広末涼子さんと言えば、現在はママさん女優として家庭と両立しながら活躍されています。
また最近はバラエティ番組にも多く出演する事も多く、ドラマや映画以外でも見かける事も多くなりました。
そんな広末涼子さんですが、若い頃はアイドル並みの人気で一大ブームになった時代がありました。
今回の記事はそんな広末涼子さんの若い頃を中心に紹介したいと思います。
一時期週刊誌に報じられた広末涼子の若い頃の奇行の数々
若い頃の一時期ですが、仕事場やプライベートでの奇行が目立つ時期がありました。
筆者も覚えていますが、いろいろと真実不明な噂もありました。
その辺りを少し紹介したいと思います。
ちなみにこの奇行に関してはウィキペディアにまで掲載されていますので、かなり有名な黒歴史となっています。
ただし、紹介するのは週刊誌で紹介された記事とし、噂レベルで裏付けが無いものは除外します。
タクシー無賃乗車
こちらは再掲載されたカラー画像ですが、初出はFRIDAY 2001年7月20日号でした。
当時の記事の内容では恋人だった金子賢と西麻布で夜遊びしており、路上に座り込んだりしていた。
そして朝帰りして、仕事場にタクシーで向かった。
タクシーで向かったのは千葉県の白浜町。
タクシー料金は4万円したが、それを無賃乗車したというもの。
そして、その時の画像が上記のものと言われています。
当時の記事の画像はこちらです。
この記事の見出しでプッツン大奇行と書かれていた事で、この時期の一連の行動を奇行やプッツン行動と言われる様になったと思われます。
後にこの事件に関しては2020年9月15日に出演した「ありえへん世界」で語られています。
真相はこの様になっていました。
- ドラマロケが千葉県白浜で予定されていた
- 急いで現場に向かわなければならないが、広末さんのマネージャーに連絡が付かない
- 現場に向かう事が大事と考えて、着の身着のままでタクシーに乗車し、現場に向かう
- 当日は悪天候でロケ中止が決まっていたが広末さんには知らされていなかった
- 現場についてロケ中止と、マネージャーが広末さん本人に連絡を怠って寝てしまった事を察したが、着の身着のままだったのでお金の持ち合わせが無かった
- 山奥で携帯が繋がらずトレーナーにサンダル姿で途方に暮れていたところを自宅から追いかけてきていたフライデーの記者に撮られた
- この時のタクシー料金は付近にいた一般の方に建て替えてもらって支払った
- 帰りも一般の方の車に乗せてもらってヒッチハイクの様な状態で帰った
という事だった様です。
夜遊びしてるので二日酔い状態だったのは間違い無さそうですが、途方に暮れている状態で、奇行では無かったそうです。
当然着の身着のままなのもドラマ撮影であれば、衣装が用意されているので別に着飾っていく必要も無いですからね。
現金についても現場でスタッフに建て替えてもらうつもりだったと思われます。
それがロケ中止で誰も居らず、連絡も聞かされていなかったら、途方に暮れちゃいますよね。
そんな内情を番組で告白した事を翌日のネット記事では報じていたのですが、素直に報道しない一部の媒体が上記の様な見出しで、この時の告白を報じていました。
この西麻布の闇ですが、当時の交際相手は金子賢さんと言われていますが、それ以前は伊勢谷友介さんと交際があったとも言われています。
そして、この放送があったほぼ同じ時期に元交際相手の伊勢谷友介さんが逮捕されています。
当然関係者の薬物疑惑が調査されますが、20年以上前とは言え交際歴があったとされる広末さんが無関係をアピールする為に、わざわざこのタイミングで告白したという見方ですよね。
もちろんこれらの情報を発信しているのは毎度毎度の芸能関係者とか芸能記者やらという怪しい輩の人達です。
また伊勢谷さん絡みの交際に関する噂はもっと怪しげな眉唾レベル的な噂もネットではさも実話の様に囁かれていますが、ここでは紹介しません。
眉唾度が高すぎますので(笑)。
大学のレポートの内容がめちゃくちゃ
広末涼子さんの経歴でも紹介していますが、広末さんは早稲田大学に入学していました。
しかし、なかなか登校できず、登校したら今度はマスコミや野次馬が押し掛けて勉強どころではありませんでした。
流石に時が過ぎてそこまでの騒ぎは無くなったようですが、やはり大学には多忙な事もあり、ほとんど通えていなかった様です。
そして結果的には2003年10月で自主退学しています。
この時は既に5年生になっていました。
大学在学中にレポートを提出する事は多々あると思うのですが、このレポートの内容がめちゃくちゃだと言われています。
ただ、この噂に関しては裏付ける様な記事等は見つかっていませんので、真実は不明です。
広末涼子さんに限らず大学に入学したものの、仕事が優先されて大学の卒業が怪しくなったパターンは他にも沢山います。
土屋太鳳さんや二階堂ふみさんはギリギリの8年生まで掛かって卒業できたそうです。
他にも山下智久さんや北川景子さん、井上真央さん等は明治大学でしたが、この方達はちゃんと卒業出来ているので、事務所の協力も大事なのかも知れませんね。
遅刻常習犯&携帯を離さず大声で会話
2001年7月25日号に発売されたFOCUSで報じられた内容です。
FOCUSは現在も発売されているFRIDAYと双璧を成す写真週刊誌として有名でしたが、現在は廃刊となっています。
流石に20年以上前の記事なので、内容まで分かるものは見つかりませんでしたが、この記事では撮影現場への遅刻常習犯だったと言われています。
他にも携帯電話を常に持っていてリハーサルなどでもお構いなしだったと書かれていた様です。
この記事も先程紹介したタクシー無賃乗車記事とほとんど同じ時期となっています。
映画「WASABI」記者会見で号泣
広末涼子さんは2001年にリュック・ベッソン脚本、ジェラール・クラヴジック監督、ジャン・レノ主演の映画「WASABI」にジャン・レノの娘役として出演しています。
この時の記者会見の場で広末涼子さんが泣き出した事がありました。
そして、この事からあらぬ噂が出る様になってしまいます。
芸能界の噂あるある第1位と言ってもいい位の『枕営業疑惑』ですね。
最近は日本で映画監督の性暴力の話題もあるので、余計に広末さんの場合も最近は真実味が増している様です。
ネットでこの映画に関する噂を調べてみるだいたい以下の様な話が噂されています。
- 監督兼プロデューサーに映画出演をちらつかされた
- 監督とデートを何度もしてやっと映画出演できた
- 撮影中に広末さんの演技を監督が気に入らず、メガホンを途中で投げ出した
- プライベートでも監督に飽きられた
これらの事から会見で号泣したと噂されています。
もちろんこれらは根も葉もない噂に過ぎません。
2017年6月21日付の上記メディアのインタビューで当時の事について広末さんが言及しています。
このインタビューでは
- 『泣いた』という事実だけをクローズアップされて情緒不安定と書かれた
- 当時涙を流した理由は素敵なスタッフとこんないい作品を作れたのに、日本のマスコミの質問があまりにも残念な内容で悲しくなってきて流した涙だった
- くだらない質問をされて悲しくなって涙を流したが、そういった感情も表に出すべきでは無かったと反省している
というような事を語っています。
さらにはフランス語と日本語が飛び交うインタビューで有った為に、他の共演者がすぐに理解できずに、「広末さんを泣かせた」と感じてしまい、守ろうとしてさらに微妙な雰囲気になってしまったと語っています。
遅れてきた反抗期の理由は心と体のバランスを崩したから
前述した様に一時期の広末さんの奇行に関する情報を紹介しました。
これらが報じられた時期は大体2001年前後です。
広末涼子さんが21歳前後の頃にこの様な記事が集中しています。
後に様々なインタビューで語っていますが、20歳前後の広末涼子さんは忙しさのあまり、心と体のバランスを崩していた時期でした。
2020年1月25日に放送された「サワコの朝」に出演した広末涼子さんが20歳前後の時の心情を以下の様に語っています。
この世界を見るのが好きだったのに、見る時間がなかった。
アウトプットばかりでインプットがなくて、自分が成長しているのか不安になって。
フランスで仕事をさせてもらった時には、日本の芸能界の矛盾みたいなものもすごく感じて、芸能界が汚れた世界に見えてしまった
引用元:スポニチアネックス
この様に感じた広末さんは「人を傷付けずにどうやったら仕事をやめられるかな」と考え引退を画策する様になったそうです。
そして思いついた方法が『故意に太る事』だったそうです。
当時多数のCM契約を交わしていましたが、それらの終了を狙ったそうです。
そして昼夜問わずに暴飲暴食をして15キロほど太ったそうです。
ですが、太る前の体重は37キロで15キロ増で52キロ。
増減から考えればめちゃくちゃ太ったと思えますが、広末涼子さんのBMIで換算すると52キロでも標準体重内で全然問題なかったというオチとなってしまいました。
また高校や大学時代にはちゃんと恋愛していた事も告白しています。
つまり高校時代や大学時代にしっかりと彼氏が居たと言う事ですね。
もちろん事務所からは公式に彼氏を作るなとは言及されていなかった様ですが、人気に関わる事なので怒られたそうです。
当時は立ち食いソバを食べただけでも事務所に怒られたそうです。
23歳の結婚も確信犯的な行動だった
前述で紹介した様に20歳くらいから広末さんは多忙すぎる事で心と体のバランスを崩し、芸能界を辞めたい衝動に駆られていました。
そして奇行と呼ばれる一連の行動や激太りなども多忙によるストレスが原因でした。
さらに23歳で出来ちゃった結婚が報じられましたが、これも反抗期の一連の行動によるものだったそうです。
ホントに、仕事を辞めたくて仕方なかったです。
もちろん結婚なんて許されない時だったので、そこへの反発は大きかったし、正直、確信犯ですよね。
出来ちゃった結婚だと言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった。
引用元:FRaU
と結婚に踏み切った理由を語っています。
またそうしないと自分の心が持たなかったとも語っています。
私は一度、あの時点でフェードアウトしないと壊れていたと思うし、女優業は続けていられなかったと思う。
あのタイミングで一度外の世界を見るというかフラットな自分に戻れたことは、私の人生においては、すごく大切でした。
鎧が重すぎて辛くなっていたんだと思う。
引用元:FRaU
この結婚発表の後、産休でおよそ2年間程表舞台から遠ざかる事になりました。
もちろん、この時の結婚や産休に至るまでも所属事務所に怒られたと語っているし、ケンカもしたと語っています。
本人はこの時に引退する覚悟もあり、退所を申し出たそうですが事務所側から休みという形で提案されたそうです。
20代前半としたら、事務所とすればまだまだ稼ぎ時で彼氏の存在はまだ許容できるとしても、結婚による休業までは流石に考えていなかった様ですね。
そういった意味では武井咲さんの結婚もそういった流れでの結婚では無いかと言われている様ですね。
もう既成事実を作ってしまわないと結婚できなかったという事ですね。
ちなみに武井咲さんの結婚した年齢も広末さんと同じ23歳だったそうです。
当時の記事を探してみた所、上記の様な記事が出てきました。
やはり、事務所の皮算用をぶち壊した事でスポンサーに迷惑が掛かってしまったみたいです。
広末さんの時も当時は上記画像の様な報道は見つかりませんでしたが、実際にはスポンサー関連の謝罪行脚はあったと思われます。
武井咲さんよりもっと売れっ子だったと思われますので(;^_^A
結果的には離婚する事になってしまいましたが、一時的に芸能界を離れられた事が後の活躍に繋がっているので、未来がどう転ぶかは誰にも分かりませんからね。
20代後半には自殺願望に陥った時期もあったと告白
2010年に現在の旦那さんであるCANDLE JUNEさんと再婚する事になりますが、それ以前には自殺を考える程に辛い時期があったそうです。
もうしんどすぎて、これ以上頑張れないなって――。
いつも気が付いたら高いところに行っていて、誰か背中を押してくれないかな――っていう感じだったので。
本当にギリギリだったのかもしれない
引用元:FRaU
そんな苦しい時期に出会ったのが現在の旦那さんだったそうです。
離婚した後に友人からは広末さんの旦那になれる人は『超権力者か超金持ちか木こりみたいな人じゃないと無理』とまで言われていたそうです。
そんな浮世離れした人でないと旦那さんは務まらないと言われていたそうです。
そこで出会ったCANDLE JUNEさんがまさに木こりの様な人だったそうです。
もちろんいい意味での表現で、周りに影響されず、自分の世界を持っているという意味だったそうです。
広末涼子は彗星のごとく現れてあっという間に大人気
現在も女優として活躍されていてる広末涼子さんですが、現在の若い世代の方々には広末さんの若い頃の人気ぶりは知らない人が多いかと思います。
この記事を作成する少し前にもバラエティ番組に出演して、過去の人気ぶりを紹介されていました。
親世代の若い時に大人気だったと言われている位に既に過去の事になってしまった様です。
といっても30代後半以上の方は男女問わず、その大人気ぶりとあっという間にスターに駆け上がっていった事は覚えている人も多いかと思います。
もちろん、筆者も特別にファンだった訳でもありませんが、よく覚えています。
まずは広末涼子さんの経歴を軽く紹介したいと思います。
- 名前:広末涼子
- 本名:廣末涼子
- 生年月日:1980年7月18日
- 出身地:高知県高知市
- デビューのキッカケ:1994年第一回クレアラシル『ぴかぴかフェイスコンテスト』グランプリ獲得し、同商品のCM出演で芸能界デビュー
- 中学卒業後は上京し以降は、様々なCMに出演する様になり、1996年に出演したNTTドコモのポケベルのCMで一躍名前と顔を知られる
- 1997年4月15日竹内まりやプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、同年の紅白歌合戦にも出演(歌手デビュー年に紅白出演したのは当時では松田聖子・岩崎宏美以来だった)
- ドラマデビュー:1995年6月12日放送の「ハートにS」第10回
- 映画デビュー:1997年7月26日公開20世紀ノスタルジアで同年の映画賞の新人賞を総なめ
- 1998年11月25日、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格
- 1999年:早稲田大学に入学後、3カ月後に初登校するもマスコミや野次馬が集まりすぎで騒動となる
- 2001年7月に出演したドラマ「できちゃった結婚」の収録期間での奇行が度々週刊誌で報じられる
- 2002年:女優業に集中する為に歌手活動を休止
- 2003年10月6日:女優業に集中する為に早稲田大学退学
- 2003年12月15日:モデルの岡沢高宏との結婚を発表(できちゃった婚) 翌年4月10日に男児を出産
- 2008年3月13日:岡沢高宏との離婚をHPで発表
- 2010年10月8日:キャンドルアーティストのCANDLE JUNEと再婚
- 2011年3月22日次男の出産、2015年7月17日長女を出産
ざっと広末涼子さんの経歴を紹介しましたが、この間の出演作品は数々のドラマ、映画、舞台に出演されています。
経歴に関しては主に人生の出来事に絞って掲載した様な感じでしょうか。
ちなみに広末涼子さんが大ブレイクしたキッカケのCMがNTTドコモのポケベルのCMなのですが、実は筆者は当時見た記憶がありません。
恐らくですが、筆者以外にも見た記憶が無い人が多いかも知れません。
当時の記録が見つけられなかったので記憶だよりですが、96年頃の携帯電話会社は現在の様に全国で同一ブランドではなくて、地域ごとで分けられていました。
現在のJRの様な感じと言えば伝わるでしょうか。
関東圏以外だと、北海道・東北・東海・北陸・関西・中国・四国・九州の8地区に分けられていました。
その為、CMも地区会社ごとで制作、放送されていたと記憶しています。
広末さんのCMはNTTドコモ関東(関東は地域名は付かなかった様です)で制作されたはずなので、関東圏に在住していた人しか見ていないと思います。
少なくとも筆者は広末さんとNTTドコモのCMが記憶の中では結びつかないので、見ていないと思います。
間違っていたら申し訳ないです<(_ _)>
ただ、どうしても言いたかった(笑)。
23歳で出来ちゃった結婚し4年半程で離婚
広末さんは23歳の時に最初の結婚をしており、できちゃった婚でした。
過去の出演作品に『できちゃった結婚』がある為に、当時も随分と皮肉を書かれた様な記憶があります。
ですが、4年半程経過した2008年3月13日に離婚を発表しています。
そして、離婚から2年半後に現在の夫であるCANDLE JUNEさんと再婚していますが、この時もやっぱりできちゃった結婚でした(笑)。
ちなみに本名は現在も廣末涼子となっています。
これは再婚相手のCANDLE JUNEさんが広末さんの籍に入った為です。
旦那さんの本名は廣末順で旧姓が井筒となります。
さらにちなみにですが、CANDLE JUNEさんは全身にタトゥーが入っていますが、画像を見る限りは過激な模様では無く、少数部族の人達が入れる様な感じのタトゥーに見えます。
また右耳の大きなピアスも特徴です。
大きすぎるが正しいかも知れませんね(笑)。
一見すると怖そうに見えますが、再婚してからは10年以上経過していますので、家庭は上手く行っている事が伺えます。
下記画像の記事でも父としてのアドバイスが紹介されています。
ちなみに最初の結婚時に生まれた長男は既に18歳になっており、現在は海外に留学している事が広末涼子さんから語られています。
お父様はモデル兼・デザイナーの岡沢高宏さんなので、イケメンの可能性が高そうです。
まとめ
今回の記事では広末涼子さんの若い頃について紹介しました。
ちなみに広末涼子さんはSNSは期間限定中で開設しているインスタグラムがあると紹介しましたが、これ以外には一度も開設されたことがありません。
理由としてはプライベートな情報が役柄の広末涼子のイメージを損なってしまうからと考えているそうです。
今やSNS全盛で当たり前の様な気がしますが、ネット環境が無い時代は芸能人のプライベートな情報は一切分かりませんでしたからね。
他にも発信した内容が本人の意図しない伝わり方や捉え方をされる事が怖い事も理由に挙げられています。
もちろんいろいろと発信する事でファンを獲得する事もあるので、一長一短なので広末さんの様な考えの人も少なからず芸能人には居るようです。
広末涼子の若い頃についてのまとめです。
- 広末涼子さんは1994年にオーディションを受け芸能界デビュー
- NTTドコモのポケベルのCMで一躍ブレイクする
- 女優だけでなく歌手としても成功し、97年に歌手デビューした年に紅白歌合戦に出場している
- 早稲田大学に合格するもマスコミや野次馬が多すぎてまともに通う事が出来なかった
- 20歳前後の頃から週刊誌で奇行といわれる行動が報じられるようになる
- 後の様々なインタビューで奇行が目立つと言われた時期は多忙のあまり心身のバランスが崩れ、ストレス等からの行動であったと語っている
- 20歳前後の頃は自身で反抗期だったと語っており、仕事を辞めたくて仕方が無かった
- 自分からは仕事を辞める事は出来ないので、引退させられるために暴飲暴食で15キロ太ったが元の体重が37キロしか無かった為、全然仕事に影響が無かった
- 高校時代、大学時代ともに付き合っている人物がいた
- 23歳の結婚も既成事実を作らないと結婚出来ないと考えての行動で、本人は引退する覚悟で事務所とケンカした
- 20代後半の頃にはしんどすぎて自殺を考えるようになるまで追い込まれていた
- 一番しんどい時期に出会ったのが現在の旦那のCANDLE JUNEさんだった
ちなみにこちらは小学校6年生当時の広末涼子さんです。
これは1992年10月に行われた『1992年四国子供TVサミット』時の画像です。
四国4県の小学校の代表が出ていたそうですが、テレビ授業のリハーサルの時に香川県の小学校から「さっきのかわいい子、もう一回映してくれませんか」と言われる程当時から注目されていたそうです。
確かに顔つきは今とほとんど変わっていないですよね。
またデビュー当初は女優以外にも歌手活動やアイドルの様な活躍をしていたのは今更な話題ですが、本人的には好きでは無かった様です。
女優を目指して芸能界に入ったのだから当然ですよね。
そういえば橋本環奈さんや森七菜さんも歌手活動してますねぇ。
若い年齢で人気になった場合は、ジャンル問わず手を出すのは今も昔も変わっていない様ですね(笑)。
そんな広末涼子さんの子供について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
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