指原莉乃さんと言えば、現在はバラエティ番組を中心に活躍されていますが、元々はアイドルだった事は皆さんも知っておられますよね。
AKBの姉妹グループのHKT48に所属していて、選抜総選挙では1位を4度も獲得する等、高い人気を誇っていましたが、決してアイドル時代は順風満帆では無かったのも割と有名な話ですよね。
今回の記事では、今や全国規模の知名度を誇る指原さんが、アイドル時代に起こしたスキャンダルについて振り返ってみたいと思います。
AKB時代の指原莉乃のスキャンダルは現在で言う『リベンジポルノ』
最初に簡単な経歴紹介をしましたが、指原さんはHKT48所属のイメージが強い人も多いかと思いますが、当初はAKB48に所属しており、そこで徐々に人気メンバーとなっていきました。
指原さん最大のスキャンダルとなるのが、2012年6月の出来事で、そのケジメとしてHKT48に移籍しています。
スキャンダルの詳細だけを伝えるのも簡単なのですが、それまでの指原さんの活躍度合いも知った上での方が、背景や事情も見えてくるかと思いますので、そのあたりを先に紹介したいと思います。
スキャンダル発覚前はAKB48主要メンバーとして人気・実力が認められてきた頃
経歴紹介でもある様に、指原さんがAKB48に加入したのは2007年で5期生としてでした。
2005年12月8日にAKB48は活動を開始しており、まだまだ無名だった頃の加入で初期メンバーと言っても差し支え無い古参メンバーになります。
OGだと北原里英さん、現役メンバーだと宮崎美穂さんが同期です。
2008年には10枚目シングル「大声ダイヤモンド」で初選抜入りしていますが、以降1年程は選抜を外されています。
2010年に太田プロダクションの所属となった頃から状況が変わり始めます。
太田プロダクションと聞くと、お笑い事務所のイメージが強いかと思いますが、実はAKB48の人気メンバーが多く所属していました。
現在は退所していますが、「前田敦子さん」、最近結婚を発表された「大島優子さん」、2代目AKB総監督の「横山由依さん」、元NGT48キャプテンの「北原里英さん」等も所属しています。
また当初は「ヘタレキャラ」としてAKBファンの間では認知され出した頃でした。
2011年にはAKB48から派生ユニットの「Not yet」のメンバーに選ばれて、こちらでもCDデビューをしています。
また2010年、2011年連続で、自身のブログで1日の更新記録回数にチャレンジした事がギネス記録に認定されたりと、メディアでも徐々に取り上げられる機会も増え、AKBファン以外にも少しずつ名前が知られる様になりました。
AKB48も2010年にはシングル売上で初ミリオンを達成し、2011年には初のレコード大賞を獲るなど、グループ人気も全国レベルになり、国民的アイドルと呼ばれる程になっていました。
2011年の選抜総選挙ではグループ全体の人気の高まりもあって、9位となり大躍進を遂げました。
同年の1月からは深夜番組ですが、初の冠番組が始まっています。
さらに経歴でも紹介していますが、2011年10月5日から、当時のお昼の人気番組だった「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されます。
当時のAKB48の人気メンバーはいわゆる「初代神7」と言われるメンバーが活躍してた頃で、指原さんはビュジュアルメンバーでは無く、AKB48のバラエティ担当という立ち位置でした。
そして2012年にはソロデビュー、ファッションブランド「サマンサタバサ」のイメージモデルである「サマンサミューズ」に抜擢されるなど活躍の場をさらに広げていきます。
そして、2012年6月6日に発表された選抜総選挙では4位に入るなど、AKB48内でも高い人気を誇るメンバーの一人へとなっていきます。
この頃のAKB48は前述した通り、国民的アイドルと呼ばれる人気であったので、この総選挙の様子も大々的に報じられ、指原さんの名前も益々世間に知られる事になります。
スキャンダル前の状況は以上の通りで、AKB48メンバーとしても、タレント指原莉乃としての活動のどちらも順調に軌道に乗り始めた頃でした。
2012年6月14日発売「週刊文春」に元カレと名乗る男の暴露記事が掲載
2012年度の総選挙で4位に入り、今後ますますの活躍が期待されていたその約1週間後の6月14日に発売された「週刊文春」にて上記画像の記事が掲載されます。
指原莉乃さんの元カレと名乗る人物が、過去に指原莉乃さんと付き合っていて、当時のメールのやり取りや画像等を「週刊文春」に暴露記事として持ち込んだのでした。
総選挙の直後に発売する事からも「週刊文春」の狡猾さが見て取れる、ほんとに嫌らしい記事の出し方です(笑)。
上記画像は最初の報道後の追加記事で公開された画像で、元カレがやり取りしてた指原さんとの画像のカラー版のものです。
画像加工で隠されていますが、胸が写った写真や下着姿のものもありました。
この元カレの暴露した記事の内容は概ね以下の様な内容でした。
- 交際していたのは2008年10月から2009年秋頃の約1年程
- 交際当時の指原さんは正規メンバーとして初選抜されますが、その後しばらくは選抜外になったりと、メンバーとしては浮き沈みの激しい駆け出しの時代(15歳~16歳頃)
- 元カレは指原さんより1歳年上で元々AKBオタクで別のメンバーのファンで頻繁に劇場に通っていた(県外に住む高校生)
- 元カレは指原さんに推し変(別のメンバーから指原さんにファンを鞍替えした)して、名前を覚えてもらいたくて、握手会に通い、ファンレターを何通も書いていた
- 2008年夏頃、元カレのミクシィのHPに指原さんの友人と名乗る女性からメールが届き、指原さんのファンだったら、アドレスを教えましょうかと持ち掛けられ、指原さんの携帯アドレスを入手する(このメールの送り主は指原さん本人だった)
- 最初はメル友の関係だったが、2008年10月頃から付き合う様になる
- 交際にあたって指原さんから提示された条件は「劇場公演に来ない」「二人の関係は他言無用」「デート場所は原則指原さんの自宅マンション」
- 指原さんとデートする為に、元カレは学校を休んで、2時間かけて自宅マンションを訪ねていた(指原さんは母親と同居していた為、母親不在時の平日昼間に会っていた)
- 交際開始から4か月後にエッ●した
- お泊りは一度だけで、東新宿駅前のビジネスホテルだった
- デートは2,3週間に一度で、電話は毎日7時間程会話していた
- 2009年秋頃に元カレから別れを切り出すも、指原さんからは別れたくないとゴネられた(制約が多い恋愛に元カレが耐えられなくなったのが理由)
- 指原さんは元カレとの交際解消後、別の男性と付き合っていると聞いている
- 元カレを取材をした文春記者が、元カレの携帯電話に保存されている指原さんの番号に電話すると本人に繋がり、元カレとの関係を質問するが、否定されてすぐに電話を切られる
- 6月11日に「笑っていいとも」に出演する指原莉乃さんを直撃取材しており、そこでも元カレとの関係は否定された
以上の様な内容が記載されていました。
ちなみにですが、指原さんの件より以前に発覚した主なスキャンダルと処分は下記の様になっています。
- 2010年10月14日付の「週刊文春」が秋元才加さん(当時AKB48:チームKのキャプテン)が自宅に広井王子さんを泊めた事が報道され、その責任を取ってキャプテンを辞任
- 2012年1月28日に米沢瑠美さんのSNSの裏垢が発掘され、そこに米沢瑠美、平嶋夏海の両名が男性と一緒の写真や、飲酒を匂わせる内容のやりとりが流出し、後に二人はAKB48を解雇
他にも細かいものは数多くありますが、マスコミで大きく取り上げられたのはこれらの騒動だったと思います。
秋元才加さんの場合は、恋愛関係では無かった為に、謝罪と自粛的な処分だけで済みました。
米沢瑠美さんと平嶋夏海さんの件は、恋愛禁止の決まりを破っていた事から、公式発表では”活動辞退”と発表されましたが、事実上は解雇である事は誰もが理解していました。
AKB48は一応”恋愛禁止”を掲げていた為、グループ在籍中の恋愛については処分の対象になっており、スキャンダル報道後、指原莉乃さんに対する処分がどうなるかが注目されていました。
これまでスキャンダルを起こしていたメンバーはAKBファンには知られている存在だったものの、一般的には認知度が低い非選抜メンバーばかりでした。
今回の指原さんの件は、選抜常連の主要人気メンバーの問題としても注目されていました。
余談ですが、同じ時期AKB48にとっては大きな出来事があったのですが、指原さんのスキャンダルのせいで、当時は完全に吹き飛んでしまった感じでした
それは初期AKB48のセンターとして活躍した前田敦子さんの卒業コンサートの日程が決定したのですが、直ぐに指原さんの騒動で棚の上に追いやられてしまいました(笑)。
週刊文春発売翌日にラジオ生出演で謝罪&秋元氏よりHKT48移籍を言い渡される
指原さんの報道があった当時、AKB48はニッポン放送の人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」の金曜日レギュラーでした。
指原さんの記事が掲載された週刊文春は2012年6月14日(木曜日)に発売された為、翌日深夜の「オールナイトニッポン」に指原さんが急遽出演する事になりました。
また当時は総合プロデューサーだった秋元康さんも同席する事になります。
番組中に1人で出演した指原さんは騒動に関する謝罪を行いました。
- 記事の内容には事実でない部分も含まれる
- 元カレで有る事は認めていませんが、友人であったことは事実
記事に関する反論という点では以上の2点にしか言及しませんでした。
また本人はクビも覚悟していたそうです。
まあ交際してた時の内容ですから、公共の電波に載せて、ここが違うとか、ここは合っているとかなんて言える訳ありませんからね(笑)。
こう答えるしか無かったでしょうね。
一人での謝罪が済んだ後に、秋元康さんもスタジオに入り、2人での放送が続きます。
そこで過去の出来事とは言え、ファンに迷惑や心配を掛けた事は事実であるので、何らかの処分は下さないといけないと発言。
下された処分は以下の内容でした。
- ラジオ放送日の翌日(2012年6月16日)よりHKT48への移籍を命じる
- 出来るだけ早く、博多への引っ越しも行う事
- 現在抱えている仕事は継続してもOKだが、肩書は「HKT48の指原莉乃」で出演し、福岡から通う事
HKT48は2011年10月23日に結成されたばかりで、正式に活動を開始して3カ月くらいの状況でした。
指原さんを指導者役として送り込んで、HKT48を育ててもらおうという狙いが秋元康さんにあったと言われています。
一応公式にはこの時の発表で、指原莉乃さんへの処分は確定となります。
処分内容はともかく報道から僅か1日でのスピード処分でもありました。
指原さんが文春に記事が出る事を知ったのは、前述した文春記事内で記者が突撃取材した6月11日で、そこから秋元康さんや他の首脳陣が相談した結果、決めた落としどころだった様です。
もちろん、この処分に対して、様々な声が出たのは言うまでもありません。
- HKT48に移籍としているが、実質左遷の様な処分で、HKT48に失礼だ
- クビになっているメンバーがいるのに、移籍処分だけでは実質お咎めなしではないのか
- 如何なる理由であれ、恋愛禁止の規則を破ったのは事実なのだからクビにすべき
代表的な意見は上記の様なものですが、アイドルの恋愛に関しては、人それぞれに思う部分もあって、尺度もいろいろとあるので万人が納得できる処分なんて出来ないのも事実です。
そもそも犯罪行為では無いし、アイドルとは言え、恋愛に関しては『本音と建て前』がある事を理解している一般の人達の方が多い様な気がします。
かと言って、恋愛自由で「彼氏が居ます」と公言するアイドルにファンが付くことが無いのも理解していますよね。
クビにされたメンバーも存在している事から、指原さんの処遇に関してはアンチや、ガチのアイドルオタクで恋愛禁止を絶対と考える人たちからの批判は止むことは有りませんでした。
余談ですが、AKBグループでは恋愛禁止が規則と言われていますが、秋元康さんは公式では”恋愛禁止”にしているとは発言していないと言われています。
この指原さんの件でも、迷惑や心配を掛けたと発言されていますが、恋愛禁止の決まりを破ったとは発言されていません。
秋元康さんを古くから知っている世代の人達にはピンと来るかも知れませんが、秋元康さんの口からメンバーに”恋愛禁止”とは絶対言えない理由がありますよね。
実は秋元康さんの奥様である、麻巳子さんは元おニャン子クラブのメンバー(高井麻巳子)で、奥様が現役時代に極秘に付き合っていました。
おニャン子クラブの解散と同時期に結婚を発表しており、当時の高井麻巳子さんのファンは秋元康さんをボコボコにしたかったと思います(笑)。
つまり自分自身がアイドルと恋愛をしていた事実があるので、秋元康さんが”恋愛禁止”を宣言すると自分自身に特大のブーメランが飛んでくるので、言えないのだと思われます。
HKT48移籍後も人気が衰えなかった理由は事務所の圧力の可能性大
表向きはオールナイトニッポンでの発表で、処分完了となりました。
しかし、当然ですがネットを中心に、指原さんのアンチやアイドルの恋愛禁止に厳しい考えのファンや、処分が甘いと考えるような人達の批判はそう簡単に止むはずはありません。
それでも表立っての活動については、HKT48に移籍した後も、移籍以前に行っていた仕事は変わらずで、前述した「笑っていいとも」も降板する事はありませんでした。
ここで、AKBファンやアンチ以外の一般の人達にはそれほど批判されなかった理由について考察したいと思います。
もちろん毎度毎度の筆者の独断による勝手な推測ですが、以下の様な事が理由なのではと考えます。
- 週刊文春の報道内容が、元カレ氏による暴露記事で現在でいう「リベンジポルノ」にあたる事で、同情が多かった
- 報道から間髪入れずに、本人がすぐに謝罪を行った
- 当時AKB運営のTOPである秋元康さんが処分を下した
- AKBグループの規則違反であっても犯罪を犯した訳では無いから
- アイドルとしては致命的だが、芸能人として不祥事を起こした訳では無い
- 2012年当時のSNS利用者はまだ少ない方で、現在より過剰・過激な誹謗中傷も少なかった
これ以外で、事情通の業界関係者的な話で言われているものが、「所属事務所の力が大きい」とも言われています。
指原莉乃さんの所属事務所は「太田プロダクション」で有る事は紹介しましたが、この太田プロが業界内でかなり大きな力を持っていると言われています。
そこで事務所の力で、『指原莉乃さんは元カレに過去の恋愛事情を週刊誌に売られた被害者』という立場を植え付けるような工作をしたとも言われている様です。
他にはAKB運営が、週刊文春の発行元である文藝春秋とAKBのムック本の発行をちらつかせて手打ちにしたとか、AKB運営とマスコミの間で様々な駆け引きがあったとも言われている様です。
まあ表面上は指原さん個人の問題ですが、背後にはいろいろな力関係や利権が関係していたのは言うまでもありませんね(笑)。
いろいろと真偽様々な噂がある様ですが、騒動後はかえって知名度が上がり、さらに仕事が増え、翌年の選抜総選挙ではついに1位になるなど、人気がさらに上昇していく事になります。
HKT48も指原さんの移籍効果で冠番組が出来たり、メディア出演の機会が増えたりと、創設したばかりのグループにとっては知名度の向上にかなり貢献してくれたのは間違いないと思われます。
もちろん、秋元康さんが指原さんに課した役目である、メンバーの育成も大成功だったのは言うまでもありません。
他にも騒動後の指原さんが自虐的にスキャンダルの事を発言していたり、番組共演者の方々に弄って笑いに変えてもらえたことも大きいでしょうね。
それが出来たのも指原さんのAKBでの立ち位置が、センターを張るメンバーではなく、脇を固めるメンバーで、バラエティ担当を自認していた事も大きく影響していると思います。
何よりも一番凄いのが、そうやって笑ってもらえるように立ち振る舞った指原さんの腹の括り具合だと思います。
元々自身もガチのアイドルオタクで、ファンの気持ちも十分理解していると言われています。
さらにはデビュー前は巨大掲示板の2chで書き込みをしていたと言われており、ネットやアンチの怖さも知っているはずです。
アンチやガチファンの批判を浴び続ける事は承知の上で、自虐的に立ち振る舞ったと考えるとやはりその覚悟は相当なものだったと思われます。
この騒動以降の指原さんは「ヘタレキャラ」と呼ばれたころとは別人の様になっているのもその証拠では無いかと思います。
暴露記事を週刊誌に売った元カレはどうなった?
最後は指原さんを結果的にはTOPタレントに押し上げるキッカケを与える事になってしまった、元カレはその後どうなったのかを紹介しておきます。
この報道のされ方が、元カレが週刊誌に記事売り込んだ事が発端なので、批判は随分と集まったのは言うまでもありません。
当然ですが、その元カレの身元の特定についてもネット民が動いていました。
結果的にはすぐに特定され、顔写真が拡散されたり、脅迫されたりと、その後はかなりひどい誹謗・中傷があった様です。
ただ、彼への報復行為のエスカレートを危惧した周囲の人物により、身代わりがたてられたとも言われています。
現在のネットで元カレと言われている情報は、その身代わりの人物の情報とも言われており、本命の元カレについては、過激な中傷や非難からの対象から外れて、危機は去ったとも言われています。
どちらにせよ、元カレのやった行為は現在は「リベンジポルノ」に該当すると思われるので、いろいろな事情があったにせよ、週刊誌に売り付けたのは愚策でしたよね。
最期に指原莉乃のデビューから現在までの経歴をおさらいしてみましょう!
もはや長年バラエティタレントだったような錯覚に陥りそうな、現在の活躍ぶりですが、まだアイドルを卒業してから3年も経ってない事に驚きです。
アイドル生活は実に10年にも及ぶ長い期間で、後半はAKBグループの顔としての存在も大きかったと思います。
そんな指原莉乃さんの現在までの経歴を簡単に紹介します。
- 指原莉乃 さしはらりの 本名:同じ
- 生年月日:1992年11月21日
- 出身:大分県大分市
- 2007年にAKB48の研修生(5期生)オーディションに合格
- 2008年3月1日にチームBの公演でバックダンサーとして初舞台を踏む
- 同年8月2日にチームBの正規メンバーに昇格、10月22日発売の「大声ダイヤモンド」で初選抜入り
- 2010年3月25日に太田プロダクションへ移籍(現在の所属事務所)
- 2011年10月5日より「笑っていいとも」の水曜日レギュラーに加入、2012年4月以降は月曜担当に変更となり、その後は2014年3月の番組終了までレギュラーとして出演
- 2012年6月16日にAKB48からHKT48へと移籍
- 2018年12月15日にHKT48からの卒業を発表、2019年4月28日を以って卒業
総選挙順位
- 2009年:27位(選抜外)
- 2010年:19位(選抜)
- 2011年:9位(選抜)
- 2012年:4位(選抜)
- 2013年:1位(初センター)
- 2014年:2位(選抜)
- 2015年:1位(センター)
- 2016年:1位(センター)
- 2017年:1位(センター&3連覇)
2021年1月YouTubeチャンネル「さしはらちゃんねる」を開設
少し長くなりましたが、かなり省いた経歴となります(笑)。
流石に10年のアイドル歴とAKBグループのほぼ初期メンバーでもあり、中心メンバーでもあったので、いろいろな活躍があるのですが、膨大になるので最低限の情報を紹介した感じです。
紹介したのは主にアイドル:指原莉乃の経歴でしたが、プロデューサー:指原莉乃としても才能を発揮しているのも有名ですよね。
アイドルグループ「=LOVE」「≠ME」のプロデュース、カラコン、コスメ、アパレル等のブランドプロデュースも行っています。
まとめ
今回の記事では、指原莉乃さんがAKB48在籍時代に起こしたスキャンダルとその後について紹介しました。
アイドルとしては恋愛スキャンダルはご法度で、大きなダメージなのは間違いないでしょう。
アイドルとして応援していたファンの人達にとっては裏切られたり、応援したくない気持ちが出ても当然でしょう。
ただ、芸能人のスキャンダルとして考えた場合、指原さんの問題は高校生同士の普通の恋愛という捉え方も出来ます。
そう考えるとアイドルとしてはダメージ大ですが、タレントとしてはダメージが無かったと言えるかも知れませんね。
指原莉乃のスキャンダラスな内容についてのまとめです。
- 指原莉乃さんは2007年のオーディションに合格し、5期生としてAKB48の活動を開始
- 2010年に「太田プロダクション」に移籍し、その頃から様々な活動で注目を集めるようになる
- 2012年6月14日発売の「週刊文春」に元カレと思われる人物から交際していた頃のメールや写真等の暴露記事が掲載される
- 2008年から2009年の秋頃まで元カレと交際しており、最初のアプローチは指原さんからだった
- 2012年6月15日の「AKB48のオールナイトニッポン」に指原さんが急遽出演し、騒動についての謝罪と、記事の内容について事実でない部分や元カレでは無く友人だったと釈明
- 同番組に当時総合プロデューサーだった秋元康さんも出演しており、ラジオ放送翌日の6月16日より結成間もないHKT48の指導担当として移籍する処分が下される
- 現状請けている仕事については先方と問題が無い事が確認できれば、引き続き出演可能だが、所属は全てHKT48の指原莉乃で出演する事と、住居は福岡に移し、そこから通う事が義務付けられた
- 指原莉乃さんの処分の内容については賛否両論、様々な意見がネット上に溢れていた
- スキャンダルについては「リベンジポルノ」の被害者の面もあった為、同情票も多かった
- アイドルとしては致命的だが、不祥事や犯罪を犯した訳では無い為、一般層からの批判が少なかった
- 結局スキャンダル前の仕事は何一つ失う事は無く、逆に知名度が上がった事で、さらなる仕事や人気獲得に繋がった
前述しましたが、指原さんは元々ガチのアイドルオタクで、アイドル側とファン側双方の心理も理解できる人物だと言われています。
そんな指原さんでも年頃の頃はアイドルよりも恋愛を取ってしまったのはある意味、人間くさいというか、正直だったんだなと思います。
アイドルとしての自覚が足りないという意見もありますが、15歳前後で恋愛を断ち切って仕事に精進するというのも厳しいでしょうね。
もちろん、初めからストイックにアイドルを頑張っている人も居るのも紛れもない事実です。
その一方ではイケメン漁りを目的でアイドルグループに入る人も居るらしいので、そういった人たちにアイドルの意識を求めても無理な話ですよね。
現在は完全に恋愛自由な立場ですが、将来どんな人物が指原さんとお付き合いする事になるのか注目ですね(笑)。
指原莉乃さんの整形疑惑について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
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