが賀来千香子さんになるんでしょうね。
小泉さん初主演のこのドラマですが毎回視聴率20%越えの高視聴率でした。
筆者もリアルタイム世代ですが、全部は見ていないのだけは覚えています。
「なんてったってアイドル」でアイドルの独自路線を確立
そして同年に発売された17枚目のシングル「なんてったってアイドル」で、完全に小泉今日子としての独自性を確立する事に成功します。
現役のアイドルがアイドルの事を歌唱するという画期的な曲で、この曲を作詞したのはやはりというか、秋元康氏でした。
小泉今日子さんをイメージして作られたそうで、これまでにないアイドルの形が出来た瞬間でした。
他のどのアイドル曲とも違う、小泉今日子さんならではの楽曲で、まあ一度聞いたら記憶に残るのは間違いない歌でした。
9枚目シングル以降はオリコンのランキングも中森明菜さんと同じく3位までの常連になるなど高い人気で、陰のある感じの中森明菜さんに対して、逆の明るい陽のイメージを感じさせる存在でした。
またこの頃には楽曲の売り上げでも松田聖子さん、中森明菜さんに次ぐセールスを記録する様になり、人気と実力を兼ね備えたアイドルになっていました。
これ以降も数々のヒット曲を世に送り出しています。
また俳優の仕事も変わらず並行して行われ、ドラマだけでなく映画にも出演する様になっていきます。
20枚目のシングルの「木枯らしに抱かれて」ではTHE ALFEEの高見沢俊彦さんが作詞・作曲した曲で、小泉さんが主演した映画の主題歌としても使用されました。
またこれまで明るくて元気なイメージの曲が多かったですが、小泉さんが20歳過ぎた頃からは大人っぽいイメージの曲も披露する様になってきました。
小泉今日子さんもアイドルから徐々にアーティストへ変わる時期だったのかも知れません。
ですが、23枚目のSmile Againではちょっとメルヘンチックな楽曲になるなど、ふり幅の広い楽曲を世に出してきます。
オカリナを吹く姿が可愛かったですねぇ。
これ以降に発売される楽曲もヒットしたのはもちろんですが、バラエティに富んだ曲が沢山世に送り出されています。
24thシングルでは作詞が秋元康さん、作曲に野村義男さんが楽曲を制作しています。
25thシングルでは小泉今日子さんが作詞した初めてのシングル曲で、作曲を担当しているのは小室哲哉さんでした。
シングル曲で小室さんが小泉さんの楽曲を制作したのもこれが初でした。
26thシングルは小泉さんが主演した映画『快盗ルビイ』の主題歌として同タイトルにてリリースされています。
映画の監督を務めたのは和田誠さんで、シングルの作詞も手掛けています。
和田誠さんと言えばイラストレーターの印象が強いですが、この映画では監督だけでなく、脚本も手掛けています。
そして作曲は大滝詠一さんとなっており、先ほどまでのシングルとはまた全然違う作家陣にて制作されています。
次作の27thシングルだと作詞・作曲は近田春夫さんが担当しています。
現在のアイドルの代表でもある乃木坂やAKBグループは全て秋元康さんが作詞ですが、小泉さんのシングルは毎回様々な人物が担当しており、作家陣の名前だけでも多岐にわたっているのが分かります。
またこれまで紹介したヒット曲は数々ありますが、小泉今日子さんの特徴としてCMソングとして起用された曲も沢山存在しています。
当時の小泉さんはCMタレントとしても大きな影響力を持っており、小泉さんが担当した商品は売れるとまで言われていたそうです。
当時はリアルタイムで見ていた筈なのですが、逆に多すぎて筆者は記憶に残っていませんでした(笑)。
アイドルとしてライバルだった松田聖子さんや中森明菜さんはCM出演数では小泉さんとは比較にならないほど少なかったはずですから、アイドルだけでなくマルチに活躍していた事も良く分かります。
トレンディドラマ女優・ミリオンセラー歌手へと躍進
1980年代後半からはいわゆるバブル景気と言われる頃になり、ドラマの世界も先程紹介した大映ドラマではなく、トレンディドラマと呼ばれるドラマが主流になります。
1989年に放送された「愛しあってるかい!」では主人公を演じた陣内孝則さんの相手役として出演しています。
またこのドラマの主題歌も小泉さんが担当しますが、このドラマで使われた曲はかつてのアイドルグループ:フィンガー5が発売した『学園天国』が使用されました。
オリジナルは1974年3月5日に発売され、累計で105万枚を記録する大ヒットとなりました。
フィンガー5というグループは筆者でもリアルタイムで見た記憶が無いのですが、1970年代に活躍したアイドルグループでした。
小泉さんの『学園天国』もオリジナル版には及びませんが、50万枚を記録する大ヒットとなりました。
もちろんドラマも視聴率20%を超えるヒットとなり、トレンディドラマ女優としての地位も確立しています。
この時でもまだ小泉さんは23歳でしたので、アイドルとしても1線で活躍していました。
ちなみにこのドラマは学園ものだったのですが、生徒役で出演していたのが、和久井映見さんや田中律子さんでした。
若いですねぇ(笑)。
1991年4月に出演したドラマ『パパとなっちゃん』では主演の田村正和さんの娘役を演じています。
またこのドラマの主題歌も小泉さんが担当しており、1990年代に発売された楽曲の多くを小泉さんが作詞する様になります。
このドラマの主題歌である『あなたに会えてよかった』も作詞は小泉今日子さんで、作曲は小林武史さんが務めています。
小林さんと言えば、日本を代表するバンド:ミスターチルドレンのプロデューサーですが、この曲で小泉さんのシングル曲初の作曲となりました。
この曲は通算で11作目のオリコン1位を獲得し、最終的な売り上げは105.4万枚のミリオンセラーとなっています。
この曲が小泉さんの最大のシングルセールスを記録しました。
80年代アイドルとしては初のミリオンセラーの偉業を達成しています。
この曲は小泉さんの作詞だと紹介しましたが、リリース当初は自身の恋愛経験が元になっていると言われていましたが、後年にモチーフにしたのは父親だったと明かしています。
ちなみにシングルの売り上げランキングではこの曲が1位を獲得した最後の曲となっています。(2023年現在)
またこのドラマでダウンタウンの浜田雅功さんが本格的なドラマ出演を果たしています。
この時は脇役ですが、以降は主役を務める作品が何作も制作され、売れっ子俳優の一人となっていきます。
92年以降も変わらずアーティストと俳優業を並行していきますが、徐々に俳優としての割合が増えていく事になります。
1999年の40thシングルの発売で一旦の区切りを迎える事になります。
その後、シングルを発売する事になるのは2013年の朝ドラ「あまちゃん」で自身の役名である天野春子が歌う『潮騒のメモリー』まで10年以上空くことになります。
アイドルとして活躍した時期は松田聖子さんや中森明菜さんの次の3番手であるという印象がどうしても強いかと思います。
ですが実はオリコンランキングのベスト10入りした楽曲数については女性歌手歴代5位の記録で、計34作がベスト10入りしています。
(1位:浜崎あゆみ 2位:モーニング娘。 3位:倉木麻衣 4位:安室奈美恵に次いで5位)
これは松田聖子さんや中森明菜さんよりも上位の記録になっており、ヒット曲の数では上回る結果になっています。
上位4組はCDが一番売れた90年代を中心に活躍したアーティストばかりなので、小泉さんのこの記録は大健闘だと思います。
また俳優やCMタレントとしても人気があった事を考えるとタレントパワーでは松田聖子さん、中森明菜さんを完全に上回っていたと思います。
50歳の時に出版したエッセーで明かした壮絶な過去
今回はアイドル時代の活躍が主でしたが、最後に生い立ちについても簡単に紹介しておきます。
といっても昭和の頃のアイドルは事務所の方針等によって、プライベートが一切公表されてない場合もあり、小泉今日子さんの場合も生い立ちを明かすような事は無かった様です。
ちなみに最近は俳優やアーティストの方が制作や関わった作品の告知で、バラエティやトーク番組に出演する事は多々ありますが、小泉今日子さんは事務所の方針でトーク番組への出演は禁じられていたそうです。
解禁されたのがデビュー35年目の2016年の事で、「徹子の部屋」がトーク番組の初解禁となったそうです。
デビュー35周年で小泉今日子さんが50歳となった記念で、雑誌に連載していたエッセーをまとめた書籍も同じ年に発売しており、この中で生い立ちについて語られています。
小泉今日子さんは経歴でも紹介しましたが、出身は神奈川県厚木市で、アイドルとしてデビューするまでは厚木市内の学校に通っていました。
アイドル活動する様になると当然、地元の学校には通えなくなったので、小泉さん的には東京の堀越や明大中野高校に編入するのだろうなと思っていたそうです。
ところが、ある日父親に高校の事を尋ねると、既に退学届けを出し終わっているとの事。
どうやら小泉さんが知らない所で、父親と事務所が相談してもう勉強させる必要もないという判断で退学となった様です。
勉強は好きでは無く、一部ではヤンキー説もある小泉さんですが、まさか自分の知らない所で退学させられていたとは思わなかった様です。(高校1年の時に退学)
ここで家族について紹介しますが、家族構成は両親と姉が二人の3人姉妹でした。
実家はお好み焼き屋で、母親が店を切り盛りしていたそうです。
父親は会社を経営していたそうです。
ですが、小泉さんが14歳の時に倒産したそうで、その影響で夜逃げも経験し、一時期は一家離散状態になったそうです。
その為、一時期は父親と二人で生活していた事もあるそうです。
その父親も癌で64歳で亡くなられています。(名前は信廣さんで93年12月11月に永眠)
ですが、父親と暮らした時期は楽しかったらしく、ウマがあったと回顧されています。
実家のお好み焼き屋を母親から継いでいたのが長女の葉子さんだったそうですが、こちらも癌を患い、お店は後に閉めています。
そのお姉さんも2014年に父親と同じく癌で56歳という若さで亡くなられています。
葉子さんの闘病生活は壮絶だったらしく、最初は大腸がんが見つかり手術したものの、肝臓、肺、最終的には脳にまで転移したそうです。
真ん中のお姉さんについては病気等の報道は無く、存命されている様です。
母親についてですが、高齢となられていますが、御存命だと言われています。
現在のお住まいは千葉県の木更津だと言われていますが、この情報を裏付けるような記事等は見つかりませんでした。
まとめ
今回は小泉今日子さんの昔について紹介する記事でした。
筆者は小泉今日子さんがデビューしてからリアルタイムで見ていた世代ですが、アイドル歌手のイメージが強かったせいか、ここまでマルチに活躍していたとは気づかなかったですね。
アイドルといっても小泉さんの場合は清純系とは遠く離れた自由奔放系のアイドルという感じでしたね。
小泉今日子の昔についてのまとめです。
- 小泉今日子さんのデビューは1982年で中森明菜さん、早見優さん、松本伊代さん等多くのアイドルがデビューした花の82年組
- デビューのキッカケはオーディション番組であるスター誕生で合格した事
- デビュー当初のビジュアルは80年にデビューして既に王道アイドルとして人気を博していた松田聖子さんのスタイルにとても似ていた
- デビュー曲から数曲の間は大ヒットには至らず、デビュー年にブレイクした中森明菜さんとは大きく差が開いていた
- 早い段階からドラマにも出演する様になり、1983年出演ドラマのヒットと相まってブレイクのキッカケとなる
- 9枚目のシングルでオリコン1位を獲得し、この年の紅白歌合戦から5年連続で出場する
- この頃からデビュー当初の松田聖子さん寄り王道アイドルスタイルから大きく変わりベリーショートスタイルになり、他のアイドルとの独自性を打ち出す様になる
- 1985年にはドラマでも主演を務める様になり、俳優としての人気も高まる
- その後も数多くのヒット曲やドラマの主演も務め、80年代アイドルとしては初のミリオンセラーも達成している
- 20代後半からは徐々に俳優業にシフトし、2000年を前に歌手活動は休業状態になる
- 女性歌手の中ではオリコンランキング10位内にランクインした楽曲数の多さが歴代5位の記録を持っている(80年代アイドルでは1位)
記事で紹介した様に、アイドルと並行して俳優活動を早くから行っていましたが、バラエティ番組にも出演されていました。
記憶に残っているのはとんねるずの番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した時でしょうか。
もちろん、コント番組なんでコント用メイクや全身タイツはもちろん、水落やパイまみれもNGなしで全てやってましたね。
普通はコントでもヒロイン役とかで出演する事が多い筈ですが、小泉さんの場合は芸人と同じような扱いでしたね。
コントのメイクや衣装来ててもやっぱりかわいかったですけどね(笑)。
現在は作品に出る側ではなく、作る側の活動をしているので、ドラマや映画では見かける事は少ない状況が続きそうです。
ですが、音楽活動はアイドルとは違った形で始動されていたりしますので、また小泉今日子さんの歌声を聞ける機会が来るかも知れませんね。
そんな小泉今日子さんですが、さすがに年齢を経ていることで劣化が話題となっています。
また、永瀬正敏さんと離婚し、現在は豊原功補さんと新しい関係を築いているようですが、その関係もあまり思わしくないという噂も流れています。
彼女の現在についてさらに詳しく知りたい方は『小泉今日子の2023年現在は劣化で老けた顔も豊原功補との関係もヤバい!』という記事をご覧ください。
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