元首相の小泉純一郎さんの長男で俳優の小泉孝太郎さん、次男で衆議院議員の小泉進次郎さんは有名ですよね。
しかし実は小泉純一郎さんにはもう一人三男に当たる息子がいました!
ということで今回は、小泉純一郎さんの三男である宮本佳長さんについてまとめていきたいと思います。
小泉純一郎の三男の宮本佳長の画像や読み方
小泉純一郎元首相には孝太郎さんと進次郎さんの他に、宮本佳長(みやもとよしなが)さんという息子がいます。
宮本佳長さんは小泉家の三男で一般人のため、世間にはあまり公表されていませんでした。
なので画像などは一切公開されていないのですが、そんな中で佳長さんの画像を探していたところ、こちらの画像にたどり着きました。
佳長さんの画像は一般人のためなかなか見つからなかったのですが、昔の画像と↓
(これが本物ならですが)三井不動産レジデンシャルで働いており「WANGAN ACTION」というプロジェクトを推進しているプロジェクトメンバーの画像↓
出典:mfr
があります。確かに、三兄弟の中で小泉元首相に一番顔が似てるみたいですね(笑)
↓の画像は若い頃の小泉純一郎さんですが、
彼にすごく似ている宮本佳長さんですから、こんな顔立ちをされているのだと思います。
やっぱりイケメンですね(笑)ちなみに↓の画像は小泉道子さんの孫である純樹君ですが、小さい頃の佳長さんもこんな顔立ちだったと思われます。
さて、佳長さんの生年月日は1983年で、現在で41歳を迎えています。
小泉家といえば、名前に「郎」という文字が入っているのが特徴的ですが、三男の宮本佳長さんだけ「郎」の文字が入っていません。
それはなぜかというと、宮本佳長さんは小泉元首相の元妻である宮本佳代子さん側の子供として育てられたからです(命名したのは宮本家)
ちなみに宮本佳代子さんは元エスエス製薬会長である泰道照山さんの孫です。
当時泰道照山さんは小泉純一郎さんとの結婚に猛反対の立場だったらしく、
「結局、泰道家とは絶縁寸前までいった。“出て行くならその身体一つでいけ”という具合。それでも小泉さんから“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」
と言っていたようです。
小泉元首相と宮本佳代子さんは、小泉元首相が青山学院大学4年生の時にお見合いをして出会い、結婚後は三人の子供をもうけました。
しかし、小泉元首相と宮本佳代子さんは結婚生活わずか4年で離婚してしまいます。
離婚当時、宮本佳代子さんのお腹には三男である宮本佳長さんがいました。
長男の孝太郎さんと次男の進次郎さんは小泉元首相の後継者となるため親権は父親側になり、当時お腹の中にいた宮本佳長さんのみが母親に引き取られることになりました。
※神奈川県鎌倉市に戻った宮本さんは調停の末に三男の親権を勝ち取ったということですから、円満な別れ方ではなかったようです。
この結果、三兄弟は生き別れという形になってしまいました。
佳代子さんは、1人で三男の佳長さんを出産することになった時の心境をこう語っていました。
「日に日におなかが大きく膨(ふく)らむ中で、『ひとりで元気な子を産むことができるのか』という不安――二重の不安に押しつぶされそうで毎日泣き続けていました」
ちなみに、離婚理由は姑と小姑とのトラブルだと言われています。
家族と生き別れた理由は姉の小泉信子
小泉信子さんは、小泉元首相の実姉で小泉家の三女です。
信子さんは父と弟(小泉元首相)の秘書を務め「陰の総理」とまで言われるほど男勝りでハキハキとしたキツイ性格だったようです。
また、秘書だけでなく金庫番や小泉元首相の身の回りの世話もしていたそうです。
そのため、小泉元首相の信子さんに対する信頼はとても厚く、小泉家の全ての実権は信子さんが握っているほど、小泉家の中で信子さんの権力は凄まじかったそうです。
小泉元首相と元妻である宮本佳代子さんはお見合いの末に結婚したのですが、当時、2人の結婚に祖父である泰道照山さんは反対していました。
もし結婚するのなら縁を切ると言うほど反対していたそうです。
しかしお二人はその反対を押し切って結婚。
三人の子宝にも恵まれましたが、結局離婚してしまいます。
その離婚原因が、佳代子さんと小泉元首相の母親、姉・信子さんとの関係悪化にあったそうです。
プロポーズの際、小泉元首相は佳代子さんに「政治の世界は何も知らないでいい」と言っていたそうです。
しかし、佳代子さんは夫のために良かれと思って選挙活動に積極的に参加していました。
小泉家では、奥さんは選挙活動に加わらないという家訓があったのですが、佳代子さんはそれを理解していなかったため、小泉家の中で発言力と権力を持っていた小泉元首相の母親と姉・信子さんと関係が徐々に悪くなり、離婚することになってしまったようです。
そういった経緯で、佳代子さんは姑・小姑と関係が悪くなってしまったそうなのですが、信子さんに絶大な信頼を寄せていた小泉元首相は妻である佳代子さんの味方をすることはなかったそうなんです。
もし、小泉元首相が宮本佳代子さんの味方をしていれば離婚はしていなかったかもしれません。
離婚当時も小泉元首相は「君子、去るもの追わず、来るもの拒まずだな」と言っていたくらいですからね^_^;
そのため、冷たい夫と姑・小姑とのトラブルが原因で離婚したと考えられます。
そういえば、小泉進次郎さんと滝川クリステルさんが結婚された際、小泉進次郎さんは下記のように語っていましたよね。
「政治家小泉純一郎のまねはすべきでないし、したくないと思うけど、父親としては小泉純一郎のような父親になりたいなと。愛情深く心から自分が親から愛されているということを一点の曇りもなく思わせてくれたから、こうやって生きて来れたと思って、そんな父親になりたい思います。」
しかし宮本佳長さんにとっては、『全く愛されていない』という記憶しか残らなかったようです。
三男を出産している時に離婚したので結果的に、小泉家と宮本佳長さんは生き別れということになってしまったのでしょう。
離婚後、宮本佳代子さんは孝太郎さんと進次郎さんに会いたがっていたそうですが、小泉元首相は面会することを許さなかったそうです。
もしかしたら信子さんが会わせないように裏で見張っていたのかもしれません。
三男の宮本佳長さんは「父親と会って話がしたい」と小泉元首相の事務所へ涙ながらに電話を掛けたことがあったそうなのですが、信子さんに「血は繋がっているけれど親子関係ではない」と冷たく言い放たれたそうです。
そんなこと言われたらショックですよね…
小泉純一郎の三男宮本佳長の学歴や大学について
小泉元首相との離婚後、宮本佳代子さんは三井不動産のグループ会社に就職し、女手一つで佳長さんのことを育ててきたようです。
また、佳長さんは中学卒業後にアメリカのテネシー州の高校に留学し、帰国後は京都外国語大学中国語学科に進学しました。
アメリカテネシー州には「テネシー明治学院高校」という日本人向けの高校が1つあります。
2007年には閉校になってしまったそうですが、佳長さんはその高校に通っていた可能性が高いと思います。
ちなみにもしテネシー明治学院高校に通っていたとしたら、学費200~300万円プラス寮費100万円で、年間で約400万円はかかっていたと考えられます。
アメリカテネシー州の高校を卒業後、1浪してから京都外国語大学に入学したみたいです。アメリカと日本は卒業・入学時期が違うのでそれが理由で1浪したのだと思います。
ちなみに京都外国語大学の偏差値は45~55で、小泉進次郎さんが通っていた関東学院大学より少しだけ高いようです。
宮本佳代子さんは息子・佳長さんに対して「父親が有名でもあなたとは関係ない。あなたの母親はサラリーマンだから、勘違いしないで生きていきなさい」と言い聞かせて育てたそうです。
そう言い聞かされて育った佳長さんは、大学卒業後は母親と同じ不動産業界で会社員として働いているそうです。※先ほどご紹介した三井不動産ですね。
佳長さんは小泉元首相のコネで三井不動産のグループ会社に就職し、ごく普通の中堅サラリーマンとして働いているとの噂もありますね。
年収ですが、1,000万円前後はもらっているのではないかなと思います。
小泉純一郎が三男宮本佳長の結婚式に出席
絶縁状態であった小泉元首相と宮本佳長さんですが、小泉元首相が政界を引退したことをきっかけに、関係が修復されたようです。
2008年、小泉元首相は進次郎さんを後継者に指名すると政界から引退しました。
その際、小泉元首相は進次郎さんに「家のことは任せた。自分は今さら会えないが、お前たち三人は兄弟だから仲良くすればいい」と告げたそうです。
進次郎さんはその時に初めて弟である宮本佳長さんに連絡し、食事会を開きました。
佳長さんが生まれる前に両親は離婚したので、兄弟が会うのはその時に初めてだったと思います。
その後、長男の孝太郎さんも含め、兄弟三人で会う機会は増えていったそうです。
2010年には小泉家御用達のレストランで、小泉元首相、孝太郎さん、進次郎さん、そして佳長さんが会食する様子が、週刊誌によって報道されました。
佳長さんは小泉元首相のことを「お父さん」と呼んでおり、小泉元首相の方は照れがあったのか佳長さんに対して「なぁ」と呼びかけていたそうです。
また、佳長さんは、2013年に学生時代から交際していた女性(大学入学時の同級生)と結婚したのですが、その結婚式に、父親である小泉純一郎さん、お兄さんである孝太郎さん、進次郎さんが出席したようです。
この結婚式はホテルオークラで行われ、小泉元首相と宮本佳代子さんは離婚後初の再会だったようで、30年ぶりに家族が揃うこととなりました。
色々あったようですが、絶縁状態であった三男の結婚式に出席する関係にまで修復してよかったですよね^_^
小泉純一郎の三男の宮本佳長が変死事件に関与?
小泉元首相と宮本佳長さんは、ある変死事件に関与しているとの噂があります。
変死事件とは、1992年5月12日に東京都港区三田に住んでいた女性が変死体となって発見された事件です。
変死体となって発見された女性は、新橋で芸者として働いていた小泉元首相の当時の愛人でした。
数日前までは踊りの練習に参加するなど普通に生活していたのですが、月曜日に仕事を無断欠勤し、火曜日も連絡がつかないことから、職場から彼女の母親に連絡したことで事件が発覚しました。
女性の部屋には「疲れました。ごめんなさい」と遺書のようなものがあり、警察には自殺として処理されました。
しかし、第一発見者である母親が「娘の筆跡ではない」と断言したため、犯人は小泉純一郎なのではないかとマスコミに噂されるようになりました。
女性の家族の話によると、女性が住んでいたマンションは小泉元首相がお金を出しており、また月々の手当てももらっていたそうです。
女性の母親は親しい知人に「娘の死は小泉さんとの付き合いが原因」とも話していたそうです。
また、この事件が起こった日曜日は国会は休日だったため、小泉元首相は女性の部屋にいたのではないかと言われていました。
しかし小泉元首相は、事件発生翌日の月曜日には出張名目で岡山に行っており、事件のことはマスコミによって知らされたと主張していました。
14日に行われた葬儀には出席せず、翌週の17日に弔問し、女性の位牌の前で泣きながら「四十九日と一周忌の法要は自分がやる」と関係者に伝えたとのことも報じられました。
マスコミには小泉元首相が犯人なのではないかと疑っていましたが、警察は小泉元首相に取り調べを行うこともなく、この事件は闇へと消えていきました。
実際のところはわかりませんが、小泉元首相に対してなんの取り調べも行われなかったので、変死事件の犯人が小泉元首相である可能性は低いと思います。
また、三男の宮本佳長さんとこの変死事件の関係についてですが、佳長さんは事件当時9歳か10歳でしたので、何か関わっていたということは考えられません。
まとめ
今回の記事をざっとまとめると、
- 小泉純一郎には宮本佳長という絶縁状態の三男がいた
- 生き別れた原因は、元妻である宮本佳代子との離婚と小泉純一郎の実姉である信子にある
- 小泉純一郎が政界を引退したことをきっかけに、小泉家と三男・佳長が初の対面を果たした
- その後は会食をしたり三男・佳長の結婚式にみんなで参列するなど仲は完全に修復された
- 三男・佳長の職業は母親である宮本佳代子と同じ不動産関係
- 小泉純一郎が関与したとされる変死事件に三男・佳長が関係していると言われていたが、それは全くのガセネタ
となりました!
小泉元首相に孝太郎さんと進次郎さんの他に息子がいたなんて知らなかったので驚きました。
色々あって絶縁状態にあったみたいでしたが、現在は関係も修復されたようなのでよかったです(^^
次男である小泉進次郎さんはフリーアナウンサーである滝川クリステルさんと結婚しましたし、小泉家が改めて注目されましたよね。
それぞれの道で活躍する小泉家の今後の活躍にも期待ですね(°▽°)
そんな小泉純一郎さんの家系図について気になる方はこちらの記事をご覧ください。
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