1998年5月2日、X JAPANのギタリスト・hideさんが33歳という若さでこの世を去りました。あれから28年が経った今もなお、死因をめぐっては「自殺」「事故死」「他殺」と様々な説が語られ続けています。
報道では「自殺」とされましたが、実の弟でありマネージャーだった松本裕士さんや、盟友YOSHIKIさんはこれを真っ向から否定。遺書もなく、数日後にはスタジオの予約まで入れていたhideさんが、なぜ命を落とすことになったのか。気になりますよね。
弟の証言や関係者の発言から浮かび上がる「事故死」の根拠、そして告別式やお墓の現在の様子まで、詳しく見ていきましょう。
X JAPAN hideの死因―1998年5月2日に何が起きたのか
- hideさんの死因は、泥酔状態での首ストレッチ中の事故死が有力とされている
- 警察は「自殺」と処理したが、遺書はなく、弟・YOSHIKIともに自殺説を完全否定
- 名曲「ピンクスパイダー」の歌詞が遺書という説も、本人の生前インタビューで否定されている
- 告別式には約5万人のファンが殺到し、後追い自殺も相次いだ
- お墓は神奈川県三浦市の三浦霊園にあり、現在は献花・お供え物禁止のルールがある
| 名前 | hide(松本秀人 / まつもと ひでと) |
|---|---|
| 生年月日 | 1964年12月13日 |
| 没年月日 | 1998年5月2日(33歳没) |
| 出身地 | 神奈川県横須賀市 |
| 職業 | ミュージシャン・ギタリスト・シンガーソングライター |
| 所属バンド | X JAPAN(1987年〜1997年) |
| ソロ活動 | hide with Spread Beaver、zilch |
1998年5月1日、hideさんはソロプロジェクト・Spread Beaverのメンバーとともにフジテレビの音楽番組「ロケットパンチ!」の収録に参加していました。その後の打ち上げでかなりの量のお酒を飲み、日付が変わってもなお飲み続けていたそうです。
泥酔状態のhideさんを、実の弟でマネージャーの松本裕士さんが車で自宅マンションまで送り届けました。しかしこの夜、打ち上げの席でメンバーのKiyoshiさんと口論になり、かなりの大喧嘩に発展。帰りの車中も終始機嫌が悪かったといいます。
そして翌朝の5月2日午前7時30分頃、自宅マンションのドアノブにかけたタオルで首を吊った状態のhideさんを、同居していた婚約者の女性が発見。病院に搬送されましたが、発見時にはすでに呼吸が停止しており、午前8時52分に死亡が確認されました。
ソロ活動も順調で、婚約者との同棲生活も充実していた矢先の出来事。公私ともに前を向いていたhideさんの突然の死に、音楽業界のみならず日本中が衝撃を受けました。
hideの死因は自殺?事故死?それとも他殺?
警察は現場の状況から「自殺」として処理しましたが、この判断には当初から疑問の声が上がっていました。弟の松本裕士さん、そしてX JAPANの盟友YOSHIKIさんをはじめ、hideさんを近くで見てきた人々は口を揃えて自殺説を否定しています。
泥酔時の首ストレッチによる事故死が有力
hideさんは生前、ギタリストという職業柄もあってひどい肩こりと偏頭痛に悩まされていました。その対処法として、整骨院で行う首の牽引ストレッチを自宅でも日常的にやっていたそうです。
具体的には、ドアノブにタオルを巻きつけて首にかけ、自分の体重で引っ張ることでマッサージ代わりにしていたとのこと。弟の裕士さんはこの習慣をよく知っていたため、現場を見た瞬間に「これは自殺ではない」と確信したといいます。
亡くなった当日は、海外から帰国直後の時差ボケに加えて泥酔状態。いつものようにストレッチを始めたものの、そのまま意識を失い、体重がタオルにかかって気道を塞いでしまったというのが「事故死」の真相として語られています。
もし本気で自殺するつもりなら、柔らかいタオルとドアノブという「失敗する可能性が高い方法」をわざわざ選ぶでしょうか。この点も、事故死説を裏付ける大きな根拠のひとつです。
弟・松本裕士さんが著書で明かした「事故死」の根拠
弟でありマネージャーでもあった松本裕士さんは、著書『兄弟 追憶のhide』の中で当時の状況を詳細に語っています。興味本位の暴露ではなく、兄の名誉を守るために明かされた証言として、ファンの間でも深く信頼されている内容です。
裕士さんによれば、警察の事情聴取で「自殺でないなら不審死扱いになる」と言われ、やむを得ず自殺として処理することを受け入れたとのこと。つまり、遺族側は最初から事故死だと主張していたにもかかわらず、制度上の都合で「自殺」とされてしまったという経緯があったのです。
自殺ではないとする根拠は、首のストレッチ習慣だけではありません。hideさんには自ら命を絶つ動機がまったく見当たらなかったのです。
遺書が一切残されていなかったこと、数日後には都内のスタジオを仮押さえしていたこと、そしてYOSHIKIさんと「2000年にX JAPANを再結成しよう」と具体的な約束を交わしていたこと。未来に向けた計画が複数あったhideさんが、突然死を選ぶ理由はどこにもありません。
X JAPANのリーダー・YOSHIKIさんも「自殺じゃないと今でも思っている。やっぱりそういうタイプの人ではない。すごく冷静に考える人だった」と語っており、hideさんを知る関係者の多くが同じ見解を示しています。
名曲「ピンクスパイダー」は遺書だったのか?
hideさんが亡くなった直後の1998年5月13日に発売されたシングル「ピンクスパイダー」。歌詞に登場する「空を飛びたかった蜘蛛」が最終的に墜落するという描写から、「この曲は自身の死を予言した遺書ではないか」という都市伝説がファンやメディアの間で広まりました。
しかし、この説は現在では明確に否定されています。hideさんは生前のインタビューで、「蜘蛛の糸(ウェブ)」はしがらみや情報の網を指しており、そこから飛び出して広い世界へ羽ばたきたいという前向きな野望を歌ったものだと語っていました。
弟の裕士さんも「歌詞と事故は無関係」「兄は常に先を見ていた」と証言しています。「ピンクスパイダー」は絶望の歌ではなく、未来への希望と決意を込めた楽曲だったのです。
hideの告別式―築地本願寺にファンが殺到
hideさんの死は、音楽業界だけでなく社会現象と呼べるほどの衝撃を日本中に与えました。告別式の光景は、彼がいかに多くの人に愛されていたかを物語っています。
約5万人が押し寄せた葬儀と告別式
hideさんが亡くなった3日後の1998年5月5日、築地本願寺にて親族やレコード会社の関係者、バンド仲間だけを集めた密葬が行われました。翌5月6日に通夜、5月7日に告別式が執り行われましたが、ファンからの献花も受け付けていたため、想像を超える数のファンが押し寄せました。
告別式には5万人以上のファンが集まったとされ、献花のために並んだ列は2キロ以上。築地本願寺から隅田川の川沿いにまで及んだそうです。周辺の花屋からは花がすべてなくなったというエピソードも残っています。
告別式では、X JAPANのメンバーによってhideさんを見送る曲として「Forever Love」が演奏されました。YOSHIKIさんはファンに向けたメッセージの中で、hideさんの人柄について「バンドの中でも一番冷静に物事を考える人だった」「いつも的確な助言をくれた」と語っています。
ファンの後追い自殺が多発しYOSHIKIさんがコメント発表
hideさんの死が「自殺」と報道されたことで、熱狂的なファンによる後追い自殺が相次ぐ深刻な事態となりました。正確な人数は判明していませんが、相当な数に上ったとされています。
事態を重く見た警察からの要請を受け、X JAPANのメンバーは悲しみの中で記者会見を開きました。YOSHIKIさんは「そういう行動は絶対にしないでください。hideが一番悲しむと思います」とファンに呼びかけ、翌日の葬儀への参加を促しました。
生き甲斐であったhideさんを失い、自分の人生の意味を見失ってしまったファンが多くいたのでしょう。この出来事は、一人のアーティストが人々の心にどれほど深く根を下ろしていたかを示すものでもありました。
hideのお墓は三浦霊園―現在の参拝ルール
hideさんは現在、出身地・神奈川県横須賀市に隣接する三浦市の三浦霊園に眠っています。亡くなってから28年が経った今も、命日や誕生日を中心に多くのファンがお墓を訪れています。
ただし、あまりに多くのファンが訪れることによる環境保全の観点から、親族と管理事務所より「献花(お花)やお供え物は禁止」というルールが発表されています。2019年4月には、命日を前にあらためて正式なお願いが出されました。
多くの人に愛されているからこそのルールですよね。訪れる際は、静かに手を合わせてhideさんの冥福を祈るかたちで参拝するのがマナーとなっています。



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